「写生」こそ「革新」――
今こそ巨匠・円山応挙の真価を知るべし
「円山応挙―革新者から巨匠へ」が、三井記念美術館にて、2025年11月24日(月・振)まで開催

伊藤若冲、曾我蕭白、岩佐又兵衛――日本美術史の中で傍流とされた彼らが「奇想の絵師」として脚光を浴びるようになって久しい。今ではむしろ彼らが展覧会のメインになるほどだ。
しかしその「奇想」ブームによって、ないがしろにされてしまった感が否めない絵師がいる。それが、円山応挙(1733-1795)だ。写生を重視する作風で高く評価され、当時の京都画壇の筆頭、いわば「巨匠」となった応挙だが、「奇想」の絵師たちの強烈な作風に見慣れた現代では、応挙の絵は「ふつう」に感じるのだろう。
三井記念美術館の開館20周年を記念する展覧会「円山応挙―革新者から巨匠へ」では、同館に伝わる三井家伝来の作品を中心に、応挙の画業とその魅力を紹介する。「巨匠」であるがゆえに、気づかれづらくなった応挙の真価を、改めて世に示す。
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- 「円山応挙―革新者から巨匠へ」
開催美術館:三井記念美術館
開催期間:2025年9月26日(金)〜11月24日(月・振)
江戸時代版VR「眼鏡絵」
写生を得意とした応挙の作風は瞬く間に広まり、後に四条円山派と呼ばれる流派が形成され、後世に大きな影響を与えた。しかし、当然ながら最初から「巨匠」であったわけではない。

本展では、まず円山応挙という人物の人となりが分かる作品から始まり、画業の初期に手掛けていたと考えられる「眼鏡絵」と呼ばれる作品について取り上げる。「眼鏡絵」とは、西洋の一点透視図法を応用して描かれた作品のことで、上下左右反対の図像を鏡に映し、遠近が強調された正しい像を観ることができるというものだ。現代で言えば、3DやVR(バーチャル・リアリティー)映像を見た時の感覚だったに違いないだろう。
応挙は若い頃にこうした眼鏡絵を描いていたと伝わるが、確実に応挙筆と言える絵は残っていない。それでも後の応挙作品に見られる空間構成などに眼鏡絵の影響が指摘されていることから、この伝承の蓋然性は高いとされている。いずれにせよ、当時日本で起きていた“バーチャル・リアリティー”の革新に応挙が触れていないはずはない。
質感表現へのこだわり
応挙が“バーチャル・リアリティー”の驚きをもたらすために試みたことは、眼鏡絵だけではない。伝統的な画題である花鳥画においてこそ、応挙の特筆すべき技量が発揮されてている。そのポイントの1つとして質感表現を取り上げる。
水中を泳ぐ鯉は、応挙が得意とした画題の1つ。水面から水中を覗いた時に見える鯉の姿を、応挙は度々描いている。魚の立体感、水面からの深さで明瞭に見える部分と見得ない部分の描き分けなど、卓越した技量が見て取れる。当たり前のように見えるかもしれないが、こうした立体感や、光の屈折による見え方の違いを表現することは、当時においてはむしろ斬新であった。

特に展示の《龍門図》(京都国立博物館)は、「登竜門」の故事で知られる「滝登りの鯉」を中心としてその左右に水中を泳ぐ鯉という3幅対の特殊な構成の作品だ。滝を昇る鯉の絵に注目すると、激しい水しぶきの部分を白く塗り残し、そこを避けるようにして鯉が描かれることにより、激しく流れ落ちる水の間から鯉が覗いて見える様子を表現している。
鯉だけでなく、動物の毛や鳥の羽などについても、その質感の表現は緻密だ。応挙(あるいは応挙の弟子)が描いたとされる写生図は多く残っており、本展ではそうした応挙による写生帖が展示されている。展覧会ではぜひ「質感」を鑑賞のポイントにしてじっくりと味わってほしい。
応挙といえば、子犬、幽霊
鯉や鳥などの緻密な描写とは対照的に、応挙の描く子犬はむしろ簡略な描写でキャラクターのような愛らしさに満ちている。

可愛らしい顔つきをした応挙の子犬は人気が高く、多くの作品が残っており、弟子の長澤蘆雪も師の子犬の姿を踏襲していることから、その人気ぶりがうかがえる。本展では数点の子犬図が展示されているが、時期によって多少犬たちの顔つきが異なっており、「応挙の子犬」が確立されている様子が見て取れる。
さて、ここで季節外れだが「幽霊」をイメージしてほしい。その幽霊は、髪の長い女性で、白い装束を着て、足元を見ると…足がない。そんな姿ではないだろうか。――実は、この幽霊イメージを確立させたのが、応挙なのだ。足の無い幽霊という描写は応挙以前にもあったが、一般的な幽霊イメージとして広く流布した背景には応挙の幽霊画が人気になったことに他ならない。本展では、応挙の典型的な幽霊画、そして蘆雪ら弟子たちが描いた作品も展示されている。意外なところでの応挙の功績にも注目だ。
緻密で丹念に描くだけではない、遊び心のある作品や機知に富んだ作品も多く、洒脱なセンスを備えていたことも巨匠たるゆえんの一つだ。
こんぴらさんの「虎」、三井の「松」、根津の「藤」
応挙の傑作というべき作品は数々あるが、その中で本展では次の3点が集う。
まずは、香川・金刀比羅宮の表書院の襖絵として描かれた重要文化財《遊虎図》。三井記念美術館所蔵で、応挙の作品の中で唯一の国宝指定を受けている《雪松図屏風》(展示期間:9/26-10/26,11/11-24)。そして根津美術館所蔵の重要文化財《藤花図屏風》(展示期間:10/28-11/10)だ。

《遊虎図》には、川の水を飲むもの、正面を向いて空中を見つめるもの、猫のように丸まって眠るものと、さまざまな姿の虎が描かれている。後年に幾度か補筆されているが、画面全体の構成、虎の毛の質感や模様の細やかさなど、応挙の技量を感じ取るには十分だ。会場では本作の隣に、《虎皮写生図屏風》(本間美術館)が展示されている。応挙が虎の皮の全体像を写生したと考えられるスケッチや、それらを基にした立体図が貼られた屏風で、応挙にとっての「虎柄の見本」ともいえる。スケッチの虎の柄と、襖絵の虎の柄は完全には一致しないが、実際の虎皮を写生した経験を活かして、こうした作品を制作していたことがうかがえる貴重な作品だ。


この《遊虎図》と共に展示されているのが、前期では国宝《雪松図屏風》。教科書などにも掲載される応挙随一の傑作だ。墨・紙・金泥と砂子(黒、白、金)という最小限の素材(色)で、雪に覆われた常緑の松の堂々たる姿を描いている。幹の立体感、樹皮の質感の表現は、墨の濃淡で巧みに表現し、これぞ応挙といえる描写だ。一方で背景は、降り積もった雪と、空中の霞たなびく様子を最小限の手数で表している。立体的で実在感のある松と、簡潔で装飾的な背景が違和感なく画面の中で調和しており、そのバランス感覚が実に見事であり、応挙の技量の高さが凝縮されている。


後期初めの2週間に展示される《藤花図屏風》は、金地の背景に、うねるように伸びる藤の枝、その先から満開に咲く花が描かれており、この空間構成に応挙のセンスの良さが現れている。若冲をはじめ「奇想」の絵師たちの爆発する個性に対し、生真面目あるいは技術先行のイメージを持たれがちな応挙だが、本作を見れば、「写生」という技術に溺れず、それを駆使して洗練された作品を創り出す感性の鋭さに感服する。
「革新者にして巨匠」と「奇想の筆頭」の夢の合作
冒頭からここまで、応挙に対する存在として「奇想」の絵師、中でも特に伊藤若冲の名前を挙げてきた。同時期に同じ京都で活躍した2人であったが、これまで2人の接点を示す資料や作品はほとんどなかった。長らく「巨匠・応挙」と「奇想・若冲」は交わることなかったが、その定説を覆す作品が最後の展示室でお披露目となっている。


若冲と応挙による合作で、二曲一双の金地の屏風の左隻に若冲が竹と鶏を描き、右隻に応挙が梅と水中の鯉で描いている。両者がそれぞれ得意とする画題で、その技量を遺憾なく発揮させた本作の存在が発表された当時、多くの研究者、日本美術ファンに衝撃を与えた。
若冲の《竹鶏図屏風》は、堂々と見返る雄鶏をはじめ、雌鶏、雛鳥が描かれており、晩年期の若冲の作品の中でも充実した描写だ。「C」の字のように極端に振り上げられた尾羽など、闊達な筆さばきが画面にリズムを与えて心地よい。
一方、応挙の《竹鶏図屏風》は、穏やかな波の合間から2匹の鯉が悠然と泳ぐ姿が描かれている。たっぷりと取られた余白と、画面の右から伸びる梅の枝によって、奥行きを感じさせる見事な空間構成だ。右側の鯉の頭上に見えるねじれた細い枝が、穏やかな画面の中で心地よいアクセントになっている。
この合作が制作された背景については、詳細はまだわかっていないものの、金箔の大きさや貼り方が一緒であることから、注文主がまず屏風を仕立て、それぞれの屏風を若冲と応挙に依頼したと考えられるという。
三井家と応挙の密接な関係
最後に、三井家と応挙の深い結びつきを紹介する。三井記念美術館に多くの応挙作品が収蔵されているのも、ひとえに三井家が応挙の重要な支援者であったからだ。本展では、三井家と応挙が親密な関係だったからこそ今に伝わる作品が惜しみなく展示されている。


特に注目は、応挙が蓋裏の下絵を描いた桜木地の茶箱だ。桜材を茶箱の箱に仕立て、その蓋裏に蒔絵で、風に舞う桜の花びら、穏やかに流れる水流が表されている。本作は北三井家6代・三井高祐の愛蔵品で、記録によれば度々茶会で使用しいていたようだ。
ちなみに金刀比羅宮の表書院の襖絵制作も、三井家が出資したことが分かっている。金刀比羅宮に出入りしていた仏師と応挙が姻戚関係にあったことなどが支援の背景にあったと考えられており、三井家がいればこその京都から離れた香川の地にある金刀比羅宮と応挙がつながったと言える。その背景を踏まえれば、三井記念美術館の20周年を記念する本展で、《遊虎図》の作品展示が実現したことは、まさに三井家と応挙の親交の深さの賜物だ。
刺激的なビジュアル・イメージに目が慣れた現代の感覚では、応挙の作品は一見さっぱりとして見えるだろう。しかし実は応挙こそ、当時においては新しいビジュアルイメージを創造し、見る者に強烈なインパクトを与えていた「革新者」だったのだ。本展ではぜひとも当時の人々の眼になって、「写生」という応挙が仕掛ける革新的な“ヴァーチャル・リアリティー”をお楽しみいただきたい。