国境を越え、時代を越え、思いが行きかう、
日本の夢を巡るゴッホ展。
ゴッホの中の「日本」、まだ見ぬ日本を愛した「ゴッホ」、
ゴッホに憧れ「ファン・ゴッホ巡礼」の旅をした多くの日本人。
展覧会レポート
今年5月にイギリスの大英博物館で開催された「北斎展」は、連日行列をなすほどの人気ぶりで、大きな話題となった。現在、同展覧会が、あべのハルカス美術館(大阪)で開催されている(「大英博物館 国際共同プロジェクト 北斎-富士を超えて-」2017年11月19日(日)まで)。気づけば、「今年は浮世絵ブームなの?」と思わせるほどの頻度で「浮世絵」に関する展覧会の開催が、毎年続いている。
現在、上野の国立西洋美術館でも、「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」が10月21日(火)から開催されている。そして、同じく上野の東京都美術館では、「浮世絵」という言葉を展覧会名に冠してはいないが、ゴッホと浮世絵との深いかかわりを検証し、紹介する「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」(2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝))と題した興味深い展覧会が、始まった。
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「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」
開催美術館:東京都美術館
開催期間:2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
ゴッホが見つめた浮世絵とゴッホの芸術
オランダのアムステルダムに1973年に開館した、国立美術館であるファン・ゴッホ美術館は、ゴッホ作品を中心に、ゴッホの絵画表現に多大な影響を与えた浮世絵作品も数多く所蔵している。この美術館は、ゴッホが日本の浮世絵から受けた影響について紹介する展覧会を開催したい、という夢を長い間抱いてきたが、今回、その夢が実現したものとなり、日本国内巡回後には、ファン・ゴッホ美術館でも開催される予定である。
ゴッホの名作の数々と葛飾北斎、歌川広重、渓斎英泉などの浮世絵を同時に展示しながら、ゴッホがいかに日本の美術、特に浮世絵に魅せられていたかという事実の検証がなされる展覧会となっている。
展覧会会場には、浮世絵自体がモチーフとしても度々登場するゴッホ作品とともに浮世絵が並べられるが、それぞれの比較において、なるほど、ゴッホの絵には隣接の浮世絵の影響が見て取れる、と一目瞭然なものとは多少言い難い。
それは、ゴッホが浮世絵から影響を受けた技法やモチーフ、あるいは精神性なども含めて、ゴッホならではの表現として再構築されているためではないだろうか。
浮世絵そのものが描き込まれた作品は分かりやすいが、そうでない作品も、細部を見ていくと、実際に検証によって導きだされている浮世絵の影響に、納得できる箇所が多々あり、かえって「浮世絵」が持つ特徴というものを改めて認識する機会にもなるのではないだろうか。
「・・・陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっきりした色で彩色した」
例えば、こちらはゴッホの代表的な名作である《寝室》について、「・・・陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっきりした色で彩色した」(書簡554/705)とゴッホ自身が語っている。
光や陰影による色調が特徴的であった印象派が誕生したこの時代、西洋絵画には、影が描かれない作品はあまり見られないであろう。確かにこの絵には陰影がなく、平面的であり、そして色彩や構図は、独創的である。これをゴッホ自らが、浮世絵を意識して描いたという事実、そして、この世界的名画に浮世絵との深い関わりを知ることは、わたしたち日本人にとっては大きな喜びではないだろうか。
浮世絵の影響を受けながら、より自由で活き活きとした絵画表現へ
歌川広重の名所江戸百景《亀戸梅屋舗》は、ゴッホが油彩で模写したことでも有名な浮世絵作品である。近景に木の幹が大胆に拡大されて画面全体を横切り、その奥に遠景が広がり、梅の木々や人々が小さく描かれている。遠近法を用いて奥行を感じさせる絵画技法は、もともと江戸時代後期に西洋から伝来し、浮世絵師たちによって誇張して用いられたものである。
浮世絵師たちが大胆に用いた遠近法による構図が、今度は再びヨーロッパにもたらされ、ファン・ゴッホを含む19世紀後半の画家たちに影響を与えることとなった。
ゴッホは、その後もしばしば木の幹で画面を分断するという特徴的な構図を用いており、この「種まく人」は、その一例である。左上から右下に向かう対角線上に配された樹木の幹の大胆な構図は、浮世絵からの影響といわれると、なるほどとうなずける。しかし、黄緑がかった空の広がり、黄色く輝く巨大な夕陽、種まく人の力強い右手、画面いっぱいにゴッホならではの表現が満ちていて、浮世絵が持つ情緒とは異次元の仕上がりである。
決して浮世絵のようなものを追い求めた芸術ではなく、浮世絵の影響を受けながら、より自由で活き活きとした絵画表現へと至っていくようである。
浮世絵への愛が詰まったゴッホの作品《花魁(おいらん)》
ゴッホの浮世絵への愛がいっぱいに詰まった、「花魁(渓斎英泉による)」は必見である。
こちらは、北斎の家にも良く出入りをしていた渓斎英泉(けいさいえいせん)のという浮世絵師の1820~30年頃の作品「雲竜打掛の花魁」の模写を中心に据えて描いたものである。1853年にオランダで生まれたファン・ゴッホが、パリに移った1886年、ジャポニスム(日本趣味)の最盛期を迎えていた。ファン・ゴッホは、日本特集号が刊行された『パリ・イリュストレ』誌の表紙に使われていた英泉の花魁図を拡大模写して自身の作品《花魁》に描き込んだのだ。
※渓斎英泉の花魁図は雑誌に印刷される段階で、左右が反転してしまったようで、ゴッホの模写も、英泉の花魁とは顔の向きが逆となっている。
このゴッホの作品は、渓斎英泉の花魁が中心にあり、その背景には、竹と葦に囲まれた睡蓮が群生した水辺が描かれ、中央上部にはふたりの人物を乗せた舟、左側には2羽の鶴、中央下部には2匹の蛙が描き込まれている。2羽の鶴は、無名の絵師による浮世絵《芸者と富士》から、2匹の蛙は二代 歌川芳丸の《新板虫尽》からモティーフを引用していることが分かっているそうだ。
ゴッホがそれぞれの浮世絵を見て、どのように感じ、そしてどのようなイメージでこの一つの作品の中に、いくつもの浮世絵のモチーフを収めることになったのか、ゴッホの想いを想像してみるのは、とても楽しい。また、様々な浮世絵が創造の源とはなっているものの、花魁を描いたキャンバスが蛙の頭に乗ったような構図、鮮やかな色彩、力強い筆致など、まさにゴッホならではの芸術性に圧倒される。
一度も日本を実際に訪れたことのないゴッホが、浮世絵などの日本の芸術や文学に触れながら醸成してきた日本へのイメージや憧れは、どのようなものであったか。作品の中で出会う“ゴッホの日本”は大変興味深く、この展覧会の醍醐味ではないだろうか。
ファン・ゴッホ巡礼
また、この展覧会では、ゴッホ亡き後、1920~30年代に、多くの日本の画家や知識人がゴッホに憧れ、ときに崇拝するほどに理想化したその画家の生涯を辿り、その作品を見るためにヨーロッパ各地を訪ね歩いていた、「ファン・ゴッホ巡礼」を取り上げている。
ファン・ゴッホの死から間もない時期、小説家の武者小路実篤、画家の斎藤與里や岸田劉生、美術史家の児島喜久雄ら「白樺派」及びその周辺の文学者や美術家たちが、その作品や生涯を日本で熱心に紹介している。熱狂の渦が徐々に広がり、大正から昭和初期にかけて、少なからぬ日本人がファン・ゴッホの生の軌跡を求めて、ゴッホの終焉の地となったパリ近郊のオーヴェールへと赴いている。
ゴッホの晩年の主治医であるガシェ家に残った芳名録によると、オーヴェールを訪れた記録を残した日本人は、約240人にのぼるという。その「芳名録」が公開されるとともに、約90点の資料によって巡礼の実相を辿る。
“時代”と“国境”を越えたファン・ゴッホと日本を巡る夢の変遷をたどる展覧会である。
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「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」
開催美術館:東京都美術館
開催期間:2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
参考文献:
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 Van Gogh & Japan」図録
(北海道新聞社、NHK、NHKプロモーション 発行)
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 特設WEBサイト