FEATURE

妖しい絵だけじゃない、
“ボーダレス”を体現する異能のすべて。

「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」が
東京ステーションギャラリーにて、2023年8月27日(日)まで開催

内覧会・記者発表会レポート

「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」展示風景(東京ステーションギャラリー)より、甲斐荘の初期の日本画作品群
「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」展示風景(東京ステーションギャラリー)より、甲斐荘の初期の日本画作品群

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構成・文・写真:森聖加

京都の洛中に生まれ、大正時代から昭和にかけて活躍した甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと、1894—1978)。その大規模回顧展「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」が東京ステーションギャラリーで開催中だ。甲斐荘は「あやし」や「デロリ」と評された独特の女性像で広く日本画家として知られるが、本展ではタイトルのとおり、絵画だけに留まらない作家の個性にスポットを当てる。担当学芸員の若山満大氏に話を聞いた。

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「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」
会場:東京ステーションギャラリー
開催期間:2023年7月1日(土)~8月27日(日)

甲斐荘楠音の作家像をアップデートする試み

展示風景より。右が《太夫と禿》。左《遊女》。着物の柄の描き込みにも注目したい
展示風景より。右が《太夫と禿》。左《遊女》。着物の柄の描き込みにも注目したい

「今回の展覧会のコンセプトは、甲斐荘楠音の作家像のアップデートです。甲斐荘は存命中の1960年代から国画創作協会の一員としてすでに検証がはじまり、1997年に京都国立近代美術館で初の回顧展が開かれました。今回は26年ぶりの大規模展。一般に日本画家として知られる彼は、最近も2021年の『あやしい絵展』(東京国立近代美術館)で大変話題になりました。しかし、甲斐荘は画家だけでなく映画人としても活躍し、演劇に通じた趣味人でもあったのです。今までほとんど紹介されてこなかった側面を振り返ることで、彼の表現行為全体がどのように見えてくるのか、つまびらかにする試みです」と東京ステーションギャラリーの若山氏は説明する。

※国画創作協会は官展の審査に反発した京都の若手画家たちが新しい日本画開拓のために興した美術団体

序章「描く人」では、甲斐荘の画業のハイライトとして名作を年代順に紹介している。現存する本画としては最も古く、初々しさ漂う《太夫と禿》(たゆうとかむろ)は18歳(大正元[1912]年)頃の作である。早くから歌舞伎や文楽などの古典芸能に親しんで取材し、遊女や太夫といった京の花街の女性を描いてきた。艶やかさと同時に妖しく、アンダーグランドな魅力さえ放つ多彩な女性像は、甲斐荘が生涯にわたって求め続けたものだ。

日本版「モナ・リザ」が微笑む、代表作《横櫛》2点

右が晩年に手が加えられた《横櫛》(展示は7月30日まで)。右上に画中画として「切られお富」が描かれていた。
右が晩年に手が加えられた《横櫛》(展示は7月30日まで)。右上に画中画として「切られお富」が描かれていた。

彼の代表作かつ、出世作である《横櫛》は、2点が並んで展示されている(前期のみ)。ともに兄嫁をモデルとする。流転の人生を経ながらも、かつての恋人を思い続けたお富が登場する歌舞伎『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』を観劇後の兄嫁が、主人公のお富を真似た姿だ。右の作品は、広島県立美術館が所蔵しており大正7(1918)年の第1回国画創作協会展に出品して入選を果たしたデビュー作である。それより2年前の大正5(1916)年に描かれた《横櫛》は京都国立近代美術館が所蔵するもので、甲斐荘が京都市立絵画専門学校在籍中に描いた作品である。

「描かれた時期は概ね同じなのですが、広島県立美術館の作品は本人が晩年に手を加えていて、当時とは顔の印象が異なります」と若山氏。発表時の姿は作品近くに展示された絵ハガキで知ることができる。一方、当時のままに残る黄色の着物姿の女性は、妖しげな笑みをたたえて、レオナルド・ダヴィンチの『モナ・リザの微笑み』さながら。「甲斐荘は日本画の画学生でしたが、本人も言葉にしているようにミケランジェロ、ダヴィンチが大好きで西洋の画家の模写をしていました。彼の独特の女性の顔立ちや肉体の表現は、イタリア、ルネサンス期の美術から影響を受けています」。ほかにダヴィンチの影響がうかがえる作品には《女人像》や《白百合と女》などがあり、これらも会場で鑑賞できる。

扮装で自ら女になりきり、女の真の内面に肉薄

中央《幻覚 (踊る女)》、力強く踏み出された足の力感と太ももの量感
中央《幻覚 (踊る女)》、力強く踏み出された足の力感と太ももの量感

口元を開きお歯黒を見せて不敵に笑う太夫を描いた《春宵(花びら)》は、強烈なインパクトを放つ作品だ。これに並んで、大きなかんざしを何本も挿し、左手に盃をもった太夫姿の人物の写真が展示されている。それこそが甲斐荘楠音本人である。彼は趣味として、おもに女性に扮装をして写真を撮り残した。「甲斐荘は自分が女性になりきることに加え、現実の女性の身体にも強い関心を抱いていたようで、女性モデルを撮影した写真が多く残されています。彼の回想によれば、経済的な困難を抱えた女性や妊婦が美大生のモデルとして働くことがあったようです。おそらく甲斐荘もそうした人々をモデルにさまざまな姿態を描いていたと思われます」。女性の表面的な美しさだけを描くことをよしとせず、扮装を通じて、真の女の内面にまで肉薄しようとしたのが甲斐荘だった。

太夫に扮する楠音、京都国立近代美術館
太夫に扮する楠音、京都国立近代美術館


並々ならぬ「こだわり」をつぶさに示した、スケッチ群

展示風景より
展示風景より

続く第1章のテーマは「こだわる人」。ここでは、絵画の制作過程を示す、数々のスケッチが完成作と同じ空間に並ぶ。展覧会の準備段階で新たに発見されたスケッチ、スクラップブックも出品されており、作家の試行錯誤の跡を丹念に追い、興味そそられる展示内容だ。

展示風景より。左《スケッチ(椅子に座る女)》、右《スケッチ(女の顔)》と《スケッチ(座る女)》
展示風景より。左《スケッチ(椅子に座る女)》、右《スケッチ(女の顔)》と《スケッチ(座る女)》

「甲斐荘は人物のポーズを細かく変えたり、衣服のヒダやボリュームを微妙に調整したりして、同じモデルのスケッチを何回も続けています。線を少しずつ落とし、単純化を繰り返しながら最終的な一枚に仕上げる。日本画は究極の一本の線ですべてを表すことが求められるので、通常スケッチではハッチング(線影、複数の平行線を書き込むこと)はあまり使わないのですが、彼のスケッチにはそれが多く見られます。西洋的なデッサンを行っていたと言え、日本画に洋画の手法を積極的に取り込んでいたことがここからもわかります」と若山氏。

《春》1929年、メトロポリタン美術館、ニューヨーク Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366/本画のベースとなったと考えられるスケッチの展示も
《春》1929年、メトロポリタン美術館、ニューヨーク Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366/本画のベースとなったと考えられるスケッチの展示も

同じ章には展示の目玉のひとつ、ニューヨーク、メトロポリタン美術館から里帰りした《春》が並ぶ。華やかなピンクとブルーの着物に身を包み、ストローを手にソーダ水を飲んでくつろぐ女性は、溌剌とした気分を画面いっぱいに発散している。「新樹社という絵画団体を立ち上げた甲斐荘が、第一回展に出品した意欲作です。それまでのメランコリックな匂いがする絵から一転し、明らかに写実とは違う装飾的な要素を取り入れて画業の新局面を切り拓こう とした作品です」。画風を変えようと意図的に試みられた探究の足跡をじっくり眺めることで、作家に対する理解がいっそう深まるだろう。

現存するスクラップブックは60冊あまり。ヌード、仏像、力士、ピカソ、三島由紀夫……甲斐荘の好みと美意識を覗き見る楽しみがある
現存するスクラップブックは60冊あまり。ヌード、仏像、力士、ピカソ、三島由紀夫……甲斐荘の好みと美意識を覗き見る楽しみがある


ジェンダーさえも軽々と超えた「演じる人」

展示風景より。《桂川の場へ》大正4(1915)年 
展示風景より。《桂川の場へ》大正4(1915)年 

幼いころから病弱で、「20歳まで生きられるかわからない」とさえ告げられていた甲斐荘。それなら好きなことをしたい、と熱中したのが歌舞伎や文楽など古典芸能の観劇だった。第2章「演じる人」では、彼と演劇の関わりを紹介している。芝居小屋に通い詰めては、舞台上の人物の役柄やポーズ、衣裳を描き留めたスケッチはさすがに細かい。歌舞伎に取材した《桂川の場へ》は劇中の登場人物「お半」に扮した自分自身を描いたもの。歌舞伎の女形が中年の男性でありながら真っ白な化粧をすることで、眉目麗しい女性に変身することの不思議に驚き、感動したのが甲斐荘だった。自らも同じ役に扮装して「演じ」て見せた。

展示風景より。歌舞伎に取材したスケッチ
展示風景より。歌舞伎に取材したスケッチ

甲斐荘の評伝を書いた栗田勇によれば、甲斐荘は幼い頃から父親に女物の着物を着せられて、遊び道具にはおはじきやお手玉を渡されて半ば女の子として育てられたという。また、病気のためにエリートコースを外れ、自己実現の道を断たれ大きな挫折も味わった。「自分の自我を描き直す」、その方法のひとつが女性への扮装であった、と若山氏は続ける。自宅ほか、友人で画家の丸岡比呂史氏の別荘に仲間と集っては扮装し撮影した写真も本章には並ぶ。さらには素人劇団ではあったものの、舞台で女性を演じる実演家でもあった。「甲斐荘の“社会的な自分”と“こうありたいと思う自分”には、若干の乖離があったのでしょう。現代の私たちが少なからず抱えている個人のアイデンティティをめぐる問題に、甲斐荘もまた直面していたのかもしれません。理想の自分と現実のギャップを、彼は女性への変貌によって軽々と飛び越えていたのでしょう」

中央奥が女形を演じる甲斐荘の扮装写真群
中央奥が女形を演じる甲斐荘の扮装写真群


世界も認めた映画界での甲斐荘とは?

『旗本退屈男 謎の幽霊島』衣裳とポスター。殺陣(たて) を前提に動きやすさを考慮して肩口にマチを施す。細部への配慮も怠らない
『旗本退屈男 謎の幽霊島』衣裳とポスター。殺陣(たて) を前提に動きやすさを考慮して肩口にマチを施す。細部への配慮も怠らない

第3章「越境する人」では、甲斐荘の映画人として仕事が披露される。転身は1938年頃、すでに40歳を過ぎていた。甲斐荘が活躍した時代は日本映画界の黄金期であり、おもに衣裳や時代考証家として溝口健二や伊藤大輔、松田定次といった時代劇映画の名監督の仕事を支えた。その数は近年の研究では東映、松竹、大映合わせて約240本あまりにのぼる。

展示では、剣劇映画の傑作『旗本退屈男』シリーズで主演の市川右太衛門が着用した衣裳を中心に、その仕事ぶりが紹介される。京都・太秦の東映京都撮影所が大切に保管してきた衣裳がズラリと並ぶさまは壮観だ。豪華衣裳は当時のチャンバラ映画の売りのひとつであり、「時代劇六大スタア」のひとりで東映の重役でもあった市川は、同シリーズの製作費の大半を自分の衣裳代にあてた。市川右太衛門の絶大な信頼を得た甲斐荘はほぼすべての衣裳をプロデュース、あるいはデザインしたというから驚く。ふんだんに金糸繍を施したもの、京友禅の人間国宝によるものもあり、とにかく絢爛。絵画制作で培った経験やスクラップブックにため込んだ知識がいかんなく発揮されているのだ。

映画『雨月物語』衣裳ほか。右側の壁にはアカデミー賞ノミネート状も展示
映画『雨月物語』衣裳ほか。右側の壁にはアカデミー賞ノミネート状も展示

名匠、溝口健二をして「甲斐荘さんがいてくれると映画の品が良くなる」と言わしめた仕事は、溝口の代表作『雨月物語』(昭和28[1958]年)で世界が認めるところとなる。ベネチア国際映画祭において銀獅子賞を受賞した名作を衣裳面で支え、自身は第28回アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネート。会場にはパリのシネマテーク・フランセーズ収蔵の衣裳が特別に来日し、不朽の仕事を間近に眺めることができる。

異能作家の生涯を総括する、二つの大作

《畜生塚》1915年頃、京都国立近代美術館
《畜生塚》1915年頃、京都国立近代美術館

終章は「数奇な人」で、二点の屛風を展示し甲斐荘の生涯を総括する。いずれも大正4年、画業に取り組み始めたころに着手しながら、生涯にわたり手が加えられ続けた群像作品だ。何人もの裸の女性が顔を覆い、うずくまり、嘆き苦しむ姿が描かれるのは《畜生塚》。「題材は豊臣秀吉が実子誕生により養嗣、秀次を切腹自害させ、側室や女官までもが三条河原で処刑された史実を基にしています。中央の人物の構図はミケランジェロの《バンディーニのピエタ》のようでもあります。作品は彼の死後に実妹の家から発見されたもので、生前は発表されていません。甲斐荘はある程度描き上げた作品の前でポーズをとる自分自身を写真におさめたりしながら、習作を描き続けました」
※ピエタは磔刑にされたキリストの亡骸を抱く聖母マリアの彫刻や絵の事

座る女や手を伸ばす女など、《畜生塚》に関連するスケッチ
座る女や手を伸ばす女など、《畜生塚》に関連するスケッチ

《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館
《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館

一方の《虹の架け橋》は、はじめ七妍(しちけん)というタイトルで7人の太夫を描いた作品。昭和51(1976)年の、亡くなる直前に完成した。「断続的に手を入れながら、最終的に顔は全部洗って落とし、新しく描き直しています。ただ、画家も年を取り、目が悪くなり、手も達者ではなくなるので思ったとおりに描けない。晩年は特に瓜実顔を好んだので全体的にのっぺりとしたテイストに変わっています」。それでも、彼が一生をかけて追い求めた「女」の美、艶やかで、きらびやかなものが全部詰め込まれていると若山氏は指摘する。

映画業界に転身後はほとんど絵を発表しておらず、30年余りのブランクは取り返しがつかないとパトロンに指摘されたとき、甲斐荘の回答は次のようなものだった。――「日本人にそんなドショウ骨の通ったモノがいますかいな」。個人の関心は多岐にわたるのが普通であって、画家一本で、なんて言うのは日本人の気性にそもそも合っていない。だから別に何やってもいいはずだ――そう、誰だって絵も描けば山にも登るし、音楽も聴く。興味の幅は単純ではないだろう。「非常に特異な個性を持った、甲斐荘楠音という人物を味わうのがこの展覧会。彼の趣味やこだわりも含めて今一度全貌を振り返り、その人となりを感じていただけたらと思います」(若山氏)

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東京ステーションギャラリー|TOKYO STATION GALLERY
100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
開館時間:10:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜、年末年始、展示替期間)
本展会期中の休館日:月曜日、7月18日(火)※ただし、7月17日、8月14日、8月21日は開館

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