自由を愛し時代を切り開いた女性
ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンの半生
映画『TOVE/トーベ』が新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ、
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか 全国ロードショー
文・澁谷政治
ムーミントロールを始めとする愛らしいムーミン谷の登場人物たちは、1947年フィンランドのスウェーデン語紙「ニィ・ティド(Ny Tid)」、そして1954年の英国紙「イブニング・ニュース(Evening News)」への連載を通じ世界へと知られるようになる。日本においては1969年のアニメ化により広く人気を得て、今もなお世代を超えて愛されている。スローライフの代名詞として「スナフキンのような生き方」と言われるなど、ムーミン以外の登場人物にもファンが多い。
その作家、トーベ・ヤンソン(Tove Jansson 1926-2000)の青年期における自由な生き方を描いた伝記映画「TOVE/トーベ」が、10月1日より日本で公開されている。
時代や社会に縛られない自由な生き方を貫いた、トーベの人物像に迫る
日本において童話作家として名高い彼女は、本国では画家としても評価されている。本映画は第二次世界大戦下のヘルシンキを舞台に、著名彫刻家である厳格な父との対立、アーティストとして評価されず生活のために描いた風刺画やムーミンなどの児童文学が注目される葛藤、結婚も考えた既婚男性との不倫、そして芸術活動にも影響を与えた女性との情熱的な恋愛について、トーベの親族も製作に関わりながらできるだけ史実に基づいた部分を取り込んだストーリーが展開される。
本国フィンランドでは少数派のスウェーデン語映画として異例のロングランヒットとなり、公開から2ヶ月連続で週間観客動員数1位を記録し話題となった。日本ではトーベの人物像はあまり知られていないが、本国ではムーミンに対する評価はもちろんのこと、時代や社会に縛られない自由な生き方も広く知られている。男性優位の芸術評価、フィンランド人口の5%と少数派であるスウェーデン語話者の立場、そして1971年までは懲役2年の実刑犯罪者として扱われていた同性愛への偏見など、いくつものマイノリティに対し自分を信じ貫き通した人生は、現代の北欧諸国ではリスペクトを持って受け入れられている。
LGBTの視点では、同世代のゲイアーティスト Tom of Finland などと並んで語られることもあるが、トーベはLGBTの活動家ではない。しかし、研究への積極的な協力や女性パートナーと独立記念祝賀式典など公の場に出席するなど、ジェンダー平等社会における先駆者としても評価されている。なお、フィンランドでは1981年に同性愛が疾病分類リストから削除、2017年には同性婚が合法化された。また、現在は事実婚も広く受け入れられている。
ムーミン谷の登場人物のモデルとなった、トーベの交遊関係
映画で語られる彼女を取り巻く交友関係が、ムーミン谷の登場人物のモデルとなっていることを知ると、ムーミンの物語の違った側面が見えてくる。恋人女性との手紙が元になったトフスランとビフスランの不思議な会話、そして二人の関係を脅かすものとして魔物モランが登場するなど、ファンタジーな世界に現実社会の幸せや不安が織り込まれていることに気付く。映画では、トーベが愛した女性を「竜」にたとえる場面が出てくるが、小説「ムーミン谷の仲間たち」では竜を逃したムーミンに、スナフキンは優しい嘘を付く。
「小さい竜なんてものは、気まぐれだからねえ。君も見たとおり、あちこちとびまわって、もしふとったはえでも見つけようものなら、ほかのことはすべてわすれちまうんだ。竜なんて、そんなものさ。とてもつかまえておけるもんじゃないね。」
スナフキンのモデルとも言われる不倫相手アトスが、女性の恋人ヴィヴィカに振り回されるトーベを癒す映画のシーンが頭を過る。トーベ自身が体験したであろう葛藤や苦悩がムーミンの物語の背後に浮かび上がる。
日本から本国へ逆輸入された「ムーミン」
日本のアニメが本国フィンランドにも逆輸入されていることは有名である。フィンランドの子どもたちも、日本製とは意識せずにムーミンをアニメでも楽しんでいた。ただし、日本で広く知られた1969年のアニメ「ムーミン」は原作と設定が異なるとして日本国内限定で公開されたものである。原作者監修の下で新たに作られた1990年のアニメ「楽しいムーミン一家」が、その後世界へと広まって行った。
なお、著作権を持つムーミン・キャラクターズ社は2005年に、アニメのイラストを商品に使用することを禁止している。アニメ化され市場向けとなったムーミンに疑問を持ち、原画に忠実な芸術性の確保へ方針転換を図ったのである。これはムーミン商品を扱う世界中の業者にも、そしてアニメの著作権収入で潤うムーミン・キャラクターズ社自身にも大きな打撃であった。しかしこの大きな変革がトーベの伝えたいムーミン谷を直接世界へ届け、そして現在はこの原画の芸術的価値とともに今なお愛され続けている。
トークイベントに主演女優、アルマ・ポウスティがオンラインで登場
映画「TOVE/トーベ」公開に関連するイベントが日本でもいくつか開催されているが、在日本フィンランド大使館に美しい白木で設置された期間限定施設メッツァパビリオンでは、主演女優アルマ・ポウスティ(Alma Pöysti)とのオンラインインタビューが10月にライブ公開された。2015年公開の劇場版アニメの現地語版ではフローレン(スノークのお嬢さん)役の声優も務めている。俳優であった祖父とともに、彼女自身も幼少時にトーベと実際に会ったことがあるという縁について、またトーベに関しては自由や人権と闘う姿勢に共感できる憧れの存在であることなど、終始にこやかな笑顔で語っていたのが印象的であった。
そのほか、本映画の上映館のひとつである新宿武蔵野館ではムーミンバレーパーク所蔵作品の展示や、銀座のコスメショップ YOSEIDO では映画「TOVE/トーベ」写真展が開催(8月29日から10月17日まで ※YOSEIDO公式Twitterによると10月31日(日)まで延長決定との情報あり)されており、実際に撮影で使用されたトーベのコスチュームや着ぐるみの実物を間近で見ることができる。
そごう美術館では、「ムーミン コミックス展」が開催
そごう美術館(横浜)では、2021年11月19日(金)より「ムーミン コミックス展」が開催される。1954年から75年までイギリスの夕刊紙「イブニング・ニューズ」紙で連載され人気を博した「ムーミンコミックス」の原画やスケッチ約280点が一堂に会する貴重な展示となっている。主にトーベが絵と台詞を書き、弟のラルス・ヤンソン(1926-2000)がネタ探しと英訳を担当した。
映画でも、「イブニング・ニュース」紙との契約を交わすシーンや、ムーミンコミックスを描く場面が登場するが、「ムーミン コミックス展」では、制作段階の実際の作品を鑑賞できる貴重な機会であり、お勧めである。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- ムーミン コミックス展
開催美術館:そごう美術館
開催期間:2021年11月19日(金)〜2022年1月10日(月・祝)
Bunkamura ザ・ミュージアム では、「ザ・フィンランドデザイン展 自然が宿るライフスタイル」が開催予定
また、2021年12月7日から、Bunkamura ザ・ミュージアム で開催される「ザ・フィンランドデザイン展 ― 自然が宿るライフスタイル」でも、ムーミンの原画スケッチ展示などが見られるほか、会期中は Bunkamura ル・シネマ にて「劇場版ムーミン谷の彗星 パペット・アニメーション」もイベント上映される予定である。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- ザ・フィンランドデザイン展 ― 自然が宿るライフスタイル
開催美術館:Bunkamura ザ・ミュージアム
開催期間:2021年12月7日(火)〜2022年1月30日(日)
トーベ自身が貫いた哲学
日本では子ども向けアニメの娯楽作品の印象が強いが、実際の原作は人間社会にも通じる不安、そしてそれを受け入れる人生の強さや切なさが、行間にも挿絵にも表現されていることに気付かされる。それはトーベが自身の哲学を貫いて生きた証でもある。映画のキャッチコピーには、スナフキンの言葉が使われている。
「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、わかってるってことだよ。」
自分を信じて突き進むトーベの生き方が垣間見える。一方でトーベはスナフキンに諦観に似た言葉も吐き出させている。
「“いつもやさしく愛想よく”なんて、やってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。」
自分のしたいことが、社会と折り合いの付かないこともある。しかし限りある人生において、取捨選択していかなければならない厳しい現実、そして前向きな諦めも必要なこと。現代の我々の日常生活でも心に留めておきたい珠玉のメッセージが随所に散りばめられている。
ムーミンの物語は是非子どもたちにも無邪気に楽しんで触れてもらいたい。しかし、大人になってトーベの生き方を知ったうえで、読み古したムーミンの本を開いてみると、子どもの頃には見えなかった行間から、彼女の社会への問いかけが浮かび上がる。映画や展示に触れてトーベが駆け抜けた人生に思いを馳せながら、ムーミン谷の住民たちと再会してみることを、読書の秋、そして芸術の秋の夜長に是非お勧めしたい。
『TOVE/トーベ』
10月1日(金) 新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか 全国ロードショー
https://klockworx-v.com/tove/
澁谷政治 プロフィール
北海道札幌市出身。学部は北方圏文化学科卒(ゼミは北欧文化を専攻)、大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。現在は、国際協力に関連する仕事に携わっており、中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、北欧のほかシルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。