FEATURE

美しき海の情景に誘われて。
本州最西端、下関&長門で美術館を巡る旅

山口・アート × 海旅への誘い【後編】
アート好きの心を満たす旅 / 香月泰男美術館(山口県長門市)

アート&旅

《石と壺》 1940 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
現在開催中の「香月泰男  一人の絵かきとして」にも出展されている初期の代表作は、下関側から関門橋を描いた抽象画。制作当時の下関は要塞地帯であり、場所を特定できないよう抽象化された。
《石と壺》 1940 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
現在開催中の「香月泰男  一人の絵かきとして」にも出展されている初期の代表作は、下関側から関門橋を描いた抽象画。制作当時の下関は要塞地帯であり、場所を特定できないよう抽象化された。

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構成・文 藤野淑恵

ここが〈私の〉地球。
「シベリアの画家」が生涯を過ごした長門 三隅に
香月泰男美術館を訪ねる

山口県下関市から島根県に向かって日本海沿いに伸びる国道191号線、通称北浦街道は、角島大橋や長門を中心とした「西長門ブルーライン」、そして萩市から益田市にかけては「北長門コバルトライン」の2つの区間を結ぶ、青い海と白い砂浜のドライブコースだ。数々の風光明媚な海岸や港が点在するこのルートを代表する港町が、長門市仙崎。「海上アルプス」と呼ばれる北長門海岸国定公園の景勝地、青海島(おおみじま)や、日本海屈指の漁港で蒲鉾の産地、仙崎漁港でも知られ、代表作「大漁」でこの港に水揚げされる鰯を詠んだ仙崎出身の詩人 金子みすゞの記念館もある。

(上)大自然が作った洞門や断崖絶壁、石柱などは芸術作品のよう。その景観から「自然美術館」とも賞賛される青海島。(左)香月泰男美術館の中庭。画家が制作したおもちゃのオブジェを形取った彫刻。(右)周囲を緩やかに連なる山に囲まれた三隅の風景は、美術館の裏手の丘からも一望できる。
(上)大自然が作った洞門や断崖絶壁、石柱などは芸術作品のよう。その景観から「自然美術館」とも賞賛される青海島。(左)香月泰男美術館の中庭。画家が制作したおもちゃのオブジェを形取った彫刻。(右)周囲を緩やかに連なる山に囲まれた三隅の風景は、美術館の裏手の丘からも一望できる。

仙崎からほど近い長門市三隅は、山口県出身で戦後日本美術史を代表する洋画家・香月泰男が生まれ、その生涯を暮らした場所。香月泰男といえば、生誕110年を記念して2021年7月から今年の5月まで宮城、神奈川、新潟、東京、栃木の全国5都市で開催された展覧会の記憶も新しい。この展覧会は、画家の代表作で第2次世界大戦後のシベリア抑留の体験をもとに描かれたシベリア・シリーズ全57点(山口県立美術館所蔵)を中心とした約150点(香月泰男美術館からは50点を出展)を展示する大回顧展だったが、戦後美術の一時代を風靡したスター画家・香月泰男をよく知る同時代の美術愛好家はもちろん、真っ新な目で初めて香月作品に対峙した世代にも鮮烈な印象を残した。

《雪降りの山陰風景》1934年 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
生誕110年 香月泰男展にも展示されたこの作品は、ふるさと三隅から隣町の東方、小島、さらに仙崎湾、青海島までを遠望した雪景色を描いたもの。香月泰男が国画会展に初入選した作品であり、画家の梅原龍三郎と美術評論家の福島繁太郎の目にとまり、両者の責任推薦という形で入選した。
《雪降りの山陰風景》1934年 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
生誕110年 香月泰男展にも展示されたこの作品は、ふるさと三隅から隣町の東方、小島、さらに仙崎湾、青海島までを遠望した雪景色を描いたもの。香月泰男が国画会展に初入選した作品であり、画家の梅原龍三郎と美術評論家の福島繁太郎の目にとまり、両者の責任推薦という形で入選した。

ここが〈私の〉地球。北浦の海につながる三隅川沿いに開けた山紫水明なふるさとを愛した香月は、亡くなる直前まで生涯、生まれ育った三隅で家族と暮らしながら創作活動を続けた。1974年3月の心筋梗塞による突然の逝去後、同年11月にシベリア・シリーズが山口県に寄贈され、1979年の山口県立美術館(山口市)の開館時に常設展示室「香月泰男記念室」が設けられた。その一方で、香月家によって長年大切に保管されていた作品の三隅町(現長門市)への寄贈を受けて1993年に開館した香月泰男美術館には、初期から晩年までの油彩画、独特の墨を使った素描画や廃材から生まれたオブジェなど、シベリア・シリーズとは異なる多様な作品が収蔵されている。自然豊かな山陰の町、長門市三隅の丘陵に、来年開館30周年を迎える香月泰男美術館を訪ねた。

香月泰男美術館外観
香月泰男美術館外観
香月泰男 KAZUKI Yasuo(1911-74)
山口県大津郡三隅村(現 長門市三隅)で代々医者を家業とする家の長男として生まれる。東京美術学校(現 東京藝術大学)卒業。国画会を中心に数多くの展覧会に出品。梅原龍三郎の影響を受けた最初期の作風から、次第に独自の作風を確立。1943年に応召、シベリア抑留を経て1947年帰国。戦後、抑留体験をテーマとした「シベリア・シリーズ」を発表し、材質感のあるモノクロームの画面と、深い人間性の洞察をふまえた制作で著名になる。1974年、心筋梗塞により62歳で没。ふるさと三隅の地で、亡くなる直前まで創作活動を行った。「シベリアの画家」としての名声を得て戦後日本美術史を代表する洋画家と評されるが、《水鏡》(1942年 東京国立近代美術館)、《風》(1948年 東京藝術大学)といった初期の抒情的な作品や、海外旅行で描いた洒脱なスケッチ、家族と過ごした三隅の自然や自邸のアトリエから無限に湧き出る題材を描いた作品群も高く支持されている。
ふるさとの山口県三隅、そして家族との生活をこよなく愛した香月泰男。自作のおもちゃのオブジェとともに。
ふるさとの山口県三隅、そして家族との生活をこよなく愛した香月泰男。自作のおもちゃのオブジェとともに。

2020年に発行された「香月泰男美術館 25年のあゆみ」に掲載された、婦美子夫人による「おもいで」というエッセイを読んだ。そこには、モチーフ探しと気晴らしのため、自宅前の土手を散歩したり、橋の上で川を眺めたりする以外は、1日のほとんどをアトリエで過ごしたこと、どこに行ってもすぐに三隅のアトリエに帰りたいと言い続けたこととともに、故郷に自身の美術館を建てることを思い描いていたことがわかる、こんなエピソードが紹介されていた。

三隅町(現 長門市)をこよなく愛していた香月は、自分のまたこよなく愛した作品たちを三隅町へ残したい、と常日頃口にいたしておりました。
最後の旅行ニースは40日位滞在いたしました。レジェ、シャガール、マチスの美術館、戦争と平和の大作のあるピカソ美術館、ボナール、セザンヌのアトリエその他、時折心臓の発作をおこしながら見て歩きました。そして「これ程でなくてもよい」「これは立派すぎる」「ここは、こうした方がよい」など、ブツブツ一人ごとを言っているのに私は何の気もなく、ぼんやり返事をしておりましたが、香月は裏の畑に自分の美術館を建てる決心をしていたのです。


香月婦美子「香月泰男美術館 25周年のあゆみ」 より

生前使用していたアトリエが美術館の中に再現されている。ストーブや机、ソファなどの家具、制作のための道具類、作品、廃材で作ったオブジェなども、画家が使用していた当時のままだ。
生前使用していたアトリエが美術館の中に再現されている。ストーブや机、ソファなどの家具、制作のための道具類、作品、廃材で作ったオブジェなども、画家が使用していた当時のままだ。
美術館内に展示されている香月家の台所壁画の写真。1960年頃、自宅の居間と台所の壁に3年がかりで草花や虫、野菜や魚、ヨーロッパの街並みなどが描かれ、後に「台所壁画」と呼ばれるようになった。
美術館内に展示されている香月家の台所壁画の写真。1960年頃、自宅の居間と台所の壁に3年がかりで草花や虫、野菜や魚、ヨーロッパの街並みなどが描かれ、後に「台所壁画」と呼ばれるようになった。

「ここは香月泰男という画家の本質が詰まっている美術館です。重厚な“シベリアの作家”のイメージとは対極的な、明るく、優しく、愛情深く、全ての作品から温かさが滲み出ているような。そんな香月泰男の本質と、豊かな日常が溢れる場所だと感じています」。そう語るのは、香月泰男美術館の丸尾いと学芸員。所蔵作品は、画家が息抜きを兼ねて制作したオブジェから、落書き的な資料も含めて約3千点。そのほとんど全てが遺族からの寄贈を受けたものだという。

絵の具のチューブや端材を用いて画家の息抜きに作られたオブジェのおもちゃ。丸尾学芸員は、ご子息の次のようなエピソードを披露してくれた。「私たち兄弟が遊ぶおもちゃとして作ったのではなく、これを見て母が喜ぶ姿が嬉しかったようです。何より自身が楽しんで作っていました」。
絵の具のチューブや端材を用いて画家の息抜きに作られたオブジェのおもちゃ。丸尾学芸員は、ご子息の次のようなエピソードを披露してくれた。「私たち兄弟が遊ぶおもちゃとして作ったのではなく、これを見て母が喜ぶ姿が嬉しかったようです。何より自身が楽しんで作っていました」。

つい先頃も、2021年に103歳で逝去した婦美子夫人の遺言に基づく、90点程の作品が香月泰男美術館に寄贈された。その中には早逝の長女が描かれた作品や、夫人の部屋に画家自身が飾った一輪の菊の花の作品など、家族の特別な思い入れのある作品も含まれていたという。「婦美子夫人はご家族とともに、晩年まで展示が替わるたびに欠かさず美術館に足を運ばれていました。ご自分が同行された欧州へのスケッチ旅行で描かれた作品の思い出や、“これはよく描けているわね”といったご家族目線の微笑ましい感想を言葉にされることもありました。一番お好きだったのが母子シリーズ。いつもゆっくり時間をかけてご覧になっていましたね。」(丸尾学芸員)

《母と子と犬》  1968 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
《母子》シリーズは、三隅での家族との暮らしから生まれた
《母と子と犬》 1968 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
《母子》シリーズは、三隅での家族との暮らしから生まれた

第二次世界大戦での従軍や抑留の記憶を描いた代表作、シベリア・シリーズで広く知られる香月泰男だが、ふるさと三隅で、家族との暮らしを慈しみながら、日常の何気ない情景を数多く描いたことでも知られる。そうした作品の多くは香月泰男美術館の所蔵作品であり、同館では「香月泰男の植物図鑑」、「香月動物園」、「画家の食卓」など様々なテーマでこれらの作品を展示してきた。現在開催中の展覧会「香月泰男 一人の絵かきとして」では、初期から晩年に至る作品の中から、画家が穏やかな時の中で描いたモチーフが紹介されている。

《兎》 1939 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
美術教師として勤務していた山口県立下関高等女学校(現 山口県立下関南高等学校)の兎舎の檻の中の兎3態を構成的に描いたこの作品で第3回文部省美術展覧会の特選を受賞。「絵かきとしての確信」を得た作品とされている。
《兎》 1939 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
美術教師として勤務していた山口県立下関高等女学校(現 山口県立下関南高等学校)の兎舎の檻の中の兎3態を構成的に描いたこの作品で第3回文部省美術展覧会の特選を受賞。「絵かきとしての確信」を得た作品とされている。
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「香月泰男 一人の絵かきとして」
開催美術館:香月泰男美術館
開催期間:2022年7月16日(土)~10月10日(月・祝)
《枯カンナ》 1940 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
画家としてのスタイルを確立するために、独自の世界を模索し続けた初期の作品。
《枯カンナ》 1940 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
画家としてのスタイルを確立するために、独自の世界を模索し続けた初期の作品。

一人の「絵かき」としての香月泰男にスポットライトを当てた今回の展示は、《兎》や《石と壺》、《枯カンナ》などの画家の初期の作品から始まる。これらの作品から垣間見えるのは、迷いやスランプに陥りながらも、自身のスタイルを確立するため独自の世界を模索し、道を突き進んだ駆け出しの画家の情熱の軌跡だ。さらに、シベリア出征後の現地の生活を家族に伝え、主不在の一家の暮らしや子どもたちの成長を気遣った水彩描きの軍事郵便はがき《ハイラル通信》には、どこで暮らしても常に「画家の眼」と「家族へのまなざし」を失うことがなかった香月泰男の本質が浮かび上がる。

《ハイラル通信》1943 
1943年から2年余り、旧満州ハイラルに駐屯した際に、任務の合間に家族宛煮出した360通を超える軍事郵便はがき《ハイラル通信》。「目をつぶればいくら遠い所に居ても一しゅんにして帰ることが出来ます、皆んな元気ですか」と締めくくられている。はがきの文章は左手で書かれており、戦争で右手を失うことがあっても残った左手で描けるようにとの思いで訓練した。
《ハイラル通信》1943
1943年から2年余り、旧満州ハイラルに駐屯した際に、任務の合間に家族宛煮出した360通を超える軍事郵便はがき《ハイラル通信》。「目をつぶればいくら遠い所に居ても一しゅんにして帰ることが出来ます、皆んな元気ですか」と締めくくられている。はがきの文章は左手で書かれており、戦争で右手を失うことがあっても残った左手で描けるようにとの思いで訓練した。

「思い通りの家の、思い通りの仕事場で絵を描くことができる」―――復員後、ふるさと三隅で描いた作品群は、今回の展覧会のハイライト。自宅の室内、台所の野菜、母子の姿など、抑留中に繰り返し夢みた三隅の自宅で、無限に湧き出るモチーフを描いたこれらの作品からは、家族とともに三隅で暮らし、描く喜びにあふれる幸福な日常風景が見えてくる。画家が絵かきである幸せを噛みしめながら描いた作品に当地で触れることは、鑑賞者にとっても特別な経験となるだろう。

《室内》 1950 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
アトリエや室内の風景や静物は1950年代に多く描かれた。
《室内》 1950 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
アトリエや室内の風景や静物は1950年代に多く描かれた。
《トマトの葉のある赤壺など》 1953 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
「厨房の詩人」「台所の画家」と呼ばれた画家にとって、食材は恰好のモチーフだった。くっきりとした葉脈が浮かぶトマトの葉と、トマトのように赤い壺の対比が印象に残る。
《トマトの葉のある赤壺など》 1953 油彩・キャンバス 香月泰男美術館
「厨房の詩人」「台所の画家」と呼ばれた画家にとって、食材は恰好のモチーフだった。くっきりとした葉脈が浮かぶトマトの葉と、トマトのように赤い壺の対比が印象に残る。

香月泰男美術館では、新しい試みとして代表作「シベリア・シリーズ」が完成するまでの過程を検証する企画がスタートしている。その第1回が現在の展覧会とともに同時開催されている特別展示「香月泰男のシベリヤシリーズ」だ。ここで展示されている《雨(牛)》は、軍事演習で訪れたホロンバイル草原の光景が描かれた、復員直後の1947年の作品。
従軍・抑留体験の記憶を描いた最初の作品でありながら後にシベリア・シリーズに加えられたものだ。さらに、香月泰男美術館が所蔵するシベリア・シリーズの習作や、香月が大陸で着想を得たモチーフを漢字で書き記し持ち帰った絵具箱が展示されている。

《雨〈牛〉》 1947年 油彩・キャンバス 山口県立美術館
乾いた大地の中で振り向いた犬と牛が画面の両端に描かれている。作品の舞台となったホロンバイル草原について香月は「草原というよりはむしろ砂漠に近いイメージ」と記している。
《雨〈牛〉》 1947年 油彩・キャンバス 山口県立美術館
乾いた大地の中で振り向いた犬と牛が画面の両端に描かれている。作品の舞台となったホロンバイル草原について香月は「草原というよりはむしろ砂漠に近いイメージ」と記している。

ところで、山口アート旅・前編として紹介した、下関市立美術館に河村コレクションを寄贈した実業家の河村幸次郎氏は、香月作品のコレクターであると同時に、画家と深く親交を結んだ人物だった。2013年に同館で開催された展覧会「河村幸次郎と美の世界」の図録に掲載された「香月泰男君との出合い」というエッセイには興味深いエピソードが披露されていたが、その中に、香月泰男が父のように慕っていたフォルム画廊の福島繁太郎氏の「香月君を東京に住まわせたいから説得して欲しい」との依頼に応えるため「私は香月君を連れて龍土町の梅原龍三郎画伯の処にいき、なんとか東京美術学校の助教授にして欲しいと頼み込んだ」という件があった。

《枝・山脈》1949年 油彩・キャンバス 下関市立美術館
戦前、知人宅で邂逅した香月泰男の《山湖図》に感動した河村幸次郎氏が、昭和24年頃に描いてもらったという作品。
《枝・山脈》1949年 油彩・キャンバス 下関市立美術館
戦前、知人宅で邂逅した香月泰男の《山湖図》に感動した河村幸次郎氏が、昭和24年頃に描いてもらったという作品。

安井曽太郎、小林古径両画伯の協力も得て、その依頼の半年後には、「梅原さんから芸大の助教授は内定した」との知らせを受けたが、まもなく香月から「やはり三隅の田舎で高等学校の教師をしながら絵を描きたい」という素直な気持ちを訴えた長い手紙が到着した。そのことに河村氏が感動したことが綴られ、こう結ばれていた。
「こうしたいきさつで香月君の後の生涯の生き方が決まったわけである。」

香月泰男美術館の中庭にて。おもちゃのオブジェの彫刻を見守るサン・ジュアンの豆の木。美術館2階の窓に囲まれたスペースは三隅の風景を四方に眺めることができる展望室。
香月泰男美術館の中庭にて。おもちゃのオブジェの彫刻を見守るサン・ジュアンの豆の木。美術館2階の窓に囲まれたスペースは三隅の風景を四方に眺めることができる展望室。

話題を香月泰男美術館に戻そう。展覧会を鑑賞し、2つの展示室の間に設けられたおもちゃの展示コーナーのユーモラスな人形たちや、細部まで再現されたアトリエ(こちらにもおもちゃがあちらこちらに飾られている)を見学した後は、2階の展望室へ。四方を窓に囲まれた部屋からは、香月泰男が生涯を過ごした生家や「私の〈地球〉」と語った三隅ののどかな景色が一望できる。美術館の外に出ると、中庭で穏やかな日差しを浴びているのは「画家がシベリア抑留中に食料として食べさせられた豆を持ち帰り植えたものの子供」という説明が添えられたサン・ジュアンの豆の木。自邸の庭で育てた木を美術館に移植したものだという。夫人とともに種や苗から育み、香月作品のモチーフとなった植物の子孫たちは、三隅のそこかしこで今も風に揺れているに違いない。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
香月泰男美術館|KAZUKI YASUO MUSEUM
759-3802 山口県長門市三隅中226
開館時間:9:00~17:00(最終入館時間 16:30)
定休日:火曜日 (※火曜日が祝日の場合は開館、翌平日休館
※その他、展示替え等に伴う休館日、年末年始の休館日等。詳しくは美術館の公式サイトをご確認ください。

藤野淑恵 プロフィール

インディペンデント・エディター。「W JAPAN」「流行通信」「ラ セーヌ」の編集部を経て、日経ビジネス「Priv.」、日経ビジネススタイルマガジン「DIGNIO」両誌、「Premium Japan」(WEB)の編集長を務める。現在は「CENTURION」「DEPARTURES」「ART AGENDA」「ARTnews JAPAN」などにコントリビューティング・エディターとして参加。主にアート、デザイン、ライフスタイル、インタビュー、トラベルなどのコンテンツを企画、編集、執筆している。

アート好きの心を満たす旅 Vol.04 / 山口・アート × 海旅への誘い
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