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真価を引き出す芸術家マン・レイの力

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「マン・レイと女性たち」 展覧会レポート

展覧会レポート

(上段左と中央、および下段左)《アングルのヴァイオリン》 1924年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵、《エロティックにヴェールをまとう-メレット・オッペンハイム》 1933年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵、《天文台の時刻に―恋人たち》 1934/1967年 リトグラフ(多色)個人蔵 3点すべて、Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374 (上段右)《カメラをもつセルフポートレート(ソラリゼーション)》 1932-35年頃 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ) 個人蔵 Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374、(下段右)会場展示風景
(上段左と中央、および下段左)《アングルのヴァイオリン》 1924年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵、《エロティックにヴェールをまとう-メレット・オッペンハイム》 1933年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵、《天文台の時刻に―恋人たち》 1934/1967年 リトグラフ(多色)個人蔵 3点すべて、Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374 (上段右)《カメラをもつセルフポートレート(ソラリゼーション)》 1932-35年頃 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ) 個人蔵 Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374、(下段右)会場展示風景

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構成・文 小林春日

「わたしは事実、もうひとりのレオナルド・ダ・ヴィンチであったのだ」と、自らをルネサンス期の天才芸術家ダ・ヴィンチになぞらえたマン・レイは、写真、オブジェ、絵画、彫刻、映像、文学などあらゆる領域で活動した芸術家である。

現在、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている 展覧会「マン・レイと女性たち」では、そのマン・レイの万能ぶりを発揮する多彩な芸術作品が紹介されている。マン・レイの作品には、美しさ、エレガントさ、ユーモアがあり、すべての芸術作品におけるセンスの良さは比類なきレベルである。

会場展示風景 / 会場入り口のパネルの作品は《ガラスの涙》。1934年にシュルレアリスムの雑誌に作品として発表されたのち、化粧品会社によってマスカラの広告として採用された写真
会場展示風景 / 会場入り口のパネルの作品は《ガラスの涙》。1934年にシュルレアリスムの雑誌に作品として発表されたのち、化粧品会社によってマスカラの広告として採用された写真
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「マン・レイと女性たち」
Bunkamura ザ・ミュージアム にて 2021年9月6日(月)まで開催中!

マン・レイの芸術活動開始と「ダダイズム」

ニューヨーク市ブルックリンで、仕立屋を営む両親のもとで、幼い頃から画家になることを志したマン・レイ(1890-1976)。高校卒業後は芸術の道に進み、ニューヨークで、既存の価値や秩序を否定し、破壊をめざす芸術運動「ダダイズム」に参加し、芸術活動を開始した。

ダダイズムの「ダダ」という言葉は特に何も意味をなさない。1916年にスイス・チューリッヒで始まったこの芸術運動は、愚かな大戦に行きついた西欧の旧体制に反抗し、理性や作為で作られる芸術や言語の意味作用を否定・破壊しようとした芸術運動で、その後国際化して、ニューヨークにも飛び火している。

詩人のトリスタン・ツァラや、画家のフランシス・ピカビアなどが、ダダの活動を牽引した重要人物であるが、ダダイズムの先駆的な作品としては、フランス出身の芸術家マルセル・デュシャンの作品「泉」があげられる。男性用便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という架空の人物のサインを入れただけのものを、アンデパンダン展に出展した。

芸術の権威を否定したようなデュシャンの作品「泉」は、誰でも参加が可能なはずの公募展において、出品を拒否される。芸術とは何か?という問いを突き付けることとなったこの作品の登場は、美術史における現代美術への転換点となっている。

マン・レイもデュシャンに追随してダダ的な活動を続け、この公募展にも「女綱渡り芸人は彼女の影をともなう」という作品を出展している。本展で、この作品のリトグラフ※が観られるので、ぜひ見逃さないでほしい。
※1916年に出展された油彩(MOMA所蔵)を、彼自身が1970年にリトグラフで再制作したものを展示している。

《カメラをもつセルフポートレート(ソラリゼーション)》1932-35年頃 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ)
個人蔵 / Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374
《カメラをもつセルフポートレート(ソラリゼーション)》1932-35年頃 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ)
個人蔵 / Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374

パリに渡ったマン・レイと「シュルレアリスト」たちとの出会い

1921年に、マン・レイは、フランス・パリへと渡り、1919年にフランスに帰国していたデュシャンに出迎えられている。パリに到着したその日に、ダダイズムの若き作家たちが落ち合うカフェに連れられ、この後、ダダイストからシュルレアリストへと活動を移していく芸術家たちに出会う。数年後にシュルレアリスムの運動を起こすことになる詩人のアンドレ・ブルトン、同じく詩人のポール・エリュアールとその妻ガラ(10年後にサルバドール・ダリの妻となる)、作家で詩人のルイ・アラゴンやフィリップ・スーポー、ジャック・リゴーらに、マン・レイは仲間の一人として温かく迎え入れられる。その後、ダダの創始者トリスタン・ツァラやフランシス・ピカビアともパリで会う。

シュルレアリスムとは、アンドレ・ブルトンが、『シュルレアリスム宣言』として発表したその思想が、芸術運動に発展していったものである。レアリスム(現実)を超えた、「超現実」と日本語では訳されるが、シュル(Sur)はフランス語で「~の上」を意味する。ダダイズムが、現実を否定し破壊するものであったとすると、シュルレアリスムは現実を超えて、人間の無意識下にあるものや、潜在意識の現れである夢を表現することで人間を解放する、といった考え方で、やがて収束していくダダイズムの思想は、シュルレアリスムに受け継がれていく。

この後、マン・レイは、パリでシュルレアリストとしても芸術活動を続けるようになり、芸術家らのみならず社交界の人々とも交友し、前衛作家としての活動のかたわら時流に先んじた肖像・ファッション写真家として活躍した。第二次大戦がはじまると、フランスに留まることが難しくなり、アメリカへ戻ったが、1951年には、ふたたびパリへと戻る。写真家としてだけでなく、画家・オブジェ作家としての名声もやがて確立していく。

マン・レイと女性たち

今回の展覧会では、マン・レイと女性たちとの関わりにフォーカスしている。マン・レイが愛した5人の女性(最初の妻アドン・ラクロワ、藤田嗣治やキスリング、スーチンなどのミューズでもあったキキ・ド・モンパルナス、のちに従軍写真家となったリー・ミラー、カリブ海出身のダンサー、アディ・フィドラン、21歳年下でその後の生涯を伴にするジュリエット・ブラウナー)のほか、数十人に及ぶ個性的で魅力的な女性たちをモデルとして作品に留めている。

《ジュリエット》(作品集『ジュリエットの50の顔』より) 1943年 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ)コンタクトシート 個人蔵/ Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris/ © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374
《ジュリエット》(作品集『ジュリエットの50の顔』より) 1943年 ゼラチン・シルバー・プリント(ヴィンテージ)コンタクトシート 個人蔵/ Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris/ © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374

マン・レイが生まれた1890年といえば、日本は明治期。鎖国を解いて、江戸から明治に改元した1868年からまだ十数年。身分差別が残り、家父長制が続き、社会規範を重んじる必要性があり、女性の地位も低かった時代。欧米においても、女性解放運動や人種差別の撤廃、法の下の平等、市民としての自由と権利を求める社会運動が本格的に起こり始めたのは、1950年代以降であった。

この時代から、マン・レイは、固定概念、先入観、偏見、常識などに囚われず、全く色眼鏡を掛けることなく、出会った人や物などの存在を捉えようとしていた。

本展の監修をつとめた、フランス文学者・評論家の巖谷國士氏は、図録の中でこう語っている。「マン・レイは、いつも女性と対等に接し、差別意識も偏見もない客観的な目で、敬意をもって女性の美と個性を定着しました。絵画やデッサン、彫刻やオブジェなどでもそうです。その女性像は卓越した感性と知性を反映して、今日の私たちを強く惹きつける力を保っています。」

世界的に有名な1枚のモデルとなったキキ・ド・モンパルナス

マン・レイの代表的な作品のひとつとして有名な、《アングルのヴァイオリン》のモデルは、キキ・ド・モンパルナスである。

《アングルのヴァイオリン》 1924年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374
《アングルのヴァイオリン》 1924年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374

ブルゴーニュ地方の小さな町から15歳の頃にパリに出てきて、その後モンパルナスで人気のモデルとなったキキにマン・レイが出会ったのは、パリに渡った1921年の末。キキの存在感と美貌にすっかり魅了されたマン・レイは、その日のうちに写真のモデルになってほしいと、アトリエへ誘う。

すべての画家が同じように言い寄ってくる、と返すキキ。写真家は画家よりタチが悪いから、写真のモデルはやらないと断ると、マン・レイは、「ぼくは絵を描くように写真を撮るんだ、画家が好きなように主題を変形し、画家がやるのと同じように自由に理想化したり変形(デフォルメ)するのだ」などと返して承諾してもらえるように粘ると、最終的にキキはモデルになることを承知して、別の日に、マン・レイの部屋を訪れた。

服を脱いでつつましやかに登場したキキを見てマン・レイは、「まさしくアングルの絵《泉》そっくりだった。彼女の身体なら、いかにアカデミックな画家といえども霊感を吹き込まれたであろう。」と、敬愛する新古典主義の画家アングルの作品に例えながら回想している。

マン・レイは、写真を撮りながら、いくつかのポーズを取ってもらう途中で、邪念が押し寄せてきて撮影を続けることを諦め、キキに服を着てもらい外のカフェへ二人で出かけた、と、自伝に記している。しかし、あくまでもモデルを前にしたときは、吹き込まれた“霊感”にしたがいながら芸術家として表現を追求していた。

マン・レイは、キキに言い寄ってきて、欲望をあらわにするタイプの芸術家とは全く違っていたし、芸術家としての権威、あるいは男性的な権力を誇示することも、相手を従わせるようなこともなく、常に相手への敬意をもって、対等に向き合う芸術家であった。

その後、2人は恋人同士となり、7年に渡って同棲生活を送る。マン・レイを代表する名作となった「アングルのヴァイオリン」は、こういったマン・レイの人間性と芸術家としての態度から生まれたといえるのではないだろうか。

新たな写真表現「ソラリゼーション」や「レイヨグラフ」が誕生

《リー・ミラー》 1930年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374
《リー・ミラー》 1930年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374

この作品は、マン・レイの助手を務め、恋人でもあった、リー・ミラーがモデルである。ある日、暗室で作業をしていたリー・ミラーが、足元のネズミか何かに驚き、うっかり電灯をつけてしまったことで、現像中のネガに特殊な変化が生じていた。露光が過多になり、部分的に白と黒が反転する効果が与えられた、その偶発的な現象を、マン・レイは、「ソラリゼーション」(光にさらす行為)と命名して、自身の写真表現として用いるようになる。

《眠る女(ソラリゼーション)》 1929年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374
《眠る女(ソラリゼーション)》 1929年 ゼラチン・シルバー・プリント(後刷) 個人蔵 / Photo Marc Domage, Courtesy Association Internationale Man Ray, Paris / © MAN RAY 2015 TRUST / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2374

また、マン・レイは、写真の焼付をしているときに、印画紙にじかに物を置き、光をあててから現像すると、不思議な映像が得られるという現象も発見し、カメラを使うことなく生じさせることのできる写真に、「光線(Ray)」を意味する自身の名を冠して、「レイヨグラフ」という呼称を与え、こちらも写真表現として多くの作品を発表している。

こういった写真作品は、まさに、日常の現実から新しい現実(超現実)を生み出す一例として、シュルレアリストたちにも歓迎され、マン・レイは、シュルレアリスムという芸術運動にはなくてはならない存在となっていく。

真価を引き出す芸術家、マン・レイの魅力と人間力

既成概念や常識にとらわれることのなかった、マン・レイという芸術家は、ダダイズムやシュルレアリスムといった芸術運動が根本に求めた精神を、生来的に素質として持っていたのかもしれない。マン・レイが生み出す芸術作品は、独自の創造性、新鮮な発想、人生を謳歌する中で溢れ出すようなユーモア、人一倍優れた美的センスを発揮して、常にあらたな扉を開こうとしていた。

マン・レイの自伝「セルフ・ポートレート」によると、芸術活動をはじめたニューヨークにおいてもその後渡ったパリにおいても、驚くほどに幅広い交友関係を築いていたことがわかる。ピカソ、ジャン・コクトー、ジョアン・ミロ、マティス、ダリ、ブラック、ブランクーシなどの画家や彫刻家のほか、ファッションデザイナーのポール・ポワレやココ・シャネル、作家のヘミングウェイ、音楽家のエリック・サティ、さらには貴族階級との交際まで多岐にわたる。

マン・レイは、しなやかに人とのコミュニケーションを図り、良好な人間関係をすぐに構築する人間力を持っていた。当時の社会的規範や社会通念も、ある程度客観的に理解して協調性のある行動もとりながら、バランスの良い人間関係を築き、周りの人々からも愛されていたことは、マン・レイのコミュニケーション力だけでなく、色眼鏡を持たずに相手の本質を見つめようとする人間性にもあったのではないかと考えられる。

その人間性こそが、時にユーモアや謎に満ち、時に神々しいまでの美しさや永遠性が宿った芸術作品の数々を生み出した理由のひとつと言えるのかもしれない。

本質や真価を追求することで生まれたマン・レイの芸術をぜひこの機会に間近で観てほしい。

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「マン・レイと女性たち」
Bunkamura ザ・ミュージアム にて 2021年9月6日(月)まで開催中!

参考文献:
展覧会図録『マン・レイと女性たち』 監修・著 巖谷國士 平凡社刊
「マン・レイ自伝 セルフ・ポートレイト」著:Man Ray (原著)、訳:千葉茂夫 美術公論社刊

「マン・レイと女性たち」特集ページのご紹介

Bunkamura ザ・ミュージアム 公式「マン・レイと女性たち」の特集ページ
SPECIAL [ スペシャリスト達が語る、マン・レイの魅力 ] のインタビューを担当させていただきました。デザインやファッションのスペシャリストに、マン・レイの魅力、そして、本展を通して、今この時代において感じてほしいと思うことを伺いました。展覧会をより楽しむためのヒントに満ちた特集ページもぜひご覧ください。
【インタビュー1】アートディレクター 田口英之氏
本展のビジュアルデザインを手がけたアートディレクターに聞く、ポスターデザインに込めた思いと本展を楽しむヒント
【インタビュー2】ファッションジャーナリスト 生駒芳子氏
圧倒的に自由な、枠にしばられない感覚で、表現を追求してきた芸術家の世界を観てほしい

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