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日常を愛することの大切さを教えてくれたアニメ作家
「高畑勲展」が麻布台ヒルズギャラリーで開催中

『アルプスの少女ハイジ』から『火垂るの墓』、そして『かぐや姫の物語』へ。
アニメ界の巨匠の功績を、残された資料からひも解く。

内覧会・記者発表会レポート

『火垂るの墓』セル画+背景画 ©野坂昭如/新潮社、1988
『火垂るの墓』セル画+背景画 ©野坂昭如/新潮社、1988

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文 長野辰次

日常生活を愛することができれば、それに勝る幸せはないだろう。そのことを教えてくれたのは、アニメーション作家の高畑勲監督(1935年~2018年)だ。子どものころに観たTVアニメ『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』(共にフジテレビ系)は、豊かな自然のなかで暮らすヒロインたちの日常で起きるささやかな出来事がリアリティーたっぷりに描かれた。平凡な暮らしのなかから、さまざまな気づきを得て、少女たちが次第に成長していく姿が愛おしく感じられた。

スタジオジブリ設立後は、戦争という「非日常」をサバイバルすることを余儀なくされる幼い兄妹の悲劇を描いた劇場アニメ『火垂るの墓』(1989年)で、世界中に衝撃を与えた。2025年は終戦80年を迎え、Netflixでの国内配信が7月15日(火)から始まるなど『火垂るの墓』が再び脚光を浴びている。

数々の名作アニメを残した高畑監督の業績を振り返った展覧会「高畑勲展 ー日本のアニメーションを作った男。」が6月27日から9月15日(月)まで、東京・麻布台ヒルズギャラリーにて開催中だ。展覧会の見どころと、高畑監督のアニメ界での足跡を紹介しよう。

「高畑勲展」の様子。高畑作品の原画、イメージボード、資料類などで構成されている。
「高畑勲展」の様子。高畑作品の原画、イメージボード、資料類などで構成されている。
展覧会情報
「高畑勲展 ー日本のアニメーションを作った男。」
会期:2025年6月27日~9月15日(月)
会場:麻布台ヒルズギャラリー
https://www.azabudai-hills.com/azabudaihillsgallery/sp/isaotakahata-ex/

アニメ演出家としての基盤をつくった東映動画時代

高畑監督は1935年三重県で生まれ、戦時中は岡山市で過ごし、このとき岡山空襲を体験している。東京大学文学部仏文科を卒業後、1959年に東映動画(現在の東映アニメーション)に入社。大学在学中にフランスのアニメーション映画『やぶにらみの暴君』(1952年)を観たことがきっかけだった。以降、アニメーション作品の演出家としての道を歩む。

32歳のとき、初めての長編アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)で監督デビューをはたす。東映動画の若手アニメーター・宮崎駿も参加した意欲作だったが、会社の経営陣と高畑監督ら労働組合との対立もあり、制作スケジュールは大幅に遅れ、興収的には奮わずに終わった。

『太陽の王子 ホルスの大冒険』に使われた絵コンテの一部 ©東映
『太陽の王子 ホルスの大冒険』に使われた絵コンテの一部 ©東映

しかし、『ホルスの大冒険』のホルス少年が旅先で仲間やヒロインと出会い、一致団結して悪魔・グルンワルドを倒すという王道的冒険ストーリーは、スタジオジブリ作品の原型となっている。

展覧会のスペシャルサポーターを務める岩井俊二監督は、実写映画『花とアリス』(2004年)に『ホルスの大冒険』のフッテージ映像を使うなど、高畑監督から多大な影響を受けたことを語っている。

『アルプスの少女ハイジ』セル画+背景画 ©ZUIYO「アルプスの少女ハイジ」公式HP www.heidi.ne.jp
『アルプスの少女ハイジ』セル画+背景画 ©ZUIYO「アルプスの少女ハイジ」公式HP www.heidi.ne.jp

テレビの話題を独占した名作アニメ

盟友・宮崎駿監督と共に東映動画を離れた高畑監督は、いくつものアニメスタジオを渡り歩きながら、TVアニメの世界でその才能を大いに発揮する。『アルプスの少女ハイジ』ではスイスとドイツに、『母をたずねて三千里』(フジテレビ系)ではイタリアとアルゼンチンへのロケハンを敢行し、作品世界のリアリティーを深めることに注力した。1970年代当時、TVアニメでの海外ロケは異例だった。

さらにカナダロケを行なった『赤毛のアン』では主人公・アンの日常生活がよりディテールたっぷりに描かれ、季節がめぐるなかで痩せっぽっちの孤児だったアンが、聡明な淑女へと成長していく様子を1年間かけて丁寧に演出してみせた。リアルタイムで『赤毛のアン』全50話を視聴できたことは、至福のテレビ体験だった。

アンの日常が美しく画面に映し出されていたのは、グリーンゲイブルズでの生活を、そしてアンを我が子同様に育てるマシューとマニラ兄妹のことを、アンが誰よりも愛していたからだろう。そんな身近にある楽園を、高畑監督はTVアニメという子どもたちが親しみを感じる表現手段を使って毎週欠かさず届けてくれたのだ。とても贅沢な1年間だった。

『火垂るの墓』保田道世による登場人物の色彩設計 ©野坂昭如/新潮社、1988
『火垂るの墓』保田道世による登場人物の色彩設計 ©野坂昭如/新潮社、1988

あっけなく崩壊する日常を描いた『火垂るの墓』

愛すべき日常生活とは真逆の世界を描いたのが、野坂昭如原作の短編小説を劇場アニメにした『火垂るの墓』(1988年)だ。両親の愛情をたっぷり浴びて育った清太と節子の兄妹は、神戸空襲で家と母親を失なってしまう。海軍将校の父親も音信不通となる。

食べ物も医薬品も足りない戦時下、清太と節子はサクマの缶入りドロップを大事に舐め、家族で過ごした温かい記憶を思い出しながら、懸命にサバイバルしようとする。

無惨な結末ゆえに、幼い兄妹が必死で守ろうとした「日常生活」の大切さをより痛感させる作品だった。子どもが作った砂の城のように、日常生活はあまりにもあっけなく崩壊してしまう。

『火垂るの墓』より重巡洋艦摩耶 レイアウト:庵野秀明 ハーモニーセル:樋口法子 ©野坂昭如/新潮社、1988 
『火垂るの墓』より重巡洋艦摩耶 レイアウト:庵野秀明 ハーモニーセル:樋口法子 ©野坂昭如/新潮社、1988 

「高畑勲展」では、高畑監督の代表作の原画やイメージボードなどに加え、高畑監督が残した膨大なメモ書きなどの資料も展示してある。『火垂るの墓』をアニメ化する際、高畑監督は原作小説をコピーに取り、ノートに貼り付けた上で細かくメモ書きを加えている。原作に忠実なアニメ化に取り組んでいたことが分かる。

また、本展の資料収集の際に『火垂るの墓』に登場する重巡洋艦「摩耶」を描いたセルが発見され、セルハーモニーとともに展示されている。SFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)などの人気作で知られる庵野秀明監督が、若手時代にレイアウトを手掛けた貴重な1枚だ。

『おもいひでぽろぽろ』セル画+背景画 ©1991 Hotaru Okamoto,Yuko Tone/Isao Takahata/Studio Ghibli,NH
『おもいひでぽろぽろ』セル画+背景画 ©1991 Hotaru Okamoto,Yuko Tone/Isao Takahata/Studio Ghibli,NH

「里山」をテーマにしたスタジオジブリ作品

『火垂るの墓』に続いて撮った、スタジオジブリのヒット作『おもいひでぽろぽろ』(1991年)や『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)のコーナーを通して見ると、高畑監督が「里山」を大切にしていたことが伝わってくる。

高畑監督は声高に環境破壊に反対するのではなく、人間と自然が共存し合う「里山」を日本人の心の故郷として魅力的に描いてきた。その想いは宮崎駿監督の『となりのトトロ』(1988年)や『もののけ姫』(1997年)にもつながっている。スタジオジブリの両巨匠は、生涯にわたりお互いに刺激し合う関係だった。

『平成狸合戦ぽんぽこ』イメージボード ©1994 IsaoTakahata/Studio Ghibli,NH
『平成狸合戦ぽんぽこ』イメージボード ©1994 IsaoTakahata/Studio Ghibli,NH

日常アニメを極めた『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)では、高畑監督はデジタル技術を全面的に取り入れている。デジタル色彩ながら、水彩画のように淡いタッチで描いた画風に仕上げてみせた。

この技術をさらに進化させたのが、東映動画時代から構想を温めていた『かぐや姫の物語』(2013年)だ。半世紀以上に及んだアニメ人生の集大成作として完成させている。日本人になじみの深い『かぐや姫の物語』でも、やはり日常生活の愛おしさと里山の大切さという高畑監督の生涯のテーマが描かれている。

いま振り返るとかぐや姫が月へ帰るラストシーンは、高畑監督自身の手で演出された生前葬を思わせるものがある。

『かぐや姫の物語』男鹿和男による姫の着物の色のシミュレーションボード
©2013 Isao Takahata,Riko Sakaguchi/Studio Ghibli,NDHDMTK
『かぐや姫の物語』男鹿和男による姫の着物の色のシミュレーションボード
©2013 Isao Takahata,Riko Sakaguchi/Studio Ghibli,NDHDMTK

『ドラえもん』と高畑監督の意外なつながり

夏休み期間中に開催される今回の展覧会は子どもから大人も楽しめる展示構成となっており、展示会場の一角では人気アニメ『ドラえもん』と高畑監督の意外な関係性についても触れている。

高畑監督が「日本アニメーション」に在籍し、『赤毛のアン』の準備をしていたころのエピソードだ。高畑監督は東映動画を辞めた直後、「Aプロダクション」にいたことがあった。「Aプロダクション」はその後「シンエイ動画」と名称が代わり、「シンエイ動画」で『ドラえもん』をアニメ化したいので、企画書を書いて欲しいと楠部三吉郎プロデューサーから高畑監督は頼まれている。

『ドラえもん』の原作者である藤子・F・不二雄氏は、日本テレビ系で放映したアニメ『ドラえもん』が低視聴率で打ち切られていたことから、2度目のアニメ化には慎重だった。そこで楠部プロデューサーは旧知の仲だった高畑監督に、『ドラえもん』アニメ化の企画書の代筆を依頼したのだ。

パパンダに飛びつける本展限定フォトスポット。『パンダコパンダ』(1972年)は高畑監督の「Aプロダクション」時代の人気作
パパンダに飛びつける本展限定フォトスポット。『パンダコパンダ』(1972年)は高畑監督の「Aプロダクション」時代の人気作

平凡な日常生活を夢の世界に変える

楠部プロデューサーが持参したコミック『ドラえもん』を全巻読み終えた高畑監督は、肉筆で以下のような主旨の企画書を書き上げている。

「ドラえもんの魅力は、ドラえもんという不可思議な存在のリアリティーを子どもに植え付けることで増加するのではなく、ドラえもんがポケットから出すものによって平凡な日常生活が急に活気を帯び、楽しく夢のあるものになったり、なりかけて駄目になったりするところにある」

企画書を読んだ藤子・F・不二雄氏がアニメ化にGOサインを出したことは言うまでもないだろう。アニメ『ドラえもん』の制作には直接タッチすることはなかった高畑監督だが、この企画書の一節は高畑作品のエッセンスをそのまま要約しているようにも感じる。

ドラえもんが四次元ポケットからひみつ道具を取り出してみせたように、高畑監督は子どもたちの豊かな日常生活にアニメーション表現を持ち込むことで、よりイマジネーション溢れる夢の世界へと導いてみせたのではないだろうか。

展覧会情報
「高畑勲展 ー日本のアニメーションを作った男。」
会期:2025年6月27日~9月15日(月)
会場:麻布台ヒルズギャラリー
主催:麻布台ヒルズギャラリー、NHK、NHKプロモーション
https://www.azabudai-hills.com/azabudaihillsgallery/sp/isaotakahata-ex/

長野辰次

福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。

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