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FEATURE

ミラノから始まったもう一つのデザイン革命
 アレッサンドロ・グエリエロとアルキミア

キーパーソンのインタビューから読み解く
ミラノが世界のデザイン首都である理由 Vol.1

インタビュー

アルキミア「Modulando」コレクション、1980年。photo=Occhiomagico
アルキミア「Modulando」コレクション、1980年。photo=Occhiomagico

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インタビュー・文:矢島みゆき 編集:藤野淑恵

世界のデザイン史において、ミラノはしばしば「デザインの首都」と呼ばれてきた。その理由のひとつが、1970年代にこの都市から生まれた前衛的なデザイン運動にある。「機能的で使いやすい」という近代デザインの常識を真っ向から否定し、デザインを単なる実用品ではなく「物語や感情を揺さぶる表現」へと変えた集団がある。1976年にミラノで誕生したデザイングループ 「アルキミア(Alchimia)」 だ。

その前衛的な活動は、既存のデザインの概念を大きく揺さぶった。たとえば、デザイナーのチンツィア・ルッジェーリによる、紙片や布片を組み合わせた左右非対称の服や、パンで作られた衣服、あるいは鮮やかな色彩と装飾で覆われた家具など、アルキミアの作品は常識にとらわれない自由な発想で大きな注目を集めた。

アルキミアの初期メンバー。下から上へ:ブルーノ・グレゴーリ、ピエルカルロ・ボンテンピ、カルラ・チェッカーリリア、アレッサンドロ・グエリエロ、アドリアーナ・グエリエロ、アルトゥーロ・レボルディ、ジョルジョ・グレゴーリ、アレッサンドロ・メンディーニ。
アルキミアの初期メンバー。下から上へ:ブルーノ・グレゴーリ、ピエルカルロ・ボンテンピ、カルラ・チェッカーリリア、アレッサンドロ・グエリエロ、アドリアーナ・グエリエロ、アルトゥーロ・レボルディ、ジョルジョ・グレゴーリ、アレッサンドロ・メンディーニ。

創設者はアレッサンドロ・グエリエロと妹のアドリアーナ・グエリエロ。そこにエットーレ・ソットサス、アレッサンドロ・メンディーニ、アンドレア・ブランツィ、フランコ・ラッジ、ミケーレ・デ・ルッキら、当時のミラノの若いクリエイターたちが集まり、デザインの新しい可能性を模索した。アルキミアの活動はデザインの枠を越え、ファッション、建築、グラフィック、映像など多様な分野に広がり、1981年にはイタリア・デザイン界最高峰の賞 コンパッソ・ドーロ賞を受賞する。アルキミアの活動は、その後エットーレ・ソットサスが率いた「メンフィス」へとつながり、1980年代のポストモダン・デザインの潮流を生み出す重要な出発点ともなった。

2025年11月〜26年1月にベルリンのブレーハン美術館で開催された。アルキミアの本格的回顧展 「Alchimia – The Revolution of Italian Design」 のポスター。
2025年11月〜26年1月にベルリンのブレーハン美術館で開催された。
アルキミアの本格的回顧展 「Alchimia – The Revolution of Italian Design」 のポスター。

1970〜80年代にデザイン界の常識を覆したアルキミアの活動を、150点以上の作品(家具、ドローイング、写真など)を通して包括的に振り返る初の本格的回顧展 「Alchimia – The Revolution of Italian Design」 が、2025年にベルリンのブレーハン美術館で開催された。この展覧会はその後ミラノのADIデザインミュージアム、マドリードのイタリア文化会館へと巡回。ミラノ会場では、創設者 アレッサンドロ・グエリエロ自身が展示構成を手がけた。アルキミアは誕生から半世紀を経た現在もなお、その思想と作品が世界各地で紹介され続けている。

このアルキミアの創設者であるアレッサンドロ・グエリエロに、ミラノ在住のジャーナリスト・矢島みゆきがインタビューした。

ミラノ生まれのデザイナー、プロデューサー、教育者、アレッサンドロ・グエリエロ。1970年代に前衛的デザイングループ、アルキミア(Studio Alchimia) を創設。83歳を迎えた今もなお、展覧会や社会活動のため世界を飛び回る。
ミラノ生まれのデザイナー、プロデューサー、教育者、アレッサンドロ・グエリエロ。1970年代に前衛的デザイングループ、
アルキミア(Studio Alchimia) を創設。83歳を迎えた今もなお、展覧会や社会活動のため世界を飛び回る。

アレッサンドロ・グエリエロ Alessandro Guerriero

1943年ミラノ生まれ。デザイナー、プロデューサー、教育者。1976年、妹のアドリアーナ・グエリエロとともに前衛的デザイングループ アルキミア(Studio Alchimia) を創設。エットーレ・ソットサス、アレッサンドロ・メンディーニ、アンドレア・ブランツィらとともに、装飾や象徴性を重視した実験的デザインを展開し、ポストモダンデザインの重要な潮流を生み出した。1981年、アルキミアの活動によりコンパッソ・ドーロ賞を受賞。
1980年代にはデザイン教育にも力を注ぎ、ミラノに ドムス・アカデミー を設立。またデザインとファッションの大学 NABA(Nuova Accademia di Belle Arti) の創設にも関わる。現在も展覧会や社会活動に積極的に関わり、ミラノを拠点に活動を続けている。

ミラノのADIデザインミュージアムで開催された展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。ミラノでは創設者 アレッサンドロ・グエリエロ自身が展示構成を手がけた。Courtesy of ADI Design Museum  photo=Denise Manzi
ミラノのADIデザインミュージアムで開催された展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。ミラノでは創設者 アレッサンドロ・グエリエロ自身が展示構成を手がけた。Courtesy of ADI Design Museum photo=Denise Manzi

アルキミアとは、 デザインをめぐる文化的蜂起

――「アルキミア」とは、あなたにとって何だったのでしょうか。
アレッサンドロ・グエリエロ:1980年代の「アルキミア」は単なる「デザインのスタイル」や「美しいモノを作るためのプロジェクト」ではありません。それは、むしろ文化的な蜂起でした。プロジェクトを、商業的な産業やマニュアル、そして「全てを知っている」アカデミックな教授達の支配から引き離そうとする反体制的な試みだったのです。

アルキミアは、当初から抵抗の実戦でした。混ぜ合わせること、汚すこと、混乱させること、そして従わないこと。捨てられたものを拾い上げ、象徴的なものに変えること。確立されたアイコンを、もう一度、そのもろさの場所に戻すこと。きちんと整理されたデザインの世界につまずきを起こさせることが、私達の目的でした。

マニフェスト「バウハウス・コレクション」
ミケーレ・デ・ルッキによるドローイング(1979年)
マニフェスト「バウハウス・コレクション」
ミケーレ・デ・ルッキによるドローイング(1979年)

――1980年代のアルキミアの創作プロセスは、どのようなものだったのでしょうか。
グエリエロ:あの頃の創作はまるで地下の実験室のようでした。誰にも、最終的にどこに行き着くのかはわかっていなかった。だからこそ、錬金術の儀式に近かったのだと思います。貧しい素材と神秘的なヴィジョン、ポップカルチャーと高尚な芸術。政治的な怒りと子どものようなアイロニー。こうしたものを、躊躇なく、混ぜ合わせていました。私達は「許可を求めない時代」の子どもだったのです。

私たちは家具を作りたかった訳ではありません。意識を生み出したかったのです。少なくとも、秩序を生み出したかったのです。

意味を変える錬金術師。 「穏やかな破壊者」としてのグエリエロ

――当時、あなた=アレッサンドロ・グエリエロの果たした役割をどのように捉えていますか。
グエリエロ:彼は「穏やかな破壊者」でした。デザインから、機能主義の傲慢さを静かに抜き取ったひとです。彼はオブジェが、感情になり得ること、傷や私的な物語あるいは儀式になり得ることを示しました。合理性だけを求めていた世界に、感情の次元を持ち込んだのです。彼が錬金術師だったのは、素材を変換したからではありません。意味を変えたからです。素材についての言及は、口実でした。本当の戦場は「意味」だったのです。

アルキミアの中心人物の一人、アレッサンドロ・メンディーニの作品《Poltrona / Armchair Proust》, Collezione Bauhaus, 1978年。photo=Carlo Lavatori / Archivio Alessandro Mendini
アルキミアの中心人物の一人、アレッサンドロ・メンディーニの作品《Poltrona / Armchair Proust》, Collezione Bauhaus, 1978年。
photo=Carlo Lavatori / Archivio Alessandro Mendini

――アルキミアの作品は、どのように受け取られるべきだったのでしょうか。
グエリエロ:そのプロジェクトやアルキミアの活動は全て変容の行為でした。異教の祭壇のように塗り替えられた家具、仮設的な建築、機能を約束するのではなく問いを投げかけるオブジェクト。それらの作品はプロトタイプではありません。視覚的な問いでした。視ることと感じることの間に生じる距離。オブジェは道具ではなく、物語を発生させる装置だったのです。

――一時期はアルキミアの一員でもあった、エットレ・ソットサス率いるデザイングループ・メンフィスとの違いはどこにあったのでしょうか。
グエリエロ:違いのほとんどはイデオロギーにありました。メンフィスはイデオロギーでした。アルキミアは表面を壊す為にアイロニーを使った。彼らはポップで、我々は異端。彼らは祭りで、我々は儀式。彼らはイメージで遊び、我々は意識と向き合った。これほどに両者の間には違いがありました。

展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum  photo=Denise Manzi
展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum photo=Denise Manzi

デザインという文化的抵抗。 アルキミアの精神は今も生きているのか

――80年代には、そのような自由がなぜ可能だったのでしょうか。
グエリエロ:あの時代は、デジタル以前、ブランデイング以前、過剰な専門家以前、の状況にありました。システムには亀裂があって、私達はその亀裂に這い込むことが出来たのです。完成予想図を求められることもありませんでした。手で、想像力で、本能で作っていました。失敗もできたし、役に立たなくても良かったし、狂っていても問題ありませんでした。

アルキミア 「ソリ コレクション(Collezione Soli)」、1990年。左から:ジョルジョ・グレゴーリ、アドリアーナ・グエリエロ、アレッサンドロ・メンディーニ、アレッサンドロ・グエリエロ。
アルキミア 「ソリ コレクション(Collezione Soli)」、1990年。左から:ジョルジョ・グレゴーリ、アドリアーナ・グエリエロ、
アレッサンドロ・メンディーニ、アレッサンドロ・グエリエロ。

――デザイナーの、「語り部としての役割」についてはどう考えていますか。
グエリエロ:私達にとっては、物語が全てでした。デザインはアイデンティティや表象、個人的集合的な神話について語るための手段でした。聖人、家庭内の伝説、幼少期、記憶、小さな儀式――こうしたものが私達の背景だった時代に、デザイナーは語り部であり、パフォーマーであり、メディウムになる。語られないものを扱う錬金術師だったのです。

――その精神は、今も残っていると思いますか。
グエリエロ:残っているのは、抵抗の必要性です。現代のデザインは、経済や見せかけのサステナビリティ、Instagramに映りの良い美学にほとんど支配されています。それでも脆さや逸脱、混乱や物語に取り組むデザイナーは、数は少ないのですがいます。彼らだけが本当に生きているといえるのです。

展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum  photo=Denise Manzi
展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum photo=Denise Manzi

――何故、今、アルキミアを読み直す必要があるのでしょうか。
グエリエロ:アルキミアは、デザインがサービスではなく、文化的な不服従の形になり得るということを思い出させてくれるからです。オブジェが単なる便利な商品なのではなく、暗号化されたメッセージであり得る、ということを想起させてくれるからです。創造することが生産すること以上に、困難に陥っている――アルキミアは常にそう主張していました。

そもそも、アルキミアは80年代に限ったデザイン活動ではありません。アルキミアは、常に自由の技法であり、逃走であり、叛乱であり、物に「人を不安にさせる力」を取り戻させる方法だったのです。

ミラノという都市が生んだ創造力

――ミラノの街はあなたにとってどのような存在ですか。
グエリエロ
:ミラノは私にとって最初の偉大な教師でした。その優雅さ故にではありません。優雅な街はどこにでもあります。そうではなく、対立するものを同時に抱え込む能力のためにです。産業と反骨、資本主義と詩性、厳格さと逸脱。ミラノでは、厳格でありながら、完全に規格外でいることができる。ミラノはいかなる学校以上にも私を作りあげた存在なのです。

展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum  photo=Denise Manzi
展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum photo=Denise Manzi

70〜80年代のミラノは、不均質な有機体であり、可能性の工場でした。いつも誰かが輪を壊した時に何かが生まれてきました。ラデイカルの爆発、メンフィスの登場、不服従の身振りとしてのアルキミアの誕生、どれにも似ていない雑誌の発行。椅子ではなく、想像力を設計しようとするデザイナー達。ミラノが生き延びたのは、まさにこの力のおかげです。混沌を扱い得る技量と、リスクを引き受ける規律がありました。

――現在のミラノの強さは、どこにあると思いますか。
グエリエロ:文化的な密度です。職人がいて、美術館の館長がいて、自宅のキッチンでブランドを生み出す若者がいて、秘密のギャラリーがあり、思いがけないアーカイブがあり、アイデアを交換できるバールがある。ミラノは人々を交差させる都市です。そして、その交差点から変容が生まれます。

ミラノのサローネやデザインウィークが特別なのは、ミラノの街がそれ等を見本市としてではなく、アイデアとして生きて来たからです。一種の都市的な儀式として。1週間、都市は完全に透明になることを受け入れるのです。これほどまでに人とアイデアが互いに感染し合うことを許す都市は、世界に他にはないと思います。

――あなたに影響を与えたのは「人」でしたか。
グエリエロ:もちろん、人もいます。でもそれ以上に影響を与えたのは都市そのものなのです。神経質なリズム、残酷でありながら寛大な性格。ミラノは、警告なしにプールに突き落とす教師の様なものです。泳ぐことを学ぶか、浮かぶことを学ぶか。そのいずれであっても、人格は形成されます。

もしも過去50年間のミラノデザインの、象徴的な瞬間を選ぶとすれば、私は物も建築も選びません。ある夜、はみ出し者たちが、「デザインは別のものになり得る」と決めた、その夜を選びます。製品よりも、そうした夜の方が歴史を変えるのです。

展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum  photo=Denise Manzi
展覧会「ALCHIMIA」の展示風景。Courtesy of ADI Design Museum photo=Denise Manzi

未来とは「変容」のこと ──ミラノで創造するということ

――未来についてはどう考えていますか。
グエリエロ:正直に言えば、流行語としての「未来」には興味がありません。創造的な責任としての未来には関心が有ります。デジタル、サステナビリテイ、工芸、新世代、都市政策、これ等は全て、ミラノが無数の形で投げかけてくる、同じ古い問いへの答えの試みです。

触れたものを、どう変容させるのか。――持続可能であるだけでは不足である、変容的でなければならない。デジタルは使うだけでは不足がある。解除できる必要がある。工芸は讃えるだけでは不足がある。新たな開発の必要がある。世代交代は管理するものではないのです。解放するべきものなのです。

――ミラノにおいて、創造する、というのはどういうことなのでしょう。
グエリエロ:時間をかけずに、高い強度の圧力の下で働くことです。拒絶や、成立しなかった「イエス」、予期せぬ出来事を生き延びること。そして、デザインが学問ではなく、都市的な抵抗の形式であることを理解する事です。ミラノの魅力は全てそこに有ります。毎日、少しだけより良い自分になること。少なくとも自分とは違う存在になることを求めてくる都市なのです。

ミラノでの展覧会「ALCHIMIA」の展示準備の風景。正面はグエリエロの肖像画。Photo=Miyuki Yajima
ミラノでの展覧会「ALCHIMIA」の展示準備の風景。正面はグエリエロの肖像画。
Photo=Miyuki Yajima

デザイナーであり、実験者であり、そして思想家でもあるグエリエロは、83歳を迎えた今もなお展覧会や社会活動のため世界を飛び回っている。1980年代と変わらぬ闊達な語り口には、デザインの未来を切り拓こうとした時代のエネルギーが今も宿る。

ソットサスもメンデイーニもブランジーも、カステイリオーニもムナリも、すでに旅立ってしまった。80年代のイタリアのデザインを牽引していた人物たちの中で、唯一健在なのが、このグエリエロだ。このアナーキーなデザインの活動家が世代を代表して80年代のデザイン思想の健康な闊達さを、展覧会などを通じて今なお伝え続けるその姿勢には、彼のデザインへの使命観の深さを見る気がする。それを必要とする人々に配る「毎日のパン」の活動、80年代から継続しているミラノの服役者とのデザインの協業など、弱い立場の人々に寄せる想いも含めて。

矢島みゆき MIYUKI YAJIMA

在ミラノ48年目のジャーナリスト。1978年から現在まで各紙誌に寄稿を続け、キュレーターとしても展覧会、展示会等の企画監修と展示設計も行う、イタリア社会に根を張り、ファッション、デザイン、インテリア、建築、アートの世界に幅広い人脈を築く。
1985年より建築デザイン事務所S.C.Artroom のアートデイレクター。2009年からは、クリエイテイヴデイレクター、アートデイレクター、経営者として現在に至る。建築、デザイン、アート、ファッションについて日本各地の各組織や学校にて講演と講義を行い、コンサルテイング、コーデイネーション、傾向分析と傾向予測を手がけてきた。

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