童話でもない、アニメでもない、
もう一つのムーミンの世界に出会う
「ムーミン コミックス展」が、そごう美術館(横浜)で開催
構成・文 澁谷政治
ムーミンは1945年にフィンランドのトーベ・ヤンソン(1914~2001年)による小説「小さなトロールと大きな洪水」で世に送り出された。それから75周年の節目を記念して、2020年9月から2022年8月まで日本各地11会場で大規模な巡回展が開催されている。現在その「ムーミン コミックス展」が開催中(2022年1月10日まで)の、そごう美術館(横浜)を訪れた。
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- 「ムーミン コミックス展」
開催美術館:そごう美術館
開催期間:2021年11月19日(金)〜2022年1月10日(月・祝)
ムーミンと言えば「ムーミン谷の彗星」「ムーミンパパの思い出」など長編小説シリーズでの挿絵、そして日本では1969年制作の国内版アニメ「ムーミン」や、世界にも輸出された1990年制作のアニメ「楽しいムーミン一家」のイメージが強い。しかし、もう一つメディアミックスの代表作品である新聞連載漫画「ムーミンコミックス」については、日本ではまだ広く認知されているとは言えないだろう。今回は、原画など約280点ほか貴重な資料とともに、童話でもない、アニメでもない、「ムーミンコミックス」の魅力に迫る展覧会となっている。
元々漫画というジャンルは、今でこそ「第9の芸術」※という位置づけがあるものの当時まだその芸術的価値が認識されてはおらず、処分されてしまった原画も少なくないという。これまでもフィンランドを含めいくつかムーミン関連の展示に足を運んだが、ムーミンコミックスに特化した展示は筆者自身も初めてであり、新たなムーミンとの出会いを期待して、イルミネーションの煌めく初冬の横浜に降り立った。
※フランスにおける芸術の序列。第1から第8までは順に「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学(詩)」「演劇」「映画」「メディア芸術」とされる(諸説あり)。
「ムーミンコミックス」の最初の掲載は、1947年フィンランドのスウェーデン語紙「ニィ・ティド」である。しかし、欧米を中心に広く親しまれるようになったのは、1954年に連載が開始された英国紙「イブニング・ニューズ」での掲載からと言える。当時英国のニュース配信会社の役員であったチャールズ・サットンが小説を読み、ムーミンの楽しく哲学的な要素は、子供向けだけではなく、新聞の読者層にも十分に受け入れられると確信し、原作者トーベ・ヤンソンへ手紙を送ったことがそのきっかけとなった。
今回の展示では、キャラクター設定を含め、ラフなタッチの鉛筆によるスケッチから、インクでペン入れされた愛らしい原画の数々が楽しめる。ムーミンの家族のほか、スナフキン、リトルミイ、スノークのお嬢さんやスニフなどおなじみの仲間たちの初期の原画を見ていると、よく知る友人の小さな頃を覗いているような、懐かしい気持ちになる。また、強烈な臭いと存在感を発揮する毛むくじゃらのスティンキーなどは小説では存在せず、このコミックスから誕生したキャラクターである。
ムーミンコミックスでは、初回はムーミンの丸いお尻がストーリーの始まりのお約束となっていた。また、作品の中のツールをそのままコマ割りに使うことも多く、ホースなどの道具、弓矢や羽根、ハンモックを吊るす木や花など、見ていて楽しい工夫も凝らされており、ストーリー以外の視点で原画を鑑賞していくのもこの展示の楽しみの一つである。
ムーミンは元々トーベの叔父エイナルが、幼いトーベたちに聞かせた怖い話の中のキャラクター、ムーミントロールが発端と言われる。トーベは叔父たちの怖い話が好きで、自分自身も怖い話を作って楽しんでいたそうだ。そのためか、特に初期の小説の挿絵では、どちらかというと少し不気味な雰囲気で描かれるムーミンも多い。
しかし、ムーミンコミックスでは、紙質の悪い新聞に印刷されるため、小説の挿絵よりもシンプルに線描を強調した画風となっている。これが可愛らしさとコミカルさを強調しているとも感じられる。新聞には基本的に三コマで一作品として掲載され、毎日少しずつストーリーが進んでいく形式となっていた。展示では、その貴重な新聞印刷用の原版や掲載紙も一部展示されている。
ムーミン誕生の背景には、時代も大きく影響している。当時ソ連との冬戦争の最中、不穏な空気の漂う社会において、画家を目指していた若きトーベは、著名な彫刻家である父ヴィクトルとの対立や芸術界での女性に対する理不尽な評価など、様々な苦悩を抱えていた。そんな青春時代に、少し奇妙なムーミントロールの物語を書くことによって、その愛らしい登場人物たちが自分自身を励まし、そして社会にも必要とされ広く受け入れられて行ったのである。
トーベのその真っ直ぐな思いと時代に翻弄されない芯を貫いた生き方は、本年10月に日本でも公開された映画「トーベ/TOVE」でも知ることができる。
【FEATURE|特集記事】映画『TOVE/トーベ』「自由を愛し時代を切り開いた女性 ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンの半生」
そして、今回の展示で欠かせないのが、トーベの弟ラルスの存在である。「ムーミンコミックス」は、1954年の連載開始から、1959年12月までが最初の契約であった。当時トーベは、既に非常に多忙となっており、これ以降の契約更新は考えていなかった。しかし、新聞社はトーベ以外に連載を依頼できる権利を持っており、ムーミンの世界が他人の手によって変化させられることにトーベが悩んでいたとき、母の助言もあり、弟であるラルスが姉トーベの仕事を引き継いでいくことを決断する。
トーベの6歳下の弟ペール・ウロフは写真家として、そして12歳下の弟ラルスも既に作家として活躍しており、ヤンソン一家は彫刻家の父、画家の母の多才な血を受け継いでいた。特にラルスは、スウェーデン語で創作する姉トーベの作品の英訳のほか、1957年のムーミンコミックス「タイムマシンでワイルドウエスト」では既に共同制作をしており、ムーミンの世界を十分に理解し、姉のサポートを行っていた。3ヶ月間姉トーベからムーミンの描画技術を学んだのち、その後15年間の連載期間は、すべてラルスによる単独作品として掲載が続けられたのである。
ラルスの描くムーミンコミックスは、トーベの世界観を受け継ぎつつ、彼独自のムーミンとして確立されて行った。その違いは画風にも表れており、展示会場後半のラルスの原画との比較でも確認ができる。トーベの描くムーミンは丸みを帯びており、小説の挿絵の延長のような絵画的な描写であるのに対し、ラルスのムーミンはよりシャープな印象を受け、漫画らしいタッチのキャラクターとなっている。今回の展示では、ラルスが描いた作品として、滑稽さの中に風刺も光る「ムーミンたちの戦争と平和」や、コミカルでテンポの良いストーリー展開の「10個のブタの貯金箱」など、本邦初公開の傑作の原画で物語の展開を楽しむことができる。
ラルスは日本のアニメ制作にも関わっている。1969年に日本が独自に制作したアニメ「ムーミン」は、原作にはない設定が多かった。トーベからはムーミン谷の世界が正しく伝わらないとして日本国内のみの公開が条件とされ、海外への展開が許可されなかった。その後1978年にはポーランドなどでもパペットアニメシリーズが制作されたが、広く海外に知られたのは、1990年に日本で制作された「たのしいムーミン一家」である。ラルスはこの制作においてトーベとともに来日して直接監修を行い、原作に近い世界観をアニメに投影した。第二期制作も含め最終的に100以上ものエピソードがアニメ化され、世界中にムーミンが広く知られる大きなきっかけとなった。
小説、絵本、アニメ、映画など様々なコンテンツとして楽しまれるムーミン。この中でムーミンコミックスは、トーベからラルスへ姉弟で引き継がれ、20年以上に及ぶ連載により世界約40か国で愛された。あまり我々が目にして来なかった三コマ漫画の中のムーミンがどことなく身近に感じられるのは、小説などと違ってより大衆向けの新聞という媒体だからかも知れない。
横浜会場のあとは、長崎、愛媛と巡回し、2022年6月東京・八王子の東京富士美術館での展示が最後となる。ひととき小説やアニメのイメージから離れて、世代を問わず楽しめる新聞漫画の中にあるもう一つのムーミン谷を是非訪れてほしい。
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- そごう美術館|SOGO MUSEUM OF ART
220-8510 神奈川県横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店 6階(横浜駅東口)
開館時間:10:00~20:00 ※12月31日(金)は18:00閉館、1月1日(土・祝)は9:00~19:00
※それぞれ入館は閉館の30分前まで
定休日:展示替期間中は休館 ※展覧会開催中の休館はそごう横浜店の休日に準じます。
澁谷政治 プロフィール
北海道札幌市出身。学部では北欧や北方圏文化を専攻し学芸員資格を取得。大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。現在は、国際協力に関連する仕事に携わっており、中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、北欧のほかシルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。