東山魁夷も愛した信州
その自然の中で感じるアート体験
人と自然とアートをゆるやかにつなげる長野県立美術館(長野県長野市、善光寺東隣)

長野市にある国宝・善光寺。その本堂の東側に位置する城山公園内に、長野県立美術館 はある。善光寺本堂の脇を抜けて境内を出ると、大きなガラス張りの窓の建物が目に飛び込んでくる。青い空と緑の芝生の間で、ひと際存在感があるが、洗練されたシルエットが雄大な自然に溶け込み、一目見て心地よさを感じる。
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- 長野県立美術館|Nagano Prefectural Art Museum
380-0801 長野県長野市箱清水1-4-4 (善光寺東隣)
開館時間:9:00〜17:00(展示室最終入場時間16:30)
休館日:毎週水曜日(水曜日が休日の場合は翌平日)、年末年始 12月28日~1月3日
コンセプトは、周囲の景観に溶け込む「ランドスケープ・ミュージアム」
展示室に入る前に、美術館の歴史と、印象的な本館の建築を紹介しよう。長野県立美術館は、1966年に財団法人信濃美術館として開館し、69年に長野県へ移管されて以来、信州における唯一の県立美術館として親しまれてきた。2016年に全面改修の基本構想を発表、建築家・宮崎浩(プランツアソシエイツ)の設計により2020年に現在の本館が完成した。そして2021年4月のリニューアルオープンを機に、名称を「長野県立美術館」に改め、新たなスタートを切った。

本館の屋上がテラスになっており、そこから善光寺の本堂も見える。カフェで注文したメニューを食べることも可能
本館のコンセプトは「ランドスケープ・ミュージアム」。周囲の景観に溶け込むように設計されており、広いエントランスや開放的な屋上広場「風テラス」は、美術館の内と外を緩やかにつなげる。

また本館と、後述する「東山魁夷館」の間にある「水辺テラス」では、アーティスト・中谷芙二子(1933-)「霧の彫刻」が1時間に1回出現する。テラス全体が一気に霧に包まれると、霧はその日の天気や気温、風の強さ、周囲の状況で次々と変化し、幻想的な空間となる。自然と建築(人工物)の間で、霧がすべてを曖昧にすることで、日常をほんの少し“非日常”に変える。すると、今まで当然のように見ていた景色も違って見えてくる。取材時、勢いよく出てくる霧にはしゃぐ子どもたちが微笑ましく、また大人たちも、特別な体験に心を躍らせている様子が見られた。
画家本人から寄贈されたコレクション等による「東山魁夷館」

さて長野県立美術館には、信州の風景をこよなく愛した日本画家・東山魁夷(1908-1999)の作品、資料を展示する「東山魁夷館」(1990年開館)も併設されている。画家本人から作品・スケッチなどが長野県に寄贈されたことが機縁となって建設された。《白馬の森》をはじめとする本制作約30点、各地を旅行した際のスケッチ、《唐招提寺御影堂障壁画》の下絵など、収蔵作品は現在、貴重な作品970点余りに及ぶ。

ガラス張りの窓から外を見れば、周囲の木々が水盤の表面に映り、東山魁夷の世界を思わせる水鏡の光景が広がる
東山魁夷館では、1年間を5期に分け、様々なテーマで東山芸術とその業績を紹介する。取材時は、「東山魁夷館コレクション2025 第Ⅰ期」(2025年5月1日~7月21日)が開催中で、《唐招提寺御影堂障壁画》の準備作から、3回にわたり行った中国での取材中に描いた水墨によるスケッチなどが展示されていた。

《唐招提寺御影堂障壁画》の準備作は、唐招提寺を開いた鑑真和上が見たかったであろう日本の風景をテーマに、山林や海を描いた風景画を展示


学芸員の北泉剛史氏に話を伺うと、「当館では、東山魁夷の生前に本人から寄贈された多くの下図・スケッチを所蔵しています。東山魁夷は、完成した作品を本制作と呼んでいましたが、こうした下図類にこそ、本制作に至るまでの画家の息遣い、制作に対する姿勢が感じられます。また、制作の過程から構図や配色などの試行錯誤の跡が見られますので、このような側面からも作品の魅力を感じてほしい」と語る。
今回多く展示されていた中国を取材した水墨のスケッチ。「東山魁夷は、水墨画には高い精神性があり、いずれ描いてみたいという憧れを持っていました。この唐招提寺御影堂障壁画第二期の制作において、ついに本格的に取り組む機会が来たと感じ、水墨画を描いた」という。作品を観ると、スケッチということもありサラリと描かれているが、1点1点じっくり観ると、絵によってタッチも異なり、水墨の表現をさまざまに試していた様子がうかがえる。
《黄山雨過》は、「そうした水墨表現を自身の芸術の中で昇華した結実」とも言える作品だ。本作では、群青(日本画における青色の顔料)を焼いて暗い青色を作り出し、水墨画さながらの情景を生み出した。「水墨でのスケッチの経験から、岩絵の具で水墨のようなモノトーンの世界を表現する。それが東山魁夷がたどり着いた、東山ならではの水墨の表現だったと言えます」(北泉氏)。
同館には、絶筆となった《夕星》(1999年)が所蔵され、5月6日の画家の命日に合わせ、5月の時期に展示しているという。91歳のときに描かれたその絵は現在、その下絵とともに展示されている。


4600点を超える所蔵作品から信州の美を展観するコレクション展

前衛芸術が生まれた昭和前期における信州にスポットを当て、絵画、工芸、書など多彩な作品が紹介されている
本館のコレクション展示室では、年間に5回の展示が行われ、4600点を超える所蔵作品から毎回さまざまなテーマに沿って選出された作品を観ることができる。コレクションの中心は、信州にゆかりのある作家・作品、または山岳風景など自然をテーマにした作品と、自然豊かな長野県らしい作品が集う。

「地方で活動する芸術家の中には、美術史のメインストリームで名前が挙がらなければ、展示される機会も少なく、知られるきっかけが少ない場合もある。県立美術館として、そうした作家の功績を紹介していくことも、コレクション展の意義」と北泉氏。
2025年5月8日から開幕する「NAMコレクション2025 第Ⅰ期」(2025年5月8日~7月28日)では、「リビングルーム」をテーマにしており、こちらも興味深い展示となりそうだ。

「NAMコレクション2025 第Ⅰ期」(会期:2025年5月8日~7月28日)
アートに触れる「アートラボ」、イベント「石磨きワークショップ」
本館2階の「アートラボ」では、誰にでも開かれた美術館を目指し、視覚以外の感覚を用いて鑑賞する作品が展示されている。1年間を4期に分け、西村陽平、光島貴之、中ハシ克シゲ、金箱淳一といった作家による「触れる美術作品」などを紹介する。彼らの作品は2019年に「アートラボ」のために制作された。

中ハシ克シゲは、制作の際にアイマスクをして、触覚を頼りに制作を行う。
現在は「中ハシ克シゲ おしめの家族」が開催中(2025年4月19日~7月6日)。中ハシはアイマスクをして、触覚だけを頼りに作品を制作する実験的な試みをしている作家だ。新たに誕生した赤子、おしめが必要になった老犬、どちらもおしめを付けているのに「生」と「死」という真逆のベクトルをもつ両者の存在に注目した「おしめの家族」シリーズ。樹脂で作られた赤子や老犬は、触ると見た目以上にしっとりとした手触りで、持ち上げると意外と重い。手足は石や木の彫刻作品とは異なり柔らかいため、微かに動く。小さい、か弱い命の手触りを肌で感じる。

アートラボだけでなく、美術館に入る前から、実は触ることができる作品がある。《Love Stone Project - Nagano》と題された3つの石は、本館のリニューアルオープン時の工事で地下6mから掘り出されたものだ。何の変哲もない石は、彫刻家・冨長敦也によるプロジェクトにより、作品として生まれ変わった。
このプロジェクトでは、年に1回「石磨きワークショップ」が開かれている。来館者はもちろん、たまたま公園を訪れたという人も誰もが参加可能で、大人も子供も皆一緒に紙やすりで石の表面を磨く。一見、アートと関係なさそうに思えるが、参加している人々の姿を見て、また実際に石を磨いてみると、自然と「物に触れる」、自分の力で「作品にしていく(社会に接続する)」というアートの原点とも言える体験だと感じた。石磨きワークショップは5年目を迎えるが、これまで多くの人たちが磨いてきたのだろう、太陽の光が当たると、石はピカピカに光っていた。
「人」と「自然」と「アート」をゆるやかにつなげる本作が、建物と公園をつなぐエントランス部分に設置されていることは、まさに長野県立美術館の精神を象徴するようにも思えた。
多彩な特別展も開催
取材時は、「鈴木敏夫とジブリ展」が開催中で大変な賑わいを見せていた。自然に囲まれ、歴史ある善光寺に隣接する同館は、大自然を舞台にした作品も多いスタジオジブリの世界とも通じる。2025年度の企画展は、「ジブリ展」を含めて5展を予定。10月4日からは、東山魁夷館開館35周年を記念する「東山魁夷 永遠の海」展も開催される。
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- 鈴木敏夫とジブリ展
開催美術館:長野県立美術館
開催期間:2025年4月25日(金)〜2025年6月29日(日)
洗練されたシルエットの建築は、時に訪れた人に緊張感をもたらすこともあるが、長野県立美術館は居心地の良い雰囲気に溢れている。大きな窓からは公園の木々、広い空、思い思いに過ごす人たちの姿を見ることができ、美術館(展示室)の中を歩いていても、まるで自然の中を散策するような気分だった。大自然の中で、ゆったりとアートと出会う、そんな特別な時間を味わいたい。
