日本画の風雲児・川端龍子が貫いた「会場芸術」
――大画面にほとばしる龍子の芸術世界を体感
「川端龍子展」が、碧南市藤井達吉現代美術館にて、2025年11月3日(月・祝)まで開催

今年で生誕140周年を迎える日本画家・川端龍子(かわばたりゅうし 1885-1966)の回顧展が、碧南市藤井達吉現代美術館(愛知県碧南市)で開幕した。本展では、大田区立龍子記念館が所蔵する作品から、画業初期の洋画に始まり、画家の代表作である大画面作品、そして晩年期の作品を展観し、50年以上にわたる龍子の画業を紹介する。
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開催美術館:碧南市藤井達吉現代美術館
開催期間:2025年9月13日(土)〜11月3日(月・祝)
「会場芸術」―近代日本画の新しい在り方を提唱

川端龍子(かわばたりゅうし 1885-1966)
明治18(1885)年、和歌山県の呉服商の長男として生まれ、幼い頃より絵に親しむ。洋画家としてキャリアをスタートさせるが、27歳でのアメリカ遊学後、日本画家へ転向。大正4(1915)年に再興第2回院展に《狐の怪》を出品して初入選。その後も院展で作品を発表するが、昭和3(1928)年に日本美術院を脱退。翌年に「青龍社」を設立する。昭和17(1942)年に3ヶ月間、陸軍省の派遣で南方戦線に従軍。戦後は各地を旅しながら、精力的に制作を行う。昭和34(1959)年に文化勲章を受章。38年に自邸前に龍子記念館(現・大田区立龍子記念館)を開館。
龍子の芸術世界を端的に表すのが「会場芸術」という言葉だ。院展時代、伝統的な日本画の手法から離れた大胆な画風は必ずしも肯定的に評価されず、大正10(1921)年に《火生(日本武尊)》を発表した際に、「会場芸術に囚われ、自己中心を捨てて公衆中心になった」と評された。しかし、龍子は展示室の中で作品を見せる以上、あらゆる作品は大衆に向けて訴えかけるものであり、むしろ「会場芸術」であることが、近代における日本画の進むべき道と考えた。そして日本美術院を脱退すると、仲間と共に「青龍社」を立ち上げ、大画面作品の制作を押し進めていった。
本展では、まずその芸術世界を切り拓いていった軌跡をたどる。高等小学校時代のスケッチや洋画家時代に描いた油彩画、雑誌の口絵の仕事など、「日本画家・川端龍子」以前の貴重な作品が並ぶ。

(右)《女神》 制作年不詳 キャンバス/板・油彩 大田区立龍子記念館蔵
洋画家時代の貴重な作品。それぞれゴッホや青木繁の画風を想起させ、若き龍子が画風を探求する姿が目に浮かぶ。
アメリカ遊学の後に日本画家に転向した龍子だが、その画面構成や描写には、多分に洋画家時代に養った美的感覚が見て取れる。画業初期の作品である《土》では、上部が湾曲した日本画では珍しい画面の中に、金色に輝く麦畑と、その根元からのぞくヒバリの巣が描かれている。ここには、ルネサンス期のフレスコ画やシャヴァンヌの壁画などからの影響も指摘されている。


そして、龍子の大画面作品の中でも特に名高いのが、この《草の実》だ。濃紺の地に様々な種類(焼金、青金、プラチナ)の金泥で、夏に生い茂る雑草を描いており、まるで暗闇の中で雑草が光り輝くような、神秘的な神々しさをも感じさせる。濃紺の地に金泥で描く手法は、平安・鎌倉時代に見られる紺紙金泥経をはじめ、蒔絵や着物などから着想を得ており、日本美術の伝統的な手法を換骨奪胎して、新しい美的感覚をもたらしている。
また金泥の種類を変えることで、奥行きや葉の立体感、質感も感じさせ、画家の技量の高さ、洗練された感性が如実に表れている。六曲一双という大画面の中に、足元の雑草という小さな世界を、大胆に、それでいて繊細で細やかに輝かしく描いた本作は、まさに龍子の芸術世界を凝縮させた作品だ。
龍子が見つめた「戦争」

龍子が描く戦争を主題とした作品は大きく2つに分けられるだろう。1つは陸軍省の派遣で南方戦線に従軍した際に描いた、従軍画家としての作品。もう1つは、戦争によって家族や身近な人々を失い、家を破壊された「弱き者」の立場から描いた作品だ。本展では、龍子と戦争を語る上で重要な作品3点が揃う。

従軍画家として描いた作品の中でも特に重要なのが、《香炉峰》だ。横幅7メートル以上の画面いっぱいに戦闘機を描いた本作は、龍子の作品の中でも特にダイナミックな作品だ。偵察機に便乗し、廬山上空を飛行する機会を得た龍子は、この経験をもとにして眼下に広がる香炉峰の雄大な姿を描き出した。一方で、こうした俯瞰した構図は戦争画によく見られ、その土地を征服したことを象徴する。
《香炉峰》の両端に展示されている《龍巻》と《爆弾散華》は、どちらも一見すると幻想的な光景としてその眼に映ることだろう。しかし、魚が、野菜が、生き物たちが抵抗する術なく、大きな力(竜巻、風)によってその身を吹き飛ばされている光景に、不安を掻き立てられる。


龍子も戦争によって大切なものを失ってしまった者の1人であった。昭和19(1944)年には妻を亡くし、翌年には自宅が空襲により倒壊、そして終戦後の昭和21(1946)年には、南方戦線に送られていた三男の戦病死が伝えられた。
《爆弾散華》は、空襲によって画家の自宅が焼失、爆風で庭の野菜が吹き飛んだ光景を題材にしている。この空襲で使用人2人が死亡したという。地上に生きる小さな命を無情にも吹き飛ばす圧倒的な「力」。戦争という大きく、非情な「力」を目の当たりにした龍子は、一瞬にして失われてしまった小さな命の手向けに、輝かしい金箔を散らして、その命を永遠に輝かせている。
「会場芸術」を堪能する空間

展覧会の中盤には、龍子の「会場芸術」の精神を存分に堪能する空間が現れる。小さな展示室に入ると、三方の壁にそれぞれ1点ずつ大画面の作品が展示されている。向かって右手から《龍子垣》、《阿修羅の流れ(奥入瀬)》、《都会を知らぬ子等》の3点は、それぞれ作風も題材も異なるが、まるで3部作のように共鳴し、龍子芸術の魅力を感じることができる空間となっている。

《龍子垣》は、伊豆の別宅に画家自ら考案し拵えた垣を描いた作品だ。金地に画面いっぱいに配された梅や藤の花、そしてアーチ状の垣の堂々たる様子は、桃山時代の金碧障壁画を思わせる。画面左手に注目すると幾枚かの落ち葉も見え、華やかさの中にも自然の移ろい、朽ちていくものの儚さが表されている。

青森県十和田湖から焼山まで続く奥入瀬渓流を描いた《阿修羅の流れ(奥入瀬)》は、龍子の写実性の高さ、色彩感覚の豊かさが存分に発揮されている一枚だ。水しぶきを上げ、激しく流れる水流は、その勢いの強さを感じさせる一方、滑らかな印象も受ける。写実性の高い描写ながらも、岩、水、雑草が渾然一体となるような幻想的な雰囲気に包まれている。画面の中央で舞う蝶は、まさにこの絵を見る私たち自身の姿のようだ。

《都会を知らぬ子等》は、龍子が写生旅行をした際に出会った子供たちとのやり取りが題材となっている。龍子が都会に関心があるかと尋ねると、「食べるものに困る」からと関心がないと答えたという。背後に大きな機関車が通る中、茅葺屋根の小屋の中で電車ごっこをして遊ぶ幼子、立ち小便をする子。田舎の無垢な少年少女の姿が闊達な筆で生き生きと表されている。一方で彼らを後ろから見守る年上と思しき娘はどこか物憂げにも見える。彼女は何を思い暮らすのだろうか、想像を掻き立てる。
以上の3点は、いわば龍子の「真・行・草」とでもいおうか、小さな展示室の中で龍子の画風の自由さ、多彩さが凝縮された空間となっている。ぜひともじっくりと時間をかけてそれぞれの作品世界に没入してほしい。10/7以降展示替え後の作品との組み合わせも期待高まる。
「俳句」と「旅」で深まる龍子の芸術世界

展示の後半は、龍子の芸術世界の源の1つである「俳句」と「旅」に注目する。龍子は戦後、日本各地を旅してまわり、訪れた寺社や目にした風景をスケッチして回った。特に「奥の細道」巡遊や西国の霊場を巡る旅は、戦後の龍子にとって創造の大きな源となった。


右の日光東照宮・陽明門のように、旅先でのスケッチを基に作品を制作することもあった。
「奥の細道」の巡礼の旅を幾度も行ったように、龍子にとって俳句は趣味ではなく、重要な創作活動であった。高浜虚子に師事し、俳句雑誌『ホトトギス』の表紙デザインなども手掛けるなど、その縁は深い。旅先でも短冊に句をしたためており、旅先で見た光景を龍子は絵で、言葉で、描き留めていた。

富士に始まり、富士に終わる

本展は、龍子が高等小学校時代(11~14歳頃)に描いたスケッチ類から始まる。そのうちの1つに富士図が含まれるが、本展を締め括る最後の作品も、また富士だ。

そびえ立つ富士に赤い雲がかかり、手前には3種のサボテンが描かれている。力強い筆使いからは、老いてもなおほとばしる制作へのエネルギーがこれでもかというほどに感じられる。

本作の近くには、龍子による一行書も展示されているが、そこには「画人生涯筆一管」の文字がしたためられている。筆一本握り、見る人の心に訴えかける作品を描き続けた日本画家・川端龍子の生き様が凝縮された言葉だ。
「龍子」という雅号は、若い頃に徴兵検査のため取り寄せた戸籍謄本で自身が庶子であると知り、父親に対する反発から、自身を「龍が落とした子」であるとして名付けた。その名を体現するかのように、画家の筆は、天翔ける龍のごとく、大画面を奔り、今なお力強く観る者の心に訴えかけてくる。
「会場芸術」を貫いた川端龍子の芸術世界ーーその神髄は、展覧会の“会場”で観ることでこそ、感じることができるだろう。
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- 碧南市藤井達吉現代美術館|HEKINAN CITY TATSUKICHI FUJII MUSEUM OF CONTEMPORARY ART
447-0847 愛知県碧南市音羽町1-1
開館時間:10:00〜17:00
会期中休館日:月曜日、10月14日(火) ※ただし、10月13日、11月3日は開館
※掲載作品の作者は全て川端龍子
※参考文献:図録『川端龍子展』