FEATURE

アート界のキーパーソン、シモン・デ・プリが
欧州初の婁正綱展をキュレーションした理由

世界的オークショニア シモン・デ・プリ(Simon de Pury)特別インタビュー【前編】

インタビュー

オークショニア、アートディーラー、キュレーターとして活躍を続ける、シモン・デ・プリ Simon de Pury
オークショニア、アートディーラー、キュレーターとして活躍を続ける、シモン・デ・プリ Simon de Pury

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構成・文:藤野淑恵

オークショニア、アートディーラー、そしてキュレーターとしてアート界を牽引してきたシモン・デ・プリ。華やかなジェスチャーとウィットに富んだ語り口でアートシーンの舞台を彩ってきた彼は、映画『アートのお値段』などにも登場しそのカリスマ性をスクリーンでも発揮してきた。「オークショニア」とは、美術品やアンティークなどの競売において、出品作品の価値や背景を観衆に向けて巧みに紹介しながら、買い手同士の競り合いを促進し、オークション会場を活気づける専門職だ。その場の空気を読み、即興的に展開されるトークで価格を押し上げていくスキルは、アートマーケットの最前線を知る者にしかできない、高度なパフォーマンスでもある。

シモン・デ・プリ Simon de Pury
シモン・デ・プリ Simon de Pury

オークショニアとしての活躍、世界的なオークションハウスのトップというキャリアに加え、モナコ公アルベール2世やエルトン・ジョンといったVIPから、赤十字国際委員会などの国際機関に至るまで、数多くの重要コレクションのアートアドバイザーを務め、スペイン・マドリードのティッセン=ボルネミッサ・コレクションではキュレーターとしても活動。2013年からはアート・コンサルタント会社「De Pury」を設立し、現在に至るまで数々の展覧会の企画やアート取引に携わっている。そんな彼が近年、強く惹かれているのが日本在住の中国人作家、婁正綱(ろうせいこう / Lou Zhenggang)だ。偶然のようで必然だったともいえる婁正綱との出会い、そして彼がこの作家に注目する理由について聞いた。
※敬称略

シモン・デ・プリ Simon de Pury

オークショニア、アートディーラー、キュレーター
モナコ公アルべール2世、ジョニー・デップ、エルトン・ジョンなどの著名人や赤十字国際委員会(ICRC)などのコレクションのアートアドバイザーを務める、現代アート界における主要人物。サザビーズのロンドン、モンテカルロ事務所を経て、母国スイスにジュネーブ支店を開設。1979 年〜1986 年、ティッセン ボルネミッサ コレクション(スペイン・マドリード)のキュレーターを務め、1986年、サザビーズ・スイス会長に、その後サザビーズ・ヨーロッパ会長、およびオークション主任に任命。サザビーズを退社後、アート顧問会社および販売代理店を設立。同社はフィリップス オークションと合併(2001 年〜2012 年) し、会長、オークション主任を務める。2013年、アート・コンサルタント会社De Puryを設立。その長年のキャリアを通じて伝説的なオークションや数々の展覧会のキュレーションを手がける。「金の小槌を持つ男」(2010年BBCドキュメンタリー)「ワーク・オブ・アート:ネクスト・グレート・アーティスト」(2010年、2011年Bravo ネットワークのリアリティ シリーズ)等のテレビ番組、「エミリー・イン・パリス」(2020年アメリカ)、「アートのお値段」(2018年アメリカ)等の映画出演もある。
https://www.de-pury.com

婁正綱 Lou Zhenggang

婁正綱 Lou Zhenggang
1966年、中国黒竜江省に生まれる。3歳から父、婁徳平に書画を学び、12歳で中国政府から「智力超常児童(優れた知能を持つ子どもを意味する)」と認定され、70‐80年代の中国書画界の奇跡と言われる。20歳で来日、27歳で渡米し、長期にわたり国際芸術の舞台で活躍。中国、日本、米国などで27回の個展と3回の巡回展を開催し成功をおさめる。絶え間ない自己鍛錬、表現力の高い材料の探求と類まれな書画技術、独特の美学的見解と深い人文的素養により、「生命と愛」「日月同輝」「心」「和合」「生生」「自然」などのシリーズ作品を発表。その創作は水墨を媒介に、「宇宙」を想像空間とし「愛」を創作のインスピレーションに、現代的・個性的な抽象を創造、中国伝統絵画と現代芸術観念の結合を体現したといわれている。
https://lzgstudio.com

ピカソと関わりの深いアルミン・レッシュとアーティストを繋ぐ

Aimine Rech ロンドンで開催された「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展 エントランス
Aimine Rech ロンドンで開催された「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展 エントランス

ハイドパークに隣接するロンドンの高級住宅地、メイフェア。メガギャラリー「ガゴシアン」も拠点を構えるグロブナー・ヒルの一角に、アルミン・レッシュ ギャラリーがある。パリ、ブリュッセル、ニューヨーク、上海、さらにモナコやセレブリティの集うスイスの山岳リゾート地グスタードにも拠点を構え、ジェームズ・タレル、ジョセフ・コスースなどのコンセプチュアルなアーティストを要することで知られている「アルミン・レッシュ」。そのロンドンの拠点で開催された展覧会が、中国出身で現在は日本を拠点とするアーティスト、婁正綱(ろうせいこう / Lou Zhenggang)の欧州初となる個展 Lou Zhenggang 「Shizen(自然)」だ。婁は書を出発点にしながら、独自の抽象表現へと歩を進める注目のアーティストだ。

Aimine Rech ロンドンで開催された「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展 展示風景
Aimine Rech ロンドンで開催された「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展 展示風景

ホワイトキューブのシンプルな展示空間に窓から差し込む自然光が、墨と顔料が織りなす婁正綱の抽象表現を際立たせる。2025年春よりアルミン・レッシュに所属する婁正綱の、同ギャラリーでの初めての個展をキュレーションしたのは、オークショニア、アートディーラー、キュレーターとして、長年アート市場の最前線に立ち続けているシモン・デ・プリ。
「観る者に内省を促し、深部に語りかけてくる婁の作品は、東洋と西洋の視座がいかに自然に共存しうるかを体現しています。ここには時代や国境を超えて響くものがある」。
オープニングに際して発表したキュレーターのコメントに呼応するように、レセプションに訪れたゲストたちが作品一点一点と静かに向き合いながら、対話するかのようなシーンが見られた。

2025年4月月22日 にロンドンのアルミン・レッシュで開催された「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展オープニングレセプションにて。展覧会のキュレーションを担当したシモン・デ・プリ(左)とアルミン・レッシュ ギャラリーオーナーのアルミン・レッシュ・ルイス=ピカソ(右)
2025年4月月22日 にロンドンのアルミン・レッシュで開催された
「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展オープニングレセプションにて。
展覧会のキュレーションを担当したシモン・デ・プリ(左)と
アルミン・レッシュ ギャラリーオーナーのアルミン・レッシュ・ルイス=ピカソ(右)
Lou Zhenggang Shizen
Apr 22 — May 24, 2025 | London
Grosvenor Hill, Broadbent House, W1K 3JH London UK
Tuesday — Saturday, from 10 am to 6 pm
https://www.alminerech.com/exhibitions/11024-lou-zhenggang-shizen

サウサンプトンでの運命的な出会い

「Lou Zhenggang Shizen(自然)」Aimine Rech 会場より
「Lou Zhenggang Shizen(自然)」Aimine Rech 会場より

地元ロンドンのアート関係者やコレクターに加え、ヨーロッパの著名コレクターも集ったレセプションでは、
「静けさの中に芯のある力を感じた」
「色や形だけではなく、気配を感じる展示だった」
などの声が上がった。
オーナーギャラリストのアルミン・レッシュ・ルイス=ピカソも姿を見せ、
「まるで作品自体が呼吸しているかのように感じる。ロンドンという多様性に満ちた都市において、 ‘余白’ を感じさせる婁正綱の作品が自然に受け入れられた」
との喜びを語った。夫でパブロ・ピカソの孫のベルナール・ルイス=ピカソとともに、ピカソの遺産を継承し彼の作品の膨大なアーカイブを保管するFABA (アルミン・イ・ベルナール・ルイス=ピカソ芸術財団)の共同設立者でもあるレッシュ。かねてから親交のあった著名ギャラリスト、レッシュと注目の中国人アーティストを結びつけたのは、デ・プリその人だ。

「婁正綱の抽象絵画は、色を重ねるごとに自然だけでなく変化、エネルギー、沈黙を伝える瞑想的で力強く時代を超えている」とシモン・デ・プリは語る。「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展より、《Untitled》 2019  Lou Zhenggang
「婁正綱の抽象絵画は、色を重ねるごとに自然だけでなく変化、エネルギー、沈黙を伝える瞑想的で力強く時代を超えている」とシモン・デ・プリは語る。「Lou Zhenggang Shizen(自然)」展より、《Untitled》 2019 Lou Zhenggang

デ・プリと婁正綱の出会いは、数年前にニューヨーク・サウサンプトンで開かれた富裕層が集まる国際会議に遡る。ある金融家を介して婁正綱のマネージメントを担当する菊池武恭と会う機会を得た彼は、婁正綱の作品に初めて目にすることになる。「130㎝くらいの白黒の作品でした。生き生きとしていて、アジア的な感覚を持ちながらもその表現は普遍的で、さまざまな角度から読みとることができるものでした」。実はデ・プリ自身が元々はアーティスト志望であり、20代の頃には日本画と墨絵について東京で学んだ経験を持つ。そんな彼が当時から無意識に探し求めていたものを具現化してくれたアーティスト、それが婁正綱だったのだという。

2024年4月、Gallery L(AWATA COLLECTION)のオープニングレセプションで挨拶をするシモン・デ・プリ
2024年4月、Gallery L(AWATA COLLECTION)のオープニングレセプションで挨拶をするシモン・デ・プリ

伊豆のアトリエ訪問に垣間見た作家の情熱

2024年の桜の季節、デ・プリは初めて婁正綱を訪ねた。「彼女と初めて会うことができたのは、伊豆にあるアトリエです。雨が降っていてどんよりとグレーがかった日でしたが、周囲を深い緑に囲まれ、遠く海を一望にする素晴らしい場所でした。実は私の仕事の中で一番エキサイティングなのがアーティストのアトリエを訪ねること。これまで多くのアーティストのアトリエを訪ねましたが、彼女のアトリエは作品のオーセンティックさと、仕事に傾ける情熱が共に伝わってくる空間。圧倒されました」。部屋の中央にあるマホガニーの大きなテーブルに敷かれた濃紺の毛氈の上で、「シモン」の名前を漢字に当てて「詩門」と大筆で描く様子に感動したエピソードも披露した。

婁正綱の伊豆のアトリエ
婁正綱の伊豆のアトリエ

「近年の婁正綱作品は、高度に洗練された抽象画と見ることもできるし、自然の美しさへの具象的な頌歌と見ることもできる。彼女の作品で感銘を受けるのは、コンパクトな小さな作品であっても、大型作品に負けないくらいの濃密さやクオリティが見て取れるところです」(デ・プリ)。

アトリエと時を同じくして、婁正綱作品のコレクターであるトリドール・ホールディングス創業者の粟田貴也が収集した AWATA COLLECTION を展示する東京・広尾の邸宅ギャラリー「Gallery L」を訪問した。婁正綱の作品のみを恒常的に展示するための極めてプライベートでユニークな場所について
「まるで作品と生活が、同じ呼吸をしているようだった。アートが装飾でも投資対象でもなく、人間の精神に寄り添うものとして存在している——そんな本質的なことを、改めて感じさせられた」と賛辞を送っている。

Gallery L - AWATA COLLECTION -
住所 東京都渋谷区広尾(詳細非公開)
ギャラリーは、住所非公開で来場は完全予約制。
訪問予約・お問い合わせは以下のサイトの「CONTACT」から。

https://gallery-l.com

ロンドンの展覧会のみでなく、先頃開催された奈良の薬師寺東院堂(国宝)における展示「薬師寺の婁正綱 ― 遊山翫水」、さらにはこの秋に東京・丸の内で開幕する「婁正綱展(仮) AWATA COLLECTION」など、日本においても存在感が高まる作家、婁正綱。デ・プリはアジアを中心に高い評価を受けてきたこのアーティストを、世界に紹介するための道筋を着実に築いているといえるが、これはマーケットを視野に入れた戦略というよりも、むしろデ・プリ自身が若き日に墨絵と日本画を学び、芸術への情熱を抱いた彼の純粋な美への感応から始まったのだろう。

次回、後編では、一年365日アートワールドを駆け回っていると言っても過言ではない現代アート界のキーパーソン、シモン・デ・プリが語った、「心に残るコレクター」、「アートへの情熱の源」、「アートの世界における日本の存在感」を中心に紹介する。

藤野淑恵 プロフィール

インディペンデント・エディター。ファッション誌の編集部を経て、日経ビジネス「Priv.」、日経ビジネススタイルマガジン「DIGNIO」両誌、「Premium Japan」(WEB)の編集長を務める。現在はアートメディア、高級カード会員誌、ビジネス誌などにコントリビューティング・エディターとしてアートを中心としたコンテンツを企画、編集、執筆。

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