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平安時代の仏像の変遷をたどる
京都・南山城エリアの代表作が勢ぞろい

東京国立博物館にて、特別展「京都・南山城の仏像」が2023年11月12日まで開催

内覧会・記者発表会レポート

展示風景より。浄瑠璃寺 国宝《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》
展示風景より。浄瑠璃寺 国宝《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》

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構成・文・写真:森聖加

京都の最南部、南山城(みなみやましろ)は、かつての京と奈良の都の中間に位置したことから、双方の影響を受けながら独自の文化を育んできた地域だ。都に比べて戦乱の影響を受けることが少なかったため、平安時代、400年の長きにわたって最盛期を迎えた仏像の変遷を一所でたどれるエリアでもある。修理を終えたばかりの貴重な国宝仏も登場する、東京国立博物館の 浄瑠璃寺九体阿弥陀じょうるりじくたいあみだ修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」で平安時代へ旅をしよう。

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浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」
開催美術館:東京国立博物館
開催期間:2023年9月16日(土)~11月12日(日)
展示風景より。重要文化財《普賢菩薩騎象像》京都・岩船寺
展示風景より。重要文化財《普賢菩薩騎象像》京都・岩船寺

京都の旧国名、山城国(やましろのくに)の南にあることから、南山城と呼ばれる地域は、木津川が育む風光明媚な景観で知られ、自然豊かな山間部から閑静な平地にいたるまで穏やかな空気が漂う。仏教伝来後、飛鳥時代(7世紀ごろ)からすでに寺院の造営が始まっていたそうで、現在も木津川流域の大和と山城、近江、伊賀を結ぶ街道沿いには古刹が点在し、仏教の聖地とも呼ばれている。奈良時代には一時、恭仁京(くにきょう)という都も置かれた。 そして平安時代には京都の貴族や奈良の大寺院などの荘園が設置され寺院造営がさらに進むとともに、数多くの仏像がつくられてきた。日本の政治史、文化史上で非常に重要な場所であった、と東京国立博物館 研究員の増田政史氏は解説する。

唐の影響を伝える、彫り口鋭い9世紀の菩薩立像

展覧会会場に入るとまず、平安時代初期、9世紀の仏像で京都・海住山寺(かいじゅうせんじ)に伝わる重要文化財《十一面観音菩薩立像》が観覧者を迎える。8世紀~9世紀、奈良時代後期から平安時代初期にかけての日本は、中国、唐時代の文化の影響を色濃く受けていた。いうまでもなく仏像にも唐の造形が反映され、自然な身体表現と切れ味鋭い彫り口に特徴がある。

展示風景より。重要文化財《十一面観音菩薩立像》 平安時代9世紀 京都・海住山寺
展示風景より。重要文化財《十一面観音菩薩立像》 平安時代9世紀 京都・海住山寺

像の高さは約45㎝と小さく、目鼻立ちがくっきりとして、自然な体つきは正面から見ても、横から見ても明らか。弓なりに反った美しい立ち姿を見逃すことはできない。顔の表情だけでなく衣の襞(ひだ)にも鋭い彫り口が際立つ。さらに十一面観音像では失われることが少なくない頭上面のうち十面が残り、造像当初の姿をいまに伝えている。

中国・唐時代の仏像は白檀(びゃくだん)など香木からつくられ壇像(だんぞう)と呼ばれているが、そうした当時の流行を意識して、材料にはきめの細かな木が用いられている。唐文化の色濃さは、唐を手本とした奈良の都と南山城の結びつきの強さを表している。

優しく、穏やか。和様へと近づく10世紀の観音菩薩立像

美しくもシャープな姿の仏像から一転して、平安時代中期に入ると肉付きがよく、優しく穏やかな仏像がつくられるようになる。会場中央に展示された京都・禅定寺の重要文化財《十一面観音菩薩立像》は、それまでの唐風モデルから、11世紀に大成する日本独自の様式「和様(わよう)」をかたちづくる過程で制作されたものだ。高さも約3mと大きい。

展示風景より。重要文化財《十一面観音菩薩立像》 10世紀 京都・禅定寺
展示風景より。重要文化財《十一面観音菩薩立像》 10世紀 京都・禅定寺

鼻筋が太く、頬には張りがあり、穏やかで優しさが感じられる顔立ち。衣の表現も柔らかさを伝えるよう彫りは浅めだ。この像は禅定寺創建時からの本尊であり、同寺は奈良・東大寺の僧侶の創建と伝わる。像の制作にも東大寺の周辺で活躍した仏師が関わっていると考えられている。

11~12世紀の貴族文化を体現。鮮やかな截金文様が美しい

平安時代中期から後期へと時代が進むと、当時の社会背景をさらに反映した仏像がつくられるようになる。11世紀から12世紀にかけては貴族文化が最盛期を迎えた。貴族好みの代表作として展示されるのが、浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来坐像(くたいあみだにょらいざぞう)を守る四天王のうちの二体、国宝《広目天立像》(こうもくてんりゅうぞう)と《多聞天立像》(たもんてんりゅうぞう)だ。

展示風景より。《広目天立像》と《多聞天立像》は修理を終えたばかりの《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》と並んで展示されている。いずれも京都・浄瑠璃寺蔵
展示風景より。《広目天立像》と《多聞天立像》は修理を終えたばかりの《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》と並んで展示されている。いずれも京都・浄瑠璃寺蔵

キリリと、近衛兵のように整った四天王の姿は、動きは控えめで品のある立姿をしている。さらに細部に目を凝らせば、色鮮やかな彩色に目が留まり、ごく細く切った金箔を貼って模様を施す截金(きりかね)文様が残っていることがはっきりとわかる。千年近く前の彩色や文様が残るのもまた、とても貴重だ。描かれた文様は大振りな植物紋様で、これは同時代の京の仏像の流れとは異なり、奈良時代以来の伝統的モチーフで南山城らしさを表現する点だ。

現存するのは浄瑠璃寺だけ。九体阿弥陀像

本展のもうひとつの見どころは、特別展タイトルにも掲げられている浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念で出品される、浄瑠璃寺の本尊の一体、国宝《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》である。寺の本堂では九体の阿弥陀如来像が横一列に並んでいる。修理は明治時代以来、110年ぶりに行なわれ、特別展では本堂では見られない台座部分も鑑賞できる希少な機会となる。

特別展では、本堂で横一列に並ぶ九体のうち、向かって右端に安置される一体を展示
特別展では、本堂で横一列に並ぶ九体のうち、向かって右端に安置される一体を展示

平安時代中期以降、仏の教えが正しく伝わらないとされる末法思想(まっぽうしそう)が広まり、人々は西方の極楽浄土に生まれ変わる「往生(おうじょう)」を強く願った。阿弥陀仏信仰を説く経典のなかで特に重要なものが「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」で、そこでは生前の行ないや信心深さによって決定される9通りの極楽往生の仕方が説かれる。九体阿弥陀はこれを具現化したものだ。当時、極楽往生を願った貴族たちのあいだでは九体の阿弥陀如来像の造像が流行した。記録の上では30数例ほど確認できるそうだが、浄瑠璃寺が造像当時の仏像と像を安置する堂宇が現存する唯一の例なのだ。

鎌倉時代以降の仏像も見どころ満載

平安時代以降も南山城では仏像の制作が続いた。地域には鎌倉時代に活躍し、リアルな表現を追求した運慶や快慶に代表される慶派仏師(けいはぶっし)の仏像として、京都・現光寺の《十一面観音菩薩坐像》、京都・極楽寺の行快(ぎょうかい)作《阿弥陀如来立像》が伝わっている。また、京都・寿宝寺に伝わる《千手観音菩薩立像》は千本に迫る多数の手を備える貴重な例だ。

京都・現光寺の《十一面観音菩薩坐像》は慶派またはその周辺の仏師による作とされる。
京都・現光寺の《十一面観音菩薩坐像》は慶派またはその周辺の仏師による作とされる。
千本の手で衆生を救うとされる《千手観音菩薩立像》と《金剛夜叉明王立像》、《隆三世明王立像》 いずれも京都・寿宝寺蔵
千本の手で衆生を救うとされる《千手観音菩薩立像》と《金剛夜叉明王立像》、《隆三世明王立像》 いずれも京都・寿宝寺蔵

さらに一般には、悪い敵を倒し、人々の悪い心を改める仏として知られる不動明王や明王だが、京都・神童寺の《不動明王立像》は眉間にしわを寄せて、牙を出してはいるものの、どことなくユーモラスな表情でなごませる。会場は一体、一体をじっくり鑑賞できる構成となっているので、さまざまな表情やしぐさを確かめながら仏像の魅力を堪能したい。

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東京国立博物館|Tokyo National Museum
110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間:9:30〜17:00(最終入場時間 16:30)
休館日(会期中):月曜日、9月19日(火)、10月10日(火)※ただし、9月18日、10月9日は開館

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