「若冲激レア展」で新発見の《果蔬図巻》が初公開
本作発見の意義と伊藤若冲の魅力を紐解く
福田美術館学芸課長・岡田秀之氏インタビュー。「若冲激レア展」が、2024年10月12日(土)から開催
2024年3月、江戸時代中期に京都で活躍した絵師・伊藤若冲の新発見となる作品《果蔬図巻(かそずかん)》が京都・福田美術館のコレクションに加わったというニュースが飛び込んできた。10月に同館で開幕される 「開館5周年記念:京都の嵐山に舞い降りた奇跡! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」展 (以下「若冲激レア展」)にて一般公開される《果蔬図巻》の魅力や発見の意義について、展覧会の一足先に、福田美術館学芸課長の岡田秀之氏に話をうかがった。
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伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」
開催美術館:福田美術館
開催期間:2024年10月12日(土)〜2025年1月19日(日)
ヨーロッパで発見された若冲晩年の作、《果蔬図巻》とは
伊藤若冲(1716-1800)は、京都・錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれるも、40歳頃に家業を弟に託し、画業に専念する。近年国宝に指定された代表作《動植綵絵》をはじめとする着色花鳥画では、羽毛の1本1本まで描く精緻な描写と鮮やかな色彩、独特な構図が特徴だ。一方の水墨画では闊達な筆さばきでモチーフの形態を的確にとらえる。特に鶏を多く描いており、「奇想の絵師」の1人として高い人気を誇る。
今回新たに発見された《果蔬図巻》は、様々な野菜や果物が描かれた巻物で、76歳の時に描いたという署名がある。これまで図録などでその存在について記されたことが一切なかったが、ヨーロッパで発見された。岡田氏のもとに調査の依頼が来た経緯もあり、その後作品が日本に来た際に実見し、福田美術館が購入した。「晩年期の若冲は水墨画が多くなる傾向があるので、彩色の作品が見つかったことは意義深い」と語る。
若冲が野菜や果物を描いた巻物作品は、重要文化財《菜蟲譜(さいちゅうふ)》(佐野市立吉澤記念美術館所蔵)がある。《菜蟲譜》には77歳で描いたという署名があるので、《果蔬図巻》は《菜蟲譜》の1年以上前に描かれたことになる。野菜や果物をたくさん集めて描くという趣向について、「当時隆盛した本草学的な志向などの観点はあると思うが、やはり野菜や果物というモチーフは、若冲の生家の家業に対する思い入れの深さでしょう」と岡田氏。本作の発見の意義について、次の3つのポイントでひも解く。
重要文化財《菜蟲譜》につながる生き生きとした描写が目を惹く試作的作品
本作の1つ目のポイントについて岡田氏は、「《果蔬図巻》は《菜蟲譜》と形式や画題、描かれている野菜や果物の種類に共通点が多い一方で、《菜蟲譜》の前に描かれていることからも、試験的な作品と位置付けられる」と語る。例えば、ブドウの葉が蔦に巻き付いている描写は、若冲作品の中でも珍しい。《果蔬図巻》が野菜や果物のみを描いているのに対し、《菜蟲譜》では爬虫類などの虫たちも描かれているのも、《果蔬図巻》の制作を経て、さらに発展させたと考えられる。
《菜蟲譜》の方が色数は多く、モチーフの奥行きや立体感もあるが、《果蔬図巻》は先に描かれているからこそ「心の赴くままに描き、あまり色を重ねていないことで、生き生きとした描写につながっている」という。
たしかに取材時に、岡田氏が《果蔬図巻》を広げた瞬間、鮮やかな水色で描かれたクワイや、ウドのグラデーションのみずみずしさが、まず目に飛び込んできた。彩色で丁寧に描かれているものがあれば、蓮根や冬瓜などは太い輪郭線で強烈な存在感を放っており、モチーフによって絵描き方を変えているのも面白い。
若冲の長年の謎である晩年期の「年齢加算説」を裏付ける偉大な発見
新発見の意義の2つ目については、作品自体の魅力もさることながら、その後に記されている若冲の署名と、相国寺の僧・梅荘顕常(大典)(以下、大典)による跋文(ばつぶん、書物などの終わりに書く文章)によるところも大きい。というのも、本作の署名と跋文により、若冲研究の課題のひとつであった「年齢加算説」が前進したのだ。
「晩年期の若冲は、署名に年齢を書いています。これまでの研究でも、実際の年齢より加算した数字を書いていたのでは、という指摘はされていましたが、それを裏付ける確固たる証拠がありませんでした。しかし、《果蔬図巻》では若冲の署名で“76歳”と書かれており、大典が跋文の中で制作年として寛政3年(1791)、本来なら75歳になる年を記していることにより、少なくとも本作が制作された寛政3年時点では、すくなくとも1歳加えていたことが証明されました。」
しかし、これだけで年齢加算説を立証したとは言えず、「本作の前後の作品で、若冲の署名と制作年が分かる例が見つかれば実証できたと言える」とのこと。すぐに結論を出すことはできないが、今回の発見で長年の謎であった問題が一歩前進したことは確かだ。
若冲との思い出を回顧する相国寺の僧・大典の跋文―ふたりの時を超えた絆
そして第3のポイントは、跋文が制作年だけではなく、若冲と大典の長年にわたる親交の深さを物語っているということだ。跋文は、本作の注文主である森玄郷(もりげんきょう)の死後、息子の嘉続(よしつぐ)が大典に揮毫を依頼した。跋文には、久しぶりに若冲の絵を見て、30年前に若冲と一緒に森氏のところを訪ねたという、若冲との思い出を回顧する内容が書かれており、時を超えた2人の絆の深さが伝わる。
「若冲の画業において大典の存在は非常に大きいですが、実は一時期、大典が幕府の要職に就き、朝鮮通信使の仕事などで疎遠になった時期がありました。展覧会では、この跋文についても説明パネルを設けて、味わっていただけるようにしたいと思っています」と岡田氏。本展では絵だけでなく、跋文にも注目したい。
ちなみに、注文主の森玄郷については、名前こそ分かるものの詳細は不明とのこと。「商人かどうかも分かっていません。当時、名前の一部を抜いて中国風の読み方で名乗ることが流行っていました。そのため、森玄郷と伝わっていますが、もしかしたら“森川”とか““森岡”など全く別の名前かも知れません。」
発見されたばかりの《果蔬図巻》。不明な点も多く残っているが、若冲の画業を把握するための重要なマスターピースであることは間違いない。
もう1つの若冲の新収蔵作品《乗興舟》
「若冲激レア展」では、若冲の新収蔵作品がもう1点初公開となる。それが、若冲が50代の頃に制作された版画による絵巻《乗興舟》(じょうきょうしゅう )。こちらも今年3月に福田美術館のコレクションに加わったばかりの作品だ。
京都・伏見から大坂・天満橋までの春の淀川下りという、穏やかで牧歌的な光景を、墨のグラデーションで格調高く表した、若冲の版画における代表的な作品だ。《乗興舟》は京都国立博物館、千葉市美術館、大倉集古館など日本の博物館・美術館の他、海外などにも存在が確認されており、「20点ほどは存在している可能性がある」(岡田氏)とのことで、そうした中で、今回オークション会社を経て、福田美術館が新たに《乗興舟》を購入した。
本作は拓版画(版木の上に置いた紙を濡らして密着させて墨をつけることで、凹部の図様が白抜きで表される技法)で作られている。50代の若冲は、この時期に版画制作に取り組んでおり、拓版画は絵巻形式の《乗興舟》のほか、画帖『玄圃瑤華(げんぽようか)』『素絢帖(そげんじょう)』がある。
《果蔬図巻》と《乗興舟》は、展覧会の期間中、場面替えは行わず、いつ来ても全場面を見ることができる。両作とも展覧会の終了後に本格的な修復を行う予定のため、本展を逃すと《果蔬図巻》と《乗興舟》を堪能できるのは1年以上先になるとのことだ。
新発見の作品と出会うよろこび
次々と若冲の新発見の作品に立ち会った岡田氏は、若冲の魅力を次のように語る。「若冲は、“絵が好き”という純粋な理由で描いている。当たり前のことに思えるかもしれませんが、当時は絵を“商売”として描く場合が多い。一方で若冲は生計のためではなく、純粋に絵を描くのが好きという理由で描いています。代表作の《動植綵絵》も、元々相国寺への寄進のために描かれた作品ですが、それができたのも、商売としてではなく“描くのが好き”という純粋さゆえでしょう。」
また、若冲の表現媒体への柔軟性にも注目する。「晩年に天明の大火で京都の家を失うと石峰寺に移り住みますが、寺の近くの山に五百羅漢の石像を作ったり、それ以前にも版画を制作したりと、描くのが好きだからこそ、絵画(肉筆画)にこだわらず、色んなメディアでの表現を試みています。」
岡田氏は以前勤めていた滋賀・MIHO MUSEUMでも、「長沢芦雪 奇は新なり」展(2011年)で芦雪の《五百羅漢図》という新発見作品の公開を実現させた。「長沢芦雪に関係する碑やお墓と伝わる箇所がいくつかあるのですが、それらを全部巡った後に(未発見の作品が)ポッと出てきたという感じでした。江戸時代の絵画は、1000年前の平安時代の仏画などに比べれば残っている可能性が大きいので、新発見の作品と出会う機会も多いです。作品との出会いは、様々な方とのご縁があってのこと。とはいえ、最初に情報をいただかないと新発見にならないので、(作品に関する問い合わせなどに)オープンな気持ちで向き合っています」と語る。
福田美術館の若冲作品、約30点が集結した「若冲激レア展」の魅力
「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」というライトノベル風の長いタイトルに、驚いた人もいるかもしれない。福田美術館では、近年の展覧会のタイトルに趣向を凝らしており、インパクトと遊び心のあるタイトルには、日本美術に対するハードルを下げ、豊饒な日本美術の世界を多くの人に楽しんでもらいたいという思いが込められているという。
本展の見どころについて岡田氏は「開館5周年を機に、若冲の初期作品《蕪に双鶏図》から、開館後に収蔵された作品、そして今回初公開の作品まで、福田美術館の若冲作品を改めて見てもらおうと思い企画し、若冲の初期から晩年までの約30点を展示します。」と語る。また、若冲が影響を受けた中国人画家・沈南蘋(しんなんぴん)や、同時期に京都で活躍した曽我蕭白や円山応挙、若冲と交流のあった大坂の文化人・木村蒹葭堂(けんかどう)、さらに世界で10数点しか作品が見つかっていない葛蛇玉(かつじゃぎょく)、若冲の作風とも通じる鶴亭(かくてい)や佚山(いつざん)などの作品も合わせて展示される。
新収蔵作品《果蔬図巻》、《乗興舟》をはじめ、見る人を惹きつけて止まない若冲作品との出会いとともに、若冲の生きた18世紀の京阪の文化・芸術の多彩さを感じ、楽しんでほしい。