FEATURE

眞栄田郷敦が東京藝大を目指すアートな青春!
映画『ブルーピリオド』が8月9日より全国公開
美術監修者が語る撮影の舞台裏と藝大受験のリアル

映画レポート・映画評

美大生たちに大人気のコミック『ブルーピリオド』を眞栄田郷敦主演で映画化
美大生たちに大人気のコミック『ブルーピリオド』を眞栄田郷敦主演で映画化

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文・構成 長野辰次

芸大・美大を目指す若者たちの文化系の青春を描いたコミック『ブルーピリオド』(講談社)が、話題となっている。東京藝術大学出身の漫画家・山口つばさが描く芸大・美大受験生たちの真っ直ぐで繊細な心理がとてもリアルで、2020年には「マンガ大賞」を受賞。2021年にはTVアニメ化され、累積発行部数は700万部を突破している。そして2024年8月9日(金)より、眞栄田郷敦主演による実写映画が全国公開される。

八虎(眞栄田郷敦)は友人らと遊んでいても、どこか満たされぬ想いを抱いていた。
八虎(眞栄田郷敦)は友人らと遊んでいても、どこか満たされぬ想いを抱いていた。

主人公は高校2年生の矢口八虎(眞栄田郷敦)。友人たちと夜の渋谷で遊ぶ一方、要領よく勉強し、成績は常にトップクラスだった。周囲の空気を読むのがうまい八虎だが、本当に熱くなれるものが見つからないという虚しさも感じていた。そんな八虎は、渋谷でオールした後の早朝の街の風景を美術の授業で水彩画として描いたところ、今まで感じたことのない解放感を覚える。生まれて初めて夢中になれるものを、八虎が見つけた瞬間だった。

原作コミックの人気キャラ「ユカちゃん」には、高橋文哉が起用されている
原作コミックの人気キャラ「ユカちゃん」には、高橋文哉が起用されている

美術部に途中入部した八虎は、絵画を描くことの面白さを知り、顧問の佐伯先生(薬師丸ひろ子)に背中を押され、東京藝術大学美術学科を受験することを決意。高校3年になり、同じ美術部の「ユカちゃん」こと鮎川龍二(高橋文哉)と共に美術予備校に通い始めた八虎は、天才的な画力を持つ高橋世田介(板垣李光人)らと競い合いながら、さまざまな課題に取り組んでいく。

美術部の一学年先輩となる森まる(桜田ひより)
美術部の一学年先輩となる森まる(桜田ひより)

八虎が絵画に目覚めたのは、「天使の絵」を描く美術部の先輩・森まる(桜田ひより)が口にした「あなたが青く見えるのなら、りんごもうさぎの体も青くていいんだよ」という台詞がきっかけだった。また、美術の佐伯先生は「好きなことをする努力家は最強なんですよ」という言葉で、八虎を励ます。

芸大や美大の受験という非常に限定された世界を題材にしながらも、主人公が創作の楽しさに目覚め、難関中の難関である東京藝術大学という高いハードルに挑む姿は、至高の通過儀礼を描いた青春ドラマとして幅広い層の共感を呼ぶものとなっている。

絵画を描くことで人生が大きく変わる主人公

同級生のユカちゃん(高橋文哉)がきっかけで、八虎(眞栄田郷敦)は美術部へ
同級生のユカちゃん(高橋文哉)がきっかけで、八虎(眞栄田郷敦)は美術部へ

眞栄田郷敦のほか、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひより、中島セナ、秋谷郁甫ら注目の若手キャストたちの群像劇となっている映画『ブルーピリオド』だが、絵画シーンの多い本作で美術監修を担当したのが、「絵画指導」の海老澤功氏と「美術アドバイザー」の川田龍氏だ。芸大・美大受験の内情を原作コミックと同様に生々しく描いた映画の舞台裏をおふたりに語ってもらった。

主人公・矢口八虎を演じる眞栄田郷敦に、クランクインの半年前から絵画指導したのが海老澤氏。映画の舞台にもなっている「ena美術 新宿(旧:新宿美術学院)」の油絵講師を東京藝大在学中の3年生のときから45年間にわたって務めている大ベテランだ。受験指導は43年目となり、これまでに164名の藝大合格者を輩出している。

海老澤「売れっ子になった教え子たちも多いので、週末はバイクに乗って、教え子たちが出品している展覧会やギャラリーを回っています。多いときは1日で4~5か所は回ることになりますね。すごく良くなったなぁ、活躍しているなぁ、と感心しながら回っています。自分が教えた作家たちの成長ぶりは、大きな喜びになっています」

東京藝大の受験は東大以上の難関で、二浪、三浪は当たり前の世界だと言われている。半年間という限られた期間で、海老澤氏は眞栄田郷敦にどんな絵画指導を行なったのだろうか。

絵画を執筆中の眞栄田郷敦
絵画を執筆中の眞栄田郷敦

海老澤「萩原健太郎監督から頼まれたのは、『絵画シーンは吹き替えではなく、郷敦本人に描かせたい』『絵画シーンにリアリティーを持たせたい』ということでした。その言葉に私も納得しました。前のめりで映画を観ていても、一か所でも嘘っぽいシーンがあると、観る方は興醒めしてしまいます。観る人が観れば、吹き替えしていることは分かります。郷敦が絵画を描くシーンは私がすべて立ち会い、不自然さがないよう見ていました。郷敦から『先生、この画材だとどんな描き方ができますか?』などと質問されれば、その場で教えて描いてもらいました。私からアドバイスはしていますが、絵画シーンはすべて郷敦本人が描いています」

東京藝大を目指すには「世界観」を持つことが重要

眞栄田郷敦本人が描き上げた「勝利」
眞栄田郷敦本人が描き上げた「勝利」

海老澤氏によると、東京藝大の受験はかなり特殊なものらしい。学科試験よりも、実技が圧倒的に重視される。また、受験生は単に絵がうまいだけでなく、その人が持つ独自の「世界観」が問われるそうだ。そのため、海老澤氏は世界観を築いていくための基礎として、「物の見方」をまず受講生たちに教えている。その指導方法は、今回の映画制作においても重要なテーマでもある。

予備校の講師・大葉(江口のりこ)が八虎たちを厳しく指導する。実在のモデルがいるそうだ。
予備校の講師・大葉(江口のりこ)が八虎たちを厳しく指導する。実在のモデルがいるそうだ。

海老澤「八虎は絵を描き始めたことで、母親(石田ひかり)の手を初めてじっくりと見て『食器を洗うから、手がささくれている』『買い物の荷物は重いから、意外と腕に筋肉がついている』と気づくわけです。それと同じです。見ることを意識することで、それまでとは違った発見ができるんです。例えば、美しい人と美しくない人がいるとして、でも両者を“存在”として意識して見ると、どちらも存在そのものが美しく見えてくるものなんです。東京藝大の試験ではそうした見方や見る人の人間性が問われます。萩原監督は『そうした絵画的な見方も大切にしたい』と言われていたので、時間はかなり短縮しましたが、郷敦には他の受講生たちと同じように“物の見方”から始め、自分で考えた作品を油絵として描き上げるまでひと通り教えています」

端正なルックスに加え、演技に対するひたむきさを感じさせる若手俳優の眞栄田郷敦は、中学・高校時代は吹奏楽部に所属し、サックス奏者として活躍した。東京藝大音楽学部を受験するも不合格となり、俳優の道へ進んだという経歴の持ち主だ。美術面での彼の腕前はどうだったのだろうか?

海老澤「飲み込みが早く、こちらが教えたことはすぐに理解し、自分のものにしていきましたね。音楽をやっていたこともあって、感覚も優れていました。最後に『勝利』という課題を出したところ、自分で考えて、モチーフを見つけ、自分なりの描き方で仕上げて見せました。学びの始まりは真似から始まるのですが、それからどうやって自分なりに応用して展開していくことができるかが、絵画の世界では重要になってきます。与えられた課題を教えられた通りに描くのではなく、ちゃんと自分なりの作品にしてみせたのですから、なかなかのものですよ。1年間じっくりと油絵を学べば、かなり優秀な生徒になるでしょうね。とはいえ、必ず東京藝大に入れるかは分かりません。年によって受験傾向が変わるし、東京藝大の特に油画科は『この子を東京藝大に入れたい』と教授たちに選ばれた生徒しか入れない世界なんです」

芸術家の卵たちに日々接していることもあってか、海老澤氏の表情は柔和ながらも、放つ言葉のひと言ひと言には熱いものを感じさせる。劇中で見せる眞栄田郷敦の筆遣いが熱気に溢れているのも、おそらく偶然ではないだろう。

指導する側も新鮮な刺激を受けた制作現場

森まる(桜田ひより)の描く「天使の絵」に、八虎は触発されることに
森まる(桜田ひより)の描く「天使の絵」に、八虎は触発されることに

八虎の好敵手となる世田介役の板垣李光人、八虎を絵画の世界へ導く美術部の先輩・森まる役の桜田ひよりらの絵画指導を担当したのは、「アートアワードトーキョー丸の内2018」丸の内賞を受賞するなど注目を集める若手アーティストの川田龍氏だ。

川田「キャストの方たちを指導したのは撮影前の3か月前からでした。『美大を受験できるレベルにまでしてほしい』という、かなり無茶な要請でしたね(笑)。まぁ、やれるだけやってみようと始めたんですが、キャストのみなさんはとてもやる気があった。上達の速度には個人差がありましたが、最後にキャスト全員が集まっての合同絵画会を開いたところ、それぞれかなりの腕前になっていましたね」

板垣李光人はイラストが趣味なだけに、かなりの腕前を披露した
板垣李光人はイラストが趣味なだけに、かなりの腕前を披露した

とりわけ、趣味でイラストを描いていた板垣の成長ぶりは目覚ましかったようだ。合同絵画会では、川田氏をモデルに「川田先生」というデッサン画を描いてみせている。

川田「板垣さんはそれまでデジタルでイラストを描いていたので、アナログで描くのはとても新鮮だったみたいですね。『コントロールZがほしい』とよく言っていました。デッサンも油絵も直すことを込みで描くわけですが、戻す作業が大変だったみたいです。パソコンだと戻るキーを押せば、すぐに元に戻れますからね(笑)。逆に僕はアナログでしか描いてこなかったので、板垣さんの発想が新鮮に感じられました。画材の扱い方やデッサンなどの基礎は教えることはできても、どんな絵をどのように描いていくかはそれぞれの感性に委ねられるので、そこからは僕もただの鑑賞者のひとりとして、キャストのみなさんの絵を楽しませてもらっていました」

世田介が予備校で描くデッサン画「ブルータス像」は、川田氏が映画のために描いたもの。キャストが描いた作品だけでなく、映画に登場するアート作品全般のコーディネイトも川田氏が手掛けている。

川田「天才的な才能を持つという設定の世田介ですが、実は生まれて初めて描いたデッサン画が『ブルータス像』なんです。世田介の天才ぶりを感じさせつつも、まだ拙さもあり、それでも根気よく描き上げたというイメージで仕上げてみました。森まる先輩の描いた『天使の絵』ですが、作者の灯まりもさんが描いた実際の絵は小さいんです。『同じような絵は描けない』ということもあって、100号(高さ1.62cm)の大きさに拡大したものをキャンバスに印刷した上に、油絵っぽく見えるような質感に僕のほうで加工させてもらいました。自分の解釈がどこまで正しいか分かりませんが、僕も東京藝大を受験した期間が長く(苦笑)、今も予備校(ena美術)の講師を務め、芸大や美大を目指す受験生たちと一緒に過ごしているので、その中で感じたことは監修者として生かすように努めたつもりです」

監修者が語る『ブルーピリオド』の魅力

八虎にとって、世田介(板垣李光人)は好敵手となる
八虎にとって、世田介(板垣李光人)は好敵手となる

若手アーティストとして注目を集めている川田氏だが、東京藝大ではなく東京造形大学を卒業後、東京藝大大学院で学び直したという経歴の持ち主だ。

川田「僕が受験したころの東京藝大の試験の傾向と、僕が得意とするものとが合わず、4浪しました(苦笑)。海老澤さんにも教わっていました。東京藝大にこだわるよりも、早く作家活動したいという気持ちが強かったので、学科試験のない東京造形大学を受けることにしたんです。造形大を卒業した後、1年間アルバイトをし、東京藝大の大学院を受験しました。芸大生の多くは大学院まで進むことが多いんです。東京藝大の授業料は他の大学より安いこともあって、僕は東京藝大の大学院に進みました。僕は壁画など古い絵画の描き方を学ぶための研究室に入ったのですが、そうしたアカデミックな専門的な研究ができるところも東京藝大のよさでしょうね」

川田氏は映画だけでなく、原作コミックにも自身の作品を提供するなど、『ブルーピリオド』の世界に深く関わっている。『ブルーピリオド』という作品の魅力を「美大・芸大受験という特殊な状況にもかかわらず、ステロタイプ的な描き方は決してせず、主人公たちの葛藤をとてもリアルに見せている。しかも、それを多くの人が楽しめるヒット作にしてみせる山口つばささんの才能がすごい」と川田氏は語る。

アートに関してはまったくのビギナーだった八虎だが、絵画を学ぶことで世界観が大きく広がり、クラスメイトや家族とも本音で向き合うようになっていく。さらに全裸になった自分自身を見つめ直し、人間的な成長を遂げるまでになる。八虎をはじめとする若きアーティストたちの青春のほとばしりを、ぜひスクリーンで体感してほしい。
 
※取材協力「ena美術」

「ena美術 新宿校」で45年間にわたって指導している海老澤功氏
「ena美術 新宿校」で45年間にわたって指導している海老澤功氏

海老澤功 プロフィール

1956年生まれ。1981年東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒。1979年の学部3年生時から新宿美術学院(現:ena美術)油絵科講師となる。現在45年目(受験指導43回)。自分のクラスから164名の藝大合格者を出している。「小さいころから、私は本当に好きなことしかしませんでした。学校の宿題は親にやってもらっていました。将来を心配した親から『消防士になれ』と中学のときに言われたんですが、絵を描く決心をしていたので、『自分の選んだ道ならダメでも後悔しないが、親に言われた道で不幸せだったら、親のせいにするぞ』と脅したところ、許してくれました(笑)。自分の好きなことをやっているという意味では、今も変わりませんね」(海老澤氏)

板垣李光人が描いたデッサン画「川田先生」
板垣李光人が描いたデッサン画「川田先生」

川田龍 プロフィール

1988年新潟県生まれ。2015年に東京造形大学を卒業、2018年に東京藝術大学大学院を修了し、現在は神奈川県横浜市を拠点に制作をしている。主な受賞に、アートアワードトーキョー丸の内2018丸の内賞(オーディエンス賞)、第2回CAF賞入選(2015)など。「現役の美大生や僕が教えている予備校の教え子たちにも協力してもらい、映画『ブルーピリオド』にはいろんな作品が登場します。ひとつひとつが素晴らしい作品なので、注目してみてください」(川田氏)

映画『ブルーピリオド』
2024年8月9日(金)より全国公開
原作 山口つばさ / 脚本 吉田玲子
監督 萩原健太郎 / 音楽 小島裕規“Yaffle”
絵画指導 海老澤功 / 美術アドバイザー 川田龍
出演 眞栄田郷敦、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひより、中島セナ、秋谷郁甫、兵頭功光、三浦誠己、やす(ずん)、石田ひかり、江口のりこ、薬師丸ひろ子
配給 ワーナー・ブラザース映画
© 山口つばさ / 講談社 © 2024映画「ブルーピリオド」製作委員会
『ブルーピリオド』公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/blueperiod-moviejp/

長野辰次

福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。

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