5.0
父子の共演に感動!
長谷川等伯の『楓図』と久蔵の『桜図』を見比べながら、楽しいひとときを過ごしました。いずれも狩野永徳の大画様式に習った太い幹を中央に配した構図ですが、幹の表現が異なることに気づきました。
等伯の楓図は、太い輪郭線に平行した線で幹表面を描いているのに対して、久蔵の桜図は、輪郭線に対して垂直に走る線で幹表面を描いていました。楓と桜の木の種類による違いかもしれませんが、等伯と久蔵の表現の違いを感じながら、父子最期の共演に感慨深い思いをはせていました。
また、等伯の楓図は、楓の葉がすべて同じ形で、色鮮やかな赤色と緑色の補色を配置し、久蔵の桜図は、桜の花びらが大きく、胡粉で盛り上げた形で表現されており、琳派を思わせる意匠性も驚きでした。
鶴松を弔う桜図完成の翌年、26歳で久蔵は夭折し、後継者を失った等伯の悲しみはいかばかりであったか計り知れません。その悲しみを乗り越えるために自らの心を奮い立たせ、水墨画を何度も何度も描き続ける中で、あの『松林図屏風』が生まれたことを今回初めて知りました。等伯の久蔵に対する思いの強さが『松林図屏風』に込められている、だから、離れて見た時、喪に服したかのような静寂な空気感があり、また、間近で見る松の葉の激しい表現は、なぜ久蔵は早逝しなければならないかと天を衝く激しい慟哭のようで、等伯の生命そのままの表現だったのだと合点がいきました。
その後、72歳まで長生きした等伯ですが、それは、久蔵亡き後、同じ絵師として後継者となる宗宅、宗也、左近がいたからだと思います。