光と闇を直視する―現代美術家 アンゼルム・キーファーの
壮大な物語世界が京都・二条城に出現
「アンゼルム・キーファー:ソラリス」が、元離宮二条城にて2025年6月22日(日)まで開催

※作品はすべてアンゼルム・キーファー、特記以外はすべて作家蔵
構成・文・写真:森聖加
アンゼルム・キーファーはドイツを代表する現代美術家で、新表現主義の巨匠のひとりだ。1945年にドイツで生まれ、今年80歳となった。第二次世界大戦後の年月をそのまま生きたこの作家は、ドイツの歴史、ギリシャや北欧神話、哲学などを題材に、重厚で象徴性に富んだ作品を創造してきた。彼の代表作と新作が一堂に会する展覧会「アンゼルム・キーファー:ソラリス」が、京都・元離宮二条城 二の丸台所・御清所で2025年6月22日まで開催されている。壮大な物語世界を含むキーファーの作品群は、日本の歴史的建造物といかに響き合うのだろうか。
- 「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展
Anselm Kiefer SOLARIS at Nijo Castle in Kyoto
会場:元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所
604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
開催期間:2025年3月31日(月)~6月22日(日)
https://kieferinkyoto.com
創造と破壊、秩序と混沌――相反するものの交錯

太陽――生命を育み豊穣をもたらし、はじまりと再生を象徴する存在は、古代より多くの文明で神聖視され、権力の象徴として尊重されてきた。太陽の放つ光は希望や活力、ポジティブなエネルギーのしるしでもある。現代美術家 アンゼルム・キーファーにとっても、創作の重要なモチーフのひとつだ。展覧会タイトル「ソラリス」がラテン語で“太陽に関わるもの”を意味するように、展示は古代エジプトの太陽神を象った彫刻《ラー》ではじまる。
前庭に置かれた、大空に2枚の翼を広げる作品は高さ10メートル。通常、エジプトの最高神はハヤブサの頭と人間の身体をもつ姿だが、ここでは大きな翼が画家のパレットから立ち上がる。創造力の飛翔を暗示するというが、足元には大蛇がトグロを巻いていた。ラーが光と秩序の象徴である一方で、大蛇(アペピ)が表すのは闇と混沌だ。相対する要素。そして、彫刻に使われている素材は鉛。キーファーが「人類の歴史の重みを語りうる唯一の素材」と語る金属は、その重さゆえに翼の飛翔を許さない。空を目指す意志は重力に引き止められ、地上にとどまらざるを得ないためだ。ただし、あくまでこれはひとつの解釈にすぎない、作家は決して創作の意図を明らかにすることはなく、すべてを観る物に委ねている。

古代の科学者やエジプト神話で魂の善悪を計る女神マアトなどを表現
元離宮二条城は1603年に徳川家康によって築城され、江戸時代初期の政治の中枢として機能した。特に二の丸御殿は書院造の代表的な建築で、現存する唯一の将軍御殿として国宝に指定されている。御殿内部を彩る金碧障壁画は狩野探幽率いる江戸狩野派の手によるものだ。今回の展覧会の舞台、二の丸台所・御清所は御殿に付随する場所で、いわば女たちの居場所だった。台所の内部に入ってすぐ右手の土間には、白いドレス姿の3体の女性像が並ぶ。光と闇。作家は昨年下見に訪れた際、建物に入るやいなやすぐさま光の素晴らしさに感動し、自然光だけでの展示を決めたという。女たちは光の移ろいと呼応してまるで踊っているかのように、静かに語りかけてくる。
HIROSHIMAを見つめるまなざし
今回の展示には、日本での開催を強く意識した作品が多く含まれている。幅10メートルを超え、展示作品中最大の《オクタビオ・パスのために》は、終戦80年のこの年に向け制作された新作だ。キーファー自身、終戦直前の爆撃下のドイツに生まれ、戦争の傷跡とともに生きてきた。広島、長崎の原爆投下はその個人史とも重なるテーマなのだろう。

作品名にあるオクタビオ・パスはメキシコの詩人で、詩の一節が作品の上部に書かれている。油絵具やニス、金箔、焼け焦げた物質が幾層にも重なり合い混沌とした画面は、建物の太く力強い柱や梁にも揺るがず屹立する。中央に穿たれた穴は口をあけた女性の頭部だといい、断末魔の叫びをあげるよう。構図はキーファーが敬愛するヴァン・ゴッホの作品を下敷きにしているそうだが、狩野派の障壁画との呼応も意識された。縦横に走る線は、広島市に流れる川のようにも見えなくもない。そしてこの作品が下敷きにしたゴッホの《耕作地の風景》(1889)は「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーが所有していたことが新たに判明し、作品にはさらなる意味合いが加えられることとなった。

続く間の《オーロラ》も広島に関連している。画面全体を覆う骨組みの構造物は、広島の小学校をアメリカの調査団が撮影した1945年の写真が元にある。一方、中央に張り付く乳母車は、キーファーが人生で見た映画のなかでもっとも恐ろしいとするロシア映画『戦艦ポチョムキン』の一場面「オデーサの階段」を想起させるもの(舞台はウクライナ)。作品は元は《巡洋艦オーロラ(Panzerkreuzer Aurora)》というタイトルだったが、Panzerkreuzerの書き込みが消され、《オーロラ》へと改題された。「オーロラ」は日露戦争で日本軍に奪われたロシアの戦艦の名前だったともいう。

そばに置かれたガラスケースの作品《ダナエ》は、ギリシャ神話を題材とする。予言に従い幽閉されたダナエのもとへ金の雨に姿を変えたゼウスが降り立ち、彼女を妊娠させる物語をもとに制作された。金箔を施したひまわりの種が象徴的に用いられ、物質の変容や再生の可能性が暗示する。この「変容」や「再生」は広島をテーマとする作品とも重なるのかもしれない。原爆で焼き尽くされ、「草一本生えない」と言われた広島の地は、やがて生命を取り戻した。キーファーは神話や歴史、大地の記憶を通して、破壊の先にある再生の力を見つめているのだろうか?
えぐらざるを得ない歴史の傷跡――キーファーが描いたドイツ
第二次世界大戦後のドイツにおいて、「加害の記憶」とどう向き合うかは極めて困難なテーマだった。同じ敗戦国である日本も変わらない。アンゼルム・キーファーは、重たい歴史に真正面から取り組み、道徳的・詩的・神話的なレイヤーを重ねながら、記憶の再構成を試みた稀有な作家だ。原点は1969年の《占領》にあり、彼はヨーロッパ各地を旅しながら、ナチス式の敬礼をする自身の姿をセルフタイマーで撮影した。だれもが「忘れたい過去」をあえて可視化するこの行為は挑発的だと捉えられたが、作家個人には自分を前に進めるための物語だった。忌避される集団の歴史と物語を常に刻み続ける姿勢に、とりわけ敬意を抱かずにはいられない。


今回の展示にある《アンゼルムここにありき》と《ライン川》は作家の幼少期の記憶と結びついたライン川が重要なモチーフとなっている。特に《アンゼルムここにありき》では、ヤン・ファン・エイクの署名を引用し、「自らの存在を刻み込む」ことで歴史の中での自身の立ち位置を示して、過去と現在を詩的に結び付けていく。記憶は単なる過去の記録ではなく、文化的・精神的な層を持った「生きた物語」として構築されている。

光に輝く黄金の麦――金と黒の記憶装置

障子の戸から差し込む淡い光の空間を抜けると、金色の麦穂の群れがパッと目に飛び込んでくる。御清所いっぱいに、インスタレーション《モーゲンソー計画》がドラマチックに展開されている。作品名は、第二次大戦末期にアメリカの財務長官ヘンリー・モーゲンソーが立案した計画に由来。ドイツを農業国化して弱体化させるという横暴は、ドイツ国民に漏れ実現には至らなかったが、一方で、ドイツ政府の国威発揚のプロパガンダにも転化された。豊かな実りの象徴の裏に、さまざまな意味がここでも潜む。
金と黒という色の対比も大事なシンボルだ。金は豊穣や栄光を、黒は焼け跡や死を連想させる。ユダヤ人の詩人パウル・ツェランの「死のフーガ」では、金髪のマルガレータと黒髪のズラミートという二人の女性が登場する。金はドイツ、黒はユダヤの象徴だ。生と死、栄光と悲劇――麦は四方に向け穂を広げ、ざわめいている。

歴史の書き換えや消去が平気でなされる現代にどう対処すべきか。作家は静かに語り続ける。世界の傷を露わにし、創作によって詩的に語り直し、観る者に問いを投げかけながら。アンゼルム・キーファーが80年にわたり見つめてきたもの――光と闇、創造と破壊、記憶と想像力。その壮大な物語の断片が時を越えた京都の歴史的空間で、新たな問いを発し続ける。


- 「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展
Anselm Kiefer SOLARIS at Nijo Castle in Kyoto
会場:元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所
604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
開催期間:2025年3月31日(月)~6月22日(日)
開館時間:9:00~16:30 (最終入場時間 16:00)
※二条城の最終入城は4:00PM、5:00PM閉城
休館日 会期中無休 ※二条城のスケジュールに準じる
※観覧には展覧会チケットのほかに二条城の拝観料が必要です。詳しくは下記をご覧ください。
https://kieferinkyoto.com