四半世紀ぶりに「裸婦の楢重」の代表作が一堂に。
近代日本を代表する洋画家の魅力を再発見
「小出楢重 新しき油絵」が、大阪中之島美術館にて、2025年11月24日(月・振)まで開催

内覧会・記者発表会レポート 一覧に戻るFEATURE一覧に戻る
文:赤坂志乃
近代日本を代表する洋画家の一人、小出楢重(1887~1931)の大規模な回顧展が、四半世紀ぶりに大阪中之島美術館で開催されている。楢重は大正から昭和初期の「大大阪時代」に活躍。日本人としての新しい油彩画を探求し、独自の裸婦像や静物画の傑作を残した。今展では、油彩画をはじめ、ガラス絵や日本画、挿絵など約170点を展示。楢重の画業の全貌とその魅力に迫る。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「小出楢重 新しき油絵」
開催美術館:大阪中之島美術館
開催期間:2025年9月13日(土)〜11月24日(月・振)
日本人としての新しい油彩画を追求

小出楢重は、大阪の中心部、島之内の裕福な商家に生まれた。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、大阪に戻り、1919年に二科展に《Nの家族》を出品し画壇デビュー。欧州への旅を機に日本人としての新しい油彩画を追求し、43歳で急逝するまで静物画や裸婦像で多くの傑作を残した。特に裸婦像は、日本女性の裸身を独自の様式で表現し、「裸婦の楢重」と称された。1924年には、画家の鍋井克之らと共に大阪に信濃橋洋画研究所を創設。戦前の関西洋画壇をけん引した。
初期から晩年まで創作の軌跡を代表作でたどる

小出楢重 《自画像》1913年 東京藝術大学
今展では、楢重の初期から晩年までの画業を代表作とともに紹介。冒頭では、大阪の中学校時代から東京美術学校時代の作品が展示されている。当時の東京美術学校西洋画科は、黒田清輝らそうそうたる指導者が集まっていた。だが、楢重は日本のアカデミズムの中心だった外光派的な指導に違和感を覚え、自ら納得できる油彩画を模索。卒業制作の自画像は、室内の自身を逆光で描き陰影が深い。
30歳を過ぎて遅咲きの画壇デビュー


右:小出楢重《N夫人像》1918年 愛知県美術館
1914年に美術学校を卒業した楢重は、大阪に戻って画業に専念するが、文展での落選が続いた。結婚して長男が誕生した後、日本画家の北野恒富の旧居をアトリエとして、《Nの家族》を完成。この作品が二科展で新人賞にあたる樗牛賞を受賞し、30歳を過ぎて遅咲きの画壇デビューを果たした。
今回、追加出品された《長祥君の肖像》は、楢重が落選続きでもんもんとしていた時代に絵を買って支えた中学校時代の同窓生を描いたもの。戦時中に被弾した後が残る、貴重な1点。

欧州旅行を転機に、楢重スタイルを確立

1921年から22年にかけてヨーロッパに渡り、楢重は画風を大きく変えていく。1920年代のフランスといえばエコール・ド・パリの画家が活躍した時代だが、楢重はセザンヌやゴッホ以降のフランス絵画に落胆して帰国。油彩画の本質を体得するために、生活スタイルを洋風に改めて日本人による新しい油彩画を探求した。1924年の自画像は、洋装でパレットと筆を持って立つ自信に満ちた画家の姿で描かれている。以前の重厚な厚塗りから絵具を薄く塗って重ねる描き方に変わり、明るく軽やかな色彩に変化。楢重独自のスタイルを確立していった。

小出楢重《帽子のある静物》1923年 公益財団法人西宮市大谷記念美術館

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より
多彩な才能を開花

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より
楢重は油彩画以外に、ガラス絵や日本画、挿絵、装幀など多彩な分野で創作活動を行っている。中でもガラス絵は、手のひらサイズの小品ながらとても魅力的だ。楢重は大衆向けの工芸品だったガラス絵を愛し、芸術の域に高めたと言われる。
また、趣味人だった父親の影響で子どもの頃から日本画を習い、美術学校の最初の2年間は日本画科に在籍。洋画家になってからも折に触れて日本画を描いている。油彩画に対するストイックな探求と違って、ガラス絵や日本画は余技の趣があり、のびのびとして大らか。大阪の商家に生まれ、道頓堀界わいで卑近なものに包まれて育ったという楢重は、上等なものだけでなく、下手ものを好んだ。大阪の旦那衆らしい趣味人的なセンスが楢重のベースにあったようだ。

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より
信濃橋洋画研究所を設立し、関西の洋画壇をリード

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より
1924年に、楢重は鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎と共に大阪市西区(現・中央区)の信濃橋交差点にあった日清生命ビルに信濃橋洋画研究所を開設した。公立美術学校のない大阪で、本格的な洋画を学ぶ研究機関として多くの画家を輩出し、関西の近代洋画界に貢献した。今展では、設立者の4作家と代表的な研究生の作品を特集展示。ビルの階上にあった研究所から街を見下ろした景色を、楢重と国枝、研究生の松井正が描いた作品は、それぞれの作風を比較できて興味深い。
芦屋にアトリエを構え、静物画や裸婦像の傑作が誕生


1926年に大阪から芦屋の洋館に引っ越してから43歳で急逝するまでの5年間は、画家小出楢重にとって、最も充実した時代だった。友人の建築家、笹川慎一の設計により西洋風のアトリエを設け、絵画制作に集中。日本人女性ならではの美しさを追求した多様な裸婦像と、リズミカルな配置で生命感あふれる静物画を数多く描いた。楢重のアトリエは、現在、芦屋市立美術博物館の庭園に復元されている。

楢重は子どもの頃に心臓病を患い、自らを「骨人」と呼ぶほど小柄で痩せていた。《帽子を冠れる自像》は、開け放った窓から差し込む明るい光の中に自身を描き、身を削って油彩画に打ち込む画家がたどり着いた充実した時間が流れるようだ。

芦屋の風景が描かれている
持病のあった楢重はあまり遠出をせず、身近な芦屋の風景を好んで描いた。《枯木のある風景》は、どこか不穏で幻想的。未完のまま、油彩画の絶筆となった。
楢重の真骨頂とされる裸婦像の代表作を一堂に展示

展覧会の最後にハイライトとして、楢重の真骨頂とされる裸婦像の中から、最晩年に描かれた選りすぐりの7点を展示。「楢重の裸婦」の魅力をたっぷり堪能できる空間となっている。楢重は、西洋人の理想的なプロポーションではなく、お腹が出ていたり足が太かったりする日本人女性の特徴をあえてデフォルメするように描き、日本人ならではのなめらかで温もりのある美しさを引き出している。


本格的な小出楢重の回顧展は25年ぶり。展覧会を企画した同館研究副主幹の高柳有紀子氏は、「小出楢重が活躍したのは今から100年前。開催が遅ければ辿れなかったかもしれない作品もあり、日本の美術史で重要な作家でも忘れ去られてしまう危機感をひしひしと感じる準備期間だった」と振り返り、「今展が、楢重が新しい油彩画を生み出してきた全貌を知り、創作の素晴らしさに気づいていただく機会になれば」と話す。
小出楢重の代表作を総覧する貴重な展覧会。初めて楢重を知る人には、近代洋画の面白さを再発見する機会になるだろう。
コレクション特別展示「異邦人のパリ」を同時開催

楢重と同時代に西洋に渡った佐伯祐三の代表作も紹介

「小出楢重 新しき油絵」展示風景より
本展に併せて、同じフロアでコレクション特別展示「異邦人のパリ」を同時開催している。佐伯祐三やモディリアーニら、小出楢重と同じ時代に西洋に渡った日本人画家とエコール・ド・パリを代表する画家の作品を同館コレクションから選りすぐって紹介。楢重の創作と照らして、当時のヨーロッパのアートシーンを知ることができる。