ジョージアの芸術家たちの悲喜劇を軽妙に描く
、ナナ・ジョルジャゼ監督の最新作『蝶の渡り』
1月24日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開。
画家・絵本作家のはらだたけひで氏に聞く、ジョージア映画とジョージア文化の魅力

取材・文 長野辰次
ロシアの古い流行歌「百万本のバラ」をご存知だろうか。貧しい絵描きが女優に恋をし、全財産をはたいてバラの花を買い、女優に捧げるというもの。女優は大量のバラの花に感激するが、翌日には次の公演地へと去ってしまう。日本では加藤登紀子が訳詞して歌い、ヒットさせている。絵描きの恋は実ることはなかったが、女優を一途に想った気持ちだけは永遠に残ることを歌ったせつない恋の物語だ。
この「百万本のバラ」の絵描きのモデルと言われているのが、ジョージア(旧グルジア)の国民的画家として知られるニコ・ピロスマニ(1862年~1918年)。フランスの女優マルガリータに好意を寄せ、「女優マルガリータ」という名画を残している。ピロスマニの素朴な画風は多くの人々を魅了し、数奇なその生涯は映画『ピロスマニ』(1969年)になるなど、時代をこえて愛され続けている。

そんなピロスマニの精神性を受け継いだような、現代のジョージアで生きる芸術家たちを主人公にしたのが映画『蝶の渡り』だ。海外の映画祭での評価も高いナナ・ジョルジャゼ監督の20年ぶりの日本公開となる最新作であり、時代の波に翻弄されながらも芸術家たちが懸命にサバイバルする姿をユーモラスに描いている。
近年はジョージアワインが人気を呼んでいるが、本作に登場するジョージアの芸術家たちもみんなお酒好きで、宴会好き。日々の生活は楽ではないものの、芸術を愛し、仲間と語らう時間を大切にしている。89分の上映時間のなかに、ジョージアの内情やジョージア人の気質が見事に収められている作品だ。
時代の波に翻弄され続ける芸術家たち

物語は1991年、ジョージアがソ連から独立した時代の映像から始まる。ジョージアの若者たちはこれから自由で明るい未来が到来すると信じ、喜んでいた。だが、現実は甘くなかった。ジョージアでは内戦が起き、アブハジアや南オセチアといった地域ではロシアが関わって戦争になるなど、政治や経済が安定しない歳月が続いた。独立に歓喜した若者だった画家のコスタ(ラティ・エラゼ)たちは芸術だけでは食べていけず、27年後の今は酒場の手伝いや舞台衣装のデザインなどの仕事に追われる生活を送っている。
新年を迎え、コスタのアトリエ兼住居に芸術家仲間たちがいつものように集まる。彼らのマドンナ的存在だった元バレリーナのニナ(タマル・タバタゼ)も久々に帰ってきた。ニナはかつてコスタの恋人だった。

もうひとり、珍しい客が現れる。米国の資産家で、美術品を収集しているスティーヴ(レスリー・チャールトン)が、コスタが描いた「蝶の渡り」をはじめとする絵画をまとめて購入したいと申し出たのだ。スティーヴが求めたのは、コスタの絵画だけではなかった。ニナの美貌に惚れ、宴会の席でスティーヴはニナに結婚を申し込む。

米国に渡れば、今よりも豊かな生活が送れることは確かだ。この騒動をきっかけに、他の芸術家たちも海外への移住を考え始める。肝心のニナは、コスタに「行くな」と止めてほしいのだが、ニナの将来を考えたコスタは止めることができない。祖国で苦闘しながら芸術活動を続けるのか、海外で豊かな生活を送るのか? ジョージアの現代史を背景に、コスタたち表現者の心情をせつせつと描いたドラマとなっている。
ジョージアの現代絵画がぜいたくに並べられたアトリエのシーンも見どころ
岩波ホールに長年勤め、2018年からは「ジョージア映画祭」を主宰するなど、ジョージア映画とジョージア文化に詳しい画家・絵本作家のはらだたけひで氏に、『蝶の渡り』の注目ポイントとジョージア映画の魅力について語ってもらった。

はらだ たけひで
1954年東京都生まれ。1975年から2019年まで岩波ホールに勤めながら、絵本作家としても活動。1978年に映画『ピロスマニ』の公開を担当して以降、ジョージア映画やジョージア文化の紹介に努めている。2018年より「ジョージア映画祭」を主宰。主な著書に『放浪の聖画家ピロスマニ』(集英社新書ヴィジュアル版)、『ジョージア映画全史 自由、夢、人間』(教育評論社)など。絵本に『パシュラル先生』(すえもりブックス)ほか。「ジョージア映画祭2024」が2月1日(土)~28日(金)大阪シネヌーヴォ、2月14日(金)~京都・出町座にて上映。また、東京・吉祥寺「gallery shell102」にて、3月28日(金)~4月6日(日)の予定で個展が開催される。
はらだ「ナナ・ジョルジャゼ監督作品は、長編第1作『ロビンソナーダ 私の英国人の祖父』(1986年)から日本で公開されています。当時から今も、ずっと瑞々しく、軽妙な作品を撮り続けている監督です。ジョージア映画界の重鎮的存在ですね。ラナ・ゴゴベリゼ監督の『金の糸』(2019年)には作家役で主演するなど、女優としても活躍しています。ジョージアの人たちは、みな個性的で表現意欲が旺盛で、スタッフが俳優を兼ねることも多いんです。そうしたところも、ジョージア映画の特徴かもしれません」

タイトルにもなっている絵画「蝶の渡り」は、ジョージアを離れて国外へ出ていく人たちが増え続けている現状を比喩したもの。主人公のコスタが描いたという設定で、ジョージアの現代絵画がぜいたくにアトリエに並べられているシーンも見どころとなっている。
はらだ「劇中では無造作に並べられていますが、どれもジョージアを代表する現代絵画の巨匠たちの名画。首都トビリシにある国立美術館などに展示されているものがほとんどです。今回の映画に絵画を提供しているレヴァン・ラギゼ氏とは、ジョージアを訪ねた際に交流させてもらい、美味しいワインもいただきました。」


はらだ「ジョージアは人口350万人といわれる小さな国なので、行くと芸術家たちに会える機会が多くあります(笑)。『蝶の渡り』だけは、この作品の美術も担当しているギオルギ・マスハラシュヴィリ氏にナナ監督が依頼して、描き下ろしてもらった作品のようですね」
ワインに込められたジョージア人の祖国愛

パブロ・ピカソが「私の絵をグルジアに飾る必要はない。なぜなら、ピロスマニがいるからだ」と語るなど、海外でもピロスマニの絵画は高く評価された。はらだ氏がジョージア文化に心酔するようになったのも、勤めていた岩波ホールで映画『ピロスマニ』が公開され、ピロスマニの孤高な生き方に触れたことがきっかけだった。10数回にわたって、ジョージアを訪問している。
はらだ「ジョージアは8000年前からワインが作られてきた、とても古い、独自の文化を持った国です。ヨーロッパとアジアの間に位置する小国であることから、近隣の大国から抑圧されてきた歴史があります。ピロスマニは素朴な画風から、フランスの画家アンリ・ルソーと比べられることが多いのですが、ジョージアの風土に根づいた独特なものがあります。帝政ロシアに併合されていた時代を生きたピロスマニは、民族自決への社会的意識が強かったように僕は感じています。ピロスマニが描く、働く人、宴会の様子、動物、神話の世界は、彼が心の中で思い続けた理想のジョージア像でもあったと僕は思うんです。絵の中に理想郷としてのジョージアを残そうとしたように感じます」

ワイン発祥の地であるジョージアでは、「スプラ」と呼ばれる宴会がたびたび開かれ、出席者はそれぞれスピーチをしながら、延々と酒を飲み交わすことが知られている。宴会が盛り上がると、ポリフォニー(多声音楽)も披露されるという。ジョージアワインに関して、はらだ氏は面白いエピソードを語ってくれた。
はらだ「欧米のものとは異なる味わいのジョージアワインは、日本でも人気です。でも、ジョージアの人たちにとっては、ジョージアワインは嗜好品以上の意味があるものなんです。昔から戦争が絶えなかったジョージアでは、戦場へ赴く兵士たちはポケットにブドウの枝を挿して向かったそうです。ブドウはジョージアの象徴です。もし、戦場で倒れることになっても、自分の屍から新しいブドウが育つならば、生命を賭けてジョージアを守ることができたわけです。この逸話をもとに、ジョージアのラグビーナショナルチームは、ユニフォームの背中部分にブドウの枝葉を刺繍しています。ジョージア人の気概の強さ、不屈さを感じさせます」

永遠の時が刻まれたジョージアの絵画と映画
現在のジョージアは戦争こそ起きていないが、ロシアのウクライナ侵攻の影響を受け、ウクライナからの難民やロシアからの移住者が増える一方、ジョージア人の海外流出が続き、370万人あった人口が350万人に減少したといわれている。映画制作をはじめとする芸術活動は、その時代の社会状況と密接に関係することを『蝶の渡り』は感じさせる。
はらだ「ディアスポラ(民族離散)という厳しい現実があるわけですが、どんな状況でも希望を失わず、未来に対して前向きであることがジョージア人の気質でもあるんです。ナナ監督も決してネガティブな気持ちで『蝶の渡り』は撮っていないと思います。故郷を離れることになっても、ジョージアを愛する心は決して忘れず、そしていつか再びジョージアに帰ってくるはずです。ソ連に検閲される時代が続いたジョージア映画ですが、厳重な検閲に対しても、ジョージアの映画人は抑圧によって鍛えられた想像力で抵抗したと言われています。それもあって、ジョージア映画は一見するとコメディなどに思えても、社会性が込められ、深い人間洞察があるものが多いんです」

ジョージアには「ツティソペリ」という独特な概念があるという。聞きなじみのないこの言葉についても、はらだ氏は解説してくれた。
はらだ「強国から抑圧され、ジョージアは複雑な歴史を歩んできました。日本語の『諸行無常』とはちょっと違うのですが、ジョージアの人たちは『人生ははかない。それゆえに今を愛し、大切にしよう』と考えるんです。ジョージア人は大の宴会好きで、宴会には永遠の時が流れていると彼らは言っています。『金の糸』のラナ・ゴゴベリゼ監督は『専制政治は一瞬だが、映画は永遠だ』と語っていますが、僕にはジョージアの芸術家は永遠の時に作品を捧げ、奉仕しているように思えます。ですから、ジョージアの絵画にも、ジョージア映画にも永遠の時が刻まれているんです」
ジョージア文化やジョージア芸術に触れる入門編として、ナナ・ジョルジャゼ監督の軽妙な演出が楽しめる『蝶の渡り』はうってつけの作品ではないだろうか。


- 『蝶の渡り』(英題『Forced Migration Butterflies』)
1月24日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督 ナナ・ジョルジャゼ / 美術 ギオルギ・マスハラシュヴィリ
出演 ラティ・エラゼ、タマル・タバタゼ、ナティア・ニコライシュヴィリほか
配給 ムヴィオラ (c)STUDIO-99
『蝶の渡り』公式サイト https://moviola.jp/butterfly
長野辰次
福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。