超無限の求道者「大西茂」。
知られざる鬼才の唯一無二の芸術を追う
「大西茂 写真と絵画」展が、東京ステーションギャラリーにて3月29日(日) まで開催

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文:中島文子
撮影:中島良平
戦後日本美術の知られざる鬼才、大西茂。数学の研究者でありながら、位相数学(トポロジー)への関心を端緒に、写真、絵画へと創造の域を広げた、孤高の芸術家の作品を一挙紹介する日本初の回顧展「大西茂 写真と絵画」が東京ステーションギャラリーで開幕した。
その経歴の特異さもさることながら、これまでほとんど明らかにされてこなかった、あまりにも非凡な才能と独創的な作品の数々。しかし昨今、近代美術史を構成する重要な要素についての学術研究が進む中で、欧米の美術史研究家やキュレーターが大西に注目しているのだという。
本展は、大西が遺した1000点以上におよぶ絵画と写真から厳選された傑作を展示。数学研究の遺稿のほか、美術評論家の寄稿文、直筆の書簡など貴重な資料も公開され、大西の創造的探求を横断的に紹介する。大西茂の全貌に迫る、挑戦的な試みとなった展覧会をレポートする。

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- 「大西茂 写真と絵画」
開催美術館:東京ステーションギャラリー
開催期間:2026年1月31日(土)〜3月29日(日)
なぜ大西茂は見過ごされてきたのか?
本展で「芸術の舞台に、忽然と現れた数学者」と紹介される大西茂は、その存在自体が謎めいている。ただ、東京ステーションギャラリーで大西の日本初の回顧展が開催されるということについては、なんとなく腑に落ちる感じがする方が多いのではないだろうか。

これまで東京ステーションギャラリーは、知られざる作家を好んで紹介してきたが、今回焦点を当てる大西茂は、中でも群を抜いて知られていない。しかし、1950年代には大物美術評論家たちに稀有な前衛写真家と称賛され、1960年代には、精力的に取り組んだ墨の抽象画が国際的な舞台で紹介されるなど、センセーショナルな存在として光が当たった時期があったのだ。

写真、絵画ともに夥しい量の作品があるにもかかわらず、なぜ日本の美術史や写真史で検証される機会がなかったのか。その理由について、担当学芸員の若山満大氏は「大西の表現の本質を誰も言い当てることができなかったという点があるのではないか」と話す。
「彼が人生を賭けて取り組んだ表現は、数学・写真・絵画という3領域をまたがるが、この総体を見通す機会が今まではなかったし、そのように評価する者も少数だった。そのことが没後の検証を遅らせたという事情があります」

こうした背景がありながらも、2010年代に日本とフランスで写真展が開催されたことをきっかけに、欧米のキュレーターや美術史研究家によって、その重要性が指摘されることになった。続いて、ニューヨーク近代美術館(MOMA)では写真作品が収蔵され、アムステルダムFOAMやバレンシアBombas Gens Centre d’Artで個展が開催されるなど、急速に国際的評価が高まっている。この流れの中で、満を持しての日本での回顧展という意味でも、本展は大いに注目すべき展覧会といえるだろう。
人生を賭けて探求した「超無限」
1928年に岡山で生まれた大西は、子ども時代から学問に秀で、教師を質問攻めにして困らせるような天才肌の人間だったのだという。学校の勉強に早々に飽きてしまった彼が、自己探求を深めつつも特に関心を寄せたのが心霊現象で、世の中にある不可思議や説明がつかないことに対しての問いは、生涯かけて取り組む、壮大なテーマとなった。

数学で頭角を現し、北海道大学理学部数学科に進学した大西は、位相数学(トポロジー)に出会い、その研究に没頭する。位相数学を応用した独自の研究を展開していく中で、よりどころとしたのが「超無限」という概念だが、やがて自身の根源的な問いを解き明かすのに、数学の理論だけでは不十分だということに気づく。彼が探求したのは、数学の限界を超えた先にある数学的思索の広がりであり、数学的思索を継続するためにも何か補完する要素が必要だった。ストイックな探求を続けていく中で、新たな可能性をひらいたのが芸術だった。
自由で奔放、創造の本質に迫る写真表現
大西のいう「超無限」には、“対象が矛盾した状態で成立している世界”という性質があるが、この状態を視覚的に表現するのに、写真は非常に魅力的なツールだった。現実世界で交わることがない具象と抽象、存在不可能な形で視覚化される被写体、錯綜するイメージ……これらを巧みに表現した大西の写真は、制作のアプローチも異例だった。

多重露光、多重焼き付け、ソラリゼーション(白黒反転)など、シュルレアリスム的な写真術が散見されるが、単なる好奇心から実験的技法を採用したというわけではなく、大西の写真技法の選択は都度、思索のプロセスに左右され、極めて変則的で多様な表現を立ち上がらせている。

1955年に東京のなびす画廊で写真の個展を開催したとき、大西はまだ北海道大学の修士課程に在籍していたが、このような若きアマチュア写真家に対し、瀧口修造や金丸重嶺といった著名な評論家が寄稿したこともまた異例であったと言える。

また、戦後の混沌が続く1950年代は、社会的な矛盾や不正義を告発するジャーナリズム的な写真が巷に溢れており、こうした主流とのギャップが大西の存在を際立たせたということもあった。称賛する声がある一方で、批判する声もあったが、毀誉褒貶に晒される存在であったことは、大西が前衛写真家であったことを暗に証明しているとも考えられる。

直観を体現する、壮大な抽象絵画
写真で大きなインパクトもたらした大西だが、1960年代以降はパタリと写真から手を引いてしまう。依然数学的探求を継続し、「超無限」を追いかけていたが、次第に大西は絵画制作に夢中になっていく。

大西が取り組んだのは、墨という古来の伝統素材を使った抽象絵画だ。本展で展示されているのは、墨一色で描かれたものもあれば、色を入れた作品もあり、中には紙を継ぎ足して制作された幅2、3メートルに及ぶものもある。


作品に囲まれていると、縦横無尽に躍動する筆跡が空間をうねらせ、超常的な場に身を置いているような感覚になってくる。素材の質感や筆跡に、書と通じる要素も見出せるが、大西の抽象絵画はあくまで数学的理論に基づいており、「超無限」のヴィジョンを体現するものであったという点で、墨象(前衛書道)とは一線を画している。

大西の絵画の重要なポイントについて、若山氏はこう指摘する。
「超無限は頭の中で考えるだけの抽象的な対象ではなく、体験するもの、直観するものという風に彼は言っているんですね。では直観するものをどうやって人に伝えるのか。そこで直観している最中に体が動いた痕跡を残そうと考えた。そういう数学とは別の表現として、絵画に自分の心血を注いでいったわけです」


再評価がもたらす希望
大西の絵画はその難解さゆえ、まともに取り上げられる機会が少なかったが、彼の数学的思索をある程度理解し、その作品を評価した人物もわずかながら存在した。そのひとりが国際的な抽象絵画の潮流「アンフォルメル」の立役者となった、フランスの評論家、ミシェル・タピエである。1940年半ばにフランスに現れた新たな絵画の動向を「アンフォルメル(不定形)」と名付け、そこに大きな可能性を感じていたタピエもまた数学に造詣が深く、特に位相数学を背景に独自の美学理論を展開していた。
大西が抽象絵画に没頭し出したのは、タピエがアンフォルメルの動向を世界各地で発掘しようとしていた頃と重なり、具体美術協会、実験工房が評価されていく中で、そのどちらのグループにも属さない大西も見出されることとなった。

タピエが企画した大判シリーズ画集「集合バロック」は各号でアンフォルメルの代表的作家1名の作品をカラー版で掲載した。シリーズの既刊本は6冊あり、そのうちの一冊で大西が特集された
数学という共通の関心をもち、共鳴するところがあった大西とタピエは、言葉は十分に通じなくても互いの思想を理解することができた。「超無限」は、宇宙の神秘のような人智を超えるものであり、あらゆるものが未分化のまま存在する。大西の芸術はまさしく“形ならざるもの”として、アンフォルメルの文脈に自然になじむものと受け止められたのだろう。
大西は1958年に日本を巡回した「新しい絵画世界展 アンフォルメルと具体」に出品し、その後もタピエが推す作家としてヨーロッパ各地に招かれ展示の機会を得たが、1970年代以降、タピエが表舞台から退くと同時に、大西が海外に紹介されることはなくなり、その存在は美術界から自然と見えなくなっていってしまった。

「第9回具体美術展」とあわせて行われた「国際スカイフェスティバル」では、具体美術協会会員によって大西の原画が縦およそ10メートルに引き伸ばされ、大阪なんば高島屋の屋上を舞った
しかし、大西にとって社会的な名声や成功は重要ではなかったのだろう。むしろ、世俗から離れ、無心に創作と研究に打ち込む生活に、幸せを感じていたのではないだろうか。
大西は生涯「超無限」を探求し続け、芸術に向き合い続けた。北海道大学で数学を研究しながら人知れず写真制作に励んでいたときも、1960年代以降、岡山の実家で両親を介護しながら絵画制作や研究を続けていたときも、ずっと自らの道を信じて、ひたすら歩み続けたのだ。

今日私たちが大西の作品に出会うことができるのは、大西の同郷の友人、小倉忠夫をはじめとする良き理解者たちの尽力によるところが大きい。学芸員だった小倉は、まだ学生であった大西の個展を東京で企画し、日本の国立美術館に作品を収蔵する道筋をつくった人物である。
本展は、大西の再評価に関わったMEMと京都国立近代美術館に収蔵されている写真や絵画作品、慶應義塾大学アート・センターから提供された資料により、大西の芸術と人生を俯瞰して見渡せる貴重な機会となった。孤高の存在でありながら、時を経てもなお、大西の作品は底知れぬ磁場を生み出すかのように多くの人を惹きつける。その迫力をぜひ間近で感じてみてほしい。

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- 東京ステーションギャラリー|TOKYO STATION GALLERY
100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
開館時間:10:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
会期中休館日:月曜日、2月24日(火) ※ただし2月23日、3月23日は開館