FEATURE

北欧フィンランド建築の巨匠
『アアルト』の愛すべき人間性を掘り下げる

ドキュメンタリー映画『アアルト』が2023年10月13日より本邦公開

映画レポート・映画評

映画レポート・映画評 一覧に戻るFEATURE一覧に戻る

構成・文 澁谷政治

北欧デザインを語る際に欠かせないフィンランドの建築家・デザイナーであるアルヴァとその妻アイノ、そして二人を取り巻く人々との記録を追ったドキュメンタリー映画『アアルト』が2023年10月13日より全国公開される。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 映画レポート・映画評
映画『アアルト』
監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari) 
2020年/フィンランド/103分/(C)Aalto Family (C)FI 2020 - Euphoria Film  
2023年10月13日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、UPLINK吉祥寺、
10月28日より東京都写真美術館ホール ほか全国順次公開!

はじめに一点述べておくと、日本ではアルファベット表記(Aalto)に倣った「アアルト」という表記が一般的になっているが、筆者は学生時代、北欧建築史の研究家である故伊藤大介教授より、発音による表記「アールト」が適切との指導を受けていた。今回の映画のタイトルである「アアルト」の表記に批判の意図は全くないが、本稿では個人的に慣れ親しんだ「アルヴァ・アールト」の表記とさせていただくことをご容赦願いたい。

アルヴァ・アールト(Alvar Aalto 1898-1976)。北欧・フィンランドが誇る建築家で、ナショナリズムに高揚する戦後フィンランドを、デザイン大国として世界に認識させたデザイナーの一人としても広く名が知られる。映画でも、自然の光や素材を意識した多数のアールト建築が紹介される。フィンランド南西部にある「パイミオのサナトリウム」、アールト夫妻の自邸「アールト・ハウス」、フランスの画商の個人邸宅「ルイ・カレ邸」、アメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生寮「ベイカーハウス」など、現代においても愛され続ける普遍的なデザインは、見ていて飽きがこない。また、日本では建築物よりも、インテリア家具「アルテック」(Artek)のシンプルで実用的な椅子「スツール60」や、ガラスメーカー「イッタラ」(iittala)の曲線が美しい花瓶「サヴォイ・ベース(アールト・ベース)」などの方がより身近かも知れない。しかし、明るく社交的で野心に富み、浮気性とも言われたアールト自身の人となりについて知る人は少ないだろう。映画では、アールト作品の背後にある彼自身の人生を浮き彫りにしていく。

幼少の頃、アールト建築であるロヴァニエミの図書館で過ごしていたという本映画の監督ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari 1967-)は、「共感と官能を呼び覚ます建築家」とも評されるアールトが作り上げた、人々の日常に刻まれる空間をこの映画でも描きたいと考えていたという。映画では、ロシアの「ヴィープリの図書館」にて、子供たちが階段で木製の手すりの窪みについ楽しそうに手を入れながら歩く姿から、「手触り」を大切にした空間づくりというアールト建築の特徴が思い起こさせられる。この子供たちもきっと、友人と歩いた階段の手すりの柔らかな木の温もりを、幼少の日常として記憶していくに違いない。

アルヴァと公私をともに過ごしたパートナー、アイノ・アールト(Aino Aalto 1894-1949)との手紙のやり取りもこの映画の魅力である。シンプルで機能的、自然で温かなイメージの北欧デザインを確立した夫妻だが、映画では意外にも感情をぶつけ合う二人の姿が浮かび上がる。当時、フランスで活躍したル・コルビュジエなど先鋭的な建築家らとの交流を図る場であった近代建築国際会議(CIAM)。アルヴァは積極的にこうした会議に参加していた。しかし、手紙では、出張の帰りが遅い夫に怒りを滲ませるアイノ、それに対しアイノにも不貞を唆して茶化す剽軽なアルヴァとのやり取りも綴られる。男性にも女性にも好かれ人気者だったアルヴァと、古い伝統から近代国家へと変遷する時代において、堅実に家庭と仕事を両立させた才能溢れるアイノの、人間らしく愛情豊かな夫妻の日常が想像できる。

アイノは、「アルヴァを支えた女性」との立場で注目されやすいが、フィンランドの自然環境を生かしつつ、シンプルで実用的な北欧デザインを確立させた名デザイナーの一人でもある。ラインの重なりが美しい「イッタラ」のロングセラーグラス「ボルゲブリック」(スウェーデン語で波紋の意)は、今なお世界中で愛用される彼女のデザイン作品である。しかし、彼女への評価は必ずしも一定ではなかった。アルヴァ自身はアイノとの協働、そして彼女の功績を公言していたが、当時はアルヴァの活躍に対しアイノの存在を重視しない批評家も多くいたという。しかし、近年は彼女自身のデザイン活動、建築家、コミュニティプランナーとしての成果が評価され、デザインを通して社会貢献をしていくビジョンに二人が共鳴し合い、ともに補完し合って現代に伝わる作品を作り上げて来たことが広く認識されている。

1949年、アイノは癌により54歳の若さで他界する。映画でも紹介されるアルヴァが描いたデッサン「臨終のアイノ」。亡くなった妻の姿を優しくなぞるタッチが、静かな悲しみとともに、信頼し合う二人の関係を物語っている。アルヴァは、アイノの死後に出会ったデザイナー、エリッサ(Elissa Aalto 1922-1994)を二人目の妻に迎え、エリッサ自身もテキスタイルデザインなどで活躍しながら、アールト作品の管理にも貢献した。エリッサも前妻アイノをデザイナーとして尊敬しており、自邸アールト・ハウスにあるグランドピアノには、アイノの死後も変わらず彼女の写真がひっそりと飾られていたという。ただし、1930年代結婚初期にアイノがデザインした彼らのサマーハウス「ヴィラ・フローラ」には、彼女の死後アルヴァが訪れることは一度もなかった。映画でも若いアイノとアルヴァ夫妻が小さな子供たちと過ごしている映像が映し出されているこの幸せな空間は、彼にとって簡単には振り返られない、大切な思い出だったに違いない。

映画では、多数のアールト建築作品のほか、貴重な本人たちの映像、アルヴァとアイノの書簡とともに、7ヵ国にまたがる建築家や家族など関係者のインタビューが交えて構成される。現在世界中で愛されるシンプルで温かい実用的な北欧デザイン。しかし、祖国の独立からモダニズムの台頭など激動の時代に、デザインというツールを共有しながら、新たなムーブメントを創り上げた情熱あふれる二人のやり取り、そして晩年の苦悩などからは、ある意味北欧デザインがイメージするスマートさではなく、人間くさい悩みや葛藤が垣間見える。広く愛されるアールト作品の背後にある、生身の人間としてのアルヴァ、アイノ夫妻の魅力を、是非この映画を通じて感じてほしい。

10/13(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺、シネ・リーブル梅田、伏見ミリオン座他にて全国順次公開。

澁谷政治 プロフィール

北海道札幌市出身。学部では北欧や北方圏文化を専攻し学芸員資格を取得。大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。メディア芸術やデザイン等への関心のほか、国際協力に関連する仕事に携わっており、中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、北欧のほかシルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。

FEATURE一覧に戻る映画レポート・映画評 一覧に戻る

FEATURE一覧に戻る映画レポート・映画評 一覧に戻る