話題のホラー映画『罪人たち』が浮き彫りにする
現代アメリカ文化・アートの岐路
映画『罪人たち(つみびとたち)』2025年6月20日(金)より新宿バルト9、TOHOシネマズ シャンテほか
ロードショー

文:森聖加
北米での異例のロングラン・ヒットを記録したホラー映画『罪人たち』が、いよいよ6月20日から日本で公開される。監督は、ライアン・クーグラー。『ブラックパンサー』シリーズや『クリード』シリーズなどでアフリカ系のヒーローを描いて、独自の世界観をつくり上げてきたアメリカン・ブラックの奇才だ。ブルース×ヴァンパイアという、まさかの組み合わせでアメリカの<原罪>に焦点を当てた本作は、アメリカの〈現在〉をも浮かび上がらせるドラマチックな作品だ。
「悪魔の音楽」に引き寄せられるヴァンパイアたち
舞台は1930年代のアメリカ・ミシシッピ州、クラークスデール。当時、南部諸州ではジム・クロウ法のもとで黒人の人権を制限し、人種分離を強行する差別が公然と行われていた。そんな故郷に一卵性双生児の兄弟、スモークとスタックが中西部シカゴから舞い戻る。過酷な労働を終えた黒人たちが集い、踊り、歌って、束の間の自由を味わうための酒場=ジューク・ジョイントを開くためだ。鍛え抜かれた肉体をもつマイケル・B・ジョーダンが、シカゴのギャング、アルカポネのもとで働いたという設定の、異なる性格の双子を演じ分けるのも映画の見どころのひとつと言えるだろう。

毎週土曜の夜の酒場にはブルースが欠かせない。抑圧の日々のなか、コットン農場などプランテーションで歌われたのが黒人霊歌や労働歌であり、19世紀末頃にはカタチをなしたと言われる〈ブルース〉という表現スタイルだった。束縛からの解放を求める声は、次第に個人的な悲しみと苦悩、反抗、憧れへと変わり、愛と性の享楽さえもうたいあげた。それゆえにブルースは、彼らのもうひとつの生活の土台である教会からは「悪魔の音楽」とさげすまされた。
しかしそのブルースよりも遥かに悪魔的な存在が、ジューク・ジョイントに集うコミュニティの仲間たちを囲むように、生き血を求めてやってくる。これが、ゾッとするほど怖い。咆哮する歌声とギター、燃え上がる想い、血が飛び交う画面には、アメリカの長い歴史のなかで反省されることのなかった〈罪〉も交差する。愉楽のときを楽しむスモークらの目の前に、見知らぬ「奴ら」は現れた‥‥‥。

映画『罪人たち』が映し出すアメリカの歴史と多様性
『罪人たち』は、ライアン・クーグラー監督が現代アメリカ音楽の根本であるブルースを土台に、ヴァンパイアという西洋的ホラー要素を加えたオリジナル脚本を書き上げ、アメリカの歴史、特にアフリカ系アメリカ人の歴史を物語る壮大なエンターテインメント作品だ。
映画の構想は、現在39歳の監督とブルース音楽との邂逅からはじまっている。ミシシッピ出身で、ブルース好きだった亡き叔父を思い出すために曲を聴きはじめ、そこから舞台の中心であるミシシッピ河の流域に生まれたデルタ・ブルースの研究がはじまったと「Democracy Now!(デモクラシー・ナウ:北米の独立系報道番組)」のインタビューで答えている。若い彼にとって、「自分たちの曽祖父母世代がつくり上げてきた音楽様式(ブルース)が世界の大衆文化に最も重要な貢献を果たしたという議論がある」ことは、驚きの発見だったそうだ。これまで世の中を支配し、動かしてきた白人男性の声を私たちの多くが信じ込んでいるが、ロックもカントリーも、現在にいたるポップミュージックも、そもそもの土台のひとつは黒人たちが歌い、つくりあげてきたブルースなのだ。

クーグラー監督は、アメリカの文化発展における〈混血性〉をも見つめ直し、南部地域におけるアフリカ系と中国系移民、アイルランド系移民、先住民のチョクトー族らの交流および相互の影響についても描いた。リサーチのなかで監督が得たアメリカ黒人や地域の歴史を伝えるアイテムが映画のあちこちに登場するため、鑑賞した多くの人が背後にある意味を探ろうと熱心になった。映画は若きアメリカ人たちの「歴史教科書」としても好奇心をくすぐっている。
ライアン・クーグラー監督は、社会性を作品製作の核に置きながらもジャンルを越えた自在な物語手法を披露してきた。長編映画デビュー作『フルートベール駅で』は実話をもとにした社会派ドラマであり、『クリード』では伝統的なボクシング映画を現代に再構築した。マーベル作品の『ブラックパンサー』では、アフリカ文化を担うヒーローを大胆に描いてカルチャーの流れを変えた。そして今回の『罪人たち』。ホラーという娯楽ジャンルのなかで、黒人の歴史や多文化共存のテーマを掘り下げつつ、エンターテインメントに昇華するミラクルをやってのけた。
アメリカ芸術の未来はどこへ? 文化的抑圧に対抗する挑戦
『罪人たち』がアメリカの多様性の歴史を描く一方で、現実の世界では、マイノリティに関連したアートや芸術分野への圧力が強まっている。クーグラー監督は、これまでも映画人として社会の不正義に真っ向からNOを突きつけてきた大きな存在である。
今年1月、2期目に入ったトランプ大統領は、大統領令を通じて文化、教育分野の掌握を進め、職場や教育機関における公平性推進策、DEIプログラムをいち早く終了させた。3月の大統領令では「アメリカの歴史に真実と正気を取り戻す」と、首都ワシントンで多くの博物館、美術館を運営するスミソニアン協会を批判。「分裂的で、特定の人種を軸にしたイデオロギーの影響下にある」として懸念を表明。米オンライン・アートメディア「Hyperallergic(ハイパーアレルジック)」によると、2026年ヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ館の出展アーティストの募集を今春から開始したが、米国務省の教育文化局(ECA)がその応募要件として「アメリカの価値観(American values)」と「アメリカの例外主義(American exceptionalism)」の推進を必須とした。ここでも多様性や公平性といったDEI関連のプロジェクトは禁止される。それらは審査基準にも明記され、応募者は自らの作品が「アメリカの利益を進め、アメリカの価値観や政策への理解を深める」ことを説明しなければならない。

アート界を筆頭にさまざまな分野で、非白人や女性、LGBTQ+などマイノリティー・アーティストの再評価の動きや、異なる文化背景をもつ作家を積極的にコレクションし、紹介する新しいキュレーションの取り組みが2000年代以降顕著になっていた。しかし、アメリカでの一連の動きは、これまでの成果を台無しにしてしまいかねない。西洋・白人男性の価値観を復権し、一元化しようと試みる大きな力が働くなかで、映画『罪人たち』は、ブルースのパワーを借り、米国内のマイノリティ・グループのありようをすくい上げながら、アメリカの<現在>のありようとも闘っている。
- 『罪人たち』
2025年6月20日(金)より新宿バルト9、TOHOシネマズ シャンテほかロードショー
監督・脚本・製作:ライアン・クーグラー(『ブラックパンサー』シリーズ、『クリード』シリーズ)
出演:マイケル・B・ジョーダン、ヘイリー・スタインフェルド、マイルズ・ケイトン、ジャック・オコンネル、ウンミ・モサク、ジェイミー・ローソン、オマー・ベンソン・ミラー、デルロイ・リンドー
配給:ワーナー・ブラザース映画
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『罪人たち』オフィシャルサイト:SINNERS-MOVIE.JP
森 聖加
フリーランス編集者、ライター。書籍『歌と映像で読み解く ブラック・ライヴズ・マター』の編集、クエストラヴ著『ミュージック・イズ・ヒストリー』の監訳を担当(藤田正との共監訳/いずれもシンコーミュージック・エンタテイメント刊)などで、音楽を中心とするポップ・カルチャーの視点からアメリカ黒人の歴史と文化を発信。ほかにアート、建築など分野を超えクロス・カルチュラルの視点でわかりやすく伝えることをモットーに取材を続ける。