FEATURE

いわさきちひろが今、私たちに教えてくれること【前編】

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」が
ちひろ美術館・東京にて、2024年6月16日(日)まで開催中

展覧会レポート

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より
plaplax (近森基+小原藍)が制作した水の波紋によるインスタレーション《water pocket》
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より
plaplax (近森基+小原藍)が制作した水の波紋によるインスタレーション《water pocket》

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誰もが一度は、彼女の描いた絵本を読んだことがあるのではないだろうか?時代を超えて愛される絵本画家、いわさきちひろ(1918~1974)の没後50年を記念した展覧会「いわさきちひろ ぼつご 50 ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」が、ちひろ美術館・東京(東京都練馬区)で開催中だ。

展覧会ディレクターは、ちひろの世界にインタラクティブな視点を吹き込む plaplax(近森基+小原藍)。企画協力に、東京大学名誉教授の鷲谷いづみ氏を迎え、現代科学の視点も交えてちひろの絵を読み解いていく。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「いわさきちひろぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」
開催美術館:ちひろ美術館・東京
開催期間:2024年3月1日(金)〜6月16日(日)
「いわさきちひろ ぼつご 50 ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より
「いわさきちひろ ぼつご 50 ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より

ちひろの家のようなあたたかな空間

ちひろ美術館・東京は、いわさきちひろが最後の22年間を過ごした下石神井(東京都練馬区)の自宅兼アトリエ跡にある。1977年に世界で最初の絵本美術館として、ちひろの自宅の一角に誕生した後、2002年に建築家・内藤廣氏の設計によって、旧館の記憶を受け継いで、4つの展示室からなる空間にリニューアルを遂げた。床にアメリカのバーボン工場の廃材を使用するなど、こだわり抜いた素材で作られた空間は、まるでちひろの家を訪れたような親密さと居心地のよさを感じさせる。また、館内には靴をぬいであがる「こどものへや」もあり、子ども向けの絵本やおもちゃも用意されている。子どもが人生で初めて訪れる美術館「ファーストミュージアム」としても安心な設備が整っている。

ちひろ美術館・東京の外観
ちひろ美術館・東京の外観
ちひろ美術館・東京のこどものへや
ちひろ美術館・東京のこどものへや

没後50年を記念した3つの展覧会

ちひろの没後50年を迎える今年、「あそび」「自然」「平和」の3つのテーマの展覧会が東京と安曇野にあるちひろ美術館で、それぞれ3期に分けて開催される。現在、東京では「自然」をテーマにした展覧会が、2024年6月16日(日)まで開催中だ。

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ちひろ美術館・東京
「あれ これ いのち」 会期:2024年3月1日(金)~6月16日(日) 【開催中】
「あ・そ・ぼ」 会期:6月22日(土)~10月6日(日)
「みんな なかまよ」 会期:10月12日(土)~2025年1月31日(金)

安曇野ちひろ美術館
「あ・そ・ぼ」 会期:2024年 3月1日(金)~6月2日(日) 【開催中】
「みんな なかまよ」 会期:6月8日(土)~9月1日(日)
「あれ これ いのち」 会期:9月7日(土)~12月1日(日)

高度成長期真只中の日本で、ちひろは「絵本のなかで、いまの日本から失われたいろいろなやさしさや、美しさを描こうと思っています。それを子どもたちに送るのが生きがいです」と語っている。そこには身近な自然のこともふくまれていたのであろう。季節の風景をみずみずしい感性でとらえて描いている。

本展では、ちひろの自然へのまなざしを通して描かれた草花や生き物に、生態学・保全生態学の専門家である鷲谷いづみ氏の解説が加わることで、絵の中の植物や生物を、図鑑を読んでいるかのように体験することができる。

例えば本展で展示中の下記、《春の花とこぎつね》には、キツネの右側にネコヤナギの木、左側にキブシの花のほか、ハルリンドウ、スミレ、タンポポ、つくしなどが、彩り豊かに描かれている。鷲谷氏によると50年以上前に、武蔵野の田園で見ることができた在来の野生の花たちで、今では絶滅した植物も多いという。

いわさきちひろ 春の花とこぎつね 1964年
いわさきちひろ 春の花とこぎつね 1964年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あれ これ いのち」展示風景より
 春の花とこぎつね  1964年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より
春の花とこぎつね 1964年

自然との共生

緑色を背景に、わらびを手にまっすぐこちらを見つめている少女の絵は、『あかまんまとうげ』(1972年 童心社)の表紙に描かれている。山に住む祖父母の家へ行くことになった孫のかずこは、わらびを取りに行くことになったものの、町育ちの彼女は、最初はどれがわらびなのかもわからない。しかし、おばあさんといっしょにつむうちに、上手に見つけられるようになっていく。

いわさきちひろ わらびを持つ少女『あかまんとうげ』(童心社)より 1972年
いわさきちひろ わらびを持つ少女『あかまんとうげ』(童心社)より 1972年

現在、東京で開催中の「あれ これ いのち」展では、生物多様性条約の世界目標でもある、「自然との共生」をテーマに掲げている。ちひろが東京・下石神井で暮らし、絵を描いていた50年以上前、高度成長期の日本では、開発の名のもと、野や森は人工林や工場用地などに変えられ、川や水辺はコンクリートで固められ、それまで見られた草花や生きものが減っていった。ちひろが亡くなってから50年が経ったいまも、多くの生きものが日々地球から消えつつある。

人間以外のいろいろな「いのち」となかよく生きるにはどうしたらよいかーー。その「問い」の種を心に撒いておくと、ちひろの絵が、より多くのことを語りかけてきてくれるのかもしれない。

ちひろ美術館・東京の中庭に、在来の植物を植えた、小さな「共生の庭」がある。
ちひろ美術館・東京の中庭に、在来の植物を植えた、小さな「共生の庭」がある。

ちひろ美術館・東京の中庭では、人と自然の共生を思い出し、取り戻すために「共生の庭」として、ふきやわらびやサクラソウなど、昔からわたしたちの身近にあった、在来の植物を植え、育てている。現在は、ふきの若葉が広がっており、まるで絵本『あかまんまとうげ』に描かれた一場面のように、地面を覆うように薄緑色の若葉が広がっている。ぜひ「共生の庭」の小さな命の輝きものぞいてみてはいかがだろうか。

いわさきちひろ ふきの若葉『あかまんまとうげ』(童心社)より  1972年
いわさきちひろ ふきの若葉『あかまんまとうげ』(童心社)より 1972年

ちひろが愛した紫のひみつ

また、ちひろが好んだ紫をテーマにした部屋もある。透明水彩を描くことが多かったちひろは、青紫から赤紫までの幅広い色相や、濃淡の微妙な階調を使い、少女の衣類や花、描く人の感情を表す背景などを豊かに表現している。

いわさきちひろ  ぶどうを持つ少女   1973年
いわさきちひろ ぶどうを持つ少女 1973年

紫色は生態系において、植物が動物と共生関係を結ぶために進化させた花や、熟した果実の色でもある。それは生態学的にも、人間を含む動物が共通して好んだ色だったのだ。植物と動物の関係を支える共生の色「紫」に、生態学と美術、双方の視点からその秘密に迫る展示は、感性と知性のどちらにおいても楽しめるものとなっている。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」 展示風景より
むらさきをテーマにした展示室「あれ これ むらさき」
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」 展示風景より
むらさきをテーマにした展示室「あれ これ むらさき」
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」 展示風景より
むらさきをテーマにした展示室「あれ これ むらさき」
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」 展示風景より
むらさきをテーマにした展示室「あれ これ むらさき」

ちひろの世界と繋がるインタラクティブ作品

本展でもう一つ特徴的なのが、アートユニット、plaplax(プラプラックス)の近森基+小原藍によるオリジナル作品だ。plaplaxはこれまでも「いわさきちひろ生誕100年 Life展」や「みんなのレオ・レオーニ展」など、絵本関連の展覧会において物語の世界観を理解し、より多くの人を巻き込む体験型のインスタレーションを発表してきた。本展では目の前のものをありのままに捉える科学の目を通してみることを目指し、展示構成・空間演出・インスタレーションの企画制作を手がけている。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あれ これ いのち」展示風景より

例えば、画面に触れて線を描くと、それに反応するようにちひろの描いた小さな生き物たちが出現する作品。鳥は歌い、トンボは飛び立ち、カエルはゲコゲコと鳴く。見て、触れて、遊ぶことで、ちひろの絵の魅力を再発見することができる。

絵を描くことによる社会運動

ちひろの絵のやさしいタッチから、ほんわかとした優しい女性を想像する人も少なくないのではないか。しかし、彼女は戦争と家制度に翻弄され、厳しい人生を歩んでいた。ちひろは人生で2度結婚をしているが、最初の結婚は20歳で家を継ぐために、意に沿わぬ形ですることになった結婚だった。どうしても相手を好きになれなかったちひろの結婚生活は、夫の自死という悲惨な形で幕を閉じる。

31歳の時、当時弁護士見習いで、後に衆議院議員となった松本善明と再婚した際には「お互いの立場を尊重し、特に藝術家としての妻の立場を尊重すること」という誓約書を交わしている。女性が家庭を持ちながら自立して働くことがまだ一般的でない時代、このような決意表明をするのは相当強い意志が必要であろう。どんな状況でも自分を奮い立たせ、絵を通じて自分の思いを伝えようとしていた。新しい道を切り開いていくちひろのそんな姿勢は、現代を生きる私たちに勇気を与えてくれる。

ちひろのアトリエ(常設)
1972年頃の様子を復元
ちひろのアトリエ(常設)
1972年頃の様子を復元

戦争への反対と未来への願いを込めて

世界では今もなお悲惨な戦争が続き、罪のない人々の命が失われ続けている。青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこども みんなに 平和としあわせを」ということばを残している。娘時代を戦時下に過ごしたちひろは、子どもたちの夢や希望、生命をも奪う、戦争の悲惨な現実を目の当たりにし、戦争では一番弱いものが犠牲になることを痛感したという。

広島で被爆した子どもたちがつづった詩や作文に、ちひろが絵をつけた絵本『わたしがちいさかったときに』(1967年 童心社)や、ベトナム戦争のさなか、アメリカ軍によるベトナム全土への無差別爆撃が繰り返される中で出版された『母さんはおるす』(1972年 原作:グェン・ティ 新日本出版社)、ベトナム戦争が激化していくなかで手がけた絵本『戦火のなかの子どもたち』(1974年 岩崎書店)などは、「戦争」をテーマにしながらも、戦争の悲惨さや残虐さを直接表現した絵ではなく、そのなかで生きる子どもの懸命な姿や、未来を失い絶望した表情を描いていた。そこには、かけがえのない命や平和の大切さ、それを守りたいというちひろの、切実な思いがあったという。

ちひろの作品には常に戦争への反省と未来への願いが込められ、ちひろが描いた子どもや花は、今も命の輝きや、平和の大切さを語り続けている。もし今ちひろが生きていたら、この時代にどんな絵を描くだろうか。

ちひろ美術館・東京
「あれ これ いのち」 会期:2024年3月1日(金)~6月16日(日) 【開催中】
「あ・そ・ぼ」 会期:6月22日(土)~10月6日(日)
「みんな なかまよ」 会期:10月12日(土)~2025年1月31日(金)

安曇野ちひろ美術館
「あ・そ・ぼ」 会期:2024年 3月1日(金)~6月2日(日) 【開催中】
「みんな なかまよ」 会期:6月8日(土)~9月1日(日)
「あれ これ いのち」 会期:9月7日(土)~12月1日(日)

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ」特設サイト
https://chihiro.jp/2024kodomo/
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
ちひろ美術館・東京|Chihiro Art Museum
177-0042 東京都練馬区下石神井4-7-2
開館時間:10:00〜17:00
定休日:月曜日 ※祝休日は開館、翌平日休館

いわさきちひろが今、私たちに教えてくれること 【後編】(安曇野ちひろ美術館)に続きます。>>

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