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美しい森と湖に抱かれたヴィラ「ヴィトレスク」
建築家たちの美しい生活と仕事に思いをはせる

パナソニック汐留美術館「サーリネンとフィンランドの美しい建築」展覧会レポート

展覧会レポート

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構成・文 藤野淑恵

「サーリネン」という名前を聞いて最初に思い浮かんだのは、アメリカのモダンファニチャーKnoll社の美しい椅子で有名な建築家エーロ・サーリネンだった。しかし今回の展覧会の主人公は、エーロが学んだクランブルック美術アカデミー(チャールズ&レイ・イームズはエーロの学友。ともにこの学校で学んだ)の初代校長であり、エーロの父でもあるエリエル・サーリネン。フィンランドを代表する国民的な建築家であるエリエル・サーリネンは、1923年にアメリカに渡り、自ら設計したクランブルック美術アカデミーで若き才能を育て、息子エーロと建築事務所を設立して設計やデザインに邁進する。本展はそのフィンランド時代にスポットを当てたもので、設計図や建築写真、調度品のデザイン画やインテリア、家具などが展示されている。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」
開催美術館:パナソニック汐留美術館
開催期間:2021年7月3日(土)~9月20日(月・祝)

「フィンランドの建築といえば、フィンランド・モダニズムの父といわれるアルヴァ・アアルトがよく知られており、日本でもたびたび展覧会が開催されてきました。アアルトの自然に根ざした造形や、総合芸術として暮らしをデザインする考え方は、エリエル・サーリネンにすでに始まっています。北欧デザインの魅力をさらに知っていただきたいと考え、この展覧会を企画しました。」
パナソニック汐留美術館の学芸員で今回の展覧会を担当した大村理恵子氏は語る。

エリエル・サーリネンは1873年、フィンランド大公国の東部、ランタサルミに生まれた。ヘルシンキ工科大学在学中に出会った学友ゲセリウス、リンドグレンとともに「ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築事務所(以下GLS)」を設立(1896年)。事務所設立のわずか2年後の1898年、GLSは1900年のパリ万国博覧会フィンランド館の設計コンペで一等賞を獲得した。初期には同館やフィンランド国立博物館(1910年)など、フィンランドの独自の文化を表現したナショナル・ロマンティシズムと称されるアール・ヌーヴォーの影響をうかがわせる建築を、後にはヘルシンキ中央駅(1914年)に代表される、フィンランド建築のモダニズムへの移行を示した建築を発表し、才能溢れる3人の建築事務所は、若くしてその名声を高めた。

夜のヘルシンキ中央駅玄関、エーミル・ヴィークストロムによる彫像《ランタンを持つ人》
Photo ©Museum of Finnish Architecture/ Foto Roos
夜のヘルシンキ中央駅玄関、エーミル・ヴィークストロムによる彫像《ランタンを持つ人》
Photo ©Museum of Finnish Architecture/ Foto Roos

エリエル・サーリネンは、アルバ・アアルトや息子のエーロ・サーリネンに比べるとこれまで日本で紹介される機会が少なかったように思えるが、今回エリエルの、特にフィンランド時代にフィーチャーした理由について大村氏は語る。

「エリエル・サーリネンは民族の独自性を強調したナショナル・ロマンティシズムと称された作風から、新しいフィンランドらしさを追求したモダンな作風、そしてアメリカに移住してからは、ヨーロッパの最新のモダニズムをアメリカに伝える重要な役割を果たしました。それは、1937年にアメリカに赴きバウハウスの教育を伝えたヴァルター・グロピウスよりさらに早いのです。そしてエリエルに薫陶を受けたエーロという父子の系譜によって、50年代アメリカのミッドセンチュリーモダンに流れ込んだ影響も重要です。そうしたエリエルの原点を、フィンランド時代の作品を通して知っていただければ、と考えました。」

建築家エリエル・サーリネンの肖像写真
Photo: Daniel Nyblin/ Finnish Heritage Agency, 1897
建築家エリエル・サーリネンの肖像写真
Photo: Daniel Nyblin/ Finnish Heritage Agency, 1897

展示室に足を踏み入れると、森と湖の国フィンランドを象徴する幻想的な写真に迎えられる。静謐な空間は、オッコ・カム指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団による交響詩フィンランディアの調べに包まれていた。展覧会のプロローグとして紹介されている民族叙事詩「カレワラ」は、当時公用語とされていたスウェーデン語ではなく、民衆の言葉フィンランド語で歌い語り継がれてきた民間の伝承詩がまとめられたもので、複数の主人公が登場する壮大な物語。サーリネンだけでなく、シベリウスなど当時のフィンランドを代表する芸術家たちのイマジネーションの源となった。

フィンランド第二の国歌とも呼ばれるフィンランディアが書かれた1899年当時、帝政ロシアの支配下で圧政に苦しむフィンランドでは、この曲は民族意識や独立の機運の高まりの象徴となる。サーリネンらGLSの若き建築家たちが大学で学び、1900年のパリ万国博覧会フィンランド館の設計コンペで一等を獲得(1898年)して彗星のごとくデビューした時代は、まさにこの時代と重なる。GLSが設計したフィンランド館のパヴィリオンはパリ万博で複数の賞を獲得し「高貴で詩的な深さを持つ」と賞賛された。結果的に国際的に注目されることに貢献し、国民の愛国心を高めるための重要な役割を果たしたのだという。

1900年パリ万国博覧会フィンランド館
ラハティ市立博物館
1900年パリ万国博覧会フィンランド館
ラハティ市立博物館
イーリスの間の伝統織物ルイユ「炎」 デザイン:アクセリ・ガレン=カレラ フィンランド手工芸協会製作 フィンランド・デザイン・ミュージアム
イーリスの間の伝統織物ルイユ「炎」 デザイン:アクセリ・ガレン=カレラ フィンランド手工芸協会製作 フィンランド・デザイン・ミュージアム

GLSによるフィンランド館設計第一等案の図面や内部の写真と共に展示された、「イーリスの間」の工芸品の美しさと現代性には目を見張る。なかでも注目したのは、ベンチ用のラグとして画家のガレン=カレラがデザインしたフィンランドの伝統織物ルイユ「炎」だ。ベンチの背面から座面、そして床を覆うという独特の使い方をするラグのこのデザインは、のちに国家のアイコンとしての地位を獲得。サーリネンはこの「炎」の織物を後に自邸で使用している。同じくガレン=カレラが自然のモチーフをデザインしたタピストリーの「雷鳥」や「イーリスチェア」と同様、シンプルな中にも素朴な温かみがあり、今日も世界を魅了している「スカンジナビア的」、「フィンランド的」な魅力に満ちている。

ポホヨラ保険会社ビルディングの中央らせん階段
Photo ©Museum of Finnish Architecture/ Karina Kurz, 2008
ポホヨラ保険会社ビルディングの中央らせん階段
Photo ©Museum of Finnish Architecture/ Karina Kurz, 2008

展覧会のポスターにも使われている流麗な螺旋階段は、GLSの代表作のひとつであるポホヨラ保険会社ビルディング(1901年)に設えられたものだ。この建築の正面入り口の悪魔や妖精、フクロウ、クマの石像や装飾ディテールのモチーフは、民族叙事詩『カレワラ』に由来する。地上5階建、地下1階の建物は、エントランスから尖塔、ドア、玄関ホール、階段の装飾などあらゆるディテールのひとつひとつが工芸作品のように美しい。サーリネンの代表作であるフィンランド国立博物館(1910年)、ヘルシンキ中央駅(1914年)同様、設計図や立面図、写真を眺めるだけでなく、ヘルシンキに赴き実際の空間に身を置いてみたいと思うのは、私だけではないはずだ。

ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所《ヴィトレスク、リンドグレン邸の北立面(左)、スタジオの断面が見えるリンドグレン邸の南妻面(右)》1902年フィンランド建築博物館
ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所《ヴィトレスク、リンドグレン邸の北立面(左)、スタジオの断面が見えるリンドグレン邸の南妻面(右)》1902年フィンランド建築博物館

今回の展覧会の中で、まるで映画を鑑賞するようにエリエル・サーリネンという人物とその周辺の人々の生活が立ち上がってくるのは、ゲセリウス、リンドグレン、サーリネンが3人で土地を購入し、仕事場を兼ねた住まいとして建設したヴィラ「ヴィトレスク」が紹介されているコーナーだ。ヘルシンキの西方25kmに位置するキルッコヌンミ市ヴィトレスク湖畔の森に実現した、GLSの共同生活の拠点「ヴィトレスク」は、フィンランドの自然とナショナル・ロマンティシズムの思想を体現した、3人の建築家たちの理想郷だった。

サーリネン一家が住んだ南棟の前で撮影された一枚の家族写真に引き寄せられた。長女ピプサン、妻ロヤ、長男エーロ、そしてエリエル・サーリネン。豊かな森を背景にした蔦の絡まる邸宅の日常風景からは、幸福な家族の情景が伝わってくる。タイル貼の大きな暖炉、伝統織物ルイユで彩られたベンチ風のソファなどアーツ&クラフツの赴きがあるインテリアでまとめられた重厚なリビングルームやダイニングルーム、ベッドルームや子ども部屋は一転して白でまとめられ、明るい自然光が降り注ぐ。内装だけでなく家具や燭台、オーブンのタイルからワイングラスに至るまで、サーリネン自身のデザインによるものだ。

公式図録の巻頭に寄せられた伝記作家ティモ・トゥオミのエッセイによると、第一次世界大戦が始まる前の「ヴィトレスク」は知識人が集う文化的にも重要な場所だったという。国内からはサーリネンの友人である画家ガレン=カレラ、作曲家のシベリウス、国外からは作曲家のマーラーやゴーリキーなど。もてなし上手であったとされるサーリネン夫妻だが、コケモモのパイはもてなしの一品としてゲストから人気があったということだ。幼いエーロは父と一緒に、ヴィトレスク湖畔の森でコケモモ摘みを楽しんのだろうか。

同じく、公式図録にはヴィトレスクで起こった驚くべきエピソードが紹介されていた。「既婚者だったエリエル・サーリネンは、ヘルマン・ゲセリウスの妹で芸術的な才能に恵まれたロヤに夢中になり、一方でゲセリウスは、サーリネンの最初の妻マティルダに恋をした。時が過ぎ、2組のカップルは1904年3月の同じ日に結婚式を挙げた。サーリネン家のダイニングルームに飾られたガラス絵は、この出来事を描いていると言われ、『恋敵』というタイトルで知られている。」(公式図録76頁 20世紀のヴィトレスクでの生活 ミッコ・テラスヴィルタ(フィンランド国立博物館)より抜粋)

妻のロヤ・サーリネンは「ヴィトレスク」のメインルームのシャンデリアや彫刻を手がけ、季節ごとに中庭を美しく整えた。才能豊かなロヤは、この地でテキスタイルデザインを学び、後にテキスタイル事務所を開いてサーリネン建築の室内装飾を担当。サーリネンが新天地アメリカに渡ってからは夫とともにグランブルック美術アカデミーでテキスタイル学科を率いるなど、公私に渡ってサーリネンと協働する良きパートナーだったという。

ナショナル・ロマンティシズムの色彩が濃い邸宅とは異なり、GLSの仕事場となったスタジオやライブラリーはクラシックで端正な佇まいを持つ、機能的なオフィス空間といった印象だ。真剣に図面に向かうサーリネンのデスクの前に長女のピプサンが座っている写真や、スタジオ脇のビリヤードに興じる大人たちの側に幼い日のエーロ・サーリネンが顔を覗かせている写真は、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようで、見るものにここで繰り広げられたサーリネンたちの充実した日々のイメージを掻き立てる。

ゲセリウス、リンドグレン、サーリネン3人がヴィトレスクで共同生活を送った期間は短かったが、この邸宅はそのままサーリネンの所有となり、息子のエーロも1910年にここで生まれた。1923年にサーリネン家がアメリカに移住した後も、1949年までは家族の愛する夏の別荘であり続けたという。エリエル&ロヤ・サーリネン夫妻の墓も、ヴィトレスクの敷地内にある。現在、ヴィトレスクは美術館となっている。

ライフスタイルデザインのコーナーの展示風景。左よりエリエル・サーリネンの
《テーブルクロスのスケッチ》1904年、《バラのタペストリーのスケッチ》1904年、《クッションのスケッチ》1905年 すべてフィンランド・デザイン・ミュージアム
ライフスタイルデザインのコーナーの展示風景。左よりエリエル・サーリネンの
《テーブルクロスのスケッチ》1904年、《バラのタペストリーのスケッチ》1904年、《クッションのスケッチ》1905年 すべてフィンランド・デザイン・ミュージアム
エリエル・サーリネン《ヴィトレスクのサーリネン邸の寝室の椅子》1902-1903年頃
製作:おそらくフィンランド手工芸協会
フィンランド国立博物館
エリエル・サーリネン《ヴィトレスクのサーリネン邸の寝室の椅子》1902-1903年頃
製作:おそらくフィンランド手工芸協会
フィンランド国立博物館

展覧会のエピローグ「新天地、アメリカ−サーリネンが繋いだもの」では、サーリネン夫妻が美術アカデミーの敷地内に建てた自邸兼スタジオ「サーリネンハウス」の写真が紹介されている。家具は主にエリエルがデザインし、一部は息子のエーロが、そしてソファにかけられたフィンランドの伝統織物ルイユを含むテキスタイルはロヤが手がけたものだという。新天地アメリカ ミシガン州グランブルックで息子エーロの家族に囲まれた家族写真の中心で、満ち足りた表情を浮かべるエリエル&ロヤ夫妻の姿が印象に残る。


図面、写真、作品資料の展示が中心でありながら、エリエル・サーリネンの建築やデザインの手触りや質感、空気感を感じる展覧会となっているのは、フィンランドの豊かな自然を象徴する湖をイメージし、サーリネンの建築の特徴である扉や窓の開口部にも注目して会場デザインのモチーフに取りいれた久保都島建築設計事務所(久保秀朗・都島有美)による会場構成に拠るところも大きいだろう。

担当学芸員の大村氏は、「コロナ禍により、フィンランドからの出品作品のセレクションにも影響があり、ヴァーチャル・クーリエを実施するなど、開催にあたっては企画協力の株式会社キュレイターズともども苦労もありましたが、当館は開館当初から建築展を開催しつづけ、美術や工芸との交差点にあるような建築展をつくりだすことを心がけています」と語る。「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」は、パナソニック汐留美術館の魅力を堪能するのに最もふさわしい展覧会といえるのかもしれない。

美術館のエントランスでは、エリエルの孫でエーロの息子である映画監督、エリック・サーリネンがエリエルの建築をナビゲートするムービーが上映されている。今回の展覧会で紹介されているエリエルの代表的な作品の映像が流れ、建築家フランク・ゲイリーがエリエルへの賞賛を語る興味深いムービーだが、そこではエリエル・サーリネンの7つの肩書きが紹介されている。Architect(建築家)、Furniture Designer(家具デザイナー)、Painter(画家)、Graphic Designer(グラフィックデザイナー)、City Planner(都市計画者)、Product Designer(プロダクトデザイナー)、Teacher(教育者)。展覧会を一見すると、7つの肩書きがサーリネンという芸術家に欠かせないものであることを理解できる。この映像はサーリネン・ファウンデーションのホームページでも公開されている。
https://www.saarinenfoundation.org/the-work.html

「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」公式図録
2,500円(税抜)発行 :株式会社キュレーターズ
「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」公式図録
2,500円(税抜)発行 :株式会社キュレーターズ

「サーリネンとフィンランドの美しい建築」展は、パナソニック汐留美術館での開催の後、いわき市立美術館を巡回予定(2021年11月6日~12月19日)。先に紹介した興味深い寄稿文や美しい図版が収められた公式カタログは、装丁やデザインも白眉。展覧会のエッセンスが凝縮されており、繰り返し扉を開きたくなる魅力的な一冊であることを紹介しておきたい。

参考文献:「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」公式図録 発行:株式会社キュレーターズ

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