日本の美術館初のブランクーシの展覧会
究極の形を追求した作家の軌跡をたどる
「ブランクーシ 本質を象る」が、アーティゾン美術館にて、2024年7月7日(日) まで開催中
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20世紀を代表する彫刻家のひとり、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)。鳥をモチーフにした抽象度の高いフォルムのブロンズ作品などで人気を博し、国内でも様々な美術館で彼の作品を観ることができる。しかし、意外なことに日本の美術館ではその創作活動を展観する大規模な展覧会は、これまで開催されてこなかった。
アーティゾン美術館で開幕した「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展は、まさに日本の美術館で初となるブランクーシ展となり、初期の彫刻作品から、《空間の鳥》に代表される、モチーフを極限まで抽象化した1920年代の作品が集結する。
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- 「ブランクーシ 本質を象る」
開催美術館:アーティゾン美術館
開催期間:2024年3月30日(土)〜7月7日(日)
本質を象る―ブランクーシ芸術の神髄
展覧会タイトルの「本質を象る」は、ブランクーシの彫刻をもっとも端的に表した言葉だろう。本展に展示される《雄鶏》や《空間の鳥》はその代表的な作品のひとつだ。
《雄鶏》では、鶏の背に当たる部分の斜め上方向に向かうシャープな稜線と、胸側の単純なギザギザになった形の対比によって、天に向かって喉を震わせ鳴く鶏の雄々しい姿が想起される。一方の《空間の鳥》は、タイトルがなければ生き物をモチーフにしているとは考えつかないほど、抽象的な造形だ。この形は、ブランクーシがパリで開催された航空機博覧会で見たプロペラに機能美を見出したことに起因する。鳥の「飛ぶ」という本質を表現するべく、単純な形に収れんさせつつも、今まさに宙へと飛翔していかんとするエネルギーを感じさせることに成功している。
ブランクーシのこうした象徴性の高い作品は、いずれもタイトルを見なければ何をモチーフにしているかすぐには分からない。しかし、一度知ってしまえば不思議と「それにしか見えない」。それは、その単純な造形の中に本質が凝縮されているからだろう。
そんなブランクーシの芸術世界を、まずは先入観なく観てほしいという思いから、本展では会場内のキャプションはほとんどない。作品のタイトルや解説は、会場で配布されている目録や、QRコードを読み取って確認することができるが、まずは作品の“形”や“質感”に向き合い、鑑賞者それぞれがイメージの翼を羽ばたかせてほしい。
初期作品からみる“ブランクーシ”ができるまで
本稿では、ブランクーシの創作活動の内でも特に初期作品に注目したい。そこからは要素を極限までそぎ落とし、対象の“本質”を捉えた究極の造形を追求する、ブランクーシの制作スタイルが確立されるまでの軌跡が如実に表れている。
ルーマニアに生まれたブランクーシは、小学校に行かず樽制作の職人見習いとして働き始め、10代の頃は様々な工房で働きながら、工芸美術学校に通っていた。1904年にパリに移り、翌年に国立美術学校に入学、彫刻家アントナン・メルシエのアトリエに入り、本格的に彫刻を学び始める。
《プライド》は、その1905年に制作された作品で、写実的な女性の頭部像は、ブランクーシがアカデミックな教育に基づいて制作していたことがうかがえる。しかし2年後には国立美術学校を離れ、当時の彫刻界の権威であったオーギュスト・ロダンのアトリエに下彫り工として働き始める。
ただ、このロダンのアトリエも1ヶ月ほどで辞めてしまう。《苦しみ》は、その1907年に制作された作品だが、身をよじる少年の姿が現されているが、曖昧な表情や、頭部から肩にかけての滑るようになだらかな表面には、写実性から離れ、新しい表現を追求しようとするブランクーシの芸術性の萌芽が見て取れる。
ブランクーシの芸術性を決定づける初期の傑作《接吻》
そして、ブランクーシは「直彫り」の手法へと行きつく。アーティゾン美術館所蔵の《接吻》は、主題、技法においてもその後の作風を決定づける重要な作品だ。それまで単身像を制作していたブランクーシだが、ここで抱き合い口づけを交わす男女の姿に取り組んでいる。この作品は石の作品をもとに、石膏で制作されたものだ。単純な彫りで表された2人の姿は、石膏の質感と相まってプリミティブで親密さに溢れている。作家は後に「素材が主題に合わせるのではなく、主題を素材に従わせる」という言葉を残しているが、この頃からそうした制作態度が確立されつつある。
やがて、《眠れるミューズ》をはじめとする頭部の作品に取り組む。これらの作品の画期的な点は、“台座の消失”だ。まるで無造作にゴロンと放置されたように置かれた頭部の作品は、“台座の上に垂直に置くもの”という、彫刻作品の概念を覆す。
また、これら頭部の表現にはアフリカの彫刻やマスクからの影響が指摘されている。額から鼻筋を強調する曲線は、“人の顔“であることを示す最小限の表現と言えるだろう。そして、その抽象度の高さゆえに時代の移ろいにも動じない普遍的な美を獲得している。
彫刻と写真の蜜月―作家が撮影した数々の写真
展覧会の会場に入ると、彫刻作品だけでなく、写真も多く展示されていることに気が付くだろう。実は、ブランクーシの芸術を知る上で彫刻と同等に重要になるのが、「写真」だ。他人が撮影した写真では自分の作品を正しく写していないと感じたブランクーシは、自分で自作の写真を撮るようになる。それはセルフプロデュースの範囲からさらに踏み込み、次第に作品を再解釈するためのアプローチとして制作活動に不可欠となっていった。ブランクーシは、平面と立体の空間を行き来しながら、自身の作品との対話を繰り返すことで、究極の形を追い求めたのだ。
また、ブランクーシはカメラだけでなく動画にも関心を持っていた。会場ではブランクーシが撮影したものや、アトリエでの様子を記録したフィルム映像を見ることができる。中でも興味深かったのは、アトリエを訪問した女性たちを撮影したものだ。砕けた表情でカメラの前に立つ女性たちからは作家との親しい間柄がにじみ出ているが、時折彼女たちが首をゆっくりと回転させるシーンがいくつかあり、女性たちの“本質”を探ろうとする作家の眼差しが感じられる。
ブランクーシ芸術の殿堂「アトリエ」を再現
ブランクーシのアトリエをイメージした一室は、床も壁も真っ白な空間の中央に、彫刻作品が鎮座している。これは実際のアトリエが、壁から、作家の服、飼っていた犬までも、“何もかもが白かった”という記録に基づいている。作品が置かれている様々な形の台座も、実際のアトリエを写した写真を見れば、同様の形の台座がいくつも写っているのが確認できる。
ブランクーシのアトリエは、「制作の場」というだけにとどまらない。生前ほとんど個展を開かなかったブランクーシにとって、アトリエは創造の場であり、作品の展示の場でもあった。実際パリでブランクーシの作品を観るにはアトリエに行くほかなかったようで、アトリエには多くの客が来訪した。
展示室では、実際のアトリエの大きな天窓からの光をイメージして、特別な照明パネルが部屋全体を優しく照らす。この照明は、1日の時間の太陽の照度と同期されており、時間が変われば光の強さも変わる設計となっている。本展やコレクション展を観終わった後、もう一度この部屋に戻ってみれば、きっと作品たちが違う表情で再訪を出迎えてくれるだろう。
モディリアーニ、デュシャン、イサム・ノグチ…同時代の作家との共演
ブランクーシは、アメデオ・ディリアーニ、マルセル・デュシャン、マン・レイといった20世紀の芸術運動を牽引するアーティストたちとも積極的に交流していた。本展では、そうしたブランクーシの交友関係や同時代の作家の作品も展示されている。
例えば、単純な線とアーモンド形の眼が特徴の肖像画で知られるモディリアーニにとって、ブランクーシとの出会いは、その後の様式を決定づけるほど重要なものであった。展示の《若い農夫》の単純化された目や鼻の表現は、ブランクーシの頭部像と同じ志向であることが一目瞭然だろう。
写真家のマン・レイは、ブランクーシの写真の指南役として様々なアドバイスをしていた。一方、デュシャンはブランクーシのアメリカでのプロモーションに多大な貢献を果たした。それはコレクターへの斡旋に始まり、個展のキュレーション、時には展示作業やカタログの英訳チェックまで行ったというほどであったから、芸術家としての同志であると共に、アーティストとキュレーターに近い関係とも言える。デュシャンはブランクーシの彫刻を撮影した写真を、自身の作品に組み込んだが、それもまた一種のプロモーションと言えるだろう。
また、《AKARI》シリーズなどで知られる彫刻家イサム・ノグチは、20代の頃にブランクーシのアトリエで数ヶ月間働いていたことがある。それまで粘土の塑像制作しか学んでこなかったノグチにとって、ブランクーシの直彫り制作は新鮮であった。実際アトリエから離れた後、ノグチはブランクーシの影響が色濃く感じられる作品も制作しており、素材の特性を活かした制作は、師ブランクーシと共通している。本展ではイサム・ノグチの晩年期に制作された《魚の顔 No. 2》と、ブランクーシの《魚》が並んで展示されており、時を超えた師弟共演が実現している。
石橋財団コレクション選では美術館が誇る巨匠たちの彫刻作品が集結
「ブランクーシ展」と同時開催の石橋財団コレクション選(5階 展示室)では、アーティゾン美術館所蔵の彫刻作品から選りすぐりの作品が集結している。若きブランクーシが1ヶ月だけアトリエで働いたロダンの作品から、エドガー・ドガ、ジャコメッティなど巨匠たちの彫刻作品を一望できる贅沢な展示となっている。ぜひ「ブランクーシ展」を堪能した後は、巨匠たちの競演をお楽しみいただき、その造形の違いを味わいたい。
また、日本近代を代表する彫刻家、清水多嘉示(しみずたかし1897-1981)の 特集コーナー展示(4階 展示室)も開催している。はじめ画家を志して留学した先のフランス・パリでブールデルの作品と出会い、彫刻に目覚めた一方で、絵画制作も続け、日本人としてはじめてサロン・ドートンヌに絵画と彫刻が同時入選を果たすなど成功を収めている。17点の新収蔵を中心とした、清水多嘉示の彫刻と絵画作品もお見逃しなく。
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- 石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示
開催美術館:アーティゾン美術館
開催期間:2024年3月30日(土)〜7月7日(日)