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樹の中に神仏を観た円空
唯一無二の造形に宿る信仰の姿

「魂を込めた 円空仏―飛騨・千光寺を中心にして―」が、三井記念美術館にて2025年3月30日(日) まで開催

内覧会・記者発表会レポート

「三十三観音立像」 31軀 千光寺
「三十三観音立像」 31軀 千光寺

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円空(えんくう 1632-1695)とは、全国を旅しながら木彫仏を制作した江戸時代の山林修行僧である。晩年、飛騨地方を訪れた円空は、約1200年前に弘法大師の十大弟子の一人、真如法親王によって建立された古刹、千光寺を拠点に制作を行っていた。

現存する彫像の数は5000体とも言われる「円空仏」の特徴は、1つの樹木から像を彫り出す手法、それゆえの簡素な造形、ノミなどの削り跡を残す作風で、日本仏像史の中でも強烈な個性を放つ。

三井記念美術館で開幕した「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」では、飛騨・千光寺に伝わる仏像を中心に、円空が魂を込めて削り出した多彩な円空仏を紹介している。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」
開催美術館:三井記念美術館
開催期間:2025年2月1日(土)〜3月30日(日)

唯一無二の造形こそ、円空の信仰の証

「白山妙理大権現坐像」1軀 小川神明神社
巾子冠(こじかん)を被り、袍(ほう)を着け、両手は衣の下で胸前に表す典型的な神像彫刻の形に近い。白山妙理大権現は、白山三山の最高峰・御前峰の主神。
「白山妙理大権現坐像」1軀 小川神明神社
巾子冠(こじかん)を被り、袍(ほう)を着け、両手は衣の下で胸前に表す典型的な神像彫刻の形に近い。
白山妙理大権現は、白山三山の最高峰・御前峰の主神。

円空の唯一無二の造形について、本展では円空の個性で終わらせず、平安時代以降の仏教儀礼としての造像を円空が意識していたという見解に立つ。そして「鉈やノミで削る行為」「削り跡を残す」という造形的な特徴は、僧・円空の敬虔な信仰心の表れであるという円空仏の新たな見方を提示する。

(手前)「護法神立像」2軀 千光寺 (奥)「金剛神立像」2軀 飯山寺
同じ樹木から作られたとの伝承を持つ4軀の像。木材を4分の1に分割し、それぞれ木の中心側が像の正面になるように彫られている。
(手前)「護法神立像」2軀 千光寺 (奥)「金剛神立像」2軀 飯山寺
同じ樹木から作られたとの伝承を持つ4軀の像。木材を4分の1に分割し、それぞれ木の中心側が像の正面になるように彫られている。

「鉈やノミで削る行為」については、円空が生木に直接仏像を彫り出した像が伝わるが、これは平安時代の樹木信仰である「立木仏(たちきぶつ)」にその源泉があるという。樹木に“樹神“を観想し、彫り出すからこそ、円空仏のほとんどが、腕、仏具なども含めて全て1つの樹木を削ることで作られている”一木造“であることもうなづける(ちなみに、本来の一木造は、顔と体幹部が1つの木材であるものを指し、四肢などは別の用材の場合もある)。

また「削り跡を残す」点に関しても、平安時代後半以降から行われるようになった「如法(にょほう)の仏」、すなわち仏教儀礼として制作された仏像の意識が、円空にあったのではないかと見解を示す。つまり、儀式の中で仏の名号を唱えながら削る如法仏の在り方は、その「削る」行為が信仰の姿であり、ゆえにその「削り跡」にこそ仏教の本質があるーーそう円空が考えていたのではないか、ということだ。さらに、御衣木加持(みそぎかじ・仏像にするための木材[=御衣木]の穢れを祓い霊性を宿らせる儀式)から仕上げまでを1日で行う「一日造立仏」が意識されているという。

「稲荷大明神坐像」1軀 小川神明神社
現存する円空の神像の中では稲荷明神が最も多く、その姿は男神像と、頭部が狐の像の2パターンある。
「稲荷大明神坐像」1軀 小川神明神社
現存する円空の神像の中では稲荷明神が最も多く、その姿は男神像と、頭部が狐の像の2パターンある。

普段、細部まで緻密に造られた仏像を多く目にする私たちには、円空仏は“異端“で”個性的“なように映るが、山岳地域で木々が深く生い茂る飛騨の地に生きた円空にとっては、1つの樹木の中から荒々しい削り跡と共に浮かび上がる姿こそ、神々しい神仏の姿だったのだ。

本展では観音信仰に基づく観音菩薩立像や、白山神(美濃、加賀、越前をまたぎ、霊山として信仰されてきた白山を神格化した像)などが展示されいる。仏教だけでなく、飛騨地方に伝わる山岳信仰も含め多彩な信仰が根付いており、円空がそうした神仏を隔てなく制作していたことがうかがい知れる。

円空の自画像ともされる「両面宿儺坐像」

多彩な神仏の姿を数々削り出してきた円空だが、本展で特に注目したいのが「両面宿儺(りょうめんすくな)坐像」と「柿本人麻呂像」だ。

両面宿儺は、大和朝廷に従わなかった飛騨の豪族で、『日本書紀』では武振熊(たけふるくま)に退治されたとされ、その姿は4本の腕と2つの顔を持つ反逆者として記されている。一方、民間伝承では、飛騨の英雄や守護神としても語られる。

「両面宿儺坐像」1軀 千光寺
「両面宿儺坐像」1軀 千光寺

両面宿儺は弓矢を持つ姿が一般的であるが、円空の「両面宿儺坐像」は手に斧を持つ。顔貌も本来は正面の本面が「憤怒」、横面が「慈悲」を表すが、本像の場合、正面が微笑みを浮かべる柔和な顔つきで、向かって右側の横面が目尻を釣り上げ、「憤怒」の相を見せる。生木を伐り、仏像を削り出した円空にとって、斧は重要な道具である。そうしたことから、本像は円空の自画像ともされている。

円空も憧れた歌の神―「柿本人麻呂像」

「柿本人麻呂坐像」1軀 東山神明神社(画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives)
「柿本人麻呂坐像」1軀 東山神明神社(画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives)

奈良時代の歌人・柿本人麻呂は『万葉集』の代表的な作者の一人で、「歌聖」と称され、後に神格化されるようになった。実は千光寺には円空の歌集『袈裟山百首』が伝わるが、その中の90首に及ぶ作品が『古今和歌集』の歌を本歌取りとしたものとされる。円空が和歌の素養があったことがうかがえ、柿本人麻呂は円空にとってまさに「歌の神」であった。

この像でも、一般的な柿本人麻呂像の姿と同じく、烏帽子・装束姿で、体を左腰に預けるように傾ける姿勢で表されている。正面から見ると、たっぷりとした量感を感じさせるが、回り込んでみるとその薄さに驚くだろう。

本作に限らず、円空仏を鑑賞する時は、正面だけでなく側面からもじっくり観てほしい。正面で像に対峙した時には、神々しさ、愛らしさ、畏怖…といった、その像が持つ特性を感じ、おのずとその像を神仏そのものとして捉えることができるだろう。一方で、横から見た時には、その像が本来1つの木であったことに改めて気づかされ、木という「物質」から、神仏などの「偶像」へと変わるその境界に立つ心地になる。木の中に神仏の像を見出し、彫り出す円空の眼差しを、わずかながら追体験するようだ。

円空自身の姿に迫る

さてこれまで円空の手掛けた像ばかりを挙げてきたが、本展の見どころの1つに「円空自身」の姿に迫っている点を挙げたい。

「円空画像」1幅 千光寺
画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
「円空画像」1幅 千光寺
画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

本展では現存唯一とされる円空の肖像画や、円空自筆の歌集『袈裟山百首』も展示されている。全国を旅して神仏像を作り続けたこと、その造形が荒々しく個性的であることから、円空に対してプリミティヴな印象をもってしまいがちだが、こうした資料からは僧として、経典・古典文学に精通している円空の姿が浮かび上がる。

強烈な個性を放つ造形には、むしろ敬虔な信仰の姿があった。本展では、深く刻まれた一彫、一削に、真摯に木に向き合い、ひたすら彫り進める円空の姿を思い浮かべることだろう。

※彫像の作者はすべて円空
※参考文献:清水眞澄「新円空論―円空仏は「如法の仏」―」(本展図録)

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