ニューヨーク近代美術館でも作品が上映されてきた
ドキュメンタリー作家・想田和弘監督インタビュー
自由を愛する猫たちの姿が愛おしい『猫様』(フォトエッセイ集)刊行とドキュメンタリー映画
『五香宮の猫』公開に際し、想田和弘監督が語る野良猫社会と地方コミュニティーとの関係性

取材・構成 長野辰次
「野良猫様の多い街は良い街だ」
猫好きな人ならば、大いにうなずく言葉ではないだろうか。猫と人間社会の関係性をそんな言葉で端的に語っているのは、ドキュメンタリー作家の想田和弘監督だ。これまで米国のニューヨークを拠点に、『選挙』(2007年)、『精神』(2008年)、『ザ・ビッグハウス』(2018年)といったユニークな視点のドキュメンタリー映画を公開し、世界各国の人たちを魅了してきた。

想田監督のドキュメンタリー映画は、「観察映画」と呼ばれている。ナレーションやテロップはなく、BGMも流れない。多くのドキュメンタリー作品が事前に準備している構成台本もない。観客は想田監督が回すカメラを通して、被写体をじっくりと観察することになる。絵画と同じように、観客はその映像を自由に感じ、自由に解釈することが可能だ。観るたびに、新しい発見がある。

今までも想田監督の作品は『Peace』(2010年)など、猫をはじめとする動物たちが登場することが多かったが、10月19日(土)より劇場公開される『五香宮の猫』は猫たちを主人公にしたもの。2021年に想田監督とプロデューサーでもある妻の柏木規与子さんは、住み慣れたニューヨークを離れ、岡山県牛窓市に移住した。自宅近くの鎮守の社・五香宮(ごこうぐう)には地域猫が多く暮らし、「猫神社」とも呼ばれている。瀬戸内海に面した港町の穏やかな暮らしと猫社会との関係性が119分間の中で描かれている。
そして、映画の公開に合わせて、想田監督の初めてのフォトエッセイ『猫様』が、10月18日(金)に集英社より発売される。牛窓で暮らす猫たちの日常風景が、想田家に居着くようになった2匹の兄弟猫、茶太郎とチビシマを中心に写し出されている。猫社会を観察した想田監督のエッセイも軽妙で、猫たちのリアルな物語に引き込まれてしまう。
牛窓で暮らす想田監督にフォトエッセイ制作の舞台裏、そしてニューヨークでどっぷり浸かったというアート体験について語ってもらった。

想田和弘(そうだ・かずひろ)プロフィール
1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツに入学。大学時代の友人が川崎市議会の補欠選挙に出馬した様子を追ったドキュメンタリー映画『選挙』(2007年)はベルリン国際映画祭などに多くの映画祭に招待され、日本でもスマッシュヒットを記録。岡山市の精神科外来を密着取材した『精神』(2008年)はさらなるヒット作となった。その後も『Peace』(2010年)、『演劇1・2』(2013年)、『ザ・ビッグハウス』(2018年)、『精神0』(2020年)など観察映画を精力的に制作し、公開している。コンテンポラリーダンサー、太極拳師範でもある妻の柏木規与子と共に、2021年からは岡山県牛窓市に在住。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)、『なぜ僕は瞑想するのか ヴィパッサナー瞑想体験記』(集英社)など。
「余白」が楽しめるフォトエッセイ
ー 「週刊金曜日」で連載されている『猫様』ですが、一冊に書籍化されることで雰囲気が大きく変わりました。
想田 本はこれまで何冊か出しましたが、フォトエッセイは初めてです。映画づくりに似ているなぁと思いました。週刊誌で連載した素材を構成し直し、ある種の構造や流れに貫かれた一冊の本にするために編集した、という感じですね。週刊誌で連載しているときは一回一回の勝負でしたが、隔週連載だったこともあり、必ずしもみなさんが続けて読んでいるとは限りません。今回は一冊にまとまったことで、茶太郎とチビシマという兄弟猫を中心にした物語として構成し直しています。『猫様』を読み終わった後の「読後感」も、もしかすると僕の映画に近いものがあるかもしれません。

ー 観る人がいろいろと考えることができる「余白」を大事にして、想田監督はドキュメンタリー映画をつくられてきたわけですが、『猫様』も「余白」が楽しめるフォトエッセイになっています。ドキュメンタリー作家である想田監督が、野良猫を追ったフォトエッセイを週刊誌で連載を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
想田 『猫様』を連載している「週刊金曜日」で、僕は編集委員を務めているんですが、特に編集作業に関わることはないんですね。持ち回りでコラムを寄稿したり、編集部から相談を受けた際に取材先を紹介したり、いわば応援団のような役割です。あるとき何か連載はできないかと編集部に言われ、「猫の写真なら連載できますよ」と答えたんです。硬派な「週刊金曜日」で『猫様』なんてタイトルのフォトエッセイを連載するのもどうかとは思いましたが、いちばん苦労せずにできる企画がそれだったわけです。担当編集者が大の猫好きで、その頃の僕はエジプトなどに行って、海外の野良猫の写真をSNSによくアップしていたこともあって、すんなりと決まったんです(笑)。2020年5月から連載がスタートしました。
猫に優しい街は、人にも優しい

ー 「野良猫様の多い街は良い街だ」が想田監督の持論なわけですが、いつごろから考えるようになったんでしょうか?
想田 映画監督になって、いろんな街を自分の映画と共に旅するようになってからでしょうね。「この街、いいなぁ」と感じる場所は、だいたい猫がいるんです。なぜだろうと考えたんですが、そういう街は「余白」のある街なんです。猫って余白がないと生きていけない。それに、やはり世話をしてくれる人がいないと、猫は生きられない。そうした猫たちのいる街が、僕が思う「いい街」の基準になっているようです。猫に優しくできる人は、人にも優しいと思うんです。特に野良猫は自由気ままに見えますが、実際にはとても弱い存在です。そんな野良猫たちが楽しそうに暮らしている街は、おそらく社会からあぶれちゃった人たちも息がしやすい街だと思うんです。
ー 今回のフォトエッセイは、想田監督の「観察映画」と通じるものがあるように感じます。
想田 あると思います。どれも狙って撮った写真ではなく、ほとんどは散歩中にふと出会った光景を撮ったものです。ほとんどの写真は、必然的にポケットに入れているiPhoneで撮っています。観察映画も僕がリサーチなしで出会ってしまった光景を撮っているので、まったく同じです。
ー 動物写真家の岩合光昭氏がライカを使ってフィルム撮影している写真集とは違う部分ですね。
想田 そうですね。僕の場合は、狙って猫たちを撮っているわけではないので、プロセスやマインド設定はずいぶん違うでしょうね。
猫たちにはそれぞれの物語がある

ー 猫神社こと「五香宮」の猫たちはみんな仲良く暮らしているのかなと思いきや、想田監督のエッセイを読むと熾烈な縄張り争い、ボス争いが繰り広げられていることが分かります。一見するとのほほんと生きているように見える猫たちですが、じっくりと観察することで一匹一匹の猫たちはそれぞれドラマを背負っていることが見えてきます。
想田 僕だけでなく、(妻の柏木)規与子さんの観察も大きい。僕よりも規与子さんのほうが、ずっと猫たちを観察しています。どの猫とどの猫が仲がいいとか悪いとか、すごく詳しい。牛窓に来た友達が笑っていました。僕らがご近所の人と猫たちの話をしている様子が、まるで世間話のように思えたそうです。「牛窓では世間話の対象が人間じゃないんだ」と(笑)。
ー 連載時から大幅に加筆され、茶太郎とチビシマの存在がクローズアップされています。

想田 猫たちにそれぞれの物語があることを描くというのは、この本の狙いでもありました。このフォトエッセイでは茶太郎とチビシマが物語の主人公になっています。猫という記号ではない、顔のある猫。それは人間社会も同じ。私たちは日本人、アメリカ人、中国人といった記号で語りがちですが、一人ひとりは異なる人間なわけです。顔が見えないと暴力的な言葉を平気で投げ掛けるし、搾取も平気でしてしまう。でも、相手の顔がちゃんと見えると、そうではなくなります。顔を知っている知り合いがいる街に爆弾は落せないですよね。同じだと思うんです。猫も記号ではなく、一匹一匹の顔が見えてくると、猫について厳しいことを言っている人も違った感情を持つようになるんじゃないでしょうか。僕がドキュメンタリーという映画ジャンルが好きなのは、被写体一人ひとりに顔を付与できるから。というと偉そうですが、そういうところなんです。フォトエッセイでも同じことをしています。

野良猫はかわいそうな存在なのか?
ー映画『五香宮の猫』では、猫たちの糞尿被害を訴える人もいることから、猫神社にいる猫たちは全員避妊手術を受けることに。やがては消え去ることになるだろう牛窓の野良猫たちの社会と、少子高齢化が進みつつある地方コミュニティーが重ね合わせるように描かれているのが印象的です。
想田 五香宮の猫たちも、五香宮を中心とするコミュニティーを守ってきた人たちも、いなくなる日が近くまで来ているのかもしれません。淋しい予感を抱えながらの撮影でしたが、だからこそこの愛おしい時間、愛おしい空間をタイムカプセルに詰めるようにして映画をつくったように感じています。猫たちの避妊手術には、僕ら夫婦も関わりました。欧米でも野良猫の数を増やさないよう、避妊手術するのが主流になっているように思います。僕らもそれがベストの選択だと思っていました。でも、その帰結を考えると、手術は猫たちに負担を与えるし、自然のサイクルを遮断する暴力的な行為ではないかと最近は考えるようになったんです。かといって糞尿被害で困っている人の声を無視することもできません。しかし、避妊手術を徹底させて野良猫をゼロにするのがいいことだとも、今の僕には思えないんです。
ー フリーランスの映像作家である想田監督の心情も関係しているように感じます。
想田 それもあるかもしれません。僕にとって自由という価値はとても大きなものです。ガチガチにルールに縛られた世界には、息苦しさを感じてしまう。なんでもやりすぎないほうがいいんじゃないかなというのが、僕の本能的な感覚です。野良猫をゼロにしようと考えている人たちは「野良猫はかわいそう」という認識だと思うんです。確かに野良猫は病気になりやすいし、車に轢かれる危険も高いし、寿命は3~5年だと言われています。それで、みんな飼い猫にしようと。その考えはすごく分かります。でも、野良猫がみんなかわいそうだとは僕は思わないんですよね。人にはそれぞれの人生があるように、猫にもそれぞれの「猫生」があると僕は思うんです。猫独自の社会や生き方があるはずなので、猫それぞれの生き方を尊重したいんです。

ニューヨークのMoMAに通い続けた青春時代
ー 海外の映画祭にたびたび参加している想田監督が、これまでどんなアート体験をされているのかも気になります。
想田 東京大学を卒業し「映画監督になりたい」と思い、ニューヨークに留学しましたが、それまでは芸術に触れる機会はほとんどなかったんですね。美大生としてニューヨークで過ごした4年間は、素晴らしい時間でした。ニューヨークは芸術に触れるには最適な場所でした。僕は美大では劇映画づくりを学んだんですが、友達には映画を目指している人だけでなく、絵描きや劇作家や彫刻家や音楽家やダンサーや振り付け家もいましたし、映画、絵画、演劇、コンサート……世界中からありとあらゆるアートが、ニューヨークには集まっていました。
ー 想田監督は「ドキュメンタリーは偶然性の芸術だ」と言われています。米国では映画、ドキュメンタリーも芸術のひとつと考えられているわけですね。
想田 そうですね、少なくとも僕が通っていた美術大学では、映画をアートとして扱っていました。ドキュメンタリーへの入り方はいろいろで、ドキュメンタリー=報道と捉えている人も多いと思いますが、数あるアートのひとつがドキュメンタリーであるという僕のドキュメンタリー観は、ニューヨークの学校で学んだことが大きいと思います。
ーニューヨーク近代美術館(MoMA)で、想田監督のドキュメンタリー作品は上映されてきたと聞いています。
想田 僕のドキュメンタリー映画監督としてのデビュー作『選挙』から、ほとんどの作品をMoMAで上映してもらっています。上映だけでなく、お客さんとのQ&Aの場やレセプションも開いてもらい、『選挙』はMoMAのコレクションにも加えてもらっています。美大生はMoMAは入場無料なので、学生時代は気に入った映画監督の特集上映はずっと通い続けました。卒業してからですが、僕が観察映画を撮る上で強い影響を受けた「ダイレクトシネマ」の巨匠、フレデリック・ワイズマン監督の特集上映は50本ほどありましたが、すべてのプログラムに通いました。ニューヨークでのアート体験は、僕の映画監督としての礎になったと思います。

猫たちを所有することはできない
ー 最近の想田・柏木家と茶太郎&チビシマの近況を教えてください。
想田 僕の映画づくりを手伝ってくれている規与子さんですが、本職は太極拳の師範で、牛窓に来てからは大正時代に造られた蔵を道場にして、週4日くらいクラスを開いています。困っているときはお互いに相談したり、助け合いますが、普段は拘束し合わない自由な夫婦関係です。茶太郎とチビシマは子猫のときに雄猫に襲われたことから、僕らが保護することになりましたが、彼らを所有しているという意識はないんです。僕らにできるのは、餌と寝床を用意することぐらい。茶太郎は好奇心旺盛で、僕の仕事場に作った「猫穴」を通って毎日外へ出かけています。チビシマは出不精で、気が向いたときだけ出かけていますね。
ー 積極的に街の人たちと交流する規与子さん、自宅に篭って編集作業する時間の長い想田監督の関係性と、茶太郎とチビシマの関係性は似ていますね。
想田 そうかもしれません(笑)。茶太郎はあまりケンカが強くないくせに、よくケンカして、怪我をして帰ってくるんです。怪我をしているときの茶太郎は、ひたすら眠って怪我を治すことに集中しています。猫たちは餌を食べるときは食べることだけに集中し、眠るときは眠ることだけに集中する。昨日のことを悔やんだり、明日のことをあれこれ心配したりしない。それって瞑想的ではないかと思うんです。ある意味、理想的な生き方ではないでしょうか。
猫好きな映画監督として知られる想田監督だが、本人曰く「猫だけを偏愛しているわけはなく、縁あって出会ったあらゆる命との縁を大切にしたい」とのことだ。フォトエッセイ『猫様』とドキュメンタリー映画『五香宮の猫』は、それぞれ別個に楽しめるが、互いに補完し合う関係性の作品にもなっている。猫好きな人はもちろん、そうでない人も、これまでドキュメンタリー映画に関心がなかった人も、楽しみながらいろいろな発見ができるに違いない。

- フォトエッセイ集『猫様』
著者/想田和弘 発行/ホーム社 発売/集英社
2024年10月18日(金)より刊行

- ドキュメンタリー映画『五香宮の猫』
監督・製作・撮影・編集/想田和弘 製作/柏木規与子
配給/東風 2024年10月19日(土)より東京シアター・イメージフォーラム、岡山シネマ・クレールほか全国順次公開
(c)2024 Laboratory X,Inc
https://gokogu-cats.jp/
長野辰次
福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。