藤田嗣治の名を世界に知らしめた
「乳白色の下地」の謎に迫る
軽井沢安東美術館で開催された、ポーラ美術館主任学芸員 内呂博之氏による
講演会「『乳白色の肌』の質感表現について」より
藤田嗣治といえば、1920年代フランスの「エコール・ド・パリ」を代表する画家のひとりだ。女性の肌の質感を再現した、輝く美しい乳白色の表現は「グラン・フォン・ブラン(素晴らしき白の下地)」と称され、当時のパリでたちまち評判となった。
1913年に日本からフランスに渡った藤田嗣治は、持ち前の才能でパリの美術界の様々な画家と出会い、交流する中で、自らの画風を模索していた。パリ到着後早々、すでに芸術界で名の知れた存在であったピカソのアトリエを訪ねてキュビスム風の絵を描き、またピカソからアンリ・ルソーの話を聞いてルソー風の風景を描くなど、貪欲に色々なものを吸収し、誰にも真似のできないものを生み出そうともがき始めていた。
やがて藤田は、まだ誰も描いたことのないような裸婦像を描くために肌の「質」を描き出したいと考えた。目指したのは、全人未踏の手法による「やわらかい、押せばへこむような皮膚」。見たものと触れたものが同じであるように描くために、様々な画家の研究を重ねていた。1910年代には、スゴンザックやモディリアーニ、マティスやヴァン・ドンゲンなど、絵具を何層にも盛り上げ、重厚に塗りあげる手法で描く画家たちが台頭したのに対し、藤田は逆にツルツルとした平たい画面を描くことに挑戦していた。また、大刷毛という大きなブラシで描く作風が流行した際には、日本人としてのアイデンティティから浮世絵師の鈴木春信や、喜多川歌麿などの婦人の肌の描き方も参照し、先の細い真書筆や面相筆を使用した墨による線描を取り入れた。いわば流行の手法の反対側を狙って幾度にも渡る試行錯誤を重ね、そうした努力の甲斐あって藤田が乳白色の透きとおるような肌を描く手法を確立したのは、1921年頃のことだった。
「絵具屋で販売している絵具のごとく既製品は唯々便利だけに止まって寧ろ面白くないのである‥‥自ら絵具をあたり拵えたるごとく、あるいは筆まで自ら工夫するという風であってこそ、初めて良いものを生む事となり、容易に手に入る既成品を買い来ってやるものなら誰人にも出来る事でなければならぬ」と、藤田は自著『腕一本・巴里の横顔』の中で語っている。その言葉通り、“良いものを生”み出すために、画材についても研究を重ねていた。
しかし、藤田が確立させた「乳白色の下地」がどのように描かれていたものなのか、その技法については生前に語ることがなかったため、その乳白色の肌の表現は謎多きものとして伝えられてきた。
ポーラ美術館主任学芸員の内呂博之氏による講演会、
「『乳白色の肌』の質感表現について」が軽井沢安東美術館にて開催
2022年10月、軽井沢に新たに開館した軽井沢安東美術館は、日本で唯一、藤田嗣治の作品だけを展示する美術館として話題を呼んだ。多くの日本企業の再生に携わってきた実業家、安東泰志氏が妻の恵氏とともに、約20年にわたって収集してきたのが藤田嗣治の作品で、その内容は、西洋の画壇で絶賛された乳白色の裸婦像をはじめ、中南米滞在時から戦中戦後の作品、聖母子象、猫、少女、工芸品に至るまで約200点にのぼる。館内では展示室ごとに赤、緑、黄色など異なる壁色が使用されており、天井の形状や照明方法も部屋ごとに変化させている。「私たち夫婦の家にみなさまをお招きしたい、という気持ちで開館した美術館です。くつろいで展示を楽しんでいただくことで、みなさまがそれぞれに心の安寧を得てほしい」と、安東夫妻が開館への思いを語るように、同館はその居心地の良さが魅力のひとつだ。
同美術館にて、2024年6月16日に、ポーラ美術館主任学芸員の内呂博之氏による「『乳白色の肌』の質感表現について」と題した講演会が開催された。この講演の内容は、これまでその技法が謎多きものとされてきた、乳白色による肌の質感を解明しようとする調査研究を元にしたものである。内呂氏は東京藝術大学大学院在学中、所属する研究室の作品調査で藤田嗣治の作品に出合い、その後約30年近くにわたり研究を続けるその道の第一人者だ。
科学的な調査で迫る、「乳白色の肌」の繊細な描き分け方
2008年に実施された東京藝術大学等による研究によって、藤田嗣治の作品では、白色塗料として用いられる炭酸カルシウムを油絵具のシルバーホワイトと混ぜ、オリジナルの配合で画面に塗布していたことがわかっている。カルシウム化合物は、油と混ざると若干黄色くなる傾向にあるため、炭酸カルシウムと油絵具の量を調整して乳白色を作っていた。仕上げには、ベビーパウダーで表面に浮いた油分を取り払っていたそうだ。
通常、油性の絵具を用いた下地の上に水性の墨汁で描く事は出来ないが、ベビーパウダーに含まれる「タルク」という素材が水と油に親和性をもたらし、表面のなめらかな半光沢の画面を生み出すとともに、油性下地に墨汁を使う事を可能にした。これにより藤田は、それまでの西洋絵画にはなかった、平面的ながら感じられる奥行と、独自の肌の質感を表現することに成功したのだ。
2023年には、ポーラ美術館と、東京藝術大学、東京大学、京都大学等が共同で、乳白色の肌が確立された頃に描かれた《ベッドの上の裸婦と犬》(1921年) という作品を科学的に調査している。その際、「蛍光スペクトル解析」という、成分によって異なる発光色(蛍光)を呈する解析方法によって、キャンバス上に用いられた顔料の違いを分析した。それにより、《ベッドの上の裸婦と犬》という一つの作品に用いられている白い顔料にも、青緑の発光が見られる「炭酸カルシウム」、緑の発光が見られる「タルク」、赤の発光が見られる「硫酸バリウム」の3種類が確認され、藤田は人肌の質感を再現するために、意図的に異なる顔料を使い分けていた可能性が高いことがわかった。
さらに、蛍光発光に着目した成分分離によって、ベッドの上に横たわる女性の肌には青色成分(炭酸カルシウム)が、シーツや女性の肌の一部には緑色成分(タルク)が、また唇や肘、足先などには赤色成分(硫酸バリウム)が抽出された。すなわち、女性が伸ばした脚部分、指の腹や足裏など、膨らみのある箇所には共通の顔料を用いるなど、同じ白でも、人体の構造を意識して、「乳白色の肌」を繊細に描き分けていることが推測できた。
ルノワールや黒田清輝など、同時代の他の画家たちの作品でも同様の検証を行ったが、意図的に使い分けて描かれたとは考えにくかったという。つまり、複数の顔料などを用いることによって肌を描きわける表現は、藤田特有のものであったと結論付けられたのだ。
実際に、藤田が、どれだけ明確に蛍光反応を意識して顔料を使い分けていたのかは分からない。しかし、黒田清輝やルノワールとは違い、何度も塗り重ねずに、日本画のようにあらかじめ置く色を決めて描く藤田の手法だからこそ見えてきたものがあるという。
藤田嗣治は、「今日に新しく将来にも新しいまったく個性の発表、独特の今までに存在していなかったもの、さらにこれからも出来得ないようなものを創造し案出し製作する事が吾等の義務であって、生甲斐のある事である。」(前掲書より)と語っているが、このような科学的な研究による解析の結果は、藤田がその志を叶えるために、いかに努力を重ねていたかを物語る。
「乳白色の下地」による裸婦像の発表は、西洋の画壇を席巻し、藤田を一躍、時代の寵児に押し上げたが、その陰に、地道な研究を重ね、弛まぬ努力を続けた藤田の姿が想像される。藤田にとっては、果たした義務の一つであったかもしれないし、生き甲斐であったのかもしれない。その結果、今に至っても藤田の画風は多くの人々を魅了する唯一無二の個性を光らせている。そしてあらたに、科学的な研究成果を踏まえて藤田の作品を鑑賞することで、さらなる魅力を再発見できそうだ。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- 軽井沢安東美術館|Musée Ando à Karuizawa
389-0104 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10
開館時間:10:00〜17:00
休館日:水曜日 ※水曜日が祝日の場合は開館、翌平日が休館となります。