FEATURE

現代アートで人々を惹きつける。
白井屋ホテルから始まる、前橋の新しいアプローチ株式会社ジンズホールディングス 創業者 / 代表取締役CEO / 白井屋ホテルオーナー
田中仁氏インタビュー【前編】

インタビュー

©Shinya Kigureザ・ラウンジの吹き抜けの大空間に縦横に広がるのはレアンドロ・エルリッヒのインスタレーション〈ライティング・パイプ〉。現代アートに囲まれ、天井に向かって伸びる大きなベンジャミンをシンボルツリーに、多くの植物が配された居心地のよい広場のような空間は、宿泊客のみでなく前橋の街へ、そしてこの街を訪れる人々へと開かれている。
ザ・ラウンジの吹き抜けの大空間に縦横に広がるのはレアンドロ・エルリッヒのインスタレーション〈ライティング・パイプ〉。現代アートに囲まれ、天井に向かって伸びる大きなベンジャミンをシンボルツリーに、多くの植物が配された居心地のよい広場のような空間は、宿泊客のみでなく前橋の街へ、そしてこの街を訪れる人々へと開かれている。/ ©Shinya Kigure

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文・構成 藤野淑恵

ジンズホールディングス 創業者/代表取締役CEO /白井屋ホテルオーナーの田中仁氏。白井屋ホテル ザ・ラウンジにて。左は武田鉄平の〈絵画のための絵画020〉。右のテキスタイル作品は安東陽子によるもの。
ジンズホールディングス 創業者/代表取締役CEO /白井屋ホテルオーナーの田中仁氏。白井屋ホテル ザ・ラウンジにて。
左は武田鉄平の〈絵画のための絵画020〉。右のテキスタイル作品は安東陽子によるもの。/ ©ARTAGENDA

群馬県の県庁所在地、前橋市の中心部。ここに金沢21世紀美術館の〈スイミング・プール〉で知られるレアンドロ・エルリッヒをはじめ、ローレンス・ウィナー、杉本博司、塩田千春といった、今をときめく現代美術家の作品が集結した新たなアートデスティネーション、白井屋ホテルが誕生した。官営富岡製糸場よりも先駆けて藩営前橋製糸所を起こし、日本の近代化をリードした前橋の、アートを切り口にした新たな地域活性化モデルだ。街づくりのビジョンを見据えながら、ホテルの建築、プロダクトデザイン、アートのセレクションを含め、ホテル開業までのすべてのプロセスにおいて陣頭指揮に当たったのは、前橋市出身で白井屋ホテルオーナーの田中仁氏(以降、田中氏)だ。

©Shinya Kigureヘリテージタワーの外壁。〈FROM THE HEAVENS  FROM THE PRAIRIES  FROM THE SEA  FROM THE MOUNTAINS〉ローレンス・ウィナー。
ヘリテージタワーの外壁。〈FROM THE HEAVENS FROM THE PRAIRIES FROM THE SEA FROM THE MOUNTAINS〉ローレンス・ウィナー。/ ©ARTAGENDA
エントランス脇の壁一面にはリアム・ギリックの〈Inverted Discussion〉と〈Unity Channelled〉のコンビネーション作品。敷き詰められた赤レンガは、かつて地元の新たな産業として生産されていたレンガ、そして製糸の街としての歴史を語る上で重要な赤レンガ倉庫のレガシーへのオマージュ。
エントランス脇の壁一面にはリアム・ギリックの〈Inverted Discussion〉と〈Unity Channelled〉のコンビネーション作品。敷き詰められた赤レンガは、かつて地元の新たな産業として生産されていたレンガ、そして製糸の街としての歴史を語る上で重要な赤レンガ倉庫のレガシーへのオマージュ。/ ©ARTAGENDA

白井屋ホテルの建築を藤本壮介氏に依頼した理由。
2002年に遡る二人の出会い

JR前橋駅から街の中心部を結ぶ国道50号沿いを歩くと、鮮やかな黄色地に赤、青、緑で「FROM THE HEAVENS」「FROM THE PRAIRIES」「FROM THE MOUNTAINS」・・・・印象的なアートワークで彩られた白い建物が見えてくる。これはタイポグラフィーによるコンセプチュアル・アーティストとして知られるアメリカのローレンス・ウィナーの作品だ。2020年12月にオープンしたこの白井屋ホテルは、江戸時代創業の旧白井屋ホテルの建物をリノベーションした国道沿いのヘリテージタワーと、裏手の馬場川通り沿いに新しく新築された、緑豊かな土手と見紛うグリーンタワーの2棟から成る。建築・内装設計を手掛けたのは、横浜のユニクロパーク(2020年)、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン(2013年)、武蔵野美術大学 美術館・図書館(2010年)で知られる建築家の藤本壮介。田中氏と藤本氏の出会いは2002年に遡る。

©Shinya Kigure右手奥の白い建物がヘリテージタワー。以前からそこにあるかのような緑豊かな丘の中に部屋が点在するようにも見えるグリーンタワーは、馬場川通りと呼ばれる小川の流れる道沿いからのエントランスも兼ねている。
右手奥の白い建物がヘリテージタワー。以前からそこにあるかのような緑豊かな丘の中に部屋が点在するようにも見えるグリーンタワーは、馬場川通りと呼ばれる小川の流れる道沿いからのエントランスも兼ねている。/ ©Shinya Kigure
©Shinya Kigure前橋の街づくりのビジョン「めぶく。」を象徴するランドスケープを白井屋ホテルに描いた建築家・藤本壮介。「どこまでが建築で、どこまでが道で、どこまでが広場で、どこまでが丘なのか、そしてどこまでが森なのか、よくわからないような、今まで見たことがないけれども、快適でありながら、歩きまわって楽しいような魅力的な都市空間」を白井屋ホテルで意識的につくったと語っている。
前橋の街づくりのビジョン「めぶく。」を象徴するランドスケープを白井屋ホテルに描いた建築家・藤本壮介。
「どこまでが建築で、どこまでが道で、どこまでが広場で、どこまでが丘なのか、そしてどこまでが森なのか、よくわからないような、今まで見たことがないけれども、快適でありながら、歩きまわって楽しいような魅力的な都市空間」を白井屋ホテルで意識的につくったと語っている。/ ©Shinya Kigure

田中氏:「すごい才能をもった人がいる」。建築に詳しい友人から藤本さんを紹介されたのは、青森県立美術館のコンペで優秀賞を獲得した藤本さんが、建築家としてデビューして間もない頃です。当時、JINSのロードサイドの店舗をつくる計画があり、藤本さんに相談してたくさんの模型を作っていただいたのですが、諸事情のため計画が頓挫してしまった。ちょうどその頃、私の兄が家を新築することになり、藤本さんを紹介しました。藤本さんの初の住宅建築となった前橋のT HOUSE(2005年)です。今思えば、そこから藤本さんと前橋のご縁が始まったんですね。

その後メキメキと頭角を現し、気鋭の建築家として注目を集める藤本壮介に、建築を依頼できる機会をうかがっていたという。

田中氏:当時展開していたJINSの店舗の規模ではない形で藤本さんと仕事をしたかったので、しばらく機会がなかった。私が白井屋を購入して新たにホテルをオープンすることになって初めて、「あ、ようやく藤本さんにお願いするのにふさわしい物件が出た」と。「こういう物件があるんだけどう思う?」と久し振りにメールを送りました。2014年7月のことです。

©Katsumasa Tanaka 旧白井屋ホテルの4階建の建物を大胆にリノベーションした、白井屋ホテル・ヘリテージタワーの吹き抜け空間。
旧白井屋ホテルの4階建の建物を大胆にリノベーションした、白井屋ホテル・ヘリテージタワーの吹き抜け空間。/ ©Katsumasa Tanaka

それから2020年12月の白井屋ホテル開業まで6年以上、田中氏と藤本氏との密度の濃いやりとりは続く。

田中氏:本業ではないホテル事業には、いつまでにこれをやらなくてはいけないというタイムリミットがない。そのため、じっくり時間をかけることができたのが結果として良かった。建築家というと、自分の意志を貫くイメージですが、藤本さんは基本的に人の意見は聞く。聞くけれど、芯のところは揺るがない。新しい建築家像を見出している方だと思います。6年間、毎月2~3時間、藤本さんと顔を付き合わせて打ち合わせを重ねましたが、ずっと建築に興味があったのでそのプロセスは面白かったですね。

シャッター商店街の事例として社会の教科書に掲載された前橋。
この街はもう終わっている。そう思っていた

2014年に田中仁財団を設立。前橋市をはじめとする群馬県の文化・芸術の振興、起業支援等の地域活性化のため、「群馬イノベーションアワード」と起業家育成スクール「群馬イノベーションスクール」を立ち上げ、前橋市の市街地活性化に取り組んできた。

田中氏:財団で社会貢献として立ち上げた2つの事業は、今では地元の高校生500人が応募し、来場者が3千人に届く活気のあるイベントに育ちました。当時、前橋市は47都道府県の県庁所在地の地価公示価格が全国で最下位。街の中心部のアーケード商店街がシャッター街となり、閉まっている店舗数が凄まじくて「シャッター商店街の事例」として写真が教科書に掲載されるくらい。正直なところ「この町はもうだめだろう」と諦めていたんです。

その頃、「自分達の住む街をなんとかしたい」と活動している情熱を持った若者たちとの出会いがあった。2013年、白井屋ホテルから徒歩数分の文化・芸術の総合施設、アーツ前橋の開館のときのことだ。

アーツ前橋は前橋市の芸術・文化活動の拠点施設。/ ©前橋観光コンベンション協会
アーツ前橋は前橋市の芸術・文化活動の拠点施設。/ ©前橋観光コンベンション協会

田中氏:アーツ前橋のイベントに呼ばれて、地元の若者とトークセッションしました。彼らがひたむきに取り組んでいる「この街をなんとかしたい」という活動に協力したいと思った。私が協力することで、その活動を力強くしたいと思いました。それが運の尽きというか(笑)。2014年に財団を設立し、その後、「廃業したまま廃墟になっている白井屋ホテルを、なんとかしてもらえませんか」という話になり。購入に至りました。

アーツ前橋は前橋市の芸術・文化活動の拠点施設。屋上看板の〈空のプロジェクト:遠い空、近い空〉の作家であるミラノ在住のアーティスト・廣瀬智央は、白井屋ホテルの客室のアートも手掛けている。客室からはアーツ前橋の屋上作品を眺めることができるという趣向だ。
アーツ前橋の屋上看板〈空のプロジェクト:遠い空、近い空〉の作家であるミラノ在住のアーティスト・廣瀬智央は、白井屋ホテルの客室のアートも手掛けている。客室からはアーツ前橋の屋上作品を眺めることができるという趣向だ。/ ©ARTAGENDA
©Katsumasa Tanaka廣瀬智央の作品〈ある夜の旅〉が設えられた客室(ヘリテージタワー)。
廣瀬智央の作品〈ある夜の旅〉が設えられた客室(ヘリテージタワー)。/ ©Katsumasa Tanaka

旧宮内庁御用達の老舗旅館として、創業300年の歴史を持つ白井屋は、1970年代にホテルへと転換後、前橋中心街の衰退とともに2008年に廃業。取り壊しの危機に瀕していた。

田中氏:前橋出身の私もその存在を知らなかったほど、何の変哲もないビジネスホテルになっていた。それでも細々と営業を続けた後に閉鎖に至ったようです。私が購入した当時は廃墟と化していて、初めて建物に中に入ったときは正直なところ、う~ん、大丈夫かなと思いましたね。

©MMA+Shinya Kigure
©MMA+Shinya Kigure
広瀬川河畔、木立や地被植物で覆われた小さな丘にある岡本太郎作・「太陽の鐘」は白井屋ホテルから徒歩10分。この周辺デザインを手がけたのも藤本壮介だ。前橋の街づくりのビジョンである「めぶく。」のシンボルとして、白井屋ホテルのプロジェクトが進行中の2018年に披露された。
広瀬川河畔、木立や地被植物で覆われた小さな丘にある岡本太郎作・「太陽の鐘」は白井屋ホテルから徒歩10分。この周辺デザインを手がけたのも藤本壮介だ。前橋の街づくりのビジョンである「めぶく。」のシンボルとして、白井屋ホテルのプロジェクトが進行中の2018年に披露された。

経営者視点による前橋の街づくりのビジョンを。
起業家のチャレンジとして「本気」で取り組む

当初田中氏が抱いていた、新しい白井屋ホテルのイメージを尋ねると意外な答えが返ってきた。自らホテルに取り組む考えはなく、ホテル会社やコンサルティング会社に全てを委ねるつもりだったという。

田中氏:新たなシティホテルとして再生してもらうつもりでした。ところが、引き受け手がない。ホテル業者やコンサルティング会社から、「ホテルは人が集まるところにニーズが生まれて成立するもの。前橋のような街にはそんなシティホテルは成立しません」と。前橋には低単価・高回転のビジネスホテルしかないと断言されました。さらに、「ホテルというのは街と共にある。そもそも、前橋ってどういう街ですか?」と。そう質問されて、答えられなかった。

その後、前橋市長に街づくりのビジョンについて尋ねる機会があった。しかし、福祉の充実などの目標はあっても、街づくりのビジョンを持つ行政や自治体は殆どないのが実情。前橋も同様だった。

田中氏:「民間の経営的視点でビジョンを作って、戦略的に前橋の街づくりをしませんか?」と提案しました。自ら足を踏み入れてしまったんですね。街づくりがこんなにエネルギーを使うことだとわかっていれば、やらなかった(笑)。でも、何でもそうですが、誰か一人が本気にならないと駄目ということはわかっていた。本気になったら、どのくらい前橋の街は変わるのだろうと。そういう意味では、起業家のチャレンジですね。

広瀬川沿いには、前橋市内から移築された萩原朔太郎の生家と前橋文学館がある。
広瀬川沿いには、前橋市内から移築された萩原朔太郎の生家と前橋文学館がある。/ ©ARTAGENDA

田中氏:藤本さんから、旧白井屋ホテルを取り壊さず、建物をリノベーションする提案を受けました。私も同様、残したいと思っていました。ヘリテージタワーとして蘇った国道沿いの建物は、4階建の床や壁を取り除き、大きな吹き抜けにして17室へと大幅な減室となりました。商売として考えず、面白いことをやりたいと。誤解を受けるのを恐れずに言えば、「このホテルに投資するお金はないもの」と思おうと。そのくらいの気持ちにならないと、こういう事業はできないのだと思います。

ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ。
世界の著名デザイナーの世界にひとつだけの空間

JINSでは「ジンズ デザイン プロジェクト」として、世界の著名デザイナーと協働したアイウエアを発表しているが、そこにも名前を連ねるプロダクトデザイナーのジャスパー・モリソンやイタリア建築界の巨匠ミケーレ・デ・ルッキによるスペシャル・ルームは、それぞれの作家が作品を創作するかのように内装設計を手掛けた、世界にひとつだけ、白井屋ホテルだけで体験できる特別な空間だ。

©Shinya Kigureスペシャルルーム/ジャスパー・モリソン(ヘリテージタワー)「守られているような感じのする部屋」という作家のイメージは、木製パネルに囲まれたアート作品を運搬する梱包用の木箱のような、温もりある空間となった。ザ・ラウンジの吹き抜け空間を楽しめる鎧戸付きの窓もある。
スペシャルルーム/ジャスパー・モリソン(ヘリテージタワー)
「守られているような感じのする部屋」という作家のイメージは、木製パネルに囲まれたアート作品を運搬する梱包用の木箱のような、温もりある空間となった。ザ・ラウンジの吹き抜け空間を楽しめる鎧戸付きの窓もある。/ ©Shinya Kigure
©Shinya Kigureスペシャルルーム/ミケーレ・デ・ルッキ(ヘリテージタワー)部屋そのものをアートインスタレーションにしたいと考えたというデ・ルッキは、日本家屋の屋根にもよく使われる板葺きの技法を採用。2725枚の板材で造られたダークトーンの空間は、穏やかさと静けさに満ちている。
スペシャルルーム/ミケーレ・デ・ルッキ(ヘリテージタワー)
部屋そのものをアートインスタレーションにしたいと考えたというデ・ルッキは、日本家屋の屋根にもよく使われる板葺きの技法を採用。2725枚の板材で造られたダークトーンの空間は、穏やかさと静けさに満ちている。/ ©Shinya Kigure

田中氏:以前からJINSの仕事でお付き合いのあったジャスパーやミケーレには、彼らが来日したときに、前橋にホテルをつくることを話しました。「多分まったく儲からないんだけど、手伝ってもらえないかな」と伝えたら、ジャスパーは「仕事としてならホテルの内装は受けないけど、ボランティアなら参加するよ」と言ってくれました。「お金がないんだ」と正直に伝えたミケーレからも「心配するな」と。共にデザイン料はボランティアです。

©Shinya Kigureメインダイニングのザ・レストランでは、地元の豊かな自然に育まれた食材を大胆に再構築し、上州の食文化へのオマージュとも呼べる驚きに満ちた料理を供する。監修はフロリレージュの川手寛康、シェフは群馬県出身の片山ヒロ(写真上)。
メインダイニングのザ・レストランでは、地元の豊かな自然に育まれた食材を大胆に再構築し、上州の食文化へのオマージュとも呼べる驚きに満ちた料理を供する。監修はフロリレージュの川手寛康、シェフは群馬県出身の片山ヒロ(写真上)。/ ©Shinya Kigure

白井屋ホテルのプロジェクトメンバーに連なる名前を見るだけで、この前橋の新しいホテルで何が起こるのだろうかと心が踊る。藤本壮介、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ。さらに照明デザインの東海道弘靖、テキスタイルデザインの安東陽子、客室の備品セレクトを担当したスタイリストの長山智美、植栽監修のランドスケープデザイナーの齊藤太一、レストランの監修はミシュランの星を持つフロリレージュの川手寛康。ラウンジ空間はバング&オルフセンにより音響設計されており、ラウンジはもちろん、すべての客室には名作家具や名作照明が配されている。2021年2月には東京・青山「EMME(エンメ)」のオーナーパティシエ、延命寺美也プロデュースによるフルーツタルト専門店「白井屋ザ・パティスリー」もオープン。細部にわたって徹頭徹尾こだわった「本物」の場所がここにある。

続く後編では、手本がないことでなければ意味がないと語る起業家オーナーが、白井屋ホテルを現代アートのデスティネーションとして位置付けるまでの経緯について話を聞く。

株式会社ジンズホールディングス 創業者 / 代表取締役CEO / 白井屋ホテルオーナー 田中仁氏インタビュー【後編】 >>

白井屋ホテル

群馬県前橋市本町2-2-15
027-231-4618
https://www.shiroiya.com
東京-高崎:JR上越・北陸新幹線で約50分
関越自動車道「前橋IC」から約15分
JR両毛線 前橋駅より徒歩で約15分 / タクシーで約5分
JR高崎駅から有料リムジンサービスあり

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