3.0
藤田嗣治&国吉康雄展@県美
国吉を観るのは初めてで、目当てはもちろん藤田。
でも帰りに買ったポストカードは国吉のみ。
これでもか!ってぐらいにひたすら上手すぎる藤田に対し、
画風の変遷も題材の移ろいも迷いがたっぷり感じられ、年を経て説得力がマシマシになる国吉さん。
対して後期はちょっと残念な藤田さん。
この展覧会は藤田を呼び水に、国吉の国内評価を見直して欲しいという企画だったのでは。
本当のお目当ては、コレクション展の中山岩田 展示替え第2弾。こちらも良かったが老眼鏡忘れたのが痛恨。
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20世紀前半の海外で成功と挫折を経験した二人の画家、藤田嗣治(1886-1968)と国吉康雄(1889-1953)が、ともにフランス・パリに滞在した1925年から百年目になることを機にした特別展を開催します。巡回なし、兵庫県立美術館のみの展覧会です。
藤田嗣治は、東京美術学校卒業後26歳で単身フランスに渡り、1920年代、「素晴らしき乳白色の下地」と称賛された独自の画風によって、エコール・ド・パリの寵児としてフランスでの名声を確立します。国吉康雄は16歳で渡米、画才を認められて研鑽を積み、アメリカ具象絵画を代表する画家としての地位を築きました。パリとニューヨークで活躍した二人の画家は、1925年と28 年のパリ、1930年のニューヨークで接点を持ちますが、太平洋戦争によりその関係性が破綻します。終戦後、1949年の10カ月を藤田はニューヨークで過ごしますが、現地にいた国吉との再会は叶いませんでした。
日本とフランス、日本とアメリカ、二つの祖国を持った二人が、それぞれどのような自覚と視座のもと作品を生み出していったのか、通時的かつ共時的に作品を対比させて紹介します。
| 会期 | 2025年6月14日(土)~2025年8月17日(日) |
|---|---|
| 会場 |
兵庫県立美術館
|
| 住所 | 兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 (HAT神戸内) |
| 時間 |
10:00~18:00
(最終入場時間 17:30)
|
| 休館日 |
月曜日、7月22日、8月12日 ※ただし、7月21日、8月11日は開館 |
| 観覧料 | 一般[前売] 1,800円 大学生[前売] 1,000円 一般 2,000円(1,600円) 大学生 1,200円(1,000円) 高校生以下無料 70歳以上 1,000円(800円) 障害者手帳等をお持ちの方[一般] 500円(400円) 障害者手帳等をお持ちの方[大学生] 300円(250円)
|
| TEL | 078-262-1011 |
| URL | https://www.artm.pref.hyogo.jp |
3.0
国吉を観るのは初めてで、目当てはもちろん藤田。
でも帰りに買ったポストカードは国吉のみ。
これでもか!ってぐらいにひたすら上手すぎる藤田に対し、
画風の変遷も題材の移ろいも迷いがたっぷり感じられ、年を経て説得力がマシマシになる国吉さん。
対して後期はちょっと残念な藤田さん。
この展覧会は藤田を呼び水に、国吉の国内評価を見直して欲しいという企画だったのでは。
本当のお目当ては、コレクション展の中山岩田 展示替え第2弾。こちらも良かったが老眼鏡忘れたのが痛恨。
兵庫県立美術館は今のところ3回中2回雨である。そして雨が降るとこれが六甲おろしなのか、灘駅から美術館までの道ですごく強い風が吹く。
藤田と国吉の関係については日美で予習してきた。お互い意識し合っているような、すれ違ってい…readmore
5.0
乳白色の肌の女性が、裸でポーズをとっている。必ず絵のどこかに猫がいる。20世紀前半に活躍した画家なのに、全く古さを感じない。藤田さんの写真から、おしゃれで当時はちょっと変わった人と見られていたのではないかと思うけど、今なら日本でもすごく人気の画家だったのではないかと思います。国吉さんの方は、急に牛が出てきたり、ちょっと不思議な絵がいいですね。二人の生き方を比較しているところも、面白かったと思います。
4.0
藤田については、都内では複数の展覧会が展開され、今までみたことのなかった絵画や写真を見る機会があって盛り上がっていたところ、こちらでも、圧巻の大作をみることができて満足。それに比して、国吉康雄はあまり知らなくって、でも、その独自のフォルムや色使いはユニークで、作家性は明らか。フランスとアメリカ、とか、戦後の生き方、とか、2人を並べるキュレーションの効果も抜群。
5.0
国吉のことを最初に知ったのは、実は展覧会ではなく、彼についての評伝だったのですが、それからは東京近代美などでじっくりと見る機会を増やしていました。それがこれだけの作品が集まるなんて…しかも、藤田も見れるので、二度おいしい、本当に幸せな時間でした。私のお気に入りは「誰かが私のポスターを破った」などの女性を描いた絵。これを機会に、岡山の美術館にも行こうと計画を立てているところです。
3.0
藤田嗣治も国吉康雄も日本を出立するときは、神戸港からでした。
藤田は、1929年16年ぶりの帰国で当時海外への起点であった神戸港へ着きました。藤田の定宿は「甲子園ホテル」だったそうで、甲子園ホテルでユキと一緒に写る写真も残っています。本展でのイベントで、旧甲子園ホテル見学ツアーも開催されました。(今回のイベントには私は参加していません)
阪神地区には、阪神間モダニズム建築と呼ばれる趣ある建物があり、旧甲子園ホテルもその1つです。
藤田を神戸へ出迎えた中に「具体」(具体美術協会)の吉原治良(1905~1972)がいました。京都へ桜を観に行きたいという藤田と京都へお花見に行ったそうです。吉原製油の跡取り息子ボンボンの吉原、藤田に絵を見せたところ「他の画家の影響がありすぎる」と酷評され、その言葉が「具体」の吉原の「人のまねはするな」「人が見たことがないものを作れ」に繋がったとはいうのは有名なお話です。
甲子園ホテルは、フランク・ロイド・ライト(1867-1959)の愛弟子・遠藤新(1889-1951)設計で、東の帝国ホテル、西の甲子園ホテルといわれました。シティホテルの帝国ホテルに対して、関西の高級リゾートホテルとして昭和5年に竣工しました。しかし、昭和19年には海軍病院として徴用されました。野坂昭如著『火垂るの墓』で、空襲で大怪我をした主人公の母が亡くなったのはここだったそうです。戦後はGHQに接収され、アメリカ進駐軍の将校宿舎とクラブとされ、ホテルとしては14年で幕を閉じています。昭和32年米軍引き揚げ後、大蔵省の管理下にありましたが、昭和40年に武庫川学院が国より譲り受け、改修を重ね、ライト式建築を今に伝えています。現在は武庫川女子大学建築学科のキャンパスとしても使われています。
帝国ホテルは、ライトが何度も設計変更をし、建築費用も当初予算の6倍にもなり、総支配人だった林愛作(1873-1951)は引責辞任し、ライトは離日し、それを引き継いだのが遠藤新です。着工から4年もの歳月を経て竣工となり、落成記念披露宴は、大正12年9月1日、関東大震災当日でした。甲子園ホテルは、昭和5年に高松宮宣仁親王がご結婚、神戸港から新婚旅行にご出発される際に甲子園ホテルご宿泊が決まっており、施工期間は13か月でした。帝国ホテル常務取締役でホテル界の第一人者であった林愛作が、甲子園ホテルの支配人となって、彼の理想が色濃く反… Read More
二人展の良さは「一粒で二度おいしい」とこだと思う。
ただ今、三菱一号美術館でやってるセザンヌ&ルノワールなんかがその最たるもので、皆さんさぞかし満足なさって鑑賞されてることだろう。
たまたまだろうが、関西でも藤田&国吉の二人…readmore
今年は藤田嗣治の展覧会が多いと思っておりましたら、「藤田嗣治 生誕140周年記念」でその特設サイトもあり、本展の他、「軽井沢安東美術館開館3周年記念企画 ランス美術館コレクション 藤田嗣治からレオナール・フジタへ」「生誕140周年 …readmore
4.0
良く知っている藤田さんの絵を楽しみに本展覧会に行きました。国吉さんのことはほとんど知らなかったので、入ってすぐに国吉さんの自画像があり、丸眼鏡にちょび髭姿を見て、藤田さんだと思ったぐらい似ていて、驚きました。タッチこそ違うので違和感がありましたが、国吉さんもアメリカで日本人として個性を出すために、セルフプロデュースしていたのでしょうか。スタートから心つかまれ、二人の人生を歩む楽しい展覧会でした。
東京国立近代美術館でよく見る、藤田さんの戦争画ですが、今回お借りしていた作品「樹二月八日の真珠湾」は初見で藤田さんが帯同し、実際に見た景色を描いたのかどうか、気になりました。また、平野政吉美術財団からお借りした作品も初めて見る「自画像」でそこにいる藤田さんはいつもの藤田さんですが、大画面の背景がいつもと違うため、新鮮でした。
自画像が似ている(写真は似ていませんが)だけでなく、画家としてお互いリスペクトしている感じが伝わりました。藤田さんは戦後パリに帰る途中、滞在したニューヨークでの10カ月、個展を開き、そこに国吉さんは訪れるが、会えずとの事でした。これは現在残っている記録からの事実で、もしかすると記録がない(まだ発見されていない)だけで、どこかで最後に会っていたかもと想像すると、本展覧会の「再会」の意味がより深くなります。
4.0
同じ時代を生きて、フランスの藤田、アメリカの国吉、と海外で本格的に活躍するさきがけとなった二人。戦争を挟んだ時代に翻弄されながら、異国の地で、「身を立て」「身を守り」画業を切り開いてゆく、そんな視点で二人の足跡を比較しつつ辿るのが面白い企画展でした。
「二人のパラレルキャリア」との副題が付いてます。このパラレル、巧い表現だと思います。この二人、異国での先人にない偉業は甲乙つけがたい。そして、あまり交わらない。本展では、貴重な交わりの機会は取り上げて解説してますが、むしろ、なかなか交わらないお互いの背景、戦争に対する態度の違いや感情面を想像してしまいます。
藤田嗣治。
本展では国内から代表作が集められており、総数は40点弱と多くはないが充実してます。今年は各地で企画展が盛りだくさん。SOMPO美術館では、海外個人蔵の珍しい作品が多めだったのとは対照的。因みにこちらも猫は控えめ、東近美《猫》のリアルなバトル猫はありました。
何より、細くてしなやかな黒描線と乳白色の婦人画の大作、《五人の裸婦》《タピスリーの裸婦》《舞踏会の前》《私の夢》など、ゆったりと堪能しました。「身を立て」視点では、30代でこの画風確立に至った重さを再認識します。
画業後半の戦争画や宗教画も数点あり。藤田ヒストリーは簡潔に網羅されています。
国吉康雄。
まとめて鑑賞するのは初めてです。総数約80点を通じて、ダイナミックな変遷がよくわかりました。
30~40歳代は油絵。横ストロークのマチエール、マホガニーブラウンの色調が印象的。女性を描くのにモデルを使うよう示唆を受けて、国吉の婦人画は一変します。リアルさと深みを増した第5章の作品群、《バンダナをつけた女》他が展示される一角は、息をのみます。
1930年頃にはシュルレアリスムの影響も覗える画風、その後、パステル色の明るい色調での平面化・抽象化表現、更には子供の描くようなタッチでの単純化へと、進化の過程が実に印象的。
本展は、展示会場の中でも外でも、工夫や仕掛けが豊富です。
展示では。作品タイトルカードが、藤田:オレンジ、国吉:水色、に色分け。二人とも丸眼鏡&チョビ髭の自画像があり、そこからデザインした顔ロゴがチャーミング。
展示外では。関連イベントが数多く開催され本格的。HP「みどころキューブ」では開催期間中、大部分の作品が公開され… Read More
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藤田嗣治 《舞踏会の前》 1925年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館
© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 X0359
国吉康雄《夢》1922年 石橋財団アーティゾン美術館
国吉康雄《幸福の島》1924年 東京都現代美術館
国吉康雄《サーカスの女玉乗り》1930年 個人蔵
国吉康雄《逆さのテーブルとマスク》1940年 福武コレクション
国吉康雄《誰かが私のポスターを破った》1943年 個人蔵
国吉康雄《カーニヴァル》1949年 個人蔵
Max Yavno《「逆さのテーブルとマスク」を制作中の国吉康雄》1940年頃 福武コレクション