「坂本龍一展」からの思索、
『非戦』の再読、パレスチナについて
東京都現代美術館で開催中の展覧会「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」を訪れて

坂本龍一+高谷史郎《LIFE–fluid, invisible, inaudible...》2007年 ©2024 KAB Inc. 撮影:浅野豪
文・構成 小林春日
東京都現代美術館で開催中の展覧会「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」(2025年3月30日(日)まで開催中)を観てきた、と知人に話すと、「ピアニストの坂本龍一さんね」「作曲家の坂本龍一ですね」「戦場のメリークリスマスの・・・」「YMOの・・・」と人によってすべて違った肩書きのリアクションが返ってきた。
本展は、50年以上に渡る多彩な表現活動を通して、時代の先端を常に切りひらいてきた坂本龍一氏(1952-2023)の「アーティスト」としての側面をフューチャーした展覧会である。そしてこの展覧会が多大なる人気を博しており、連日入館待ちの長い行列ができている。

坂本龍一+高谷史郎《async–immersion tokyo》2024年 ©2024 KAB Inc. 撮影:浅野豪
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」
開催美術館:東京都現代美術館
開催期間:2024年12月21日(土)〜3月30日(日)
「音を空間に設置する」という芸術的挑戦
本展は、2000年代以降、坂本氏がさまざまなアーティストとの協働を通して追求し続けた、「音を空間に配置する」という試みが、映像やインスタレーションとして形になったものである。「音」と「時間」をテーマにした未発表の新作と、これまでの代表作からなるインスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間に展示している。
その特性上、照明を落とした薄暗い中に配置され、鑑賞者の介在によってインスタレーションとして成り立つものもあり、まるで会場全体が一つの作品のようだ。
コラボレーション・アーティストは、高谷史郎、真鍋大度、カールステン・ニコライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、Zakkubalan、岩井俊雄、そしてスペシャル・コラボレーションに中谷芙二子を迎えている。

坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎《LIFE−WELL TOKYO》霧の彫刻 #47662
©2024 KAB Inc. 撮影:浅野豪
本展の内容詳細については、すでにさまざまな媒体で詳しく紹介されているので、そちらに譲りたい。本展がなぜ、若い人たちを含む幅広い年齢層から絶大な人気を得ているのか、鑑賞後にその理由を考えているうちに、これまでの坂本氏の音楽だけではないさまざまな活動が思い起こされてくる。世界的に活躍を続けてきた音楽家であり、アーティストである坂本氏のような人物が発信する考え方や言葉による影響力は大きい。

坂本龍一 with 高谷史郎《IS YOUR TIME》2017/2024 ©2024 KAB Inc. 撮影:福永一夫
筆者も影響を受けてきた一人だ。本展に展示されている作品《IS YOUR TIME》(坂本龍一 with 高谷史郎)は、2011年の東日本大震災の津波で被災した宮城県農業高等学校のピアノに出逢った坂本が、それを「自然によって調律されたピアノ」と捉え、作品化したものである。また、東日本大震災の被災三県(岩手県・宮城県・福島県)を中心とした子どもたちで構成される「東北ユースオーケストラ」を立ち上げ、代表・監督を務めた。坂本氏の活動は、音楽家やアーティストのみにとどまらず、脱原発、森林保全などの環境問題、辺野古基地の問題、核兵器廃絶の問題などについても積極的に取り組み、発信してきた。
2001年に刊行された坂本氏監修の書籍『非戦』、論考の今
いまから、約23年前の2001年12月に坂本氏の監修による『非戦』という書籍が刊行されており、あらためて読み直した。911の米同時多発テロが起きた2001年、当時ニューヨークに住んでいた坂本氏は、大手メディアの流す情報の多くがアメリカ寄りの一方的なものが多く、テロと戦争の真実が見えないと感じ、いかに自分たちが「真実」から遠ざけられているかに気付かされたという。
ネット上に飛び交う多種多様な論考や意見から、重要なものを数人の友人たちと送り合っているうちに、そのやりとりがメーリングリストへと発展し、更に新たな友人たちに広がった情報交換が続き、いつしかそれらの論考や記事をまとめた本を出版しようという話になった。既存のメディアでは、なかなか目にすることのできない重要な声を人々に届けるべく、60名以上の執筆者の論考や記事が、『非戦』と題した一冊の書籍として出版された。
驚くべきことに、この本が出版された2001年から23年以上の月日を経た現在も、この書籍が提起する問題が、いままさに突きつけられているかのごとく、現在の我々にとって重要な内容ばかりだ。
当時、米同時多発テロの直後、ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と宣言し、「アメリカ対タリバン」、という2者の対立構造を描き、アメリカ側につくのか、テロリスト側につくのか、と世界中を巻き込み大規模な軍事行動に駆り立てていこうとする中で、「戦争」という方法ではなく、暴力の連鎖を繰り返さない方法の考察や、もっと広く世界を見渡し根元的なことを見直していくすべが、様々な立場、視点から語られている。それらの論考の多くが、過去にはベトナム、イラク、そしてアフガニスタン、パレスチナに触れており、それらに共通してみられる背景は、ウクライナやガザ侵攻にも繋がっている。ここでは特に、911米同時多発テロに関連した論考であるにも関わらず、23年前のこの書籍でほとんどの執筆者が言及している、パレスチナが置かれている問題について取り上げたい。
2023年10月7日、ガザ地区を統治するハマスによるイスラエルへの越境攻撃により、イスラエル軍がガザへの大規模な軍事作戦を開始し、街は壊滅的に破壊され、4万人以上の罪のない市民が殺害された。(ここではあえて、10月7日のハマスの行動の詳細は書かない。それを書くならば、報道されてこなかった1948年のイスラエルの一方的な建国宣言から現在までのイスラエル軍による虐殺や破壊行動をすべて列挙しなければならない。)
しかし現在、ガザ地区での「停戦」がニュースになって以降、たちまちパレスチナに関連する報道が減ってきている。停戦の合意が一時的に報道されたとしてもイスラエルが軍事作戦をやめるわけではないことは、すでに何十年も続いてきたパレスチナの占領の問題について、『非戦』の多くの執筆者が触れていることからもわかる。
「現在の状況を理解するためにもっとも重要なのは、わが国政府がイスラエルにハイテク兵器を供給している中で、ヨルダン川西岸とガザの占領地では、100万人以上のパレスチナ人が無慈悲な軍事占領の下で暮らしているという事実である。」
(米国のラディカルな歴史家・ボストン大学名誉教授 ハワード・ジン(Haward Zinn)/翻訳:季刊「ピープルズ・プラン」編集部「『非戦』(報復――戦争は100倍のテロリズムである)」より引用)
「米国議会は毎年23億ドルにのぼるイスラエルへの援助を承認してきた。そして、その大部分が軍事費として使われている。こうして米国民の税金から支払われる毎年の支援金が、長年にわたってイスラエルのパレスチナに対する攻撃戦争の資金となってきたのである。米国からの支援金がなければ、イスラエルは経済危機とコスト高な戦争に音を上げ、より公正なスタンスでアラブおよびパレスチナとの和解策を受け入れていただろう。」
(ジャーナリスト 重信メイ「『非戦』(この新しい段階でわたしたちがもとめるべきもの)」より引用)
パレスチナについて
「民なき土地に土地なき民を」というスローガンをかかげて、パレスチナ人の住んでいた地域に、ユダヤ人が移住してきたのは19世紀末。ユダヤ人国家建設のために、ダイナマイトでパレスチナの人々の家を爆破するなど、その土地からさまざまな手段で追放を試みて「民なき土地」に変えていこうとした。迫害を受けた多くのパレスチナ人は、故郷を追われ、レバノンやヨルダンに逃れて難民となった。1982年、レバノンの首都ベイルート近郊、サブラ・シャティーラのパレスチナ難民キャンプでは、たった2日間で数千人が虐殺されるなど、迫害によって逃れた先でも、さらなる迫害が続いてきた。
19世紀末から今に至るまで、パレスチナ人は、家を破壊されたり、暴力を振るわれたり、殺害されたり、罪もないのに何年間も、そして幾度も投獄され非道な拷問を受けても、実質的に、訴えたり裁判を起こすこともできない。自分や家族の身に起こった不幸を黙って耐えるしかないのが現状だ。
「停戦」という言葉で、このまま世界はまた関心を逸らしていくだろう。その間にもこれからも、人間らしく生きる権利を奪われたままのパレスチナ人の日常が続いている。
「追い詰められた人々は今、生き難い『生』を生きている。しかし彼らがいかに悲惨な生活であったとしても、誰かがその状況を理解し、改善しようと努力するなら彼らは絶望しないだろう。しかし誰もが目を背け、誰からも忘れられていたとしたらどうだろう。あなたは土地を追われ、生活できるだけの収入は得られず、日々家族が失われていく中で、誰からも無視され見向きもされない暮らしの中で、『復讐しない』と誓えるだろうか。私には難しい。「忘れられること」はそれほどつらいことだ。」
(環境活動家 田中優「『非戦』(忘れてはいけない)」より引用)
「真実」が見えにくくなる報道
わたしたちは、「パレスチナ側によるテロ攻撃への報復としてイスラエル軍が侵攻した」といった形でニュースに触れる機会が多いが、イスラエル軍の攻撃が「報復」と位置付けられた形の報道が常に繰り返されていると、その重大な誤りに気がつきにくい。イスラエル軍が「報復」として攻撃を開始するときは、それまでにパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区やガザ地区)のどこかで破壊的な攻撃がなされ、多くの死傷者が出た後であることが多く、通常それらは、日本を含む西側のメディアではほとんど報道されることはない。
また報道では、ハマスのことを「テロ組織」や「武装勢力」と呼んでいる。また、「イスラム原理主義」という言葉もアメリカやキリスト教圏諸国側が批判的なニュアンスも含めて用いている言葉であり、日本はその和訳を報道などで使用しているにすぎない。そして報道によるそれらの通称が、イスラエルによる攻撃の国際社会の黙認を助長している部分があるのではないだろうか。ハマスは、病院や学校の建設や運営などにも携わっている自治政府としての機能も果たしてきた組織である。パレスチナは現在独立国家として認められていないため、そういった呼称で報道されているが、ハマスという組織を「パレスチナ政府」や「軍」と置き換えて考えると見え方が変わってくるはずだ。虐殺や破壊を続けるイスラエルの「軍」という呼称を取り払えば、それこそまさにテロ行為そのものなのではないだろうか。
国立西洋美術館で起きた芸術家によるデモの意味
主にアメリカによる莫大な支援を受けているイスラエル政府およびイスラエル軍による、パレスチナ人の虐殺に使われてきた武器の供与やその資金源となるものには、日本の政府をはじめ多くの企業も関わっているため、わたしたち一人一人が無関係とは言い切れない。わたしたちが政治にどう声をあげ、購買行動に何を選択し、就職先をどう決めて、何に投資するのか、そういった選択が、パレスチナ人が長年おかれてきた状況にも関係しているとしたら、わたしたちはどう行動していったら良いのだろうか?
そういった考えや行動が、BDS運動※としても世界に広がっているが、日本ではパレスチナ問題は、よく知らない遠い土地で起こっている他人ごとと考えている人が多いのではないだろうか。
※BDS運動・・・イスラエルの占領政策に抗議するために、イスラエル製品・サービスの「Boycott(ボイコット)」「Divestment(投資撤退)」「Sanction(経済制裁)」を呼びかける運動。2005年7月にパレスチナの市民団体や労働組合などの呼びかけで始まった。南アフリカのアパルトヘイト政策に対して国際社会がボイコットなどを通じて圧力をかけたように、イスラエルの占領政策に対する国際的な連帯を求めている。
昨年の3月、国立西洋美術館(東京・上野)で開催された、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」と題した企画展が開催される前日に行われたプレス内覧会において、同館のオフィシャルパートナーである川崎重工に対して、一部の作家らが抗議行動を行った。
「パレスチナで現在起きているイスラエル政府のジェノサイドに強く反対します」と表明し、イスラエルの軍需企業から、川崎重工を代理店とした武器輸入の中止を求めて、「これ以上虐殺に加担したくない」と考える作家ら(「展覧会出品作家有志を中心とする市民」として)の強い意志によるものだった。
デモ行動に慣れていない日本人は、こういったアクションを受け止めることに苦慮する。実際に「芸術家のくせに余計なことをしている」とか「場違いな行動だ」とした冷ややかな反応も多かった。本展を主催した美術館側のとまどいも想像に難くない。しかし、こういった抗議行動を起こした作家らは、自身の作家生命を賭しても、パレスチナ人の虐殺が続いていること、またそれに自国が何らかの形で加担していることを見過ごさず、社会に対する問題提起と川崎重工に対する要望の表明として行動した。日本も、そしてわたしたち個々人も、パレスチナ人の虐殺に無関係ではないことを知り、これからの行動を見直すことは、決して無駄なことではないように思う。
ハーバード大学などの学生運動、塞がれた声
2023年10月7日以降即座に、アメリカのハーバード大学の学生団体「パレスチナ連帯委員会(PSC)」が、「現在進行しているすべての暴力には、イスラエル政権に全責任がある」と訴える声明を出し、これに33の他の学生団体が賛同し、共同署名している。
(ハーバード大学の学生新聞「The Harvard Crimson」より)
その後もハーバード大学での学生運動は続き、ガザでの戦争停止を訴えるとともに、イスラエル系企業との関係の断絶や、大学への寄付金が軍需産業に回らないよう投資先の見直しを求め、米政府には軍事援助の打ち切りを訴えた。2024年4月には、数百人の学生たちがキャンパス内で集会を開き、テントを設営するなど抗議活動が続き、これが全米の他の大学にも波及し、広範な学生運動へと発展していった。
しかし、これらの抗議行動は、「反ユダヤ主義」という言葉にすり替えられて、完全に封じ込められてしまう。
イスラエルを非難する内容の声明に署名した学生らの個人情報が公開され、走行する宣伝トラックに実名と写真を載せられ、ネットにもそれらの情報をさらされる嫌がらせを受けた。また、学内で抗議活動を行う学生らに対し、警官隊が突入し、不法侵入容疑で逮捕するなど、これまでに千人以上の学生が逮捕・拘束されたり、停学処分や大学の卒業資格を剥奪されたり、就職の内定を取り消されたり、暴力をほのめかす脅迫を受けたりするといった事態に発展した。学生たちの声は、ほとんど何も果たせないまま、大人たちによって塞がれていった。
先月の2月、ワシントンでの米イスラエル首脳会談で、トランプ米政権はイスラエルの要請に応じる形で、約74億1千万ドル相当の武器売却を承認し、議会に通した。2025年には爆弾や弾薬を、2028年にはヘルファイア空対地ミサイル3千発の供与開始を見込んでいる。アメリカの手厚い軍事支援は、イスラエルへの武器の提供を可能にし続け、何十年にも渡るパレスチナの占領・虐殺・迫害を継続させていく。
「知る」ことが生死をわける
ここ日本で、わたしたちは報道や書籍や文献、SNSなどを紐解いて、関心をもって情報に触れようとしない限り、パレスチナの人々が置かれている状況や占領下の暮らしがどのようなものかをリアルに想像することは難しい。しかし、先ほどから書いているが、日本においても、わたしたち一人一人と無関係とはいえず、何の罪もない人々の命が何十年にもわたって無惨に奪われている状態を無視し続けていいはずがない。パレスチナの人々がこれまで暮らしてきた土地で、国家として独立し、人権が擁護された、人間らしい自由な暮らしを送ることができるようにするために、イスラエルによる占領を一刻も早く終わらせなくてはならない。
「(前略)私たちが望むものは、父親たちの時代よりも、より良い未来です。
自由の下で生きたいのです!好きな場所を選んで住む自由、家族全員が集って一緒に食事を楽しむ自由、毎日を普通に生きる自由ー検問所も砲撃もなく、銃撃を受けることもなく、殉難者も葬式もなく、そしてデモすらする必要もなくーー。
兵士たちに捕らわれるかもしれないという恐れなしに生きる自由、パレスチナ人だから、あるいは「難民」だからという理由だけで銃撃されるかもしれない恐怖なしに生きる自由、爆撃や砲撃の音ではなく音楽を聴く自由、「衝突」の最中に友人たちが殺されることのない自由、まるで巨大な監獄の中に居るように感じることのない自由、誰にも生活を支配されない自由、自分自身の国にいるのだからー今日も明日もー自分と家族が安全に過ごせるだろうと疑わずにいられる自由。私たちは、私たち自身の自由を手にするその日まで闘いを続けるでしょう。なぜなら自由こそが、これら全ての暗黒を終わらせる希望の光だからです。」
(パレスチナ・ベツレヘム・ドヘイシャ難民キャンプ内 ヤーセル・アル=カイーシーイブダ文化センター ジハード・アッバス/ラシード・アブー・アリア/翻訳:岡田剛士 「『非戦』(何が起こっているのか?どんな地獄が出現しているのか?自由を求める!」より引用)
日本においても、政治に対する行動、企業との関わり、購買行動の選択、投資先の選定と投資引き上げ、就職先の検討など、わたしたちの社会や個々人ができることはあるはずだ。
例えばわたしたちが日常的にスーパーで購入している食品や飲料、ネットで買う商品、ドラッグストアなどで買う化粧品や医薬品、コンピューター、ファッション、外食における自らの消費行動が、イスラエルの占領・入植・人権侵害に加担している企業を支えることになっていないか、など考えてみることもできる。
まずは、「知る」ための行動だけでも起こしたい。メディアから流れてくる情報だけで理解しようとしても、決して「真実」はわからない。見聞きした情報だけを鵜呑みにすることは、操作された誤った情報に目が曇らされてしまい、ときに無意識のうちに人の命を奪う行為に加担しかねない。
坂本氏のあとがきからの一文を紹介したい。911直後に書かれたものだが、まさに今現在の私たちに必要なことだ。
「(前略)今世界に何が起きつつあり、どこへ向かおうとしているのか、その大きな渦の中でぼくたち一人一人は、どう考え、何をすればいいのか分かるはずだ。知る、ということは生死に関係する。」
最後に
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへ侵攻した。
「まさか自分が生きているうちに、また新たな戦争の始まりを目撃しなくてはならないとは」と、坂本氏は、生前最後の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(月刊文芸誌「新潮」で連載した自伝)に書き記している。その後、ウクライナにも心を寄せ、支援のためのチャリティーアルバムを作る企画にも参加しているが、まさかその翌年に、街全体が瓦礫と化すほどの侵攻と虐殺がガザで起きているとは予想もしていなかっただろう。
また、この著書では「東北ユースオーケストラ」や、先述の津波で被災したピアノとの出逢いについても触れている。それまで定期的に(コロナ禍を除き)開かれてきた東北ユースオーケストラの公演が2022年3月26日にサントリーホール(東京)で行われ、手術後の治療中だったため参加が危ぶまれていた坂本氏だが、その日は体調が良く、音楽監督として出演し、ピアノ演奏も行った。坂本氏がこのオーケストラのために作曲した『いま時間が傾いて』の演奏がこの年初めて披露され、女優の吉永小百合氏による沖縄戦没者を追悼する詩の朗読などが行われた。亡くなる直前まで坂本氏が東北の子供たちを気にかけて情熱を傾けた東北ユースオーケストラは、坂本氏の亡き後も続き、今年の公演開催ももうまもなくだ。
今回、音楽家・作曲家・ピアニストだけではない、アーティストとしての一面もまた広く大勢の人々を魅了している展覧会「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」の鑑賞後、坂本氏のこれまでのさまざまな活動や発してきた言葉や書籍にあらためて触れたい思いに駆られた。そして、命の尊さや平和を守るには、時に声をあげて行動する必要があることを、そのように生きた坂本氏から少しでも学べたらと感じて、ここには筆者なりの解釈と考察を巡らせた思いを記している。坂本龍一氏が遺した多くのものの核には、人としての深いあたたかさや優しさがある。私たちに遺してくれた掴み取りきれないほどたくさんの、人が生きる上での大切なメッセージに、これからも思いを馳せていきたい。

坂本龍一 (SAKAMOTO Ryuichi/音楽家)
1952年、東京都生まれ。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年「Yellow Magic Orchestra」結成に参加し、1983年の散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』(83年)の音楽では英国アカデミー賞、映画『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞、他を受賞。環境や平和問題への取り組みも多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を立ち上げるなど音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動も行った。1980年代から2000年代を通じて、多くの展覧会や大型メディア映像イベントに参画、2013年山口情報芸術センター(YCAM)アーティスティックディレクター、2014年札幌国際芸術祭ゲストディレクターを務める。2018年piknic/ソウル、2021年M WOODS/北京、2023年 M WOODS/成都での大規模インスタレーション展示、また没後も最新のMR作品「KAGAMI」がニューヨーク、マンチェスター、ロンドン、他を巡回するなど、アート界への積極的な越境は今も続いている。2023年3月28日、71歳で逝去。
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「東北ユースオーケストラ演奏会 2025」公演日:2025年3月21日(金)
参考文献:
『非戦』坂本龍一 (著), sustainability for peace (著) 幻冬舎(2001年)
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一 (著) 新潮社 (2023年)