FEATURE

写実的な人体表現を祈りの対象に高めた天才仏師、運慶
半蔵門ミュージアム館長 山本勉氏《大日如来坐像》を語る

インタビュー

(左)《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定されている金剛界大日如来像
(右)半蔵門ミュージアム 地下展示室「祈りの世界」
(左)《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定されている金剛界大日如来像
(右)半蔵門ミュージアム 地下展示室「祈りの世界」

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構成・文:森聖加

半蔵門ミュージアム所蔵の重要文化財《大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう》は天才仏師・運慶の作と推定され、同館は東京で唯一、運慶作の仏像を、いつでも入館無料で鑑賞できる貴重な美術館だ。現在、3代目館長を務めるのが同像の発見、調査、研究に尽力し、運慶仏である可能性が高いことを見出した運慶研究の第一人者、山本勉氏である。氏と《大日如来坐像》とのつながり、運慶の魅力などお話を伺った。

半蔵門ミュージアム館長 山本勉氏(著者撮影)
半蔵門ミュージアム館長 山本勉氏(著者撮影)

プロフィール

東京藝術大学美術学部卒業後、同大学院博士後期課程を中退。専門は日本彫刻史。東京国立博物館勤務を経て、清泉女子大学文学部教授に着任。現在は同大学名誉教授、東京国立博物館名誉館員。2022年、半蔵門ミュージアム3代目館長に就任、鎌倉国宝館長も兼務する。主な著書に『運慶大全』(監修、小学館)、『完本仏像のひみつ』(朝日出版社)などがある。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
半蔵門ミュージアム|Hanzomon Museum
102-0082 東京都千代田区一番町25
開館時間:10:00〜17:30(最終入館時間 17:00)
定休日:月曜日・火曜日 年末年始

運慶作 3体の大日如来像がつなぐ、縁

運慶は平安時代末期から鎌倉時代前期に活躍し、躍動感あるリアルな肉体と質感の表現を極めた仏師として、日本でもっともよく知られる。現在、日本で確認される運慶作の(あるいはその可能性が高い)仏像は31体あり、うち1体が半蔵門ミュージアム所蔵の重要文化財《大日如来坐像》だ。

《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定されている金剛界大日如来像
《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定されている金剛界大日如来像

《大日如来坐像》は実は2003年に存在が明らかとなり、当時、個人が所蔵していた像を初調査したのが山本勉氏である。「像の写真を初めて見たのが2003年7月です。所蔵者から送られてきた写真2枚には、普通の日本間の襖の前に像が置かれて写っていました。私がそれ以前に調べて運慶作だと発表した栃木県足利市・光得寺(こうとくじ)の《大日如来坐像》がありますが、襖のおかげでその倍ぐらいの大きさだと分かった。足利の像にそっくりなものが何であるんだ、とびっくりしたのです」

光得寺《大日如来坐像》は山本氏が調査し、1988年に作者を運慶として発表した厨子入りの高さ31.3cmの像。足利市のある学生からの問い合わせで調査を開始したものだった。それは同市鑁阿寺(ばんなじ)の奥の院として機能した樺崎寺(かばさきでら)の由来を伝える『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第(ばんなじかばさきえんぎならびにぶつじしだい)』により足利義兼(あしかがよしかね / ?~1199)発願の像だと裏付けられたが、縁起には義兼発願のもうひとつの大日如来像の存在が記されていた。「縁起には樺崎の寺の下御堂(しものみどう)に三尺皆金色(さんじゃくかいこんじき)の金剛界大日如来坐像があり、厨子に建久四(1193)年の願文(がんもん)があると書いてありました。その時は、像の実在を知りません。それが15年経って私の前に現れたのです」

一般に木造坐像では本体を軽くするために中をくり抜くので、像の下から頭の中までを覗くことができる。一方、山本氏の前に現れた大日如来像は底が密閉されていた。「上げ底式内刳り(あげぞこしきうちぐり)」と呼ばれるこの造りは運慶が考案したもので、光得寺の大日如来像とも共通する。「作風や構造技法から建久四年のものと考えました。さらにⅩ線を撮ると、光得寺の像の前段階の特徴を示していた。私は学生時代に運慶が初めて制作した奈良・円成寺(えんじょうじ)の大日如来像を見て、運慶とその仏像について学ぼうと思いました。嘘のような話ですが、私は人生で2回、3回と運慶、その大日如来像との出会いがあったのです」

《大日如来坐像》と同じ「祈りの空間」に並ぶ《不動明王坐像》平安時代 12世紀 真如苑真澄寺蔵
《大日如来坐像》と同じ「祈りの空間」に並ぶ《不動明王坐像》平安時代 12世紀 真如苑真澄寺蔵

半蔵門ミュージアム 《大日如来坐像》の意義と価値

山本氏は運慶の魅力を次のように語る。「運慶は写実的に人体を捉え、写実的に捉えたその人体を非常に美しいものに高めました。さらに写実的な人体が祈りの対象になるように制作しています。非常に優れた宗教芸術家としての力をもった仏師です」

例えば、山本氏が最初に惹かれた円成寺の大日如来像は座った状態で足の裏が見える。それは氏が日本一美しい足裏と称えるものだ。「人間が座ると当然、足の裏には肉付き、ふくらみがあって、指も裏が丸くふくらんでいます。運慶は人間の体の各部が動きによりどんな風に変化するのか、変化した身体の肉付き、各部分がどのような状態で一番美しく見えるかをとことん理解した彫刻家です。運慶の記憶は今風に言えば動画的な記憶でした。自分の頭の中で自由に人体を動かすことができ、一番美しい瞬間を切り取って再現できたのです」

地下展示室 常設展示「祈りの世界」
地下展示室 常設展示「祈りの世界」

半蔵門ミュージアム蔵の《大日如来坐像》も写真を初めて見たとき、足裏が見えるカットがあったがゆえに驚いたそうだ。ぷっくりとしたその足裏も美しい。加えて、「円成寺の坐像では衣文線(えもんせん※)は足の形と平行に走るのですが、光得寺と当館の像だけは下から立ち上がった縦の衣文線です。これは絵画の表現では一般的であるものの、彫刻では採用されなかった。運慶はその衣文線を使い、膝の丸みを巧みに表現しています。衣の中の肉体を表現するために縦の衣文線を借用したのです。同時代のほかの仏師はその理由がわかっておらず、真似をしている物もほとんどありません」
※衣のひだが描く線

《大日如来坐像》が胸の前で左手の人差し指を立て、その指を右手で包み込む形は智拳印(ちけんいん)と呼ばれ、金剛界大日如来特有の印相だ。平安時代後期、仏像は立体ながらなるべく立体に見えないよう、腹の前で手を組む平面的なスタイルが流行った。運慶はそれを否定するように、この時期、手を上げる姿を選んでいるという。「運慶は胸の前に手を上げる人体をテーマにしていた可能性があります。手を上げることで、像周辺に広い空間が生まれますから」

360度ぐるりと鑑賞できる《大日如来坐像》。広がりある空間構成も体感したい
360度ぐるりと鑑賞できる《大日如来坐像》。広がりある空間構成も体感したい

山本氏と不思議な縁で結ばれた三体の大日如来像。「同じ尊格で制作時期が異なる三体が運慶作であるとすると、彼の若い時代から30代、40代と造形の変化がよくわかります。また、幸い光得寺と当館の像は一度も解体修理を受けておらず、像の中身がすべて残っています。内刳りをし、底板を作って真ん中に塔を立て、その塔に結びつくように心月輪(しんがちりん)という仏像の魂を納める。上げ底式内刳りの目的はこの空間をつくるためだとX線写真からわかりました。この発見は貴重です。今、我々がX線で見ている映像が運慶の頭の中にはあったのでしょう。像は運慶にとどまらず、日本の仏像の歴史にとって非常に大きな内容を含んでいる造形なのです」

《大日如来坐像》 像内納入品原寸模型
協力:文化庁(ボアスコープ撮影)、東京国立博物館(X線断層撮影)
《大日如来坐像》 像内納入品原寸模型
協力:文化庁(ボアスコープ撮影)、東京国立博物館(X線断層撮影)

運慶は神奈川県浄楽寺の1189年の坐像で、初めて上げ底式内刳りの技法を採用。研究者の一部には古代の彫刻を真似て頑丈なつくりを施したという意見もあったが、山本氏の恩師で半蔵門ミュージアム初代館長、水野敬三郎氏は早い時期から納入品のためであると指摘していた。「科学的調査に基づき作成した像内納入品の原寸模型を2023年11月22日から公開いたします。ぜひともじっくりご覧になっていただきたいと思います」

800年遠忌記念講演会 「運慶の晩年と死をめぐって」

2023年の今年は、運慶が亡くなって800年の遠忌(おんき)の年にあたる。半蔵門ミュージアムでは山本館長による遠忌記念講演会「運慶の晩年と死をめぐって」を12月に開催する予定だ。

シアターでは『大日如来坐像と運慶 祈りと美、そしてかたち』、『ガンダーラの仏教美術 
~釈尊の生涯を辿る~』、『曼荼羅 描かれた密教世界』の3本の映像を公開
シアターでは『大日如来坐像と運慶 祈りと美、そしてかたち』、『ガンダーラの仏教美術
~釈尊の生涯を辿る~』、『曼荼羅 描かれた密教世界』の3本の映像を公開

「運慶は、後白河法皇という特異な個性をもった人が治政のトップにいる時代、しかも奈良の東大寺が焼かれ、鎌倉に新政権ができる世の中の大きな変わり目に居合わせました。後白河は京都の伝統的仏師だけでなく、新しい仏師グループを面白がって運慶や父、康慶も取り立てた。そして運慶はこれまで鎌倉幕府との強いつながりばかりが強調されてきましたが、後鳥羽上皇時代の京都ともつながりがあったのではと最近は思うのです。拠点とした奈良、京都という二つの仏像の都の歴史が運慶のなかに体現できて、鎌倉という新しい都の新しい文化も背負った。当時の中国における仏のありようを表現するにも三つの都市のフィルターを通してできた。それは運慶だけではなく父とともに試行錯誤して進めたのでしょう。運慶はあらゆる意味で幸運な人なのです」

《ガンダーラ仏伝浮彫 初転法輪》 常設展示「ガンダーラの仏教美術」のエリアでは、
2~3 世紀ごろにつくられたガンダーラ仏伝浮彫を複数展示
《ガンダーラ仏伝浮彫 初転法輪》 常設展示「ガンダーラの仏教美術」のエリアでは、
2~3 世紀ごろにつくられたガンダーラ仏伝浮彫を複数展示

半蔵門ミュージアムで興味深いのは、遥かガンダーラに端を発する仏像の歴史が地下1階の常設展示で確かめることができることだ。
「当館で、仏教の信仰対象である仏像を日本人がいかに日本の造形としてつかみえたか。その熟成の上に運慶がいるということを感じていただけたらと思います」

半蔵門ミュージアム外観
半蔵門ミュージアム外観

尚、2023年11月22日(水)からは、「初公開の仏教美術 ―如意輪観音菩薩像・二童子像をむかえて―」の開催が予定されている。地下展示室「祈りの世界」に、京都醍醐寺伝来の平安仏2件が加わった展示となる。重要文化財《大日如来坐像》は、こちらで展示されているほか、大日如来坐像の像内納入品について、その原寸模型がお披露目される。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「初公開の仏教美術 ―如意輪観音菩薩像・二童子像をむかえて―」
開催美術館:半蔵門ミュージアム
開催期間:2023年11月22日(水)〜2024年4月14日(日)

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