FEATURE

「隠遁」は世界を新鮮に、日々新しく生きるための文人の教え
野地耕一郎館長に聞く「山水画」の楽しみ方

泉屋博古館東京にて、「楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス」が2023年10月15日まで開催

インタビュー

泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎氏。成城大学卒業。美学美術史専攻。山種美術館学芸員、練馬区立美術館主任学芸員を経て、2013年より泉屋博古館分館(現・泉屋博古館東京)に勤務し、現職。
泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎氏。成城大学卒業。美学美術史専攻。山種美術館学芸員、練馬区立美術館主任学芸員を経て、2013年より泉屋博古館分館(現・泉屋博古館東京)に勤務し、現職。

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構成・文・写真:森聖加

泉屋博古館東京で、2023年10月15日まで開催中の 企画展「楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス」は、俗世間を離れて山中などに隠れ住む、中国と日本の文人たちが憧れた「隠遁生活」を山水画や文房具など美術工芸品により紹介する展示だ。特に「山水画」には、彼らが求めた安らぎと自由の理想形が描かれているという。忙しない日々を送る現代人に、いにしえの人々が問いかけるものとは? 泉屋博古館東京 館長であり、本展を担当した野地耕一郎氏にお話を伺った。

展示風景より
展示風景より
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
企画展 楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス
開催美術館:泉屋博古館東京
開催期間:2023年9月2日(土)~10月15日(日)

「隠遁」は世界を新鮮に、日々新しく生きるための文人の教え

ときは紀元前。中国ではこの時代から俗世に縛られることなく、自らの理想を追い求め、自然の中での自由な暮らしを実践した人たちがいた。隠者(いんじゃ)や隠逸(いんいつ)、高士(こうし)と呼ばれた人々だ。橋本雅邦(はしもとがほう )の《許由図》(きょゆうず)は、古代中国の伝説の隠者を描く。許由は時の皇帝から位を譲るといわれたほどの才人だが、申し出を断り、さらには「汚らわしいことを聞いた」と川の水で耳をすすいで流した逸話がある。

《許由図》では、彼のもうひとつの有名なエピソードが描かれる。山中に暮らす許由は、水や酒を飲むのに手で掬って飲んでいた。その様子を見た人が器として使うよう瓢箪を贈ったが、木に下げていた瓢箪が風に吹かれて音を出し、隠遁生活の楽しみである「松籟(しょうらい:松の梢に吹く風やその音)」を妨げるので捨ててしまったという。

瓢箪を捨てたあと、許由はまた手で水を汲む生活を続ける。
橋本雅邦《許由図》明治33年(1900) 泉屋博古館東京
瓢箪を捨てたあと、許由はまた手で水を汲む生活を続ける。
橋本雅邦《許由図》明治33年(1900) 泉屋博古館東京

展示では、尊敬を集めるもうひとりの隠者、中国の南北朝時代(4~5世紀)に生きた陶淵明(とうえんめい)を描いた作品も2点紹介されている。陶淵明は官職に就くもそのたびに辞職して自然の中で暮らすことを繰り返し、酒を飲み、琴をかたわらに詩作にふけった。彼が著した『桃花源記』(とうかげんき)に登場する「桃源郷」は、隠遁思想を反映した文人たちの理想世界として今日まで伝えられてきた。

伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》の展示風景
伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》の展示風景
自然の中で自由を満喫する陶淵明
伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》(部分) 中国・明時代 泉屋博古館
自然の中で自由を満喫する陶淵明
伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》(部分) 中国・明時代 泉屋博古館

「山水画」は文人たちが自分を取り戻すためのツール

野地氏は次のようにいう。「私たちは日々暮らしていると、(心に)小さなトゲが刺さります。文人は特に繊細な心の持ち主ですから、トゲを抜かなければなりません。抜かないでいれば、人間ってダメになってしまいます。詩をよんだり、散歩でも何でもいいのですが、文人たちがトゲを抜き自分を取り戻すためのツールが山水画でした。また〈観瀑(=滝を見ること)〉や〈書斎〉を主題にした絵画のほか、煎茶を喫し、酒を飲むための道具もそろえました。文人はそれらを身の回りに置いて、日常とは違う新鮮な世界の中にいる時間を楽しんでいたのです」

展示風景より
展示風景より

権力者を支える役人として論理的な世界に暮らした人々も、現代を生きる私たちと同じように日常に行き詰まることがあった。「自分とは何かを考えはじめたときに独自の人生観や世界観が芽生える。そして詩をよんだり、書画など芸術の世界に触れる別の世界が大切になってくるのです」と野地氏。さまざまな方法で「安寧な心理状態」に日々整えていた文人に学ぶのが今回の企画展のねらいだ。

自然の中に生きる、理想の自分を夢に抱いて―山水画のみかた(1)

文人が自分を取り戻すためのアイテム、山水画は伝統的な絵画ジャンルゆえに鑑賞がムズカシイ、と絵の前で立ち尽くす人も少なくないだろう。野地氏に鑑賞法を解説いただいた。

「中国や日本の山水画は、時代や絵師によって多少異なりますが、だいたい縦長の画面で、高い山と山中に小さな家が描かれます。家の中には人がいたり、いなかったり。あるいは山の懐、絵でいえば一番下に人物がひとりかふたり描かれます。ほぼ同じような形で描かれる。つまり、実景ではないのです。山水画が伝えるのは『自然があってこその人の暮らし、人の生命』で、東洋に生きる私たちに通底する概念です。これを基本に押さえるといいでしょう」

展示風景より。長吉《観瀑図》では飲食を楽しみながら、二人の高士が対岸の滝を眺める。「観瀑」は唐の詩人、李白の「望廬山観瀑」の詩を典拠とする画題。李白と観瀑のイメージを重ねている。
展示風景より。長吉《観瀑図》では飲食を楽しみながら、二人の高士が対岸の滝を眺める。「観瀑」は唐の詩人、李白の「望廬山観瀑」の詩を典拠とする画題。李白と観瀑のイメージを重ねている。

西洋では、自然は人間と相対するものであり、時として自然を征服することが人間の能力として証明されてきた。「東洋の山水画では人間はとても小さく描かれています。モナリザは逆で、まず人物がいて山水はその向こうにある。山並みを描いてもまったく異なるのです。東洋でなぜ山を描くのかというと、それは思想的な山、精神の山だからです。普通にはない形、オーバーハングしている山さえありますが、それが成り立つのは夢の中のこうあったらいいな、が表現されているから。あるいは、かつて見た素晴らしい風景がオーバーラップして絵の中に実現されます。どこにもない、『私だけの山』であることが貴重なのです」

画中の人物は描き手自身であるだけでなく、李白など高名な文人が主人公となる場合があり、そこでは主人公を活かすための山水が描かれる。「主人公が李白だとわかれば、彼がよんだ詩はなんだっただろうと頭を働かせる。背景を知るほどに入り込めるのが山水画なんです」

友と旅した地を描き、思い出を共有する―山水画のみかた(2)

理想の世界に想いをめぐらす一方で、山水画には実際の景色を描くジャンルもある。展示中の田能村竹田《梅渓閑居図》(たのむらちくでん/ばいけいかんきょず)は、九州を旅行中の画家が梅の花が咲く山中の庵で友と茶を飲みながら、清談を交わした思い出を描いた。また、岡田半江《渓邨春酣図》(おかだはんこう/けいそんしゅんかんず)は、別れを惜しんで中秋の名月を共に眺め詩を吟じ、酒を交わした出来事を描いたものだ。

田能村竹田《梅渓閑居図》文政10年(1827) 泉屋博古館
田能村竹田《梅渓閑居図》文政10年(1827) 泉屋博古館
友と庵で語らった思い出/田能村竹田《梅渓閑居図》(部分)文政10年(1827) 泉屋博古館
友と庵で語らった思い出/田能村竹田《梅渓閑居図》(部分)文政10年(1827) 泉屋博古館

「実景を描くものは真景図(しんけいず)と呼ばれます。しかし、その場で描いてはいませんから、そのままズバリの景色ではありません。自宅に戻ってから思い出して描くのでいくらか盛っています。さらに、この思い出の景色に入り込んでくるのが桃源郷です。『君と過ごしたあの場所は、桃源郷だったね』といって『桃花源紀』の理想郷のイメージを重ねるのです」

実際の景色に多少の脚色が許されるのは、なぜなのだろう?「それは、ふたりの思い出の場所だから。実際とは食い違いはあるかもしれないけれど、別に他人に見せるものではありませんから、それでいいんです」

相手への想いを絵に込めて、文人たちが送り合ったのが「山水画」だった、というわけだ。

琴の音色に耳をすませて?―山水画のみかた(3)

理想の隠遁者、陶淵明を語る逸話に無弦琴(むげんきん)がある。陶淵明が弦を張らずにそばに置いた琴(きん)のことだ。

「中国では山水画と琴って、同じ技法が用いられているといいます。つまり山水画を描く技法と琴を弾く奏法が同じだというのです。実際、琴の奏者に尋ねたら、そうだ、と言われました。山水画は琴を弾くようなイメージで描き、琴は山水画を描くイメージで弾くのでしょう。つまり、川の流れ、木々を渡ってくる風の音をイメージしながら琴は弾く。だから、陶淵明には弦が必要ありません。自然の音があるのですから」と野地氏。

山水画から絵のなかで響く自然の音を読み取るのも楽しいだろう。同館では10月3日にラーニング・プログラムとして「七弦琴コンサート『文人の心』」を予定している。双方を同時に味わえる貴重な機会となるはずだ。 ※要予約(詳細は同館ウェブサイトを参照ください。)

住友家15代当主のために描かれた理想郷

本展の終盤には、関西で幕末から明治時代の活躍した文人画家、村田香谷(むらたこうこく)の大作《西園雅集図》(せいえんがしゅうず)が登場する。中国・北宋時代、洛陽の西にあった西園に蘇軾(そしょく/蘇東坡 そとうば)をはじめ16人の文人が清遊を愉しんだ集いのことだ。なかには日本から宋にわたった円通大師の姿もある。

展示風景より。村田香谷《西園雅集図》
展示風景より。村田香谷《西園雅集図》

村田香谷は明治・大正時代に住友グループの基礎を築いた15代当主、住友春翠(すみともしゅんすい)が、作品のほとんどを買い上げるほど重宝し親交した画家で、春翠がひらいた文芸サロンでも中心的存在だった。《西園雅集図》は住友家が蒐集した作品を収蔵する泉屋博古館の近代日本画コレクションを代表する作品でもある。「上部に讃がありますが、そこには、“北宋時代の伝説の西園雅集も非常に素晴らしいけれど、春翠氏が持つサロンも負けず劣らず素晴らしい” と書いてあります」

住友春翠のように号を持つこと自体が隠遁のはじまりといえるかもしれない、と野地氏は続ける。「現実世界では本名で付き合うわけですが、別号は精神世界で実現したい自分をイメージして付けるもの。画家が雅号を付け、文筆家がペンネームを付けるのは隠遁の入り口であるといえます」

隠逸者たちも、個人によって現実と隠遁との距離の置き方はさまざまだった、と野地氏。自らの心を自由に遊ばせながら、精神の健康を保ったいにしえの人々の知恵をじっくり味わいたい。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
泉屋博古館東京|SEN-OKU HAKUKO KAN MUSEUM TOKYO
106-0032 東京都港区六本木1丁目5番地1号
開館時間:11:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
定休日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、展示替期間

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