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夏目漱石の小説に橋口五葉あり
装幀・〈新板画〉で花開いた画家の芸術世界をひも解く

「橋口五葉のデザイン世界」が府中市美術館にて2025年7月13日(日)まで開催

展覧会レポート

「橋口五葉のデザイン世界」が府中市美術館にて開催中。展示風景
「橋口五葉のデザイン世界」が府中市美術館にて開催中。展示風景

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「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」――人口に膾炙したこの文句が、夏目漱石の小説『吾輩ハ猫デアル』の冒頭であることは多くの人が知るところだろう。では、その名文句で始まる本書の初版のデザインをした画家をご存じだろうか。

府中市美術館で開幕した「橋口五葉のデザイン世界」は、夏目漱石の初期作品の装幀を手掛けた版画家・橋口五葉(1881~1921)の画業を振り返り、その魅力に迫る展覧会だ。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「橋口五葉のデザイン世界」
開催美術館:府中市美術館
開催期間:2025年5月25日(日)〜7月13日(日)

『吾輩ハ猫デアル』-2人の才能が世に出た記念碑的作品

復刻本展示コーナー(フォトスポット)
復刻本展示コーナー(フォトスポット)

橋口五葉(1881~1921)

本名・橋口清。鹿児島県鹿児島市生まれ。芸術に造詣の深かった父や兄たちの影響もあり、幼い頃から絵に親しむ。19歳の時に上京。当初は橋本雅邦に師事するも、洋画に転じ白馬会洋画研究所で学ぶ。明治34年に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学(38年に卒業)。44年に三越呉服店の美人画ポスター懸賞に《此美人》を応募し、一等賞を得る。在学中から雑誌『ホトトギス』の挿絵を描き、それを評価した夏目漱石の依頼で『吾輩ハ猫デアル』の装幀を手掛けた。以後、漱石をはじめ、谷崎潤一郎、泉鏡花などの装幀も手掛け、装幀家として高く評価された。また《浴場の女》をはじめとする木版画でもすぐれた作品を残し、〈新板画〉の画家としても大きな功績を残した。

橋口五葉の名前は、おもに〈新板画〉(一般的には新版画と表記されるが、本展では「新板画」の表記で統一)で活躍した画家として、もしくは漱石をはじめとする近代文学の装幀や広告など商業美術の中で挙げられる。いずれにしても、それぞれの分野の中で独立して語られることが多かったが、本展では画業全体を展望することで、分野を超えて共通する五葉デザインの美意識を浮かび上がらせる。

夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上編 1905(明治38)年 (左)新宿区立漱石山房記念館/(右)個人蔵
タイトルを『吾輩は猫である』ではなく『吾輩ハ猫デアル』と片仮名を用いたのは、五葉の提案による。当初は1巻で完結する予定だったため、扉に「上」の文字はない。
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上編 1905(明治38)年 (左)新宿区立漱石山房記念館/(右)個人蔵
タイトルを『吾輩は猫である』ではなく『吾輩ハ猫デアル』と片仮名を用いたのは、五葉の提案による。当初は1巻で完結する予定だったため、扉に「上」の文字はない。

本展は、橋口五葉の装幀を象徴する1冊、夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』から始まる。2人の出会いは、五葉が学生の時であった。五葉の兄・貢が漱石の熊本教時代の教え子であり、芸術に造詣の深かった貢に、雑誌『ホトトギス』の挿絵を漱石が依頼した際、貢が東京美術学校で学ぶ五葉を推薦したのだ。

『ホトトギス』8巻1号 1904(明治37)年 個人蔵
五葉が初めて『ホトトギス』の挿絵を制作したうちの1点「走馬燈図案」。以降、五葉は同誌の挿絵や表紙を手掛けるようになった。
『ホトトギス』8巻1号 1904(明治37)年 個人蔵
五葉が初めて『ホトトギス』の挿絵を制作したうちの1点「走馬燈図案」。以降、五葉は同誌の挿絵や表紙を手掛けるようになった。
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』中巻 1906(明治39)年 (左)新宿区立漱石山房記念館/(右)個人蔵
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』中巻 1906(明治39)年 (左)新宿区立漱石山房記念館/(右)個人蔵

そして『ホトトギス』の挿絵を見て、漱石は五葉を高く評価し、『吾輩ハ猫デアル』の装幀を任せた。美術的に優れた本にしたいという漱石の本に対する情熱に応えた五葉。表紙の題字と本作を象徴する猫の図案は、箔押しと朱色の2色のみのシンプルなデザインが印象的だ。一方で表紙を開くと現れる扉絵などでは、アール・ヌーヴォー風の図案が華麗に施されている。

漱石の小説家デビュー作であり、同時に五葉の装幀家としてのデビュー作である『吾輩ハ猫デアル』は、内容はもとより装幀デザインとしても高く評価され、2人の記念碑的作品となった。

『吾輩ハ猫デアル』画稿
『吾輩ハ猫デアル』画稿

展覧会では、上・中・下の三巻がそれぞれ独立ケースで展示されるほか、周囲の壁には本作の画稿が展示されており、試行錯誤の跡が見て取れる。曲線的で装飾的なデザインからは、当時西欧で流行し、日本にも伝わったアール・ヌーヴォーの様式を五葉が十分に理解し、自身の制作に積極的に取り入れていることがうかがえる。

そうして本作以降も、五葉は漱石の小説の装幀を手掛け、その数は1914(大正3)年刊行の『行人』までの11作品に及んだ。

「日本の本を美しく装う」―五葉の装幀へのこだわり

「日本の本を美しく装う」ことが、五葉の装幀家としてのモットーであった。それらの作品は図様の美しさもさることながら、本展ではその美と技の粋が結実した製本技術にも注目したい。空押し(色を用いず浮き彫りにして図様を表す技法)、箔押し、時には漆を用いるなど、五葉は様々に技巧を凝らし、贅を尽くしている。

夏目漱石『草合』 1908(明治41)年 個人蔵(千葉市美術館寄託)
本作では、表紙に表された黒色の石蕗(つわぶき)の葉に、何と漆が用いられている。
夏目漱石『草合』 1908(明治41)年 個人蔵(千葉市美術館寄託)
本作では、表紙に表された黒色の石蕗(つわぶき)の葉に、何と漆が用いられている。
通称「胡蝶本」と言われる泉鏡花『三味線堀』、松本泰『天鵞絨』(びろうど)、森林太郎『新一幕物』個人蔵(千葉市美術館寄託ほか)。籾山書店が1911~1913(明治44~大正2)年にかけて刊行した全24冊の叢書。シリーズを通して表紙・背表紙・裏表紙に蝶が表されており、表紙の色は朱・あずき・緑の3種類
通称「胡蝶本」と言われる泉鏡花『三味線堀』、松本泰『天鵞絨』(びろうど)、森林太郎『新一幕物』個人蔵(千葉市美術館寄託ほか)。籾山書店が1911~1913(明治44~大正2)年にかけて刊行した全24冊の叢書。シリーズを通して表紙・背表紙・裏表紙に蝶が表されており、表紙の色は朱・あずき・緑の3種類

五葉は本の装幀という仕事は、平面1枚絵とは異なることを十分に理解していた。表紙、背表紙、裏表紙、そして開くと扉や挿絵…という立体的な構造の中で、全体を統一させつつ、おもわず手に入れたくなるような印象的なデザインにするかにこだわっている。また本棚に並べられた時のことまでをも想像し、背表紙の美しさ、統一感を追求するなど、装幀家としての五葉の美意識が冴えわたる。

展示風景
画面右手前は、泉鏡花『相合傘』1914(大正3)年 個人蔵(千葉市美術館寄託)
展示風景
画面右手前は、泉鏡花『相合傘』1914(大正3)年 個人蔵(千葉市美術館寄託)

うっとりするような五葉の華麗な装幀を他の作家が放っておくわけもなく、五葉は漱石のほかに、泉鏡花、谷崎潤一郎、永井荷風の作品の装幀、挿絵などのデザインに携わった。また翻訳本の装幀も多く手掛けていたのも、洋の東西の美的感覚を融合させ、洗練されたデザインを生み出した五葉の仕事ぶりを思えば当然と言えるだろう。

制作過程も分かる画稿や束見本も展示

展示風景
展示風景

本展では、製本された実際の本だけでなく、アイデアが実際にデザインとして完成するまでの過程がうかがえる貴重な画稿も多く展示されている。画稿は無地の紙と方眼紙の2種類が展示されているが、無地の画稿はアイデアをいくつも出す時、方眼紙は実際の寸法に合わせて具体的に図案を整えていく段階で用いていたのだろう。

寸珍『吾輩ハ猫デアル』束見本(家計簿) 1916-21(大正5-10)年 鹿児島市立美術館蔵
寸珍『吾輩ハ猫デアル』束見本(家計簿) 1916-21(大正5-10)年 鹿児島市立美術館蔵

また『吾輩ハ猫デアル』の上中下の三巻を一冊にまとめた、今でいう縮刷版の束見本(つかみほん、実際に使用する用紙や製本方法で製本して作るサンプル)では、五葉が家計簿として使っていたというから面白い。展示されているページには、モデル代や画材道具の料金など、制作にかかった費用などが細かく記載されており、画家のリアルな制作事情が垣間見える。

学生時代から花開いた五葉のデザイン世界

存分に五葉の装幀の世界に浸った後は、学生時代から五葉が手掛けたポスターやパンフレットなど商業美術作品や、裸婦像のデッサンから油彩などの絵画作品まで、五葉の芸術世界を醸成する様々な要素を紹介している。

展示風景
展示風景

東京美術学校時代の1、2年生の頃、石膏の写生で優秀な者は人物モデルの写生が許されていたが、五葉はその1人であったという証言もあり、学生の頃から描写力が評価されていたようだ。展示されている裸婦のデッサンからは、人体の質感・肉感を的確に表現する確かな腕が確認でき、ここで培った人体表現は、後々の〈新板画〉における女性裸婦像においても大いに役立っている。

《此美人》 1911(明治44)年 鹿児島市立美術館
《此美人》 1911(明治44)年 鹿児島市立美術館

また五葉が31歳の時、三越呉服店の懸賞ポスターで審査員満場一致の一等を受賞した《此美人》。着物や背景などは伝統的な浮世絵のように多彩で均質な色彩で表される一方、人物のポーズや立体感ある顔や手の表現は西洋の肖像画を思わせ、洋の東西の芸術様式が破綻することなく1つの画面で調和し、独特なムードを醸し出す。本作は石版35度刷という驚異的な色版によって作られており、グラフィックデザイン黎明期ともいえる当時の商業美術に対する画家、職人、顧客の美意識の高さを物語っている。

展示風景
画面右:《孔雀と印度女》1907(明治40)年 油彩、キャンバス 二枚折衝立 鹿児島市立美術館
展示風景
画面右:《孔雀と印度女》1907(明治40)年 油彩、キャンバス 二枚折衝立 鹿児島市立美術館
《王朝風俗》1904(明治37)年頃 絹本着色 二曲一隻屏風 鹿児島市立美術館
《王朝風俗》1904(明治37)年頃 絹本着色 二曲一隻屏風 鹿児島市立美術館

本展解説によると《孔雀と印度女》や《王朝風俗》などの絵画では、ラファエル前派、とりわけ英国のアルバート・ジョセフ・ムーアの影響がうかがえるという。また《王朝風俗》の画面を横長に分割して、それぞれに別の絵を描く構図は、装幀でも度々見られた構図で、そうした装飾性を西洋の美術から吸収し、日本の伝統的な絵画との融合を試みようとしていた様子が見て取れる。

新しい版画表現を目指して―〈新板画〉の世界

展覧会の後半は、五葉の木版画の世界を展望する。1914(大正3)年頃から浮世絵を研究するようになった五葉は、研究者として論考を発表するほか、版元・渡邊庄三郎と共に新しい版画表現を模索した。

《浴場の女》1915(大正4)年 千葉市美術館 ※後期はパネル展示
渡邊版の「新板画」の特徴でもある背景のざら摺(バレンの擦り跡を敢えて見せる手法)については、五葉は納得していなかったという。
《浴場の女》1915(大正4)年 千葉市美術館 ※後期はパネル展示
渡邊版の「新板画」の特徴でもある背景のざら摺(バレンの擦り跡を敢えて見せる手法)については、五葉は納得していなかったという。

《浴場の女》は、その代表的な作品で、湯浴みをする女性という伝統的な画題だが、その身体表現は確かなデッサン力に裏付けされており、版画ならではの簡潔な線ながら、迫真的なボリューム感がある。

《耶馬渓》1918(大正7)年 鹿児島市立美術館
《耶馬渓》1918(大正7)年 鹿児島市立美術館

風景画では《耶馬渓》や《神戸之宵月》など旅の情趣を感じさせる、静かで趣深い作品を残している。五葉は《此美人》で、当時としては破格の賞金1,000円を獲得すると、大分(耶馬渓、別府、宇佐)、そして大阪、伊勢、愛知を巡る2ヶ月間の取材旅行を行った。その時に出会った鮮烈な光景は、〈新板画〉の制作において重要な題材となった。

木版による美人画や風景画でさらなる境地を切り拓いた五葉であったが、1921(大正10)年、41歳という若さで没する。若い頃から優れた感性と技量で、洋の東西の美を融合させた五葉のデザインの世界は、今なお瑞々しい輝きを発している。

フォトスポットでは五葉デザインの本を手に取ることも

展覧会フォトスポット(復刻本展示コーナー)
復刻版の本を手に取り、当時の人々が味わった感動を追体験できる。五葉の装幀した本はページをめくる所作をも美しくしてくれるように感じる。
展覧会フォトスポット(復刻本展示コーナー)
復刻版の本を手に取り、当時の人々が味わった感動を追体験できる。五葉の装幀した本はページをめくる所作をも美しくしてくれるように感じる。

本展では展示室を出たロビーでもお楽しみがいっぱいだ。まずフォトスポットでは、五葉がデザインした書籍の復刻版が並び、実際に手に取ることができる。本文も当時の活字をそのまま再現しており、過去にタイムスリップした気分だ。

また、「五葉装幀双六」と題されたシート(4種類)は、1人1枚持ち帰ることができる。本のデザインを手掛けた五葉にちなんで、このシートは本展図録のブックカバーにもなる。何とも心憎いアイデアだ。ぜひとも図録を購入してお気に入りのカバーをかけてみてはいかがだろうか。

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