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理性か、それとも信仰か……。
政教分離から見るフランス美術。そしてアヴァン=ギャルドへ

「ライシテからみるフランス美術――信仰の光と理性の光」が、宇都宮美術館にて2025年12月21日(日)まで開催中

内覧会・記者発表会レポート

宇都宮美術館で開催中の「ライシテからみるフランス美術 信仰の光と理性の光」展示風景より
宇都宮美術館で開催中の「ライシテからみるフランス美術 信仰の光と理性の光」展示風景より

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フランスの文化やアートに興味のある方は必見の展覧会「ライシテからみるフランス美術――信仰の光と理性の光」が、2025年12月21日まで宇都宮美術館で開催中だ。

西洋美術の展覧会において、キリスト教をテーマにすることはいささか凡庸とも言えるかもしれない。けれどもこの展覧会の注目すべき点は、フランス社会を語る上で外すことのできない政教分離の概念「laïcité(ライシテ)」をテーマの主軸に据えている点である。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「ライシテからみるフランス美術 信仰の光と理性の光」
開催美術館:宇都宮美術館
開催期間:2025年10月12日(日)〜12月21日(日)
展示風景
展示風景

展覧会には日本国内で集められた誰もが知る巨匠たち、ドラクロワ、ミレー、ロダン、ロートレック、マグリット、ゴーギャン、ピカソなどなど錚々たる面々のリトグラフや素描、彫刻、油絵が見所として並べられている。けれどもそうした美術品に触れる前に、まず今回の展覧会の特筆すべき点である「ライシテ」とは何かについて、少し長くなるが説明をしておきたい。

フランスの特徴的な「政教分離」を指す重要概念「laïcité(ライシテ)」

展示会場
中央ホール
展示会場
中央ホール

「laïcité(ライシテ)」 とは、フランス語で「政教分離」「非宗教性」などを意味する言葉である。国際情勢やフランス文化に興味のある方であれば、1989年にフランスで起きた、公立校でイスラム教の少女たちがヒジャブ(女性が頭や首を覆うためのスカーフ)を着用していたことで登校を拒否されるなどの問題が起きた事件をご存知かもしれない。また2004年3月には、公立学校で、生徒が“宗教的帰属を顕著に示す標章または服装”を身につけることを禁止する法律が公布された。

この時に頻繁に登場した概念こそ「ライシテ」である。日本で暮らす我々にとってはなぜ信仰に基づく服装が学校で問題になるのか、信仰の自由を守る権利は機能していないのかと不思議に思うかもしれないが、これこそ「ライシテ」という概念が存在する現代フランス社会ならではの議論と呼べるだろう。

今回のこの展覧会の学術協力者である東京大学大学院総合文化研究科・教授 伊達聖伸氏によれば、ライシテという語が登場するのは19世紀半ばであるという。けれども形容詞形である「ライック(laïque)」という語は古代ギリシアの「ラオス(民衆)」に由来し、中世ラテン語でも聖職者に対する俗人信徒を意味する言葉として使われていたそうだ。

つまり「ライシテ」という名詞こそ比較的最近のものであるが、その概念自体は古くから存在し、さらにライシテ誕生へと繋がってゆく契機となった出来事は1789年に起きたフランス革命であるという見方が妥当とされている。

展示会場
展示会場

そのため今回の展覧会もフランス革命期から始まり、20世紀半までのフランス美術が取り上げられているのだ。

ここからは展覧会の様子を追いつつ、さらに「ライシテ」とは何かをご紹介したい。

フランス革命。権力との闘争の中でフランス美術はどう変化したか

アンドレア・アッピアーニ《ルーヴル宮殿でアテナ像の前に立つナポレオン》
1814年頃 東京富士美術館©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
アンドレア・アッピアーニ《ルーヴル宮殿でアテナ像の前に立つナポレオン》
1814年頃 東京富士美術館©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

フランス革命は急進的になるにつれ、王権や教会の否定へと向かっていった。ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑というショッキングな出来事によって王権の打倒ばかりが注目されがちだが、アンシャン・レジーム(旧体制)の身分制度の頂点である聖職者、そして王権神授説によって王権を後ろ支えしていたキリスト教にも革命の矛先は向けられたのである。1792年8月14日には「封建制を想起しうる記念物の破壊に関する政令」が出され、民衆によって王権のみならずキリスト教に関する文化財の破壊も行われたというのだから、その姿勢は徹底したものだったことが窺い知れる。

展覧会の第1章目のタイトルは「二つのフランスの争い」。革命で混乱に陥ったフランスに登場したナポレオンは、国家の精神的な危機を越えて社会秩序の回復を試みる。地方のカトリック信仰の根強さなどの現状を見たナポレオンによって、1801年にローマ教皇ピウス7世との間で、カトリック教会と国家を結ぶ宗教協約「コンコルダート」が結ばれたのだ。しかし実際にはカトリックはもはや国教ではなく、プロテスタントやユダヤ教と同じく「公認宗教」の一つとなった。

ナポレオン失脚後、復古王政、七月王政、第二共和政、第二帝政と政体は目まぐるしく交代したが、一貫してフランスでは二つの立場が争っていた。カトリック、王党派、教権主義者などによるフランスを「カトリック教会の長女」に回帰させようと試みる立場、一方共和派や反教権主義者たちは「大革命の娘」として、時代を先へ先へと進めようとする立場を崩さなかった。

こうしたフランス内の抗争は、修道士や聖職者を卑しい者や悪しき者として描いた版画や、カラスの姿で描かれた聖職者がフランスの擬人像を襲撃する風刺画など、この時代を象徴する作品たちが生々しく伝えている。

モーリス・ユトリロ《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》
1919年 埼玉県立近代美術館
展覧会では第3章で見ることができる
モーリス・ユトリロ《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》
1919年 埼玉県立近代美術館
展覧会では第3章で見ることができる

さらに展覧会は、第2章「敗戦からの復興」、第3章「『政教分離』と『神聖同盟』の時代」と続く。普仏戦争の敗北と第二帝政の崩壊により混乱したフランスでは、カトリック的フランスを再興しようとする気運が高まりを見せ、パリのモンマルトルでサクレ=クール寺院(「イエスの聖心に捧げられた聖堂」という意味を持つ)の建設がはじまったのも普仏戦争開始5年後の1875年のことであったという。

ジョルジュ・デヴァリエール《善き盗人》1913年
公益財団法人大原芸術財団 大原美術館
ジョルジュ・デヴァリエール《善き盗人》1913年
公益財団法人大原芸術財団 大原美術館

抑圧からの解放を夢見ていたものの、混乱期の心の拠り所として人々はまだまだキリストを求めていたのだ。画家としては、ジョルジュ・デヴァリエールがその一人だ。1904年、それまで社交界の女性の姿を描いていた彼は、キリスト教絵画を描くようになる。この展覧会では、聖杯のワイン(=キリストの血)を口にする宗教者を描いた《ミサを捧げる司祭》と大型の絵画である《善き盗人》が並び、苦しみの中で神との合一に救いを見出す、ジョルジュ・デヴァリエール独自の絵画世界を垣間見ることができる。

一方で、20世紀初頭になると政権に就いた急進派はライシテを推進する施策を次々に打ち出し、1905年にはフランスで「政教分離法」が成立した。これにより信教の自由の保障、公共団体による宗教予算の廃止、教会財産の信徒会への無償譲渡などが定められ、今でもフランス社会はこの「政教分離法」を基本原則として運営されている。

展示会場
展示会場

冒頭で紹介した公立校におけるイスラム教の少女たちのヒジャブ着用の問題も、この原則に反する行動として議論が持ち上がったのである。憲法でも保障されている「信教の自由」との兼ね合いが難しい問題ではあるが、中立性を求められる国家・公的機関(公教育の場)に、宗教的シンボルが持ち込まれたことが問題視された。

けれども「ライシテ」は宗教そのものを否定する考えではない。国家の中立性を守るために、宗教が政治的な権力と結びついて支配的な力を持つことを防ぐ理念である。これはキリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教など、あらゆる宗教に適応されるため、人々は宗教の種類、信仰の有無によって差別されることがないのだ。つまり、国家として、すべての宗教に対して中立であることを保障するための制度・思想であり、多様な宗教の共存を試みているとも言えるのである。

美術の自律とアヴァン=ギャルドたち。そして美術館の時代へ

クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》
1889年 三重県立美術館
宗教ではなく作家各々で主題に「聖性」を見出す時代へ。モネは自然と対峙した。
クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》
1889年 三重県立美術館
宗教ではなく作家各々で主題に「聖性」を見出す時代へ。モネは自然と対峙した。

こうして宗教の世俗化が進み、絶対的な「聖性」が薄らいでゆくにつれ、美術もまた大きな転換を迫られた。そのことを紹介しているのが、第4章「もうひとつの聖性――ライシテの時代の美術」だ。

なぜ美術に変化が求められたのかを説明するために、まずはフランスの美術業界について簡単に触れておきたい。当時のフランス美術業界と言えば、1648年に設立された王立絵画彫刻アカデミーの存在が絶対的であった。現代のように街に多種多様なギャラリーはなく、作品を披露する場は王立絵画彫刻アカデミーが取り仕切るアートサロンのみ。そのためここでの成功こそが芸術家たちの出世の道だったのである。そしてサロンで評価される絵の主題は、神か王族、貴族を描いたものと決まっていた。つまりフランス革命によって打倒されることとなる権威を伝えるメディアとしての役割を、美術は担っていたのだ。

展示会場より
マルク・シャガール『わが生涯』
1923年刊 宇都宮美術館
神や王族ではなく、個人史を描いたシャガールの試みは当時画期的だった。
展示会場より
マルク・シャガール『わが生涯』
1923年刊 宇都宮美術館
神や王族ではなく、個人史を描いたシャガールの試みは当時画期的だった。

昨今、多くの人々は芸術家というものに対しどんなイメージを抱いているだろうか。表現者として個人の内面を音楽や絵画といった媒介に昇華できる人物。それとも既存の権力に左右されず、自分の美学を貫く人物。現代ではモネやピカソといった芸術家たちのモラルを超えた行動や作品への情熱にカリスマ性を見出し、崇拝の念をいだいている人もいるかもしれない。そうした美術に「聖性」を求める心の動きは今でこそ一般的かもしれないが、実は今回紹介した歴史の上に成り立っているのである。

展示会場
展示会場

1830年代、サン=シモン主義者(政治家や貴族ではなく、科学や産業、労働などの生産に携わる人々が社会を導くべきだと主張した社会主義運動の一派)たちは芸術家たちに、社会のアヴァン=ギャルド(前衛)としての役割を求めた。社会の規範的な価値観から抜け出すことによって美術が美術として自律し、新しい価値を作り出すことこそが、芸術家たちの役割になっていったのである。

ルネ・マグリット《大家族》1963年 
宇都宮美術館
ルネ・マグリット《大家族》1963年
宇都宮美術館

今回この展覧会を企画した宇都宮美術館の学芸員 藤原啓氏は、こう語る。

「20世紀初頭頃から、美術や美術館が、かつて宗教や聖堂が担っていた社会的役割の一部を引き継ぐようになったと思っています。具体的には、宗教施設が果たしていた精神的・文化的機能の一部です。ライシテを切り口とした権力体制と美術の変遷は、美術館を運営する自分たちに直接的に関わる問題でもあると感じました。これが、今回の展覧会を企画した理由のひとつです」

フランス社会を知る上で欠かすことのできない概念であるライシテ。日本では馴染みがないかもしれないが、誰もが知る現代の芸術家像や美術館のあり方へと繋がっているという視点を持てば、我々にも近しいものだと感じられるのではないだろうか。

フランスの歴史と美術の展開を一気に楽しめる意義深い展覧会に、ぜひみなさんも足を運んでほしい。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
宇都宮美術館|Utsunomiya Museum of Art
320-0004 栃木県宇都宮市長岡町1077
開館時間:9:30〜17:00(最終入館時間 16:30)
会期中休館日:月曜日、 11月4日(火)、 11月25日(火)
※ただし11月3日(月・祝)、 11月24日(月・休)は開館

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