いつまでも、冥途旅行中。
鑑賞後も頭から離れない、迫力の展覧会
圧倒的な迫力とエネルギーで、その刺激から抜けられなくなる「横尾忠則の冥途旅行」
展覧会レポート
厳しい寒さも和らいだ、3月初旬の春めいた日に、JR灘駅(兵庫県神戸市)に降り立った。駅を背にして、ゆるやかな上り坂を上がるとその先には、1階はガラス張りで、2階以上は白亜の分厚いコンクリートの壁に包まれた4階建ての建物が待っている。モダニズムの建築家 村野藤吾氏の設計によるもので、兵庫県立美術館王子分館の西館をリニューアルし、横尾忠則現代美術館として、2012年11月に開館した。
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兵庫県政150周年記念事業 開館5周年記念展「横尾忠則の冥土旅行」
開催美術館:横尾忠則現代美術館
開催期間: 2018年2月24日(土)~2018年5月6日(日)
1936年、兵庫県西脇市生まれの横尾忠則氏は、20歳で神戸新聞社に入社し、グラフィックデザイナーとして勤務する。1972年には、ニューヨーク近代美術館で個展を開催し、その後もパリ、ヴェネチア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品するなど世界的に活躍している。1980年にニューヨークで見たピカソ展に衝撃を受けて、展覧会会場を出るときには、デザイナーから画家に転身することを決意している。第6回パリ青年ビエンナーレ版画部門グランプリ(1969年)をはじめとし、今日に至るまで数々の受賞を重ねている。
現在開催中の展覧会「横尾忠則の冥土旅行」は、“横尾の作品を通じた死後の世界への冒険旅行”がテーマである。「つねに死後の世界を想像し、『死の側から生を見る』ことで、自らの生き方を見つめてきた横尾忠則氏のまなざしを追体験する場」と、コンセプトを説明している。
展覧会場に足を踏み入れれば、まさに、観る者を異界へと連れ去る迫力の中に放り込まれる。今回の展示が、“横尾忠則氏のまなざしの追体験”なのだとしたら、横尾忠則氏の「まなざし」が見てきたものとは一体なんなのだろうか!と、空恐ろしい思いがする。
これらの、1996年から始まった「赤」の絵画シリーズは、横尾氏が少年時代に見た空襲で真っ赤に染まった夜空を原風景として、画面を覆う赤い色彩によって、此岸と彼岸、日常と異界とが結びつき、見る者の意識を世界の「向こう側」へと導いている。
鮮烈な赤い色彩は、見る者に衝撃を与えないはずがない。たとえば、《宇宙蛍》という絵(画像右から2番目)は、燃え盛る火の中で、木の橋が燃えて崩れかけ、空には丸い葉の上に1匹の蛍、あるいは3匹で集まったりしてお尻を発光させている。丸い葉と同じサイズの円の中で性行為をしている二人の人物のシルエット。発光した蛍の光は、次々と宙に浮遊していき、燃え盛る火の中で、明滅しているようだ。
これらの絵の迫力は、見る者の体内の細胞が、その場で入れ替えられてしまうような、すさまじい伝播力である。横尾氏はいくつかの著書において、「絵は観念ではなく肉体である」と繰り返し述べているが、そのことが絵画という二次元以上の体感的な鑑賞体験を起こさせてくれるのではないか。
芸術家というのはすごい存在である。筆者のような凡人が、普段、夢にも見なければ、想像すらしない世界が、リアリティーをもって、大きなキャンバスに広がっている。リアリティーといっても、もちろん、現実世界では起こりえないような時空を超越したシチュエーションが描かれているのだが、作品を鑑賞するうちに、意識は虚実をさまよい、不穏な気持ちに襲われたあと、その絵の世界観に説得されてしまう。
説得というと大げさかもしれないが、描かれた世界に引き込まれても構わない、というような、あいまいではない、力強さ、荘厳さに、すっかり魅了されてしまう。
そして、筆者はまだ冥途旅行中である。
横尾忠則という人間は、違う惑星で生きた経験があるのはないかと、疑わしいほどに、“横尾忠則氏のまなざし”への衝撃が大きい。これらの絵のイメージは、一体どこから去来しているのだろうか。
その謎を少し解明してくれるエピソードが、横尾忠則氏の著書「言葉を離れる」にある。
中学2年のころ、『少年』という雑誌で江戸川乱歩の『青銅の魔人』の挿絵を描いている山川惣治と南洋一郎の『片目の黄金獅子』の挿絵画家鈴木御水に憧れました。山川惣治は間もなく『少年王者』と『少年ケニヤ』で大人気を博し、小松崎茂と昭和を代表する超売れっ子挿絵画家になりました。鈴木御水は南洋一郎と同様、密林冒険画を得意とする挿絵画家でぼくは挿絵界のドラクロアだと今も思っています。この頃、江戸川乱歩と南洋一郎の少年向けの小説を読むようになったのは、挿絵に惹かれていたからです。(中略)
江戸川乱歩と南洋一郎はぼくを蠱惑的世界に導いてくれ、ぼくの空想的夢想的性格を十分に満喫させるだけの魅力がありました。そしてこの二人の小説家によって、ぼくの内なる怪奇と冒険とロマンが未知なる世界への憧憬の扉をこじ開けて空想の王国に魂に羽をつけて飛ばしてくれたのです。(中略)
この時の読書体験はその後のぼくの人格を形成するだけでなく、創意の核として、今でも底の抜けたパンドラの函と化して底の底から無限の想像力が絶えることなく湧き上がってくるような気がするのです。
横尾忠則氏の作品に現れる無限の想像力は、10代のうちに出会った、作家 江戸川乱歩と南洋一郎、それぞれの物語をイメージに変えた山川惣治と鈴木御水の挿絵が核となっている。「底の抜けたパンドラの函」のごとく、今に至る無限の想像力、芸術表現の源となっているのである。子供の純真な心の感受性は偉大である。汲めども尽きぬ想像の源泉を、横尾少年はこのように獲得していたのである。
これらの絵は、最新作である女性のポートレート・シリーズである。それぞれの絵の前には、白く四角いボックス型の椅子があり、そこに座って、じっくり絵を眺めることができる。欧米の女優のようなプロポーションで、華やかな美貌(に違いない)の女性たちの顔は、目鼻の代わりに、キャベツやトイレットペーパー、あるいは蛙や石などが描かれている。
また、横尾忠則氏は、写真作品も発表している。こちらは、1970年、横尾が雑誌『平凡パンチ』誌上に発表したヌード写真の展示である。
西洋文学の傑作・ダンテの『神曲』において、主人公ダンテは生きながらにしてあの世へと迷い込み、地獄・煉獄・天国の光景を目にする。この『神曲』のイメージが重ねられ、19人の裸の女性たちによって展開される様々な場面を異境的な情景として映し出している。
展示会場である、2階、3階を通じて、“横尾の作品を通じた死後の世界への冒険旅行”をテーマに、制作時期やシリーズが異なる作品が展示されている。
人が「死ぬ」ということは、時間軸では、一瞬の出来事である。人間であれば、誰にでも等しく訪れる瞬間である。しかし、生きている人間は、まだ誰も体験したことのない、未知なものである「死」について考え、またそこから「生」を考えることは、どういうことか。
「死後の世界」を描こうとする横尾氏の作品が持つ圧倒的な迫力に、見る者は、いろいろな形で揺さぶられるに違いない。
いまだ冥途旅行から帰ってこられない筆者は、死後の世界には、その世界における重力や質量があるように感じ(地球と月では、重力や質量が異なるように)、死後は、そのまま異なる重力や質量の中に移相するような、つながりのある魂を妄想している。
「横尾忠則の冥途旅行」へぜひ出かけてみてほしい。死後の世界のイメージに触れることで、現生を生きる自分自身の姿が、これまでよりくっきりと浮かび上がってくるかもしれない。
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兵庫県政150周年記念事業 開館5周年記念展「横尾忠則の冥土旅行」
開催美術館:横尾忠則現代美術館
開催期間: 2018年2月24日(土)~2018年5月6日(日)
参考文献:
「言葉を離れる」横尾忠則 (著) 青土社
横尾忠則現代美術館 WEBサイト