フジタ芸術の真骨頂、「シャペル・フジタ」が出現。
藤田嗣治の宗教画からその精神世界を読み解く
「ランス美術館コレクション 藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」が、軽井沢安東美術館にて開催

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文・中島文子
写真・中島良平
藤田嗣治の晩年に焦点を当てた展覧会、「ランス美術館コレクション 藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」が軽井沢安東美術館で開幕した。戦後、フランスで余生を全うすることを決意し、1959年にランスの大聖堂で洗礼を受け、カトリックに改宗したフジタ。本展は、藤田嗣治の作品だけを所蔵する軽井沢安東美術館と現在フランス最大のフジタコレクションを所蔵するランス美術館との共同企画で、フジタが晩年に取り組んだ宗教画や最後の大作「平和の聖母礼拝堂(通称:シャペル・フジタ)」の制作の過程を追う。ランス美術館から貸与された46点の作品のうち、44点は日本初公開であり、本展のために特別修復された繊細なデッサンが趣向を凝らした3章立ての展示構成に組み込まれる。
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「藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」
開催美術館:軽井沢安東美術館
開催期間:2025年10月4日(土)〜2026年1月4日(日)
10月3日に行われたプレス内覧会では、ランス美術館より学芸員のカトリーヌ・アルノルト氏が出席し、ランス美術館館長マリー=エレーヌ・モントゥ=リシャール氏のコメントと共に、両美術館が所蔵するフジタコレクションの繋がりの深さについて言及。「2つの美術館の作品を並べて見たときの感動を共有したい」と、これまでにはないアプローチでフジタ作品を展示できることの意義を語った。軽井沢安東美術館とランス美術館が丁寧に対話を重ねることで実現した、贅沢な企画展の見どころをお届けする。
なお、本展はフランスに帰化し、レオナール・フジタとなってからの後半生を軸に展開するため、以降は呼称をフジタに統一して記載する。

絶望から希望へ、フランスで再生の道を見出す
狂騒の1920年代にパリで最も有名な日本人画家となったフジタだが、第二次世界大戦の影響で状況は一変する。軍の要請で描いた戦争画を戦後の日本画壇から批判され、フジタの周囲は暗澹たる空気に満たされていく。画家の仕事を社会に都合よく利用され、棄てられたことをどれほど無念に思っていたことだろう。1950年の再渡仏以降は2度と日本の地を踏むことはなかったが、抑えていた感情を解き放つかのように旺盛な制作活動を再開した。そして、81歳で波乱万丈の生涯の幕を閉じるまで、ついぞ創作意欲が尽きることはなかった。

第1章「藤田嗣治からレオナール・フジタへ」では、日本からフランスへ生活を移し、画業に集中するフジタの様子を紹介する。毎日新聞の写真部長であった阿部徹雄が捉えたのは、画家の穏やかな日常だ。さらに、この頃に描いた作品や関係資料を通して、キリスト教への改宗に向かうフジタの素顔にクローズアップする。

1955年にフランス国籍を取得したフジタは、1959年に君代夫人と共にシャンパーニュ地方のランス大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。洗礼と後の礼拝堂建設の縁をつくったのが、ランスの老舗シャンパーニュメゾンのG.H.マム社とテタンジェ社だ。当時フランスでニュース放映されるほど注目を集め、多くの人々がフジタと君代夫人を祝福した。
このときにフジタは敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんで、レオナールという洗礼名を授かる。受洗の返礼にランス大聖堂に献納した作品《聖母子》(1959年)は、洗礼日と「レオナール・フジタ」のサインが記され、再出発の象徴的な作品となった。本展では、油彩画と習作を共に並べることで、聖母の慈愛に満ちた表情や柔らかな動作の機微をより印象的に伝えている。

G.H.マム社のルネ・ラルー氏をはじめ、親しい人々に贈った絵画や交流の記録からは、フジタが画家として生きる希望を再び見出していたことがうかがえる。こうした周囲の人々の協力も得て、改宗後まもなく、ランスの地で全身全霊をかけた礼拝堂建設の実現を目指すようになる。
しかし、このようなキリスト教への献身的姿勢はどこから来ていたのだろうか? 本展ではその問いに答える代わりに、フジタの精神世界に潜っていくかのように、晩年の宗教画制作の足取りを開示する。
「無垢なる少女」から「神聖なる聖母」へ
第2章では、フランス移住後に好んで描いていた「少女像」が「母子像」、「聖母子像」へと徐々に神聖さを増していく制作の変遷を追う。軽井沢安東美術館のコレクションとランス美術館のコレクションを対比的に並べることで、後の宗教画に繋がるモチーフや構図が明らかになる。

モデルがいない「少女像」は画家が頭の中で描いた空想上の子どもであり、静かで透明感ある表情が印象的だ。胸元や肩に置かれる手や指先の表現、薔薇や衣装のモチーフなど、習作の細部までじっくり注目したい。宗教画の様式に倣いながら、独自の表現を求め試行錯誤を繰り返していたことが見て取れる。

西洋絵画からの影響が具体的に表れているのは、1952年に描かれた《母子像》(1952年)だ。岩や建築のモチーフ、背景の海など、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作《岩窟の聖母》からの参照点をいくつか確認できる。フジタが描いたのは母と娘の母子像だが、それがやがて聖母とキリストに置き換えられ、聖母像へと進化していく。関連する習作からも、芸術の高みを追求する心と信仰心が次第に溶け合い、絵画の中で結実していく様を感じることができる。

フジタの宗教画は1950年代以降のものが圧倒的に多いが、比較的初期の頃にもキリスト教を主題にした作品に取り組んでいる。《祈り》(1918年)、《受胎告知》(1918年頃)は、モチーフを描き込まない余白を生かした画面構成が巧みで、神秘的でいて厳かな空気感を独創的に表現している。若い頃から西洋美術に憧れを抱き続けてきたフジタにとって、宗教画は常に気に掛かる存在だったのかもしれない。

「シャペル・フジタ」に捧げた永遠の祈り
晩年のフジタにとって、宗教画の制作はもはや生きがいとなっていたのだろう。日々アトリエで宗教的モチーフのデッサンを繰り返し、作業に没頭するほど、キリスト教の世界により深く傾倒していった。
第3章では、ランスに建立された「平和の聖母礼拝堂(シャペル・フジタ)」について、内部装飾の下絵や非常に繊細に描かれたデッサンの数々が展示される。水彩や墨、フェルトペン、マーカーなど、様々なメディアで描かれたキリストのスケッチは、フレスコ画に描かれる磔刑図の習作としていくつも制作された。
本展で日本初公開となる、礼拝堂の聖具室の扉を飾る16枚の木製パネルの素描も必見だ。その多くはキリスト教の聖人たちを主題にしており、中世の写本挿絵やフレスコ画から着想を得た。信仰の本質を伝えるシーンを物語風に生き生きと描いている。

礼拝堂の装飾は基本的に聖書を題材にしているが、中にはあえて独自の解釈を加えているものもある。祭壇手前のステンドグラスのために用意された下絵、《黙示録》(1965年11月頃)に注目してみてほしい。『ヨハネの黙示録』の「最後の裁き」を題材に描かれているが、骸骨や怪物が積み重なる様はどこか異様さが漂う。
この世の終末の到来とキリストの再臨を預言した『新約聖書』最後の書、『ヨハネの黙示録』は多くのキリスト教絵画の主題にされてきたが、フジタにとっても特別なテーマであった。洗礼後初の仕事として『ヨハネの黙示録』(ジョセフ・フォレ,芸術出版社)の挿絵の制作を引き受けたフジタは、そこに原爆を描き込んでいたとされている。当時は東西冷戦を背景に、世界的に核兵器への緊張感が高まっていた時代だ。広島・長崎の悲劇を心に刻む日本人として、核の脅威こそ『黙示録』が提示する危機的状況と認識していたとしても不思議はない。平和への祈りは自己の内に完結せず、広く外の世界に向けられていたのだろう。

礼拝堂の準備に相当な労力を費やした後、フジタはフレスコ画の制作に着手する。3ヶ月もの間、1日も休まずに作業に取り組んだのだという。漆喰が乾く前に素早く顔料をのせるフレスコ技法は、高度なテクニックと瞬時の判断が必要になる。この大仕事をフジタは79歳で成し遂げた。礼拝堂の完成は1966年8月、その年の10月に除幕式が開かれた。この事実がキリスト教へのたゆまぬ献身を何よりも強く示しているのではないだろうか。
展示室奥では、礼拝堂の一部がほぼ原寸大サイズで再現される。制作当時の空気感を伝えるデッサンに囲まれながら、フジタの願いを昇華させた神聖なる祈りの空間に佇む。画家の手作業の痕跡が残る作品を通して、フジタと君代夫人が眠るランスの「シャペル・フジタ」に一瞬接続したかのような不思議な気分を味わった。

「本当のフジタ」を探して
今回の展示では軽井沢安東美術館のコレクションとランス美術館のコレクションがまるで阿吽の呼吸のように、ぴったりと息が合っているのが印象的だった。軽井沢安東美術館の代表理事、安東泰志氏は「タイミングと組み合わせが非常に良かった」と話す。

「もともと当館のコレクションはフジタの後半生の作品が多く、ランス美術館のコレクションと年代が一致していたというのは、本当に幸運だったと思います。私にとって、フジタがどういう心境でフランスに帰化し、カトリックの洗礼を受けたのかというのは、ずっと興味があるテーマでした。フジタが最後に行き着いた芸術と本当の気持ちがここに表れているということをみなさんに知ってもらえる、すごくいい機会だと思っています」
この安東氏の言葉に呼応するかのように、ランス美術館学芸員のカトリーヌ・アルノルト氏もまた、信仰や精神性の追求を突き詰めた、後半生の作品を通して浮かび上がってくるのは「人間味のあるフジタの姿」だと話す。

エコール・ド・パリの寵児というイメージは日本と同様にフランスでも根強いが、ランスにおいて、フジタは別の意味でよく知られた芸術家だ。そのことを象徴しているのがまさしく「平和の聖母礼拝堂(シャペル・フジタ)」である。
「フジタが君代夫人と共に眠る礼拝堂は、日本の方々にとっても特別な存在だと思います。日本の伝統とあらゆる芸術表現を可能な限り融合させ、絵画の真髄に到達したという意味で、フジタの人生の証と言えるのではないでしょうか。またルネッサンス期の画家のように、礼拝堂の内装を塗り直しができないフレスコ画で彩ったということも特別です。それはつまり間違いを犯せないということ。1日1日を精一杯生きていたのだと思います」
2027年にリニューアルオープンを控えるランス美術館では、フジタギャラリーが新設される。イーゼルを使った作品展示など趣向を凝らした空間が展開する予定だ。将来ランスを訪れる際は、「平和の聖母礼拝堂(シャペル・フジタ)」と合わせて鑑賞計画を立ててみてはいかがだろうか。
最後に、本展はフジタの芸術を余すところなく味わえるように、細部まで心配りが行き届いていることをお伝えしたい。特別展では晩年のフジタに焦点を当てているが、軽井沢安東美術館のコレクションを網羅的に鑑賞できる部屋も用意されている。初公開作品《女の顔》(1924年)を含む、初期から晩年までの充実の作品群も楽しみにしたい。


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- 軽井沢安東美術館|Musée Ando à Karuizawa
389-0104 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10
開館時間:10:00〜17:00(最終入館時間 16:30)
会期中休館日:水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
藤田嗣治の作品画像はすべて
© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 B0929
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