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「寺院」であり「御所」として栄えた大覚寺
その優美で力強い至宝を一挙公開

開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が、東京国立博物館にて開催

内覧会・記者発表会レポート

重要文化財《牡丹図》(部分)狩野山楽筆 18面 江戸時代17世紀 京都・大覚寺
重要文化財《牡丹図》(部分)狩野山楽筆 18面 江戸時代17世紀 京都・大覚寺

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京都・嵯峨に位置する真言宗大覚寺派の大本山・大覚寺。来る2026年に開創1150年を迎えるにあたり、寺に伝わる貴重な品々を紹介する、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が東京国立博物館で開幕した。大覚寺の歴史を紡ぎ、空間を彩ってきた寺宝が一堂に集結した本展は、優美にして雄大、まさに壮麗な空間となっている。

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開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」
開催美術館:東京国立博物館
開催期間:2025年1月21日(火)〜3月16日(日)

五大明王像をはじめ大覚寺の信仰の要に迫る

展示室に入ると、約1.5~2mの《五大明王像》が鎮座する。
5軀のうち降三世明王と金剛夜叉明王を除く3軀は、室町時代の仏師・院信の作。
展示室に入ると、約1.5~2mの《五大明王像》が鎮座する。
5軀のうち降三世明王と金剛夜叉明王を除く3軀は、室町時代の仏師・院信の作。

大覚寺は、もともと平安時代に嵯峨天皇(786-842)の離宮として建てられた。やがて唐の文化に憧れていた嵯峨天皇が、唐から戻った弘法大師空海(774-853)を庇護するようになると、空海の勧めで持仏堂を建て五大明王像(現存せず)を安置するなど、離宮は寺としての性格を強めた。そして、貞観18年(876)に寺に改められ、鎌倉時代には後宇多法皇が入寺し、歴代天皇や皇族が関わる門跡寺院となった。

本展では、第1章で嵯峨天皇と空海の功績、そして大覚寺の信仰の要である勅封般若心経や五大明王像を紹介する。

《勅封般若心経関連文書 勅筆心経間封目録》空性筆 1通 江戸時代17世紀 京都・大覚寺
弘仁9年(818)から、慶長3年(1598)までの間に戊戌の年は14回あり、その年と当時の天皇の名前が記されている。
《勅封般若心経関連文書 勅筆心経間封目録》空性筆 1通 江戸時代17世紀 京都・大覚寺
弘仁9年(818)から、慶長3年(1598)までの間に戊戌の年は14回あり、その年と当時の天皇の名前が記されている。

勅封般若心経とは、弘仁9年(818)に干ばつによる疫病が流行した折、嵯峨天皇が紺地の綾(あや)に金字で「般若心経」を書写したとされる写経だ。その嵯峨天皇宸筆の般若心経は現在も厳密に守られ、60年に1度、戊戌の年に開封される(直近では2018年に公開)。本展では、勅封般若心経に関する貴重な資料として、開封目録など貴重な資料が公開されている。

重要文化財《五大明王像》のうち「不動明王」 明円作 平安時代 12世紀 京都・大覚寺
重要文化財《五大明王像》のうち「不動明王」 明円作 平安時代 12世紀 京都・大覚寺

重要文化財《五大明王像》明円作 平安時代 安元3年(1177) 京都・大覚寺
重要文化財《五大明王像》明円作 平安時代 安元3年(1177) 京都・大覚寺

空海の勧めで嵯峨天皇が安置した五大明王像は現存していないが、大覚寺では平安時代後期の仏師・明円(?-1199頃)による《五大明王像》が、寺の本尊として祀られいる。本展ではその《五大明王像》が揃って展示されている。このセクションを担当した増田政史氏によると、明円の《五大明王像》は、平安時代の仏像の特徴である優美さの中に、鎌倉時代の力強い作風も感じさせるとのこと。明円がほかにどのような仏像を制作していたかは記録が残っているものの、現存するものは本作のみで、仏像史においても貴重な作例といえる。

「寺院」であり「御所」

鎌倉時代半ば、後嵯峨天皇が出家し大覚寺に入ると、子の亀山天皇、孫の後宇多天皇も譲位後に大覚寺に入る。特に後宇多法皇(1267-1324)は、阿闍梨となり弟子を育てるまでとなった。やがて、後宇多法皇が譲位後の住まいである仙洞御所を大覚寺に置き院政を行ったため、大覚寺は「嵯峨御所」と呼ばれた。

続く第2章、第3章では、大覚寺中興の祖・後宇多法皇の事績をひも解き、南北朝時代の戦禍を経て、戦国時代には天皇家や近衛家との結びつきが強くなったことで、大覚寺にもたらされた宮廷文化を紹介している。

国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》 後宇多天皇筆 1幅 鎌倉時代 正和4年(1315) 京都・大覚寺【前期展示~2/16まで】
国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》 後宇多天皇筆 1幅 鎌倉時代 正和4年(1315) 京都・大覚寺【前期展示~2/16まで】

写真の「弘法大師伝」をはじめとする後宇多法皇の宸筆の数々が並び、仏道を極めた後宇多法皇の姿、空海への思慕の強さに思いを馳せる。また織田信長や豊臣秀吉が大覚寺の領土を安堵したことを示す資料などからは、戦乱の世で「寺院」であり「御所」という大覚寺の特殊な性格がうかがえる。

源氏重代の太刀「髭切」「膝丸」も揃って展示

さて本展の注目作品の1つが、源氏の歴代武将が所持し、いくつもの逸話が伝わる名刀《太刀 銘 安綱》(以下「髭切」)と《太刀 銘 □忠》(以下「膝丸」)だ。

重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》 1口 鎌倉時代 13世紀 京都・大覚寺
重要文化財《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)》 1口 平安~鎌倉時代 12~14世紀 京都・北野天満宮
重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》 1口 鎌倉時代 13世紀 京都・大覚寺
重要文化財《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)》 1口 平安~鎌倉時代 12~14世紀 京都・北野天満宮

「源氏重代の太刀」として名高い「髭切」と「膝丸」は、源満仲の命で作られたとされ、罪人でその斬れ味を試したところ、一方は罪人の髭を断ったため「髭切」、他方は膝を切り落としたため「膝丸」と名付けられた。そして、「髭切」は源頼光の鬼女退治伝説から「鬼切丸」、「膝丸」は大蜘蛛退治の伝説から「蜘蛛切」と呼ばれるようになる(膝丸はさらに源義経が所持した際に「薄緑」に名を改めた)。その呼称の多さと伝説的な逸話の多さは、両刀がいかに名刀として尊ばれてきたかを物語る。

《薄緑太刀伝来記》 1通 江戸時代 17~18世紀 京都・大覚寺
「薄緑」の歴代所持者の伝来を伝える。
《薄緑太刀伝来記》 1通 江戸時代 17~18世紀 京都・大覚寺
「薄緑」の歴代所持者の伝来を伝える。

このセクションを担当した佐藤寛介研究員によると、両刀が揃っての展示は東京では初という。この機会に「髭切」と「膝丸」という名刀が並ぶ様子を眼に焼き付けたい。

大覚寺を彩る障壁画、約100面が一挙公開

展覧会の後半は、最大の見どころである、宸殿と正寝殿(共に重要文化財)を彩った障壁画の100面一挙公開だ。宸殿は江戸時代前期、後水尾天皇に入内した徳川和子(東福門院)の女御御所が後に移築されたものと伝えらえ、正寝殿は安土桃山時代を代表する建築の1つ。寺の中核となる宸殿と正寝殿の障壁画は全部で約240面あるが、そのうち前期では100面、後期では102面が展示される。

重要文化財《牡丹図》展示風景
重要文化財《牡丹図》展示風景

展示室はパーテーションを極力設けず、大空間の中で作品を一望できるため、絵画世界に没入するような特別な体験となるだろう。また、正寝殿の中でも最も位の高い「御冠(おかんむり)の間」の再現展示など、障壁画の性格や魅力を体感できる。

「御冠の間」の再現展示
一段高くなった玉座の周囲を囲むのは、狩野山楽の《山水図》。
「御冠の間」の再現展示
一段高くなった玉座の周囲を囲むのは、狩野山楽の《山水図》。

京狩野の祖・山楽の画力が冴えわたる

そして、大覚寺の障壁画を語る上で最も重要な人物が狩野山楽(1559-1635)だ。戦国時代に活躍した狩野永徳の弟子として、その力強い画風を引き継ぎ、豊臣家や九条家の御用を務め、さらに独自の画風を形成して「京狩野派」の祖となった。

重要文化財《松鷹図》(部分) 狩野山楽筆 13面 安土桃山~江戸時代 16~17世紀 京都・大覚寺【前期展示~2/16まで】
重要文化財《松鷹図》(部分) 狩野山楽筆 13面 安土桃山~江戸時代 16~17世紀 京都・大覚寺【前期展示~2/16まで】

正寝殿「御冠の間」を飾った《山水図》や、「鷹の間」に描かれた《松鷹図》などの水墨画では、温和で格調高い風情が漂う。《松鷹図》の松の形は、師・永徳の《檜図屛風》(東京国立博物館所蔵)を思わせるが、柔らかい筆致と大きな余白で力強さは和らぎ、穏やかな調和を見せる。

重要文化財《牡丹図》(部分)狩野山楽筆 18面 江戸時代 17世紀 京都・大覚寺
重要文化財《牡丹図》(部分)狩野山楽筆 18面 江戸時代 17世紀 京都・大覚寺

一方、宸殿で最も大きな部屋で、儀礼の場の中心となる「牡丹の間」を飾った《牡丹図》は、金地の背景に華麗な牡丹の花が咲き乱れ、眼を見張る存在感を放つ。調査の結果、襖の引手跡や紙継ぎの様子から、現在の18面の襖のうち、一部は別の建物の襖絵だったものを移したと考えられている。その中で、ほとんど改変の跡がない8面が山楽の真筆と考えられている。

花びらや葉は一枚一枚丁寧に描かれており、近くで見ればその花びらや葉を揺らす風をも感じるようだ。金箔地の物質的な輝き、直線的な岩の表現、牡丹のリズミカルな配置など工芸的なデザイン性と、芳しい花の香りを感じさせる優美な趣を湛える絵画的表現が、見事に調和している。

《牡丹図》の裏には、同じく山楽の手による《紅白梅図》が描かれている。
《牡丹図》の裏には、同じく山楽の手による《紅白梅図》が描かれている。

都の中心地から離れた風光明媚な嵯峨の地で、天皇の離宮として誕生し、寺院となり、御所となった大覚寺。さまざまな役割を担ってきたその歴史は、優美でしなやかな強さをもった壮麗な芸術を花開かせた。本展では大覚寺を訪れたような心地で、その至宝に囲まれる贅沢を味わいたい。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
東京国立博物館|Tokyo National Museum
110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間:9:30〜17:00
会期中休館日:月曜日、2月25日(火) ※ただし2月10日、24日は開館

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