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変人たちが愛おしく感じられるクレイアニメ
『かたつむりのメモワール』が劇場公開

アヌシー映画祭、アカデミー賞で話題を呼んだ感動作の見どころを紹介!

映画レポート・映画評

製作に8年を費やしたクレイアニメーション『かたつむりのメモワール』
製作に8年を費やしたクレイアニメーション『かたつむりのメモワール』

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文 長野辰次

いつものんびりしていて、臆病もの。でも、自分だけの小さな家を常に持ち歩いている。そんなカタツムリに、子どものころに興味を持った人は少なくないだろう。オーストラリア在住のアニメーション作家、アダム・エリオット監督の『かたつむりのメモワール』(6月27日公開)は、カタツムリが大好きな女の子を主人公にしたストップモーションアニメとなっている。

カタツムリをこよなく愛するグレースだけでなく、毒気のある変わり者たちが続々と登場するが、クレイ(粘土)で作られたキャラクターたちが織りなす物語を観ているうちに、風変わりな世界がとても愛おしく思えてくる。フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭では最高賞となる「クリスタル賞」を受賞し、今年のアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされた感動作だ。

製作に8年の歳月を費やしたエリオット監督の独特な世界、そしてストップモーションアニメの魅力を掘り下げてみよう。

家族や知人をモデルにアニメーションを撮り続けるアダム・エリオット監督
家族や知人をモデルにアニメーションを撮り続けるアダム・エリオット監督

社会からはみ出した者たちへの優しい眼差し

アダム・エリオット監督のアニメーションには特徴がある。アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した『ハーヴィー・クランペット』(2003年)は、「トゥレット障害」を持つ男性の数奇な一生を描き、長編アニメ第1作となった前作『メアリー&マックス』(2009年)は、アルコール依存症の母親のもとで育った少女と「アスペルガー症候群」の中年男性との文通による交流を描いた。物語の主人公たちは、みんな社会からはみ出している。そんな彼らが数々のトラブルに巻き込まれながらも、毎日を懸命に生きていく姿を、エリオット監督は優しい目線で見守っている。

本作の主人公となるグレースは、生まれたときに母親を亡くし、変わり者の父親に育てられる。グレースはいつもカタツムリを模した帽子を被り、学校ではいじめに遭ってしまう。でも、そんなときは双子の弟であるギルバートが駆けつける。グレースにとって、ギルバートは頼もしいヒーローだった。

かつてはパリで大道芸人だったという父親は、最愛の妻を失ってから働けなくなっていた。生活は豊かではなかったものの、おおらかな父親のもとでそれなりに幸せに暮らすグレースとギルバートだった。グレースはアニメーション作家、ギルバートは大道芸人になることを夢見ていた。幼年期の思い出が楽しければ楽しいほど、せつなさも感じさせる物語となっている。

超ポジティブな老女ピンキーとの友情が、グレースの人生を大きく変える。
超ポジティブな老女ピンキーとの友情が、グレースの人生を大きく変える。

歳の離れた親友との出会い

ある日、宝くじばかり買っていた父親が、睡眠時無呼吸症候群で突然死してしまう。グレースとギルバートは、それぞれ別々の里親に預けられることに。里親に心を開くことができないグレース。そんな彼女が唯一愛情を注げるのはカタツムリだけだった。珍しい左巻きの殻を持つカタツムリに「シルヴィア」と名前をつけてかわいがるグレース。シルヴィア、そして離れて暮らすギルバートから届く手紙だけが、彼女の心の支えだった。

自分の殻にこもりがちなグレースに、ようやく友達ができる。ひとり暮らしをしている老女のピンキーだ。陽気な性格のピンキーは、若いころは歌手のジョン・デンバーと交際し、キューバの最高指導者カストロと卓球を楽しんだこともあるという破天荒な体験の持ち主だった。つらい目に遭っても、ピンキーがいつも一緒にいて、手をつないでくれた。次第に老いていくピンキーだが、19世紀の哲学者キルケゴールの言葉をグレースに教えてくれる。

「人生は後ろ向きにしか理解できない。でも、前を向いて生きるのよ」

ピンキーの温かい思いやりに触れ、グレースは自分の殻を破ることを決心する。

グレースにとって、双子の弟・ギルバートや大道芸人だった父親は大切な思い出だった。
グレースにとって、双子の弟・ギルバートや大道芸人だった父親は大切な思い出だった。

エリオット監督が生み出した「クレヨグラフィー」

双子のグレースとギルバートの人生は、驚くような出来事の連続だ。幼くして両親を失い、里親との生活になじむことができずにいる。グレースの里親は自己啓発セミナーに熱心に通い、ギルバートの里親はキリスト教原理主義者で、養子縁組みした子どもたちを強制的に働かせ、搾取する生活を送っている。実写で描くと悲惨極まりないどん底人生だが、エリオット監督が作った粘土人形たちの味のあるキャラクターぶりによって、ブラックなジョークとペーソスに溢れたコメディドラマに仕上がっている。

ブラック風味のストップモーションアニメといえば、ティム・バートン製作の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993年)などが思い浮かぶ。また、変人たちがやたらと登場する作風は、日本でもユニークな恋愛映画『アメリ』(2001年)が大ヒットしたフランスのジャン=ピエール・ジュネ監督を思わせるものがある。実際、エリオット監督は、ジュネ監督を敬愛しているそうだ。他にもチェコを代表するシュールレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエル監督からも影響を受けているという。

ユーモアとペーソスが混ぜ合わさったキャラクターたちは、エリオット監督が実際に出会った人たちがモデルとなっている。カタツムリグッズを集める「溜め込み症」のグレースはエリオット監督の母親、かつて大道芸人だったグレースの父親はエリオット監督の父親がベースとなっているらしい。風変わりなキャラクターたちの生涯を描く独特のスタイルを、エリオット監督は「クレヨグラフィー」と名付けている。クレイ(粘土)とバイオグラフィー(伝記)の融合というわけだ。

癖の強いキャラクターたちばかりだが、観ているうちに感情移入してしまう。
癖の強いキャラクターたちばかりだが、観ているうちに感情移入してしまう。

「箱庭療法」を思わせるクレイアニメ

エリオット監督がカタツムリの歩みのようにじっくりと時間を費やして生み出したキャラクターたちは、どれも左右非対称で、スタイリッシュさからは距離を置いたものとなっている。だが、そんな風変わりなキャラクターたちが肩を寄せ合い、手をつなぐことでバランスの取れた世界となっている。年上の親友ピンキーと出会うことで、グレースは孤独から解放されていく。その様子を観ているこちらも、じんわりと心が癒されていく。

セット数は200、小道具は7000個、カット数は13万5000カット、製作期間は8年間に及んだ。ミニチュアサイズのセットで繰り広げられるクレイアニメーションの世界は、どこか「箱庭療法」を思わせるものがある。「箱庭療法」とは心理療法の一種で、砂を入れた箱にクライエントは自由にミニチュアの玩具や人形を並べ、セラピストはその様子を静かに見守るというもの。子どもや思春期の若者だけでなく、感情表現が苦手な大人にも有効性があると言われている。

子どものような自由奔放さと大人の辛辣さを併せ持つエリオット監督が生み出す独特な世界を楽しみながら、我々も想像力を介して一緒に箱庭づくりに参加しているような気になってくる。クレイアニメーションには、我々をしばし童心に帰らせ、慌ただしい日常生活からリセットさせてくれるパワーがあるようだ。エリオット監督自身も、アニメーション制作に集中している時間は、世間の煩わしさから解放されていたに違いない。

カタツムリのシルヴィア。名前の由来は破天荒な生涯を送った作家、詩人のシルヴィア・プラスから。
カタツムリのシルヴィア。名前の由来は破天荒な生涯を送った作家、詩人のシルヴィア・プラスから。

カタツムリを偏愛した美貌の作家

本作のモチーフとなっているカタツムリは雌雄同一体であることが知られている。動きが遅く、行動範囲が限られているカタツムリたちは出会いの機会も限られているため、2匹のカタツムリが出会うと1匹がオスに、もう1匹がメスとなり、生殖を行なうという。性別や年齢に関係なく、新しい家族をつくっていくグレースの生き方は、カタツムリの生態と通じるものがありそうだ。

余談だが、本作を観ていると、カタツムリを偏愛した作家パトリシア・ハイスミスのことが思い出される。犯罪ミステリー映画の傑作『見知らぬ乗客』(1951年)や『太陽がいっぱい』(1960年)の原作者として知られるパトリシア・ハイスミスは、近年も自身の実体験に基づいたケイト・ブランシェット&ルーニー・マーラ主演作『キャロル』(2015年)に加え、ミステリアスな生涯を追ったドキュメンタリー映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』(2022年)が公開されるなど再評価が進んでいる。

美貌の作家であり、カタツムリを溺愛したパトリシア・ハイスミスは、カクテルパーティーに参加する際にも数匹のカタツムリを衣服内に忍ばせていたという。カタツムリ愛が昂じて、短編集『11の物語』(ハヤカワ文庫)には「かたつむり観察者」「クレイヴァリン教授の新発見」が収録されている。殻にこもりながらもマイペースかつ前向きに歩み続けるカタツムリたちに、世間と距離を置いて暮らした彼女は親近感を抱いていたのかもしれない。

いずれにしろ、カタツムリ好きな人たちにとって、『かたつむりのメモワール』はきっと忘れられない作品になるだろう。

『かたつむりのメモワール』
6月27日(金)より日比谷TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国順次公開
監督・脚本 アダム・エリオット 音楽 エレナ・カッツ=チェルニン
キャスト サラ・スヌーク、ジャッキー・ウィーバー、コディ・スミット=マクフィー、ドミニク・ピノン、エリック・バナ、マグダ・ズバンスキー、トニー・アームストロング、ニック・ケイヴ
配給 トランスフォーマー 
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『かたつむりのメモワール』公式サイト
https://transformer.co.jp/m/katatsumuri/

長野辰次

福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。

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