雪舟、若冲をも育んだ相国寺の歴史と美の歴史を辿る
相国寺承天閣美術館開館40周年記念「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が東京藝術大学大学美術館にて開催

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相国寺(しょうこくじ)は、永徳2年(1382)、室町幕府三代将軍・足利義満によって、現在の京都市左京区に創建され、約640年経った現在でも臨済宗相国寺派の大本山として重要な位置を占めている。「金閣」「銀閣」の名で、日本のみならず世界中の人々に親しまれている鹿苑寺と慈照寺も、相国寺が有する禅寺だ。それぞれ室町時代の北山文化、東山文化を象徴する建築として名高い。足利将軍家と親密な縁のある相国寺は、室町時代において最先端の知識と芸術が集積した場所であったと言えるだろう。
相国寺の歴史、そこで育まれた美の世界を一望する展覧会「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が、東京藝術大学大学美術館で開幕した。相国寺の境内に建設された相国寺承天閣美術館の開館40周年を記念する本展では、同館が所蔵する足利将軍家ゆかりの品、相国寺で隆盛した詩画軸や堂内を飾った障壁画、近代以降に収集された作品まで、書、絵画、工芸と幅広い分野から、その至宝を展観する。
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- 「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」
開催美術館:東京藝術大学大学美術館
開催期間:2025年3月29日(土)〜5月25日(日)
歴代住職の功績を軸に約640年の歴史をたどる

墨蹟は「応無所住 而生其心」(=応に住する所無くして其の心を生すべし)という『金剛般若経』に見られる語。「往するところ(とどまるところ)があると執着が出てくる。とどまらず自在に心を解き放て」という意味。
本展は、相国寺の創建から現代までの歩みを5章に分けて辿る構成で、長い歴史の中で時代の変革期に重要な役割を果たした歴代住職の功績に焦点を当てている。第1章では、相国寺創建のキーパーソン、すなわち足利義満、義満が帰依した臨済宗の僧・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)、相国寺の勧請開山となった夢窓疎石(むそうそせき)について、彼らの肖像画や頂相(ちんぞう)、直筆の書などの貴重な資料と共に紹介されている。

(左)重要文化財《夢窓疎石墨蹟 春屋字号䮒偈》 夢窓疎石筆 2幅のうち1幅 紙本墨書 南北朝時代 貞和2年(1346) 鹿王院
他には、安土桃山時代から江戸時代、豊臣秀吉や徳川家康の外交政策に関わった相国寺92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)。戦国の世の混乱で荒廃した相国寺の復興に尽力し、中興の祖として尊ばれている。その西笑承兌自筆による朱印状が相国寺に伝わり、徳川の世でブレーンとして活躍した承兌の功績を今に伝える。


その承兌の3代のち、相国寺95世住持・鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が記した日記『隔冥記(かくめいき)』は、江戸時代初期の相国寺における文化活動の詳細を知る上で重要な資料だ。『隔冥記』をひも解けば、当時の様々な行事や茶の湯の会の様子がつぶさに知ることができる。

また歴代住職の功績だけでなく、禅の思想を感じることができる作品も並ぶ。相国寺の画僧・周文の作と伝わる《十牛図》は、禅の精神を示す作品として重要な作品の1つだ。「十牛」とは、禅とは何か、悟りとは何かという問いに対し、人と禅の関係を、人と牛にたとえて10の段階で示している。
8代将軍・義政が愛蔵した品も展示


足利将軍家が愛した品にも注目だ。この《唐物小丸壺茶入》は室町幕府8代将軍・足利義政が所持したとされる唐物の茶入だ。義政が収集した中国の書画や茶道具、唐物などは、現在「東山御物」と総称されている。義政が所持していた硯などの文具も展示されており、後の日本の美意識形成にも多大な影響を与えた「東山御物」の深い情趣に、思わず吸いこまれそうになる。
本展初公開―雪舟の若い頃の作品が展示
室町時代に日本美術史において画期となる出来事が起きるが、それが雪舟(1420-1506?)による「水墨画の大成」だ。雪舟がその芸術世界を確立させるうえで、相国寺は欠かせない場所だ。

備前の国で生まれた雪舟は、若い頃に相国寺で禅僧として修業をしている。その頃、相国寺では画僧の如拙(じょせつ)や周文(しゅうぶん)によって水墨画の様式が確立されていく時期であった。とくに漢詩などの詩と絵が1枚の紙の中に収まり相互補完して1つの作品となる「詩画軸」は、相国寺の画僧らを中心に発展した。本展ではそうした詩画軸の作品をはじめ、雪舟が見たであろう室町時代の水墨画の世界に触れる。

この《渡唐天神図》は、若い頃の雪舟が描いた作品で、本展にて初公開となる。天神、すなわち菅原道真(845-903)が中国・唐にわたり、禅宗の高僧・無準師範(ぶじゅんしばん・1177-1249)に参禅したという説話を基にした作品だ。それぞれの生没年を見れば分かる通り、この説話は全く荒唐無稽なものなのだが、禅宗の布教と天神信仰が結び付いていたことをうかがわせる。その後の雪舟の作品とは大きく異なり、愚直に画法を習得しようという初々しさが感じられる貴重な作品だ。
相国寺なくして伊藤若冲なしー鹿苑寺障壁画も展示
雪舟に続いて、相国寺でその芸術を開花させた絵師といえば、「奇想の画家」として現在もっとも人気の高い絵師の1人である伊藤若冲(1716-1800)だ。

相国寺113世住持・梅荘顕常(ばいそうけんじょう)と親交を結んだ若冲は、相国寺に伝わる中国画を模写したり、鹿苑寺大書院の障壁画を手掛けるなどの機会を得る。そして、ついには自身畢生の代表作となる着色花鳥画30幅、すなわち《動植綵絵》を相国寺に寄進した。
本展では、鹿苑寺大書院を飾った障壁画の一部が展示されるほか、相国寺に伝わる若冲作品が集う。極彩色で羽の一本一本まで緻密に描かれた着色画に注目されがちだが、若冲の水墨画は、その軽やかな筆致、独特の形態感覚が心地よく、観る者を飽きさせない。


大きな余白に描かれた一羽の小鳥が心地よいアクセントとなり、また奥行きを感じさせる効果もある。大画面作品ならではの若冲の空間構成の妙も楽しみたい。
探幽、若冲が手本にした名品
もちろん、雪舟と若冲の作品だけが相国寺に伝わる名品ではない。むしろその雪舟や若冲が憧れ、手本とした作品も展示されている。

この重要文化財《鳴鶴図》は、相国寺6世住持・絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が中国から帰国する際に持ち帰った作品とされている。中国・明の花鳥画家である文正(ぶんせい)が描く2羽の鶴は、清廉とした姿を見せる。江戸時代の絵師・狩野探幽や若冲が本作を模写した作品も残っており、本展では、狩野探幽が本作を模写した《飛鶴図》も展示されている。日本美術史を代表する絵師たちがこぞって模写し、自身の画風形成の礎にしていた名品をこの機会に存分に味わいたい。

近代以降に集められたコレクション
展示の後半は、近代以降に収集された作品を紹介している。

これらの作品は、他の美術館からの寄贈などもあり、必ずしも相国寺にゆかりの品という訳ではない。しかし、収集の範囲が、中国禅林の墨蹟や、鎌倉・南北朝時代の禅僧たちによる書画、あるいは円山応挙をはじめとする近世絵画などへと広がることで、日本の禅林文化の様相、またそれを土壌として芸術性を開花させた多彩な絵師や職人たちの美の世界を、より雄弁に語ることができる。



江戸時代 17世紀 相国寺【後期展示:4/29– 5/25】
本展を記念した「令和の詩画軸」も制作
本展の開催を記念し、室町時代の相国寺で隆盛した詩画軸の文化を後世に伝える取り組みとして、「令和の詩画軸」が制作された。相国寺管長・有馬賴底師の漢詩が認められた書の下に、東京藝術大学学長・日比野克彦氏が画を描いた。作品は展覧会の最後に展示され、制作の様子を収めた映像が1Fエントランスホールで上映されている。

漢詩は令和5年、7年の正月に作られた賴底師による祝語。
京都御所の北に位置し、名実ともに都の中心にあり、当代随一の知と美が集積した相国寺。雪舟や若冲も、そうした文雅の香り漂う相国寺で、己の感性を高めていった。本展では、相国寺に伝わる名品の数々から、その文雅の世界を感じてほしい。