長澤まさみが「葛飾応為」として江戸時代を生きた
映画『おーい、応為』の舞台裏を大森立嗣監督が語る
映画『MOTHER マザー』で話題を呼んだ、長澤まさみと大森立嗣監督が再タッグを組んだ『おーい、応為』が劇場公開。
謎多き女浮世絵師・葛飾応為の生涯を描いた異色時代劇の見どころを大森監督が語った。

インタビュー・文 長野辰次
江戸時代後期に活躍した天才浮世絵師・葛飾北斎の娘、お栄が近年注目を集めている。葛飾応為の画号で《吉原格子先之図》などの名画を残し、展覧会が開かれると大きな話題となっている。「江戸のレンブラント」と呼ばれ、従来の浮世絵の常識を破った画風は現代人も魅了する一方、お栄に関する文献はあまり残されていない。そんな謎の多いお栄の生涯を、長澤まさみが演じた映画『おーい、応為』が10月17日(金)より劇場公開される。
破天荒な父親・葛飾北斎こと鉄蔵を永瀬正敏、北斎の門弟だった渓斎英泉を髙橋海人(King & Prince)、お栄の母親を寺島しのぶが演じるなど、華やかなキャスティングの時代劇となっている。
本作を撮ったのは、映画『MOTHER マザー』(2020年)で長澤まさみに数多くの映画賞をもたらした大森立嗣監督。長澤まさみ、永瀬正敏、髙橋海人が日本画の特訓に励んだという舞台裏のエピソードに加え、映画監督ならではの視点で北斎と応為の浮世絵について語ってもらった。

大森立嗣(おおもりたつし)監督プロフィール
1970年東京都生まれ。『ゲルマニウムの夜』(2005年)で監督デビュー。主な監督作に『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)、『ぼっちゃん』『さよなら渓谷』(2013年)、『日日是好日』(2018年)、『星の子』(2020年)など。長澤まさみ、奥平大兼が親子を演じた『MOTHER マザー』(2020年)は多くの映画賞を受賞した。

お栄の生き様に惹かれた大森監督
父・北斎からは「美人画を描かせれば、自分よりもうまい」と言わしめるほどの才能の持ち主だったお栄だが、現存する作品は《吉原格子先之図》《夜桜美人図》《三曲合奏図》などかなり数が限られている。北斎から用があると「おーい」と呼ばれていたことから「葛飾応為」という画号となったという。父親と同様に家事が苦手で、北斎との共同の仕事場兼住居はいつも散らかり放題だったこと、煙管を嗜み、完成したばかりの北斎の絵の上にうっかり火を落としてしまったなど、とても人間くさい逸話を残している。
これまでにも、新藤兼人監督による緒形拳主演映画『北斎漫画』(1981年)では田中裕子、NHKドラマ『眩 北斎の娘』(2017年)では宮﨑あおいがお栄を演じ、劇場アニメ『百日紅 Miss HOKUSAI』(2015年)では杏がお栄の声優を務めるなど、葛飾親子の物語はたびたびドラマ化されてきた。時代劇初挑戦となる大森監督に、お栄の生涯を映画にしたいと考えたきっかけからまず語ってもらった。
大森 2005年に亡くなられた杉浦日向子さんの漫画『百日紅』がすごく好きだったんです。杉浦さんの描いたお栄は絵師としてよりも、江戸時代に生まれた女としての生き様が強く印象に残っています。浮世絵研究家の飯島虚心が明治時代に書き記した『葛飾北斎伝』と合わせて、『百日紅』のエピソード「木瓜」「野分」も原作にさせてもらっています。それに、応為が描いた《吉原格子先之図》は光と影の作品ですよね。光と影を使って物語を描く映画監督としては、やはりその描き手であるお栄に興味を抱いてしまうんです。

吹き替えなしで執筆シーンに挑んだ長澤まさみたち
映画『おーい、応為』は、お栄(長澤まさみ)が嫁入りした絵師と大ゲンカして、北斎(永瀬正敏)のもとに帰ってくるところから始まる。夫の絵が下手なことを正直に口にしたところ、離別だと騒がれ、お栄から家を出ていったのだ。出戻りとなったお栄は、火事見物や隅田川の川開きを絵師仲間の善次郎(髙橋海人)や「魚屋北渓」こと初五郎(大谷亮平)らと楽しむ日々を過ごしながら、次第に再び筆を握りたいと思い始める。
俳優のみならず、フォトグラファーとしても活躍する永瀬正敏の北斎へのなりきりぶりが目を見張る。宗教二世を題材にした『星の子』(2020年)に永瀬は出演しており、大森監督作はこれが2度目。表現欲に取り憑かれた北斎を演じる永瀬の熱演ぶりに感化されたように、長澤まさみもお栄と同化していく。長澤、永瀬が筆をとるシーンは鬼気迫るものを感じさせる。

大森 永瀬正敏さんは若くして映画デビューし、海外の作品にもたびたび出演し、いわば「映画に愛されてしまった人」だと思うんです。そんな永瀬さんが今回の現場を引っ張ってくれた。長澤まさみさんは『MOTHER マザー』でもご一緒しましたが、毒親役に挑んだ『MOTHER マザー』よりは今回のほうがポジティブな役で感情移入しやすかったはずです。
長澤さんは20年近いキャリアがあるけれど、技で演技する俳優ではない。彼女は自分をガードすることがなく、全身からボロボロとこぼれ落ちてくるものが多い女優です。僕はそう思っています。そんな長澤さんにお栄を演じて欲しかった。
撮影現場では、二人が黙々と絵に向かうことで自然と親子になったように思います。絵を描く姿勢を似せるように意識はしてもらいましたが、演出はそのくらい。根底にはお互いへの尊重があり、でもあまりベタベタしない親子になったんじゃないでしょうか。その日の自分の撮影シーンが終わっても、永瀬さんも、長澤さんも、それに髙橋海人くんも撮影所に設けた稽古場に入って、ずっと絵の練習を続けていました。絵を描き続けることが、役作りになっていたのかもしれません。

現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』にも「浮世絵指導」で参加している日本画家の向井大祐氏と松原亜実氏が、長澤、永瀬、髙橋に絵画指導を行なっている。長澤と永瀬はクランクイン前から撮影期間中も含め、約2か月間にわたる絵画特訓となった。
大森 劇中で絵を描いているシーンは吹き替えではなく、本人たちがそれぞれ描いているんです。お栄が描いた金魚の絵は、実際に長澤さんが描いたものです。指導していただいた日本画の先生によると、長澤さんはすごく絵のセンスがあるそうです。永瀬さんは最初はあまりうまくなかったものの、絵に向かう姿勢がすごく、熱いものを感じさせました。善次郎が絵を描くシーンの予定は当初はなかったんですが、髙橋海人くんはイラストが描けることを知って、彼にも加わってもらいました。海人くんは「筆を持つと、心の揺れがそのまま絵に映る」と語っていましたね。普段はデジタルツールで描いているので、肉筆で絵を描くことはすごく新鮮な体験だったようです。1日の撮影が終わっても、それぞれ黙ってずっと絵を描き続けていました。頭が下がる思いでした。

表現欲に取り憑かれた親を持つ子の心情
永山瑛太と松田龍平のバディムービー『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)、真木よう子の演技が高く評価された『さよなら渓谷』(2013年)などの秀作、話題作を放ってきた大森監督。彼の父親は、舞踏家であり個性派俳優としても知られる麿赤兒だ。常識に捉われない表現者の父親を持ったという点では、大森監督はお栄と重なるものがあったのではないだろうか?
大森 それはあるでしょうね(笑)。僕の場合は、あまり一緒には暮らしていないんです。僕が子どものころは、父はほとんど家に帰ってこなかった。僕の中では表現者=無茶苦茶なことをやる人というイメージで、長男である僕が母や弟(俳優の大森南朋)を守らなくちゃ、と思っていたんです。思春期を過ぎたくらいから父の仕事に対する理解もできるようになり、大学時代から映画を撮るようになりました。父とはあまり会話をすることがなかったんですが、父と普通に話すことができるようになったのは、僕が監督デビュー作『ゲルマニウムの夜』(2005年)を撮ってからですね。表現者として、同じステージに就いたことを認めてくれたのかもしれません。
お栄は北斎のもとに戻っても、しばらくは筆を持つことがなかった。父親への反発心があったのかもしれない。
大森 天才絵師である父親の絵を間近で見ていたら、絵を描くのは嫌になると思います。それでも、お栄はやっぱり筆を握ってしまうことになる。その気持ちも、すごく分かるんです。北斎ってとても大きな愛情の持ち主だったんじゃないかなと思うんです。そんな北斎を永瀬さんが演じたことで、より強く感じられた。数えで90歳まで生きた北斎ですが、命には限りがあることを知り、絵に命を吹き込み、死ぬ間際まで「もっと絵がうまくなりてぇ」とつぶやきながら絵を描き続けた。そして、お栄はそんな父と憎まれ口を互いに叩きながらも一緒に暮らし、北斎の仕事を支えながら、自分の絵にも向き合った。根底では強い愛情で結ばれていたように感じるんです。

《吉原格子先之図》から伝わってくるお栄のまなざし
映画監督である大森監督の目には、江戸時代を生きた葛飾北斎と応為の絵はどのように感じられているのかも語ってもらった。
大森 北斎は《北斎漫画》などを描いていることからも、庶民が生活する姿に関心を持っていたことが分かります。自分の見ている世界を、すごく大きな愛情で包み込もうとしていたように僕は感じるんです。北斎が絵を描くのは、お金のためではなかった。それは江戸時代だからであって、今の時代では北斎のような大きな愛情の持ち主を見つけることは難しいかもしれません。
社会からドロップアウトしてしまった母子の物語『MOTHER マザー』、犯罪に手を染めるしか生きる道がなかった者たちを主人公にしたクライムサスペンス『グッバイ・クルエル・ワールド』(2022年)など、大森監督は社会の底辺を懸命に生きる庶民の姿をデビュー作からずっと撮り続けている。北斎の作風と共鳴するものがあるようだ。そう伝えると、大森監督はうなずいてみせた。応為の代表作《吉原格子先之図》についても尋ねた。
大森 ただ美しいだけでなく、謎が多い作品ですよね。夜の遊郭街に、なぜ子どもがいるのか。影の雰囲気もリアルではないよう感じます。カメラで撮った写真ではないので、このシーンはお栄の目に映った光景を絵にしたものであり、お栄が当時の世の中をどのように見ていたのかが伝わってくるように思うんです。格子の中にいる花魁たちは美しい着物を着ているけれど、顔はほとんど見えていません。お栄の社会を見るまなざしは、ひと筋縄ではなかったことを感じさせます。自由奔放に生きたように思えるお栄ですが、女性に対する圧力や当時の社会制度と闘い続けた生涯だったのかもしれません。
映画『おーい、応為』を観ると、それまでは美術史上の人名だった葛飾北斎と葛飾応為が、今までになく人間味のある親子として感じられてくる。浮世絵の世界を通して、江戸時代の庶民の暮らしがより身近に伝わってくるのではないだろうか。

- 映画『おーい、応為』
10月17日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
監督・脚本 大森立嗣 原作/飯島虚心、杉浦日向子
美術 寒河江陽子 美術監修 原田満生
浮世絵制作・指導 向井大祐、松原亜実
出演 長澤まさみ、髙橋海人、大谷亮平、篠井英介、奥野瑛太、寺島しのぶ、永瀬正敏
配給 東京テアトル、ヨアケ
(C)2025 「おーい、応為」製作委員会
「おーい、応為」公式サイト https://oioui.com/
(東京テアトル公式チャンネル)
長野辰次
福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。