自身の攻撃的感情を観察し、作品に昇華。
98歳まで〈女、アーティスト〉を生き抜いた
ルイーズ・ブルジョワの大回顧展
「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が森美術館で2025年1月19日(日)まで開催

Installation view Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful. Mori Art Museum, Tokyo, 2024
©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
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構成・文・写真:森聖加
21世紀の現在も「女として生きること」は、さまざまな伝統的価値観と衝突したり、葛藤したりを余儀なくされるものだ。20世紀のフランス・パリに生まれたルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)の作品には、女としてこの世界を生きることで日々遭遇する、ときに暴力的で、複雑な感情が色濃く表現されている(本人は女性性を強調したものではないと否定するけれど)。東京・六本木の森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」は、98年の生涯を力強く生き抜いた、ひとりの女性の魂に触れる展覧会だ。

©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「ルイーズ・ブルジョワ展:
地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」
開催美術館:森美術館
開催期間:2024年9月25日(水)〜2025年1月19日(日)
「私を見捨てないで!」痛切な思いはいかに形成されたのか?
2003年、六本木ヒルズは職・住・遊が近接する新しい都市のあり方を体現する街としてオープンした。遊(エンターテインメント)の核となる施設のひとつが森美術館であり、エリアに点在するパブリックアートだ。なかでも六本木ヒルズの象徴的存在として鎮座する高さ約10mの蜘蛛の彫刻《ママン》は、街を訪れた多くの人が親しんできたことだろう。この《ママン》の作者こそが本展覧会の主役、ルイーズ・ブルジョワ。開業から20年あまり、20世紀を代表する重要アーティストのひとりである彼女の芸術を総括する、森美術館たっての企画を実現した大規模個展だ。

1911年、フランス・パリでタペストリーの修復工房と画廊を営む両親の次女として、ルイーズ・ブルジョワは生まれた。家は裕福であったものの内情は複雑だった。父は工房を継ぐ男の子の誕生を期待していたが、姉に続いて生まれた子ども(ルイーズ)はまたも女……と平然と態度に表す人物であり、絶対的な権力で一家を支配した家父長的思想の持ち主だった。会場で上映されているインタビュービデオのなかでも「家族、親戚一同がきちんと身なりを整えているなかでひとり、無頓着な服装で平然としていた」とルイーズが話すような、モラハラ人間でもある。

それでも父に愛されたい、けれど、憎くてしょうがない。そんな感情は年を追うごとに増幅されていく。第一次世界大戦がはじまると、父は叔父の戦死を知り家族を置いて戦地へ旅立つ。大怪我を負った父を母親とともに見舞うと、親友のように近しい存在だった母が自分よりも父を大事に思うことを恨めしく思い、孤独を覚えた。その後、母はスペイン風邪に罹り、ルイーズは学校に通いながら母の介護をするヤングケアラーとしても過ごした。追い打ちをかけたのは、病身の母の存在にも関わらず、父はルイーズの家庭教師として雇い、家に住まわせた女性と不倫関係にあったこと。母親は当然のこと、家族全員が知るなかで不貞は続けられていた。
こうした耐え難い苦痛がルイーズ・ブルジョワの精神を蝕んだことは想像に難くない。彼女の拠り所だった母は、彼女が20歳のときに亡くなる。私はひとり、残された。この別れが、彼女を生涯にわたって悩ませ、作家としては創造の核となった、見捨てられることに対する「恐れ」の起源となる。

©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

「攻撃」しないと、生きている気がしない。
だれかに守っていて欲しい。特に母親の不在、欠如を補うかのように、母性を象徴する大きな胸をもつ人形や、授乳をテーマとする彫刻、絵画の数々をブルジョワは繰り返し制作した。フランス語で母を意味する《ママン》と名付けられた彫刻に代表される蜘蛛は、実の母と同時に自身を象徴するモチーフで、展覧会会場では絵画の小品1点と大型インスタレーションとして《かまえる蜘蛛》と《蜘蛛》の2作品が展示されている。一方は、姿勢を低く保ち、向かってくる相手を威嚇するかのような蜘蛛、もう一方はその内側にさまざまな思い出を包み大切に守る蜘蛛で、二面性を持った母性を表現する。


突発的な嫉妬や怒り、不安、罪悪感、殺意、自殺願望など、ネガティブな感情はどこから来るのだろう? 1951年に父が亡くなったのち、鬱状態に陥ったブルジョワは作家活動を一時休止して精神分析を受ける。過去を振り返ることは再び「地獄」を体験することでもあり、決して楽しい時間ではなかっただろう。しかし、そうすることでようやく、父に対する愛憎が自身の人生に影響を与えてきたことを自覚した。

1974年の《父の破壊》は、洞窟のような空間に血の色をした塊が転がる作品だが、これは幼いころに母やきょうだいと父親を解体してテーブルの上に並べて食べるという空想を立体化したものだそう。解体して食べる、つまりその身と一体となることで、父を克服する1歩を踏み出したのだ。


トラウマを完全に治癒できなくとも。自身の感情と記憶に向き合い続けて
「『攻撃』しないと、生きている気がしない」。聞けば恐ろしい、こんな言葉もブルジョワは残したそうだが、攻撃的な感情が家族や近しい人たちに向かないように、コントロールするための行いが作品の制作だった。「芸術は正気を保証する」とも言ったように、表現手段をもつことのできたブルジョワは、出口のない中でもがき苦しむ人よりは、少なくとも幸いだったのではないだろうか。

展示された作品の最後を締めくくるのは、片足を失い、松葉杖をついた傷ついた身体から青く、美しい果実を実らせた《トピアリーIV》だ。本展担当者の一人、アソシエイト・キュレーターの矢作 学氏は次のように話す。
「ルイーズ・ブルジョワは苦しみから完全に解放されること、もしくは過去のトラウマを完全に治癒できるとは決して信じていませんでした。それでも何度も何度も繰り返し、不安や恐怖など心の痛みに立ち戻りながら、それらと向き合い続け、自身の感情と記憶をアート作品として芸術の域まで高める活動を他界する98歳まで続けました。そんなアーティストの姿勢を《トピアリーIV》という作品はよく表現していると思いますし、展覧会の副題でもある『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』という彼女の言葉につながるのです」
