自然界も人間界も、世界は面白いことに満ちている。
「ゴミうんち展」展覧会ディレクター
佐藤 卓氏、竹村眞一氏インタビュー Vol.2
21_21 DESIGN SIGHTで企画展「ゴミうんち展」が、2025年2月16日(日)まで開催中

構成・文・写真:森聖加
「ゴミうんち展」展覧会ディレクター佐藤 卓氏、竹村眞一氏インタビュー
Vol.1 【前編】「ポジティブに、やっかい者を見つめ直す」はこちら
東京・赤坂の21_21 DESIGN SIGHTで開催され、話題の企画展「ゴミうんち展」。展覧会ディレクターの佐藤 卓氏と竹村眞一氏へのインタビュー Vol.2では、おふたりの展覧会に取り組む姿勢から見えてくるデザインに対する考え方、クリエイティブに生きるヒントまで、話題が広がりました。

竹村さんの発案。「竹村さんは音にも敏感なんですよ」とは佐藤さんの弁。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 企画展「ゴミうんち展」
開催美術館:21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2
開催期間:2024年9月27日(金)〜2025年2月16日(日)
先端的である、とは「根っこ」を見つめること
――モノの見方を変えるコツってあるのでしょうか?
竹村眞一さん(以下、竹村):例えば、「コペルニクス的転回」という言葉がよく言われて、それまでは天動説で地球が中心にあり宇宙が回っていると思われていたのが、実際には太陽中心であり、地球もたくさんある星の一つに過ぎない、とガラッと見方が変わりました。それがルネサンス革命だったとすると、その100年、200年の年月を現代は10年、20年で進めている感じです。別にコンピューターやAIの進展という話ではなく、むしろIT系じゃないところで、これまで「こんな風にするしかないのかな」と思っていたことがリセットされてきているのです。
変化を阻害しているのは固定観念と既得権益です。それらを変えれば1/10や1/20のコストで革新的変化が実現できますが、これでは商売上がったりだ、という人もいるでしょう。そういう方々も新しい中でビジネスができる形にソフトランディングする必要があるとは思います。タガさえ外れれば実は爆発寸前にあるのです。ミュージアム、特にデザインミュージアムの社会的役割は社会の先端を見せるとともに、過去にはこんな選択肢もあったと見せることです。これは反対方向を見ているようですけど、先端的というのは、ラディカルということでもある。ラディカルの語源のラディウスは、「根っこ」という意味ですから、先が伸びるためには根がしっかりしていなきゃいけない。根っこを見つめるとラディカルになれるんです。

佐藤 卓さん(以下、佐藤):温故知新ですね。
竹村:そういうことです。だから、デザインミュージアムの役割はものすごく大きい。その館長を佐藤さんのようなオープンマインドで、なんでも面白がれる人がやってらっしゃる。これはとても重要なことです。(21_21 DESIGN SIGHTのファウンダーの)三宅一生さんが言われていたように、確立されたデザイン作品や評価が決まったものを展示するデザインミュージアムではなく、私はあえて「未開のデザイン」と言いますが、まだ開かれきってない、可能性のあるものをどんどん提示していく。そこが世界的にも評価されているのでしょう。
――本日も多くの方が来場されていますが、外国の方も多いですね。
佐藤:模索しながら運営をしてきて、嬉しいことに、ここに来て海外の人たちが東京に来たら21_21に寄らなければという人が増えていると感じます。ここに来ると何か欠片(かけら)やヒントがあるんじゃないかと思ってくれているのかもしれませんね。
竹村:歴史を振り返っても、日本人はずっと人類社会全体に影響を与える、いろんなものをつくりだしてきました。例えば、ゴッホが浮世絵の素晴らしさに驚いて、真似てたくさんの素晴らしい絵を描いています。アンドレ・マルローというフランスの文化大臣を務めた有名な作家は、世界で唯一滅んで欲しくない民族がいるとしたら日本人だ、とも言っている。別に国粋主義とか日本の良さを思い出せと言いたいのではなく、デファクトスタンダードになっている大きな文明、中国文明やインド文明、最近ではヨーロッパ文明などと同じ普遍性を日本文化は持っています。これら文明のOSとは違う形で視点の転換を提供する、いろんな文化シーズ(種)をこれまでも提供してきたのです。その延長に21_21のあり方があるし、それをもっと先鋭化していただくために、佐藤さんに薪をくべているのです。

自然界も人間界も、世界は面白いことに満ちている
佐藤:私はつまらない物事は何ひとつない、と思っています。物事はどこから入っても、中に深く入り込んでいくと絶対に面白いもの、コンテンツに出会えるという気持ちを「デザインの解剖」をはじめた頃から持っています。「一体この素材はどこから来ているのか」、「なんで0.1mmの厚さなんだろう?」と探っていくと、そこには必ず理由がある。いろんな人の工夫や技術、テクノロジー、歴史があり、さらに遡ると自然環境と繋がっています。「デザインの解剖」をはじめた頃に竹村さんに出会ったことも、私には大きく影響しているのです。
竹村:現在は超高齢社会、さらにAIの台頭で人間の仕事が奪われると言われる時代です。そんな世の中を楽しく、クリエイティブに生きる秘訣が今、佐藤さんが言われたことですね。世界は自然界も人間の世界も、尽きせぬ面白いことに満ちています。その入口、窓をちょっとでも開けたことのある人であれば、飽きることのない自分の人生の糧を見つけられるはずです。

先ほども言ったようにAIは、人間がすでに知っていることや行ったことしか知りません。物事を効率的にこなしたり、上手に企画書を書けたりはできても、人間がまだ開けてない窓をAIが先に開けていることはありません。世の中にはつまらないことは何もない、世界は面白いとみなが考えるようになったら、全く不安のない時代になるでしょう。一方、自然エネルギー革命で十数年後には電気代もタダ、水やゴミうんちも資源としてアップサイクルされて、暮らしにさほどお金のかからない「限界費用ゼロ社会」に近づく。
世界の何十億の人たちが、何十年かの人生を仕事や家のローンに追われずに済む年月をもてるとすると、こんなに人類がクリエイティブになれる世紀はありません。これからの時代は本当に豊かな世界です。豊かといっても物質的とかお金の問題ではなく、豊かな世界を作れる可能性に満ちた時代だということ。だから21_21の役割は大きいんです。
佐藤:責任重大。
竹村:本来はすべての小学校が世界の面白さを教える場所になるべきなんですが。
佐藤:竹村さんの「触れる地球/SPHERE」は多くの学校にどんどん導入されていますね。
竹村:先生より生徒たちの方が飲みこみが早いですからね。学校や家庭環境をすべてそういう世界にしてやろうと思って生きていますが、しばらくは21_21が先端的に世の中に仕掛けて、何万もの人が展覧会を見にくることが重要です。未来の博物館、学校の雛形を21_21が実践していると思っていますし。

佐藤:21_21をつくる時に議論をしたのですが、もっと大きな建物で、作品を所蔵するスペースがあったら、いわゆるミュージアム、既存のデザインミュージアムになっていたかもしれません。幸か不幸かこれだけのスペースしかありませんから、イノベーティブに発想を展開していかないと、次がないんです。後がない状態がクリエイティブには良かったのかもしれません。
竹村:不在や欠如が、創造の源泉になるのはよくあることです。だからこそ21_21でできる自由な跳び方をぜひしていただきたい。一方で、物があること、収蔵品を多く抱えていることも障害ではなく、解析技術の進歩で現在は文化財や絵画、あるいは化石でも、10年前の研究者が取り出せなかった情報が取り出せるようになっています。過去の化石が突然モノ語りを語り出す、ミュージアムの情報爆発が起こっています。そこに価値を見いだせるかは私たちの側の問題で、物をもつ博物館や美術館の強みが出てくるのはこれから。とてつもない爆発の黎明期に直面しているんです。
佐藤:面白いですね。そう考えると、例えば21_21と国立科学博物館が一緒にプロジェクトをする可能性もあるわけですね。それぞれの館が独立して展覧会を行わなくてはならないということはないわけで。たくさんのお宝があるところと一緒に、何ができるだろうかを考えたら面白い。
竹村:科博で「ゴミうんち展」をやるべきです。山ほどあるでしょう、あそこには。

奥は佐藤 卓《TIME-B》。会期中、佐藤さんが砂時計をひっくり返す姿に出会えるかも?
――確かにありますね、動物たちのうんちが。
竹村:科学を見せる場所にアーティストや私たちのような視点を入れるってことが大事です。
佐藤:歴史上、もともと境目はなかったのに、芸術と科学が分離してきてしまった。だから私が科博で企画した「縄文人展」の時は〈芸術と科学の融合〉というサブタイトルをつけたのですが、今まで以上に芸術とデザイン、科学の世界が一体になるといいと思います。もちろん一部ではそうなりはじめていますが、私たちのスキルはもっと活かされるべきだと思います。
竹村:実現すれば、日本のミュージアム文化における画期になると思いますよ。つまり、21_21がやった「ゴミうんち展」を科博が引き継いでね。既存のミュージアム業界にすごい風穴を開けることになるはずです。
佐藤:国立科学博物館では「縄文人展」を提案したとき「黒船が来た」と言われたものです。
竹村:日本人は常に黒船、外からの圧力を待っています。出会った時は驚くけれど、何十年後かにはそれより良いものをつくってしまう。黒船もそうだし、鉄砲もそうでしょう。戦国時代から江戸初期にかけての日本は数十年でヨーロッパの本家を超える鉄砲をつくって、その何十年か後には見事に捨てて、300年間近く鉄砲を使わない平和な時代を築いたんです。
佐藤:そのことが花火大会につながっていくんですって。
竹村:人を殺す武器に使えなくなったので、火薬を花火に使うようになりました。
佐藤:歴史ってそういうことなんだ、といつも竹村さんから教えてもらっているところがあって、今まで学校で何を教わってきたのかという気持ちがあります。鉄砲の話はコンセプトブック『ゴミうんち』にも書いていただいています。

――(編集部・小林)私が21_21に訪れるときにいつも感じるのが、既成概念などを取り払った先に見えてくる、全く新しい視点で揺さぶられる感情です。先ほど展示を見終わってお手洗いに行った時、毎日の出来事である行為そのものが地球と繋がる特別なことに思えました。
佐藤・竹村:おぉーー。こんなにうれしい言葉はありませんね。
――(小林)価値観をガラッと変えられて、すごく感動して。それでも結局、数日後にはまた日常に戻ってしまうような部分も正直に言うとあります。このことに対してお考えがあったらお伺いできたらと思います。
佐藤:しつこく仕掛けていくしかないと思います。明治以降、世の中の仕組みが縦割りになってしまって横を繫ぐ糸がなく、全てがバラバラになってしまいました。米作りひとつを取っても江戸時代までは経済と文化が見事につながっていたわけですが、縦割りになることでふたつが分けられてしまった。縦割りの軸を縦の糸だとすると、そこに横糸をどれだけ通すか、一つのメッシュにできるかというイメージを持ちながら私は活動しています。ただし、世の中の概念はそう簡単にひっくり返りませんから、しつこく、しつこく取り組むしかありません。教育も重要です。これからどんどん育つ子どもたちの教育は重要ですから、縦糸の大切さもわかるわけです。教育の入り口をつくるための縦糸を大切にしながら、横の繋がりも強くしていきたいのです。
竹村:例えば森が雷で打たれて、一部が燃えて更地になると、ものすごい勢いで眠っていた種が目を覚まします。それはだいたい太陽の光を必要とする陽樹です。私たちは鬱蒼とした森は健康と思うけど、下の方には日が差さないので、陽光を必要とする種は芽を出さずにじっとしている。雷で更地ができると伸びてきて。雷によって焼かれることで森は新陳代謝、更新します。でも、そもそも種があるからワッと出て、新しい生態系がつくられる。21_21での展覧会は子どもたちへの種まきですね。
――デザインが雷、ということですね。
竹村:とにかくたくさんの、多様なタネが植わっていることが大事です。いつ新しい森になるかは時の運で、神様の裁量ですから。
佐藤:人の一生なんて長生きしたって、たった百年ですよね。百年しか存在しないのだからその間で何ができるか。話がいくらでも広がってしまうけれど……。ところで、この1万年の間、地球はとても安定しているって知ってました?
――えっ、安定しているんですか?
佐藤:過去1万年の気候は、長い地球の歴史からみると意外と安定していて、だから今の哲学は安定した地球上で生まれたものなんですって。「哲学」がテーマの展覧会も開いてみたいんだよなぁ。哲学は石が1つ置いてあるだけでも、いいわけでしょう?
竹村:文字ばかりの展覧会かと思いきや、全然字がない展覧会。21_21でやると面白い!
佐藤:いつも、こうやってバチバチと、アイデアがいくらでも出てきちゃうんですよ。
――今後の展覧会も見逃せませんね。本日はありがとうございました。
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