FEATURE

命の輝きや美しさ、尊さをも描き出す、
偉大なる画家ルーベンスの展覧会が開催

臨場感あふれる画面、躍動しはじめる人間ドラマ。
人間の存在を賛美するような、ダイナミックな絵画を堪能する

内覧会・記者発表会レポート

ペーテル・パウル・ルーベンス マルスとレア・シルウィア 1616-17年 油彩/カンヴァス ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵 家コレクション ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna
ペーテル・パウル・ルーベンス マルスとレア・シルウィア 1616-17年 油彩/カンヴァス
ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵 家コレクション
©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

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文・小林春日

“ルーベンス” ―― その名前を聞くだけで、天窓から光差す荘厳な大聖堂や、鳴り響くパイプオルガンの音色、筋骨隆々の男性たちや頬を紅潮させたふくよかな美しい肌を魅せる女性たち、柔らかく体をくねらせた天使たちの舞う姿がドラマチックに描かれた宗教画や神話画など、17世紀に華開いたバロック美術の壮麗な芸術世界が瞼に浮かんでくるようである。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「ルーベンス展-バロックの誕生」
開催美術館:国立西洋美術館
開催期間: 2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)
《聖母大聖堂》ベルギー・フランダース政府観光局提供
《聖母大聖堂》ベルギー・フランダース政府観光局提供

フランドル地方(現在のベルギー)の由緒ある家系に生まれ、画家としての才能のみならず、イタリア語やフランス語も堪能であったなど語学やコミュニケーション能力にもたけ、外交官としても活躍を見せた、“王の画家にして画家の王”と呼ばれたルーベンスの大規模な回顧展「ルーベンス展-バロックの誕生」が、国立西洋美術館にて、10月16日から始まった。

タイトルに「バロックの誕生」とあるが、展覧会の焦点は、「イタリアとのかかわり」におかれている。

アントウェルペン(現ベルギー北部、アントワープ)で生まれたペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、古代美術やルネサンス美術が栄えた地、イタリア、そしてヨーロッパの政治の中心であったローマに憧れを抱きつづけて育った。

23歳となった1600年、ついに憧れの地、イタリアに渡り、1608年まで滞在した。この地で、古代彫刻やミケランジェロ、ラファエロなど、盛期ルネッサンスの美術やカラヴァッジョら同時代の美術を吸収して、自らの芸術を確立していったのである。

17世紀に入る頃までは、美術史上では、「ルネッサンス」の時代である。展覧会のタイトルにもある「バロック」とは、16世紀末頃から始まり、17世紀の建築や美術の様式や概念について、後世に呼称されたものである。語源については、「歪んだ真珠」を意味する「バロッコ(barocco)」からくるなど諸説ある。盛期ルネッサンス美術の伝統を受け継ぎながら、写実的な描写、強烈な明暗の対比、光の効果などを用いた、劇的な力強い色彩や画面構成を特徴としている。

「バロック美術」の特徴となる、劇的な色彩や画面構成、誇張といった表現が生まれた背景には、キリスト教の影響があると考えられている。マルティン・ルター(1483-1546)によって、ローマ・カトリック教会から分離して、プロテスタントが誕生した宗教改革が生まれた時代、カトリック教会においても自己改革が進められており、威信を回復しようとしていた。その表現手段として、大聖堂内を飾る絵画や、天井画、壁画などが、人々に感動を与え、信者の心を強く惹きつけられるような、誇張された、劇的な表現が芸術家らに求められるようになった、とも考えられている。

バロック美術の代表的な画家には、カラヴァッジョ、フェルメール、レンブラントなどがいる。いずれも、黒い背景、強烈な明暗、光、肌の色、衣服の襞などが際立つイメージが共通して浮かび上がってくるのではないだろうか。

イタリアに渡ってからのルーベンスは、イタリア・ルネッサンス美術を熱心に学んだ。ミラノではレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に学び、ヴェネチア絵画のティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらに魅了され、フィレンツェでは、ミケランジェロを知り、またローマのヴァチカン宮においても、ミケランジェロ、ラファエロの傑作に出会い、そして同時代のカラヴァッジョ、アンニヴァーレ・カラッチなどの試みを知り、イタリアの美術に精通していった。

《かがむアフロディテとエロス》
《かがむアフロディテとエロス》
2世紀前半 大理石 ナポリ、国立考古学博物館

また、古代彫刻などからも多大な影響を受けている。初期ヘレニズム時代末期の彫刻のレプリカで、ローマ時代につくられた《かがむアフロディテとエロス》の、ふくよかで官能的な肉体によって表された女神像の、溢れんばかりの女性らしさに魅了され、研究したことであろう。展覧会では、ローマ時代の彫刻作品なども合わせて展示し、ルーベンスの作品において、これら古代彫刻の立体感が2次元の平面的な絵画空間に写実的に再現され、まるで目の前に存在しているかのように生き生きと浮かび上がらせている様子を分かりやすく紹介している。

ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》1615-16 年 油彩/カンヴァス 243.5×345.5cmファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna
ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》
1615-16 年 油彩/カンヴァス 243.5×345.5cm
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

こちらは、アッティカ(ギリシャ南部 アテネ周辺)の初代王 ケクプロスの3人の娘たちの神話を題材にした絵である。

知恵の女神ミネルヴァより、「籠の蓋を決してあけないように」と言って籠を託された三姉妹のひとりは、好奇心に抗えず、蓋を開けてしまう。中には、脚のかわりに2匹の蛇の尾を生やした怪物のような子供、エリクトニオスがいた。エリクトニオスは、ウルカヌスが、ミネルヴァを犯そうとして失敗した時、偶然にこぼれた精液によって、大地の女神ガイアが身籠り、生まれた子供である。

この絵に描かれている、3人の娘たち・右上に描かれた、豊穣を司る女神ガイア(複数の乳房を持つ噴水を飾る彫像として表されている)・養母・そして、籠の脇に立つプット―(翼の生えた裸の子ども)など、ルーベンスが描く作品に登場するいずれの人物も、また画面に書き込まれた彫像でさえも、生き生きとした存在感があり、それぞれの内面の感情がこちらにも伝わってきそうである。

ペーテル・パウル・ルーベンス パエトンの墜落 1604/05年 油彩/カンヴァスワシントン、ナショナル・ギャラリーCourtesy National Gallery of Art, Washington
ペーテル・パウル・ルーベンス パエトンの墜落 1604/05年 油彩/カンヴァス
ワシントン、ナショナル・ギャラリー
Courtesy National Gallery of Art, Washington

なんと劇的な瞬間を切り取った絵であろうか。「パエトンの墜落」は、太陽の戦車が雷を受けて墜落する、ギリシャ神話をテーマに描かれた作品である。

少年パエトンは、父である太陽神アポロに願って、太陽の戦車で天を駆けようとした。しかし、パエトンには、馬たちを御す力がなかったので、戦車はたちまち軌道を外れてしまう。地上は太陽の熱で焼き払われ、たまりかねた大地の女神ケレスが最高神ユピテルに助けを求めた。これを受けてユピテルは雷でパエトンを撃ち殺し、戦車の暴走を止める。

中央右下の真っ逆さまに落ちていこうとしているのがパエトンであろうか。高慢への戒めといった道徳的解釈や、能力の不足した支配者による統治の危険性、といった政治的解釈と結びつけて描かれる主題のようであるようだが、ルーベンスの作品は、そういった示唆を感じさせない。悲惨さや、生死や破壊よりも、この画面いっぱいにみなぎる劇的な臨場感は、まるで、パエトンが太陽の戦車で天を駆けたいと願った情熱の表れであるかのような、強烈なエネルギーとダイナミックさを感じさせる。

ペーテル・パウル・ルーベンス ローマの慈愛(キモンとペロ) 1612年頃 油彩/カンヴァス(板から移し替え)サンクトペテルブルク、エルミター ジュ美術館 Photograph © The State Hermitage Museum, 2017
ペーテル・パウル・ルーベンス ローマの慈愛(キモンとペロ) 1612年頃 油彩/カンヴァス(板から移し替え)
サンクトペテルブルク、エルミター ジュ美術館
Photograph © The State Hermitage Museum, 2017

キリスト教において、慈悲は最も重要な美徳のひとつとされ、キリスト教の教義を示す寓意として美術作品に表された。

こちらは、その「慈悲」がテーマとなる「ローマの慈愛(キモンとペロ)」である。

ローマ市民のキモンは、罪を犯して牢獄に入れられ、食事を与えられることなく、死を待つ日々を送っていた。娘のペロは出産した直後であったため、彼のもとを訪れ、自らの母乳を与えて父の飢えを癒したという。イタリアとオランダを中心に、16世紀から18世紀にかけて、西洋で人気を集めた主題である。

女性が自ら生んだ子供に与えるはずの母乳を、父親の口に含せている、ただならぬ状況である。目を見開き、リアルに表現された肉体をよじらせて、貪るように母乳をのむ父親のキモンと、頬を紅潮させながら、その父親の肩に手を回し、乳房から肩に頭部をあずけさせて、母乳を飲ませる娘ペロの姿。

この主題には、「慈悲」という言葉におさまりきらない、強烈な印象があるが、このルーベンスの作品は、「慈愛」を強く感じさせることに成功しているように思われる。愛らしい美しさの娘のペロが、父親の口に母乳を含ませる姿には、愛を持った力強い感情が感じられる。牢獄の背景の全体の茶色に、光沢ある赤い衣裳が中心に描かれることも、効果的に“慈愛”の意味を印象づけているようである。

まるで彫刻のようなキモンの人体表現は、ナポリの国立考古学博物館にある《ファルネーゼのヘラクレス》の彫刻から着想を得たものだと考えられており、実際にルーベンスがローマに滞在した1605年から1608年には、その古代彫刻を様々な角度から観察し、素描に残している。

ペーテル・パウル・ルーベンス 眠る二人の子供 1612-13年頃 油彩/板 東京、国立西洋美術館
ペーテル・パウル・ルーベンス 眠る二人の子供 1612-13年頃 油彩/板 東京、国立西洋美術館

のちに「バロック美術」と称されるようになったこれらの時代の画家らの中でも、ルーベンスの作品は、キリスト教や神話など寓意を含んだ題材や、壮絶な悲しい結末を迎える物語でも、悲哀やシニカルな気配を漂わせず、人間の存在を称えるようなエネルギッシュな力をみなぎらせている。また、家族など身近な人物を情感豊かに描いた作品は、描き手の内面に満ちている深い愛情が、観る者を強く惹きつける。

ルーベンスは、その後のイタリアの若い画家たちにも多大な影響を与えていき、バロック美術の発展に拍車をかけたと考えられている。ジョヴァンニ・ランフランコやジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、ピエトロ・ダ・コルトーナ、ルカ・ジョルダーノなど、ルーベンスの影響を受けて、盛期バロックの立役者となる芸術家たちが育っていく。

明暗の対比の強調、劇的な画面構成、力強くダイナミックな表現を特徴とする「バロック美術」とは、まるでルーベンス自身の人間性のようである。どんな運命を辿ろうとも、人間の存在そのものを賛美するような力量、人間の美を称える感性豊かなまなざしから、ルーベンスの人間的な偉大さが感じられてくる。

ぜひ、実際にルーベンスやその時代の芸術に触れて、壮麗華美なバロック美術のダイナミズムや、躍動する人間ドラマを堪能してみてはいかがだろうか。

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「ルーベンス展-バロックの誕生」
開催美術館:国立西洋美術館
開催期間: 2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)

※参考文献:
「ルーベンス展-バロックの誕生」図録 発行 TBSテレビ
「西洋美術史」 高階秀爾著 美術出版社

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