西川勝人が作り出す「光と闇の間(あわい)」をただよう
「西川勝人 静寂の響き」が、DIC川村記念美術館にて2025年1月26日(日)まで開催
先日、2025年に休館することが発表されたDIC川村記念美術館。同館では現在、ドイツを拠点に活動する西川勝人(1949-)の回顧展「西川勝人 静寂の響き」が開催されている。本展では、80年代の彫刻作品をはじめ、写真、絵画、素描、インスタレーションなど、時代やジャンルを横断した約70点が展示され、静謐で、色彩や光の繊細なグラデーションの中に幽玄の美を秘めた西川の美学に触れる。
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- 「西川勝人 静寂の響き」
開催美術館:DIC川村記念美術館
開催期間:2024年9月14日(土)〜2025年1月26日(日)
西川勝人(にしかわ かつひと)
1949年東京生まれ。美術を学ぶため、関心を寄せていたバウハウス誕生の地ドイツに23歳で渡り、ミュンヘン美術大学を経て、デュッセルドルフ美術大学でエルヴィン・へーリッヒに師事。1994年以降、ノイス市にあるインゼル・ホンブロイッヒ美術館の活動に参画し、美術館に隣接するアトリエを拠点に活動。自然との融合を意識したプロジェクトや、彫刻、平面から家具まで、異なる造形分野を横断しながら制作。シンプルな構造と簡素な素材を用い、光と闇、その間に広がる陰影について示唆に富んだ作品を生み出し続けている。現在はハンブルグ美術大学名誉教授として後進の指導にもあたる。デュッセルドルフ市文化奨励賞受賞。
作家自身が展示を構成――自然と調和した唯一無二の展示
DIC川村記念美術館では西川の彫刻作品を4点所蔵している。そうした縁から企画された本展は、西川にとって国内の美術館では初めてとなる大規模な展覧会だ。そんな記念すべき展覧会において、西川は美術館の独特な建築・展示空間を最大限生かし、自ら展示の構想を練り上げた。そうして、この場所でしか味わえない唯一無二の世界を創り出している。
2階の木漏れ日が入る展示室は、2つの大きな窓を持つ開放的なめずらしい空間だ。巨大な窓から見える木々の風景に囲まれたこの展示室には、クリアガラスでホオズキをかたどった《フィザリス》シリーズと、24点で1組となるカラーアクリルガラスを用いた《静物》が展示されている。
1996年に制作された《フィザリス》は、窓からの光を受けて煌めく。ガラスのホオズキは「自然物であり人工物」という両義的な存在だ。ゆえに「自然/人工」「内/外」という本来交わることのない隔てられた2つの世界を接続している。
《静物》は、2005年頃から制作されている〈Color as Shadow〉シリーズの1つ。本シリーズは、カラーアクリルガラス18種から数種を組み合わせて重ねることで、新しい色彩を生み出すという作品で、本作では24点それぞれが4色のパネルを重ねて作られている。色の違いだけでも300以上の組み合わせがある上に、アクリルの「透明/不透明」の差もあり、生み出される色調は何千通りにもなるという。
《静物》は西川が敬愛するイタリアの画家ジョルジョ・モランディの静物画の色に着想を得ている。一見すると均質に思えるが、眼を凝らしたり、見る角度を変えたりすると、層の重なり具合によってその色彩は微妙に変化する。普段何かを見る時に、一瞥して理解した気になりがちだが、この「何色」ともはっきり言えない微妙な色彩から、「色」と「色」の間の無限のグラデーションの存在に気づくことだろう。
光と闇の間(あわい)に見えてくるもの
制作において「光」に関心を持ち続けている西川にとって、その対となる「闇」「陰影」との関係は非常に重要なテーマだ。先ほどの部屋から長い通路を通った先にある2つの大きな展示室のうち、最初の展示室では、「光と闇」を象徴する作品が並ぶ。
《池のほとり》をはじめとするグレーの色調の絵画作品は一見抽象画のようだが、しばらく見つめていると、次第に池のほとりの木々、それらを映す水面の様子が描かれていることに気づく。作家のアトリエがあるドイツのインゼル・ホンブロイッヒ美術館の敷地の光景を題材にしており、西川は霧や靄に煙る水辺の景色を写真に撮り、絵画化した。
さて、西川が「光と闇」という対比を表現する時、色彩に置き換えると「白と濃紺」になる。「闇=黒」をイメージしがちだが、西川にとっては「闇=濃紺」だという。白と濃紺のアクリルガラスのパネルを交互に展示する《静寂の響き》は、先述の《静寂》と同様、カラーアクリルガラスによる作品だが、特に「闇」を表す濃紺のパネルは、その後ろにカラフルな色のパネルを重ねている。様々な色をその内側に取り込む濃紺は、深い“闇“となり、見る者の意識を深淵へと向かわせる。
本展では、鑑賞者に観想に耽ることを期待している。具体的な“何か”を描くことなく表現する西川の作品と向き合うと、作品のその先に、「“何か”を見ようとする自分自身」の存在に行きつく。その“自分自身”こそ、作家が生み出す「光と闇」の間(あわい)の中に存在するものなのだ。
西川芸術のラビリンス(迷宮)に誘われる
そして「ラビリンス(迷宮)」と名付けられた最後の展示室では、大きな部屋を縦横3×3の9つの空間に区切り、まるで迷路のように蛇行しながら鑑賞する。各区画を仕切る白い塀や各区画の床には彫刻作品を展示し、周囲の壁には、流れる雲を白黒で撮影した写真シリーズ《分水嶺》が飾られている。
木材、石膏、スチール、塗料など様々な素材を用いて、西川は質感や色などが微妙に異なる無限の「白(=光)」を表現する。それらの彫刻群は遺跡や発掘された化石のような趣を湛える。「ラビリンス体験とは(中略)同じ空間にいながらその全体のなかでめくるめくような体験」と西川が語るように、この空間に入り込んだ鑑賞者たちは、次々と現れる西川の「具象と抽象の中間」のような不思議な形状の作品との出会いを繰り返す。
またこの部屋では、照明は一切使わず、天井からの自然光のみという点も重要な要素だ(夕方に照度が不足した場合には点灯することもあり) 。そのため、その日の天気や時間によって部屋全体の印象は大きく変わる。実際、取材した日は曇天だったため、終始薄暗い状態だった。しかしそのおかげで光と影のコントラストは弱まり、部屋全体が青味がかったグレーの色調に覆われ、西川の静謐な作品に対してより深く向き合うことができる空間となった。一方で、天気の良い日は雲の流れに従って展示室に入る光も次々に変化する。部屋の中にいながら自然を、時間の移ろいを、雲の存在を感じることができる。中には、壁にかかる《分水嶺》シリーズと呼応するという感想を持つ鑑賞者もいるという。
9つの区画のうち、中央には白い花の花弁を敷き詰めた《秋》が展示されている。ユリやキクなど7種類の花弁が敷き詰められた床は、写真の通り真っ白な絨毯のようで、開幕当初は花の香りが展示空間に充満していたそうだ。しかし真っ白だった花弁も日が経つにつれて変色し、縮れていく。取材した10月末の時点では、ほとんど黄色に変わっており、近づくとほんのりと花の香りが感じられた。本作は会期中一切手を加えることはなく、自然と朽ちていく様子をそのまま展示し、時間の移ろいそのものを作品にしている。
普段私たちは、目に見えるものを言葉によって瞬時に認識し、理解した気になる。しかし、西川の作品では、そうした瞬発的に出る「言葉」で捉えきれない微かな差異を大切にしている。「言葉」と「言葉」の間を縫うような繊細なグラデーションをまとう西川の作品は、静かにたたずみ、こちらが眼を向ける時を密やかに待っている。ぜひこの場所で、西川の生み出す作品に目を向け、少しばかり長くじっと観てほしい。そして作品を観る自分自身の内側に湧き起こる繊細な心の揺らぎを感じ取ってほしい。