「幻」の名作、鏑木清方《築地明石町》が
収蔵品となったことで、何度でも出会える名作へ
この名画・名品を観に行きたい!美術館散歩 Vol.12
東京国立近代美術館 / 鏑木清方《築地明石町》

1927(昭和2)年、東京国立近代美術館、通期展示、絹本彩色・軸、173.5×74.0cm
©Nemoto Akio
この名画・名品を観に行きたい!美術館散歩
私たちが普段、美術館や博物館に足を運ぶときは、あるテーマの企画展や特別展などを鑑賞しに出かけることが多いのではないだろうか。多くの美術館や博物館では各館のコンセプトに沿って、絵画や彫刻、版画、工芸など様々な作品を収蔵している。それらの作品の購入や寄贈により形成されていくコレクションとはどのようなものなのか、そういった各美術館や博物館の特徴や個性を知ることで、作品鑑賞をより深く楽しむ手掛かりとなるのではないだろうか。「この名画・名品を観に行きたい!美術館散歩」では、そんな美術館・博物館のコレクションから注目すべき作品を1点ずつご紹介していく。
ながらく所在不明となっていた鏑木清方の幻の名作《築地明石町》が東京国立近代美術館に持ち込まれたのは2018年秋。翌年、あわせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》とともに東京国立近代美術館が購入し、秋にお披露目された。公開は1975年以来、44年ぶりということで大きな話題となった。

そして、お披露目展で予告された3年後の鏑木清方の大回顧展が、今まさに開催されており、再び話題を呼んでいる。
清方が49歳のときに描いた《築地明石町》は、第8回帝国美術院展覧会(1927年)で、帝国美術院賞を受賞し、名実ともに日本を代表する画家のひとりに押し上げた。

1927(昭和2)年、東京国立近代美術館、通期展示、絹本彩色・軸、173.5×74.0cm
©Nemoto Akio
作品の舞台は、明治期に外国人居留地だった明石町。白く霞んだ朝霧の中で、物思う表情で後方を振り返る女性が描かれている。髪を夜会巻きに結い上げ、浅葱色の小紋の単衣に黒羽織、朝冷えに袖を掻き合わせている。背景に描かれた、水色のペンキが塗られた洋館の垣根には、朝顔が名残の花を咲かせている。画面左上には、佃の入江に停泊した帆前船のマストが浮かび上がる。
東京神田に生まれた鏑木清方(かぶらききよかた 1878-1972)は、浮世絵系の水野年方(1866-1908)に入門して、挿絵画家として画業をスタートさせ、日本画では文展、帝展を主たる舞台として、美人画家として上村松園(1875-1949)と並び称された。しかし、本人は「美人画家」と呼ばれることを嫌っていたという。我が事として多くの共感が得られるような芸術を理想とした清方にとって、《築地明石町》は明治の庶民生活という主題に行きついたスタートラインに位置する作品となったそうだ。
鏑木清方の代表作ともいえる《築地明石町》を収蔵した東京国立近代美術館の研究員・鶴見香織さんに、この作品を同館が収蔵するに至った経緯やこの作品の魅力などについて、お話しを伺った。
1999年に開催の「鏑木清方展」がもたらした作品との縁
東京国立近代美術館は1999年に「鏑木清方展」を開催しています。その展覧会がきっかけとなって、清方の名作《明治風俗十二ヶ月》や《初冬の花》が収蔵されました。展覧会はそんな恩恵ももたらすんですね。
2018年に《築地明石町》が他ならぬ当館へ持ち込まれたのも、この1999年の展覧会が遠因となっているはずです。清方のよい作品を多数所蔵し、コレクション展でしばしばご紹介し、他の美術館にもちゃんと貸し出す。つまり、清方をみんなで愛しみんなで研究しようとする館の姿勢と活動が評価されて、このような大事な作品が託されたのだと思っています。
もちろん、国民の血税からなる購入予算があってこそのお話です。だからこの作品は皆様のもの。コレクションのどの作品もそうですが、管理する私たちは責任重大です。
今はなき明治の理想郷を描いた、《築地明石町》のイメージの強さ、物語性
《築地明石町》が1927年の第8回帝展に出品されて帝国美術院賞を受賞したとき、審査で強く推したのは竹内栖鳳だったといいます。栖鳳は当時の美術雑誌に選評を寄せていて、清方が「明治期に入つての清新な東京情調を加味」していることに余人の及ばない独自性を見出し、この作品の「香気」「品調」に無限の魅力があると言いました。さすがのコメントですよね。
この作品は、清方の思い出の地である明石町の、明治30年代という設定です。当時はもう失われていた光景が、描写は控えめながら見間違いようもなく描かれていて、そこにたたずむ女性の物語へと私たちを誘います。背景があるのとないのとでは大違い。女性の姿かたちだけでは成立しないのが清方芸術です。
そしてその女性。過去の景色のなかにいる女性は、今はなき明治の理想郷を振り返る清方や鑑賞者に代わって、振り返るポーズをしているかのよう。彼女のポーズにこうした二重の意味があることで、《築地明石町》はきわめて強いイメージを獲得していると思うのです。
この作品からピアノ曲や歌謡曲が派生しているのも面白い現象ですよね。ピアノ曲は、橋本國彦が《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》の三部作からイメージして1934年に発表されました。歌謡曲は1939年、その名も「築地明石町」は歌手の東海林太郎が起用され、1969年には島倉千代子がカバーしました。《築地明石町》がイメージの強さと物語を喚起する力を持っているからこその現象ですね。
もう「幻」ではない。収蔵品となったことで、また何度でも出会える名作へ
作品が美術館に収蔵されるということは、公開される機会が増えることを意味します。もう幻ではないってことです。他の美術館に貸し出されることもあるでしょう。実物を見てはじめて分かることもありますから、私たち含め、この作品や清方を対象とする研究ももっとさかんになってゆくと期待しています。
(東京国立近代美術館 主任研究員 鶴見香織)
今回ご紹介の名画、鏑木清方《築地明石町》は、現在開催中の「没後50年 鏑木清方展」(2022年5月8日まで)で観ることができます。この三部作をはじめとする約109点の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展、ぜひお見逃しなく。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「没後50年 鏑木清方展」
開催美術館:東京国立近代美術館
開催期間:2022年3月18日(金)〜2022年5月8日(日)
