オーストラリアの大地に刻まれた過去に向き合い
、コミュニティをつなぐ物語を未来へ託して
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」が開催中(9月21日まで)の
アーティゾン美術館にて、作品出展中の作家 ジュディ・ワトソンさんにインタビュー

構成・文・写真:森聖加
前回、アーティゾン美術館で開催中の「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展の担当学芸員、上田杏菜氏に企画の意図や作品の魅力をうかがったインタビュー(前回記事)に続いて、今回は、来日していた作家の一人、ジュディ・ワトソンさんにお話を聞いた。
ジュディ・ワトソンさんは、母方に先住民族アボリジナルの祖先をもち、クイーンズランド州北部のワーンイ(Waanyi)のコミュニティをルーツとする、オーストラリアを代表する現代アーティストのひとりだ。「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展では、1997年のヴェネチア・ビエンナーレにオーストラリア館代表として出品した作品から近作まで4点を展示する。アボリジナルの人々に関して「隠されてきた」歴史を可視化し、記憶の再構築を促すその表現について、思いをたずねた。
ジュディ・ワトソン プロフィール
1959年生まれ。南クイーンズランド大学、タスマニア大学、モナシュ大学で美術を学び、1980年代から作家活動を開始。1997年には他の2名の作家とともに先住民作家として初めて、ヴェネチア・ビエンナーレのオーストラリア館代表に選ばれた。公的な記録や地図、個人的な記憶や物語をもとに、長く語られてこなかった植民地時代の暴力や差別の歴史を絵画、版画、ドローイング、マルチメディアなど多様な手法を用いて問いかけている。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」
開催美術館:アーティゾン美術館
会期:2025年6月24日(火)〜9月21日(日)
精霊の宿る赤土の大地に湧く、いのちの水
オーストラリア・クイーンズランド州北西部、ノーザンテリトリーとの州境近く。現在のブジャムラ国立公園を含む一帯は、ジュディ・ワトソンさんのルーツであるワーンイ族が5万年以上前とも言われる昔から暮らしてきた土地だ。彼女のコミュニティには次のようなドリーミング(物語)が伝わる。
「ワーンイの人々は“流水の民 (running water people)”として知られています。祖母のグレースはリバーズリー牧場で生まれました。自然史ドキュメンタリーを数多く手がけたデイヴィッド・アッテンボロー(イギリスの博物学者・作家)もその場所を重要な土地として挙げています。“虹の蛇”とも呼ばれる『ブジャムラ(Boodjamulla)』は、私たちの土地の祖先の精霊であり、創造主です。その体が大地を移動するときに峡谷をえぐり出しました。『ブジャムラ』はローンヒル※の水たまりに留まり、峡谷やその周辺にもいます。誰かが水を汚したり粗末に扱うと、“虹の蛇”が姿を消し、水を干上がらせると伝えられてきました。あるとき祖母が母親のメイベル(ワトソンさんの曾祖母)に『リリーデール※ の泉はどうなったの』と尋ねると、『“虹の蛇”が泉を干上がらせたのよ』と答えました。これは単なる人類学や歴史上の出来事としてではなく、地域の家族、特に女性たちが強固に守り、つないできた土地との関係性の記録なのです」
※いずれもワーンイ族の暮らしてきた土地の地名

祖先の精霊が創った、乾いた赤土の大地と深い峡谷が広がる地域には、地下水が湧き出す泉や小川が点在する。地下水は恐竜の時代、つまり科学者が何百万年も前に遡ると推測するほどの昔から存在する水だ。「雨が降り、石灰岩を通って水が地中深く入り、また裂け目を通って湧き出してくる。峡谷の水に小さな泡がポコポコと湧き出る様子を見ると、『君はどれほど古いのだろう?』と感じるのです」とほほえんだ。
コミュニティと家族を紡ぎ、植民地時代の負の歴史を語り継ぐ
土地創造の物語からもわかるように、ワトソンさんにとって水は命の源というだけでなく、彼女の祖先の存在そのものである。そんな大切な「水」をテーマにした作品が、アーティゾン美術館「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」で展示中の《赤潮》と《毒性赤潮の大量発生》だ。ともに1997年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作で、水の都ヴェネチアにちなんで制作されたが、ワトソンさんにとって特別な意味をもつ水の記憶と重なる。
制作にあたって過去に訪ねたヴェネチアで見た運河や、観光客を運ぶ大型客船が頭に浮かんだ。客船はラグーンを浚渫(しゅんせつ)しなければ入れず、そのために水をろ過する葦が破壊され浄化システムが機能不全に。水路の移動は貝類や漁業にも悪影響を及ぼしていた。「私はヴェネチアの運河を人間の身体の静脈のように捉えていました。同じ頃シドニーでも赤潮が発生していました。海は窒素過多、酸素不足の状態だと赤い藻の大量発生が起きます。淡水では青緑藻が発生し、オーストラリアの多くの内陸の川や水系だけでなく、世界中で大きな問題になっていました。2つの作品は水の中で何かが起きている、その証明です」

《赤潮》と《毒性赤潮の大量発生》は環境問題を描きながら、一方ではオーストラリアの歴史とも深く結びついている。歴史の多くはそれまで語られず、隠されてきた植民地時代の〈傷〉。ワトソンさんは創作を通して家族・個人の記憶と歴史的トラウマとを重ね合わせながら、社会的・政治的問題に向き合い発信を続けてきた。2つの作品に描かれた赤潮や赤い川は、祖国の血塗られた歴史の証言であり、世界中の文明で時として「武器」に使われてきた水の悲劇的側面を暴き出す。自然の破壊はそのままアボリジナルの歴史と文化、記憶の消滅へとつながるから、その警鐘でもあるのだ。
「水は宝石のように貴重で、人が生きるために欠かせないものです。けれど、多くのアボリジナルの人々の虐殺が水の近くで起こりました。ワーンイのコミュニティでは水や水を入れる容器が毒されたこともあります。高祖母のロージーは19世紀末のローンヒルでの虐殺を逃げ延びました。兵士や警官、牧畜を通じて植民地支配を広げた入植者たちがアボリジナルの人々を殺しにきたとき、高祖母と若い女性は風除けの後ろに隠れました。そこは岸辺でした。高祖母は虐殺行動のさなかに上半身を銃剣で刺され、その時の傷を一生持ち続けました。若い少女たちはお腹に石を乗せて水に潜り、葦をストロー代わりに呼吸したそうです。もろい葦が命綱でした。もし、高祖母が生き延びられなかったら、私たちの家族はこの世に存在しなかったでしょう」
“毒のあるアート”を観る人の心に沁み込ませ、揺さぶりたい
ワトソンさんの作品を一目見ただけでは、これほどまでに過酷な事実が隠されているとは想像もつかない。黄土色が画面いっぱいに滲む作品に近づくと、渦巻く赤い斑点が目に留まり、背景には水を象徴するブルーも広がっている。《赤潮》と《毒性赤潮の大量発生》で重なり合うイメージは詩的で、声を張り上げるような語り口ではない。
「私は観る人を誘惑したいのです。作品に引き寄せられて、じっくり見てもらいたい。そこから“毒のあるアート”が観る人の中に入り込み、内側で爆発して、じわじわと内容が滲み出すように――。そうして少しずつ『これって、もしかして虐殺の話? 環境汚染のこと?』と気づいてもらえたらと思います。以前はポスター制作に携わっていました。ポスターってパッと見てすぐにわかる直接的なメッセージ性がありますよね。でも人は理解したらすぐに立ち去ってしまう。私は即座に理解することを拒みます。作品にはもっとゆっくり近づいてきて欲しい。なぜなら、私が心動かされるもの──映画や詩、アート作品はじわじわと惹き込まれていくものだから。そうした作品は私から立ち去ることはなく、ずっと心に居続けるのです」
エッチング作品の《アボリジナルの血の優位性》は、さらにショッキングな内容が潜む。各プリントに広がる赤いシミが血を思わせる本作は、「Preponderance(優位性)」という行政用語を用いながら、「純血(Full Blood)」「ハーフカースト(Half Caste)」※などと血の割合で人を格付けし、投票権を与えるか否かを判断していた公的文書をベースにしている。20世紀半ばになってなお、オーストラリアで実際に続けられていた制度的差別を浮き彫りにしているのだ。
※いずれも、現在は差別的表現として使われることはない

血をイメージさせる赤いシミは1枚1枚に記された内容の激しさによって割合を変えている
「もともと、女性と投票権に関するプロジェクトでアーティストブックを依頼され、アボリジナルの女性に焦点を当てるつもりでいました。調べるうちに、私は大きな衝撃を受けました。ある時、アボリジナルの公文書を保存管理する人物とクイーンズランド州の記憶と歴史部門で働く友人のレクチャーを聞きに行き、そこで文書のスライドを見て、これを作品にしなければと思いました。『Preponderance(優位性)』という言葉はそのとき初めて知ったんです。この公的文書が意味するのは、両親の両方の家系にアボリジナルの血が流れていると投票権が与えられなかった、ということです。作品で使った文書のひとつには、ある女性が夫とともに『「アボリジナル保護・アヘン販売制限法」※の適用外とされているから、次の選挙で投票ができますか?』と問いかけていました。それに対して、白人のアボリジナル監督部署の役人は『あなたは“アボリジナルの血の優勢(血の量が多い)”に該当するため、投票権はありません』と返答していたのです。なんてひどい仕打ちなんだと思いました。彼女は懸命に働いてきたと訴えたのに権利を認められなかった。誰が投票でき、できないかの分類はさまざまなケースがあり、恣意的に運用されてもいました」
※1897年にクイーンズランド州で制定された法律。アボリジナルの人々の「保護」およびアヘンの販売制限を目的とされたが、実際には彼らの生活や移動、自由を大きく制限し、政府による統制の手段となった。また、当時アヘンの供給源とされた中国系住民に対する排外的な意識も背景にあった

図像を生み出す制作の行為自体を記憶と暴力の痕跡を表す手法として用いる ©Judy Watson
前へ進むために過去に立ち向かい、希望を未来へ託して
歴史の真実の層を一枚一枚はがすようにして、ジュディ・ワトソンさんはアボリジナルのコミュニティや家族の物語を表現してきた。根底には、だれかが語らなければ、歴史の事実が永遠に埋もれかねない危機感が常にある。過去に対する眼差しは鋭く、厳しいが、それも祖先の土地、家族を強く愛するからこそ。しかし、ただ過去の傷に対峙するばかりでなく、その視線の先には「未来」もしっかりと捉えている。

2024年に制作した、藍染めの3枚つづりの作品《記憶の深淵》には、抵抗の精神と同時に未来への希望を託す。「藍や黄土(オークル)には深い力が宿っています。深く濃い色にするために何度も染め直す必要があります。どちらも取引される素材であると同時に、変容させる力を持っている。藍は空気に触れ、緑から青に変わっていく、色の変化の力強さに心を奪われました。旅をしながらモロッコなど他の国での藍の使われ方を学んで。オーストラリアにもインディゴの植物はありますが、色の出方が違います。アメリカ・ルイジアナ州ではかつて奴隷たちに育てさせるため、他の作物を取り除いて換金作物としてインディゴを植えました。植民地的暴力の道具としても使われたのです。インディゴは国によって『搾取の象徴』にもなり得ます。私はそれを文化の多様性という観点からも興味深く見ています。布が染まることを抵抗することと、歴史に対する抵抗は同じ行為だと思うのです」

右側の布の下に描かれたバンヤンツリーの葉は、トゲがあるが、背骨のように家族をつなぐ。
「支柱」をイメージしている。作品は家族や友人、コミュニティと共同制作することも
左側の1枚にはオーストラリアの地図が描かれている。境界線が白く真っ直ぐに引かれており、土地が人為的に切断され、刻まれたことを告げる。英文タイトルの《gulf of memory》にあるgulf =湾が意味するのは、多数の虐殺の起こったカーペンタリア湾のことでもあり、「記憶の消失(あるいは消し去り)」、「空間の断絶」とさまざまに解釈できる。図像のない中央の1枚を隔てた右側の布の女性のシルエットは、娘のラニさん。「時空」を越えて、祖先が生きてきた大地で起こったさまざまな出来事を眺めている。「娘は私たち家族の女性の血筋を継いでいます。若い世代は過去を拒絶しながらも引き戻されて……そこにあるものを見つめています。一方で、確実に動いているエネルギーもあり、私は変革が教育とともにやってきてほしいと思っています。歴史の消去ではなく、歴史の知識が未来に続くことを願います」
オーストラリアと日本では差別の形態こそ異なるものの、ともに言語の抑圧や文化の実践の排除など類似の圧政の歴史があり、ワトソンさんは日本で被差別者と関わりながら歴史を見つめ直す人たちとの交流を通じ連帯を深める。恥とされ、隠されてきたものという意味でも、出来事の読み取り方や隠ぺいのされ方にも、両国には共通性があるという。「いま、人々はより意識を高め、オープンになり、誇りを持ち始めています。 それは教育を通じて実現していくものです。素晴らしいことだと思います。私たちのアートを単にファッションとして消費し、都合のいい情報だけを提示するだけでなく、背景も含めて受け取ってもらえたらと思います。(アボリジナルの)アーティストのゴードン・フッキーはこう言いました。『多くの人は僕らのスピリチュアリティは好きだけど、政治的な現実は見たがらない』と。すべてを引き受けなければならないのです」
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- アーティゾン美術館|ARTIZON MUSEUM
104-0031 東京都中央区京橋1-7-2
開館時間:10:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
会期中休館日:月曜日、7月22日、8月12日、9月16日 ※ただし7月21日、8月11日、9月15日は開館
森 聖加
フリーランス編集者、ライター。書籍『歌と映像で読み解く ブラック・ライヴズ・マター』の編集、クエストラヴ著『ミュージック・イズ・ヒストリー』の監訳を担当(藤田正との共監訳/いずれもシンコーミュージック・エンタテイメント刊)などで、音楽を中心とするポップ・カルチャーの視点からアメリカ黒人の歴史と文化を発信。ほかにアート、建築など分野を超えクロス・カルチュラルの視点でわかりやすく伝えることをモットーに取材を続ける。