FEATURE

250点以上の作品やスケッチや日記を通じて、
熊谷の人生物語を辿り、創造の秘密に迫る。

小さきものや身近な自然への慈しみを持ち続けながら、
緻密に自身の表現の探求・模索を続けた画家 熊谷守一。

展覧会レポート

熊谷守一 《ハルシヤ菊》 1954年 愛知県美術館 木村定三コレクション
熊谷守一 《ハルシヤ菊》 1954年 愛知県美術館 木村定三コレクション

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「誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、一番楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。」

1880年(明治13年)岐阜県に生まれた画家 熊谷守一(くまがいもりかず)の言葉である。日本経済新聞「私の履歴書」に、昭和46年6月からほぼ1か月連載され、のちに「へたも絵のうち」と題して単行本となったエッセイにある一文である。

世俗に捉われず、自分自身の表現を探求しながら画面に向かい続けた熊谷守一の表現の根幹にある、自分らしい自由な感覚が現れた一文なのではないだろうか。

熊谷守一 《稚魚》 1958年 天童市美術館
熊谷守一 《稚魚》 1958年 天童市美術館

晩年に到達した作風は、まるでデザインのような単純化されたフォルムや洒落味あふれる色彩センスで描かれた、花や虫、鳥など身近な生きものを描いた油彩画である。

裸体画、風景画、書や水墨画なども描いた、画風の変遷を辿る熊谷守一の創造の秘密に迫る、「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」が、東京国立近代美術館で開催されている。熊谷守一という画家の人生の物語に、250点以上の作品やスケッチや日記を通じて、出会うことができる。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」
開催美術館:東京国立近代美術館
開催期間:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)
熊谷守一《 蠟燭(ローソク) 》1909年 岐阜県美術館
熊谷守一《 蠟燭(ローソク) 》1909年 岐阜県美術館

1880年(明治13年)に岐阜県恵那郡に生まれた熊谷守一は、1900年に東京美術学校(現・ 東京藝術大学)に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受けている。同級生には、青木繁や和田三造らがいた。

闇の中でのものの見え方を追究した20代。暗闇の中に薄っすらと浮かび上がる肌色に目を凝らせば、女性の亡骸が横たわっている。列車に飛び込んで亡くなった女性を描いた《轢死》という作品を描いた。

真暗闇の中でこちらを見据える目が、蝋燭に灯った火に照らされている《蠟燭(ローソク)》と題された自画像は、第3回文部省美術展覧会で褒状を受けた。いずれも光と影の問題を扱った作品である。

熊谷守一《人物》1927年 豊島区立熊谷守一美術館
熊谷守一《人物》1927年 豊島区立熊谷守一美術館

東京美術学校在学中の1902年に父を失い、1910年には母を亡くした熊谷は、故郷の岐阜へ帰り、材木運搬の仕事などをして5年ほど暮らす。そして1915年には再び上京する。

上京の前年、フランスに渡り新しい画風を身につけて帰国した山下新太郎、藤島武二、有島生馬、斎藤豊作らによって、二科会が創設された。さらにその後、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治、小杉未醒、坂本繁二郎、小出楢重、佐伯祐三、古賀春江らが二科会に所属している。熊谷も友人らに薦められるまま二科会に所属し、風景画や裸体画など、荒いタッチを特徴とする画風で制作を続けるようになる。そのうち、山や岩の淵を照らす日の光や、裸体の身体を縁取る逆光の描写を試みる中で、1940年前後、作中に「赤い輪郭線」が姿を現す。また、その頃に書や水墨画も手掛けるようになる。

熊谷守一 《御嶽》 1954年 岐阜県美術館
熊谷守一 《御嶽》 1954年 岐阜県美術館

熊谷守一 《猫》 1965年 愛知県美術館 木村定三コレクション
熊谷守一 《猫》 1965年 愛知県美術館 木村定三コレクション

1950年代に入ると、赤い輪郭線に囲まれた明快な色と形を特徴とする作風がほぼ完成している。この時、70歳を過ぎている。また、戦後の熊谷作品の特徴となる、同じ下図に基づき、同図柄の作品を複数制作する手法が出来上がったのもこの頃である。

今回の展覧会では、熊谷の飄々とした感じを与える人柄や明快な色彩や単純化されたフォルムから、それらの作品が一見簡単に描かれているように思われるかもしれないが、本当はどれも緻密な色や形やタッチの計算の上に成り立っている、という点に着目している。対象をつぶさによく観察してからいったんその対象を離れ、色や形、構図などの視覚的効果を熟考して画面を再構築する手法など、熊谷の創造の秘密に丁寧に迫っている。

熊谷守一展 東京国立近代美術館
(左)熊谷守一《かたばみにいぬのふぐり》 1958年 公益財団法人 熊谷守一つけち記念館寄託、(右)熊谷守一《茶の花》 1958年
熊谷守一展 東京国立近代美術館
(左2点、左から)熊谷守一《長寿花》 1971年、熊谷守一《薔薇》 1968年
(右2点、左から)熊谷守一《鬼百合に揚羽蝶》 1960年、熊谷守一《鬼百合に揚羽蝶》 1959年 東京国立近代美術館

熊谷は、70代半ばに身体を壊して以後、それまでのように海や山に出かけて風景を描くことが難しくなり、自宅の庭の植物や昆虫を主題とすることが増えた。

先に引用したエッセイに、下記のような一節がある。

「二科の研究所の書生さんに『どうしたらいい絵がかけるか』と聞かれたときなど、わたしは、『自分を活かす自然な絵をかけばいい』と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、そういっていました。」

常日頃から身近な何気ない自然や小さきものたちにあたたかな眼差しを向けていた熊谷にとって、自宅の庭の植物や昆虫を主題として描いた晩年の作品は、最も熊谷らしさにあふれて、“自分を活かす自然な絵”の境地に至っていたのではないだろうか。

小学校時代のことが、同エッセイにこう書かれている。

「先生が一生懸命しゃべっていても、私は窓の外ばかりながめている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がひらひら落ちるのだとかを、あきもせずにじっとながめているのです。じっさい、先生の話よりも、そちらのほうがよほど面白かった。」

そして、世の中に大好きなものがいっぱいあり、「(中略)特に小さな子供と、鳥と虫には目がありません。」

自らの絵画表現を模索し、探求し続けてきた熊谷が、心から慈しんだものを対象にして、自分らしい自由な表現で作品を制作しえるようになったことは、まさに今回の展覧会タイトルともなっているように熊谷にとって、「生きるよろこび」であったに違いない。

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「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」
開催美術館:東京国立近代美術館
開催期間:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)

参考文献:「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」図録、「へたも絵のうち」熊谷守一著 平凡社ライブラリー 

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