凱旋門が包まれる!?
パリの日常が変容する巨大プロジェクトが始動
芸術家ユニット「クリストとジャンヌ゠クロード」が手掛けるプロジェクトがもうすぐ公開
DIC川村記念美術館では、特集展示「クリストとジャンヌ=クロード―包む、覆う、積み上げる」が開催中
取材構成・文 小林春日
パリの凱旋門を訪れたことはあるだろうか?
「凱旋門」といえば、世界各国から集まる観光客にとって、パリを象徴する観光名所としてあまりにも有名で、一目見ずには旅を終われないだろう。パリジャン・パリジェンヌにとっては、シャルル・ド・ゴール広場から、シャンゼリゼ通りなど12本の通りが放射状に広がるその起点に建つ見慣れた門で、日常の風景の一部である。
その凱旋門が、もうすぐ、包まれる。それは比喩の話ではなく、実際に、梱包材で包まれて、外からは凱旋門の元の姿が見えなくなるのだ。目下、凱旋門を包むプロジェクトを開催するための準備が進行中である。現在は、凱旋門に刻まれたレリーフなどを傷つけないために、足場を組んで、保護装置が設置され、アーチ部分には布の設置が進んでいる。
実際に建造物が包まれる、という姿を想像することは難しいが、凱旋門を建造物ごと包んだ姿をイメージしたスケッチがこちらである。
芸術家ユニット「クリストとジャンヌ゠クロード (Christo and Jeanne-Claude)」による巨大プロジェクト
工事現場でもないのに、こんな風に建築物がすっぽりと覆われる、という光景を見ることは珍しい。これは、クリスト(1935-2020)とジャンヌ゠クロード(1935-2009)夫妻による、芸術家ユニット「クリストとジャンヌ゠クロード (Christo and Jeanne-Claude)」が手掛けるプロジェクトである。
建造物をシート状の素材と紐で“包む”プロジェクトや、無数のドラム缶を“積み上げる”プロジェクト、あるいは、傘や門を“並べたり”、島々を“囲ったり”、1961年以来、二人は世界各地で巨大なスケールで、「包む」「積み上げる」「並べる」「囲う」などのプロジェクトを次々に実現させてきた。現在、その二人の遺志を継ぐチームによって、パリの凱旋門を包むプロジェクトの準備が進行中で、9月18日から10月3日までの予定で実現する。
クリスト(写真右)は、ブルガリア出身で、首都ソフィアの美術アカデミーで絵画や彫刻そして建築や装飾美術などを幅広く学んだ。1957年にウィーンへ亡命後ジュネーヴに行き、翌1958年にチューリヒで、缶や瓶を布で包んだ「包まれたオブジェ」の制作を開始する。そして同年のうちにパリに居を定め、生活のために肖像画の依頼を受けるなかで、依頼主の娘であったジャンヌ゠クロード(写真左。モロッコ生まれ。フランス人)と出会う。二人は同じ1935年6月13日生まれであることに運命を感じ、生涯を共にすることを決めた。
クリストは当時、凱旋門の近くに小さな部屋を借りていた。それ以来、このモニュメントに魅了され、1962年には凱旋門から放射状に伸びる12本の通りの一つ、フォッシュ通りから見た凱旋門を撮影した。凱旋門を“包む”プロジェクトを構想したのだ。1988年には、その完成イメージによるコラージュ作品を制作した。そしてようやく構想から60年後の今年、このプロジェクトが具現化されることとなる。
億単位の莫大な費用がかかるプロジェクト実現のための資金調達方法
彼らが進めてきた、公共の建造物を包んだり、公共の場にドラム缶を積み上げたりするスケールの大きなプロジェクトは、二人だけで好きなように創り上げることは不可能で、プロジェクトを進めるにあたり、公共の場に関わるすべての人々に許可を取る必要があった。行政や民間の各機関、地権者らなどへの「交渉」も作品の一部として進めてきた。小学生でも大統領でも、平等に対等に丁寧に説明をして許可を得る、ということを二人で進めながら、プロジェクトを実現したり、あるいは実現に至らなかったりした。
億単位の莫大な費用がかかるプロジェクトの実現のために、それらの構想の段階でクリストが制作した、完成イメージを具現化した縮尺模型やコラージュ、ドローイング、版画などを作品として販売し、資金を賄ってきた。公的な資金や企業などからの援助は一切受けず、自前で資金を賄ってきたのは、何の制約も受けずに、自分たちの意志や決断でプロジェクトを進めることができるようにするためだ。
そういった、プロジェクト実現のための資金を賄うべく制作された、縮尺模型やコラージュ、版画などの作品を所蔵するDIC川村記念美術館で、現在、「クリストとジャンヌ゠クロード ―包む、覆う、積み上げる」が開催されており、同館が所蔵する16点の作品が公開されている。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「コレクションViewpoint クリストとジャンヌ=クロード ―包む、覆う、積み上げる」
開催美術館:DIC川村記念美術館
開催期間:2021年7月3日(土)~2021年10月3日(日)
これらの作品の中には、もうすぐ開催の凱旋門を包むプロジェクトの初期構想のほか、日の目を見なかったアイディアも含まれている。巨大なスケールで構想され、さまざまな手法をとる各プロジェクトの完成イメージが、その概要とともに紹介された特集展示となっている。
凱旋門を包むプロジェクトについて、DIC川村記念美術館の学芸員 中村萌恵氏に話を聞いた。
「二人のプロジェクトにおいて『日常の風景を変容させる』という点が重要です。これまでもプロジェクトの実現には観光客が多い時期を避ける、ということをしていましたが、今回も観光シーズンを外していると思われます。観光客にとっての凱旋門は非日常であり、パリの人々にとっては日常なので、彼らにとって『包まれた姿』というのは、日常の風景が変容した、非日常になります。そのようなことを踏まえると、やはり観光客があまりいない時に実現した方が良いと判断したのではないかと思います。
『包まれる』ことによって、そのフォルム自体が浮かび上がり、こういうフォルムをしていたのか、といった気づきにもなり、また、凱旋門が隠れることによって、今度は周りの景色が強調されて、こういう風景だったのかと、それまでと違うところに意識や目が行く、そういった新しい発見がもたらされるところが、二人のプロジェクトの特徴と言えます。」
このプロジェクトは、本来、昨年の春に開催される予定であったが、新型コロナウィルス感染症拡大の影響などで、延期となっていた。残念ながらそのプロジェクトの実現を待たずして、2020年5月にクリストは84歳でこの世を去った。
交渉も作品の一部、「L'Arc de Triomphe, Wrapped(包まれた凱旋門)」プロジェクトの実現が可能になるまで
2020年にパリで開催予定の「クリストとジャンヌ=クロード展」の準備中であった2017年、会場となるポンピドゥー・センターの所長 セルジュ・ラヴィーニュ氏と、当時ディレクターを務めていたベルナール・ブリステン氏とともに、展覧会と並行して行うプロジェクトの実現について話し合う中で、クリストは、60年前に構想が芽生えた「L'Arc de Triomphe, Wrapped(包まれた凱旋門)」と題したプロジェクトを実現させることを決意する。
翌年2018年10月には、フランス大統領エマニュエル・マクロン氏に凱旋門のプロジェクトを紹介する機会を得て、2019年1月に大統領の承認を受ける。同年4月には、凱旋門を管理する、フランス国立モニュメントセンターの許可を得て、凱旋門プロジェクトの実現が可能となった。
その後、ドイツ・ベルリンのSchlaich Bergermann Partner社に委託して、凱旋門を包むための工学的な研究を行い、2019年10月から12月にかけて、実物大でのテストを数回行っている。これらのテストの間、クリストは生地やロープの色と種類、ボリュームのある折り目を作るために必要な生地の量、設置方法などの確認を進めていく。
2020年2月、ドイツのSETEX-Textil社が、凱旋門を包むための生地の生産を開始し、25,000平方メートルのリサイクル可能なポリプロピレン織物が用意された。この生地は、ドイツのヘルボルツハイムにあるROWO Coating社に送られ、生地にアルミニウム粉を吹き付けて、ブルーを帯びた銀色に仕上げている。同年4月には、同じくドイツのGeo-Die Luftwerker社で、生地の縫製を行っている。
ドイツのブレーメンにあるGleistein社のスロバキア工場では、凱旋門を包むための3,000メートルの赤いポリプロピレン製のロープが生産された。こうして、クリストを中心に、専門家らの知恵や技術を結集して、凱旋門を「包む」ための素材や方法が、着々と整えられていた。
クリストが、ニューヨーク市の自宅で息を引き取ったのは、その準備の最中の2020年5月31日であった。クリストとジャンヌ゠クロード、二人の遺志を引き継いだチームによって、もう間もなく、このプロジェクトの実現が果たされようとしている。
「クリストとジャンヌ゠クロード (Christo and Jeanne-Claude) 」のプロジェクトから見えてくるもの
こちらは、現在、DIC川村記念美術館の特集展示で見られるスクリーンプリント、「クリストとジャンヌ゠クロード《鉄のカーテン―ドラム缶の壁(パリ、ヴィスコンティ通り、1961-62 年)》1968年」である。
パリ左岸、サンジェルマン・デ・プレ地区の学生街にある、パリの中で一番小さい道のうちの一つと言われている道をドラム缶を積み重ねて封鎖したもので、実際に実現したプロジェクトである。人々が日常的に通ることのできる通路に、いきなりある日、ドラム缶で出来た壁で、そこを通ることができなくなることで、日常が変容する。
当時は、1961年までは往来が自由であった西ベルリンと東ベルリンに高い壁が築かれ、分断されていた時代で、1989年11月までの長きにわたって、越境を試みた人々は射殺されるなど、犠牲者が絶えない時代であった。作品を意味を考えるときに、作家は明言していないが、そういった時代背景も考慮されるべきだろう。
クリストとジャンヌ゠クロードのプロジェクトは、実現、あるいは実現しない結果に至るまでの、交渉などの過程も含めて「作品」であり、そこには、各国の社会や歴史的な背景といった世相も反映されている、といえるのではないだろうか。
現在、DIC川村記念美術館で開催中の展示では、実現しなかったプロジェクトについても、記録写真やドローイングを基にした版画や、コラージュなどが展示されているが、実現したもの、そうでないものの過程も含めて紐解いてみることで、作品に反映された時代や社会、そこに息づいた人々の姿が浮かび上がってくる。
クリストとジャンヌ゠クロードのプロジェクトは、学芸員の中村氏によると、巨大プロジェクトで(屋内を想定したプロジェクトもあるため数え方によるが)、実現に至ったものは20程度、実現しなかったものはその倍程度はあるという。
実現しなかったプロジェクトも多いなかで、「L'Arc de Triomphe, Wrapped(包まれた凱旋門)」は、60年越しに果たされるプロジェクトである。芸術の歴史に刻まれる新たな瞬間を目撃できる日は間近だ。
参考文献・参照サイト:
Christo and Jeanne-Claude 公式サイト https://christojeanneclaude.net
DIC川村記念美術館 公式サイト https://kawamura-museum.dic.co.jp/