白井屋ホテルを開業してあらためて実感した
現代アートの磁力・影響力株式会社ジンズホールディングス 創業者 / 代表取締役CEO / 白井屋ホテルオーナー
田中仁氏インタビュー【後編】
インタビュー
文・構成 藤野淑恵
株式会社ジンズホールディングス 創業者 / 代表取締役CEO / 白井屋ホテルオーナー
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ホテル開業まで2年のタイミングで、
現代アートに一気に振り切った
現代アート作品が旗艦店を彩る「JINS Art Project」でも知られているJINSだが、創業者で代表取締役CEOの田中仁氏の興味の対象はアートよりも建築だった。2009年、藤森照信、伊東豊雄、妹島和世など11人の建築家がデザインするアイウエアを発表。国内のみでなく、海外の店舗でも石上純也ら著名建築家に店舗設計を依頼して注目を集めてきた。白井屋ホテルの建築・内装設計に藤本壮介氏を選んだのももちろん田中氏。しかし、このホテルの特徴を最も際立てているのは、現代アートだ。
田中氏が現代アートに関心を持つようになったきっかけには、ジンズホールディングスの顧問を務める藤本幸三氏の影響がある。エルメスジャポンのコミュニケーション担当執行役員アーティスティックダイレクター、アニエス・ベージャパンの代表取締役社長のポストを歴任し、現代アートに造詣の深い藤本氏の意見も聞きながら、白井屋ホテルのアート作品の選定・収集を田中氏が自ら行った。
田中氏:実は現代アートには全く興味がなかったんです。幸三さんとヨーロッパやアメリカに出張すると、空き時間に現代アートの美術館やギャラリーにばかり行くんです。私は興味なかったし、現代アートよりもモネとかのほうがまだいいわけです。面倒臭いな、部屋でゆっくりしたいなと(笑)。それが、昔から好きだった建築の視点から現代アートの美術館を鑑賞する楽しみもあってお付き合いしているうちに、だんだんと、なんとなく、これは「好き」とか「嫌い」とか、そういう感覚がついてきた。現代アートの魅力にはまった時期と、白井屋ホテルの仕上がりの時期がちょうど重なったんですね。
ジンズホールディングスは森美術館サポーターの一社でもあり、美術館やギャラリーのイベントに出席する機会が多かったという田中氏。アート関係者やキュレーター、アーティストとは以前から交流があったが、ホテル開業まで2年となった2018年、ラウンジにレアンドロ・エルリッヒのインスタレーションを入れることが決まった頃から、田中氏の現代アートへの興味が加速した。
田中氏:田中氏:レセプションやラウンジには、初めからホテルを象徴する本物のアートを置きたいと考えていました。逆に、客室にはリトグラフを飾ればいいかな、くらいに。でも、ラウンジにレアンドロの作品が入り、ホテルの空間が徐々にできあがってくると、すべてが「本物」であることに気づくわけです。アートに関して私は素人ですが、コンテクストとか、そういうことではなくて自分がいい、これを置きたい、という思いや感覚で現代アートに振り切ってしまおうと。ギャラリーを巡り、幸三さんの意見も参考にしつつ、終盤のホテルの仕上げ段階に一気に購入しました。
ホテルのレセプションでゲストを迎えるのは杉本博司の作品、〈ガリラヤ湖、ゴラン〉。杉本と建築家の榊田倫之による新素材研究所は、ホテル内の特別個室、真茶亭(まっちゃてい)の設計・デザインも手掛けている。
田中氏:レセプションのこの場所は杉本さんの作品にしたいと、ある時点から考えていました。江の浦測候所にも何度も足を運んで。海のない群馬からの憧憬の思いもあり選んだのは〈海景シリーズ〉です。結果的には海ではなく湖の作品になりましたが(笑)。ファサードから差し込む光の反射角度まで計算し、杉本さんにも確認していただきながら、どこからでも美しく見える位置に設置しました。作品と雰囲気を合わせるために、カウンターの色調をダークトーンに変更しました。
ギャラリーのイベントに顔は出していたものの、作品を購入するコレクターではない田中氏がアート関係の集まりにどういうポジションで出席しているのか、不思議に感じていた人もいたというが、白井屋ホテルのオープンに際して一気にコレクターの仲間入りをした。
田中氏:ホテル開業までの準備期間の6年という時間が、今思うと醸成期間だったんですね。もし3年でオープンしていたら、白井屋ホテルには現代アートはこれほど存在しなかったでしょう。アートに関しては、今後さらにいろいろな仕組みを考えています。これまでにない、アート界にとっては新しいアプローチだと思いますよ。
客室すべてがアーティストルーム。
パブリックスペースでも客室でも、本物に囲まれる時間
2020年11月、白井屋ホテルの開業記念として六本木のフィリップス東京で開催されたプレオープン企画展「The Place of Encounter ~白井屋ホテルの8人の作家~」では、ホテルのパブリックスペースや客室に展示されている白川昌生、小野田賢三など群馬県在住の作家8人の作品が紹介された。これらの国内外で活躍する群馬の作家に加え、森美術館の展覧会で大きな動員数を集めた塩田千春や、プロダクトデザインやファッションなど幅広い領域で活躍するKIGI(キギ)など、全25室すべてが作家にフォーカスした客室となっている。
田中氏:ミケーレ、ジャスパー、レアンドロ、藤本さん、4名のスペシャルルーム以外も、すべての客室がアーティストルーム。泊まるたびに新しいアーティストや作品と出合う楽しみがあります。吹き抜けの大空間にレアンドロの作品がインスタレーションされたザ・ラウンジ、そしてそこから上階の客室へと誘う階段やブリッジの眺めは上から見下ろしても美しくて、このホテルって凄いな、と感じる場所。吹き抜けに面したベランダがある部屋も、このホテルらしい空間です。
ホテルを開業してさらに強く感じる
現代アートの磁力・影響力
田中氏:瀬戸内や越後妻有のトリエンナーレや直島などを訪れて、現代アートの磁力は感じていましたが、実際に白井屋ホテルに作品を入れてみて、やっぱりすごい影響力があると感じます。建築にももちろんパワーがありますが、人を惹きつける力強さでいうとやはりアート。街の活性化にアートは欠かせない。白井屋ホテルのラウンジでは、コーヒー一杯で現代アートに触れられる。これって、現代アートの民主化だと思うんです。
鑑賞するために入場料を取るのは美術館がすればいいこと。街そのものを美術館にして、現代アートが人々の日頃の活動や、行動の中で自然に目に入るような街。前橋のそんなありかたを田中氏は模索する。
街をアートで活性化するという目的であれば、日本有数のトップレベルの現代アートのコレクターからもぜひ協力したい、という心強い声もかかっている。
田中氏:私もそうですが、手に入れた素晴らしい作品は広く共有したくなるんですね。作品の管理体制を整え、コレクターのクレジット付きで展示できれば、これまでにない新しいアプローチになる。私ひとりのコレクションではなく、コレクターの方々に協力いただけるのはありがたい。アートギャラリーの関係者から、こんなアプローチのホテルはなかったと言われますが、手本がないことをやるから楽しい。異なる個性の人たちが集まり、そこにはアーティストがいて、プロダクトデザイナーがいて、テキスタイルデザイナーがいる。それが面白い。
キュレーターやコレクターであればアートの収集にもストーリーやコンテクストが不可欠であるが、白井屋ホテルのアートコレクションはそれを意識していない。手本がないことをやるのが楽しいと語る田中氏。起業家のコレクションが発するエネルギーは、これまで前橋に興味を持たなかった東京や他の都市のアート愛好家の関心を惹きつける。
田中氏:コロナ禍で東京の人が地方に注目し始めています。このホテルができたことによって、前橋もいいかなと思う人が増えると嬉しい。これまでは前橋なんて眼中になかったけれど、こんなホテルがある街だったら、行ってみても面白いかな、投資してもいいかな、と。中心街が寂れて、自分たちの街に自信をなくしていた前橋市民にとっても、東京や世界の「本物」を見てきた人たちが素晴らしいと認める空間がこの街にできたということは、大きな衝撃なんです。「前橋にもこんなのができた」「前橋を誇りに思う」。そんな声が上がっていることが嬉しいですね。
白井屋ホテル
群馬県前橋市本町2-2-15
027-231-4618
https://www.shiroiya.com
東京-高崎:JR上越・北陸新幹線で約50分
関越自動車道「前橋IC」から約15分
JR両毛線 前橋駅より徒歩で約15分 / タクシーで約5分
JR高崎駅から有料リムジンサービスあり